なぜ日本の公教育費は少ないのか: 教育の公的役割を問いなおす

著者 :
  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326653881

作品紹介・あらすじ

日本の保護者の教育費負担は非常に重いが、公教育費負担を増やすべきという社会的な声はあまり大きくない。しかし私的負担の重さは、少子化の促進や教育機会の不平等の拡大につながる。社会保障や福祉と教育の機能を考察しつつ、財政難という条件にある日本において、公教育費を増やすにはどうしたらいいのか、そのヒントを探る。

感想・レビュー・書評

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  • 日本において、インフレと並行した学費値上げは高度成長と軌を一にしていたため、教育費負担を家庭に転嫁し、いわば「自助」化することに成功してしまった。公教育費の拡充を求めるのに政府・与党・大企業を仮想敵とするのは不適切で、むしろ公教育の生む正の外部経済性(まさに「公共性」!)を正しく認識し、教育費負担は私の領域ではなく公の領域で担うべきという民意を醸成していくべき。

    このような論旨が、極めて丁寧な展開で論述され、さながら博士論文のよう。基本文献の引用が豊かで、教育費負担をトピックとして社会学・政治学・経済学・近現代史の基本をおさらいできる。


  • 公教育費が高くなる構造について、教育メインの話で分析するのかと思ったら、政治学的な話から行政サービスとしての教育にアプローチする本だった。読み飛ばしたからかもしれないが、そもそも公教育とはどのような範囲を指すのかとかが途中でわからなくなってしまったし、教育の歴史から政治学的な選挙の考察などなどが挟まれるので、要所要所では面白いのだが、全体の問いとその解答を把握するには、私にとっては難しかった。(結局全ての内容を理解し切れたとは言い難い。)

    この本の中でよく言及されているのが、行政サービスを受ける側の国民の態度。負担無しにはサービスは受けられないのに、税負担への忌避感が大き過ぎる。公務員の数からしても、小さな政府レベルの数なのに、さらに無駄を削減する、公務員批判の姿勢が強い。(確かに、部分的には無駄が報道されることもあるが、あくまで部分的なものである。更に、合理的な目標を達成するには、官僚組織にならざるを得ないのに、その組織自体を批判する)
    今の規模で行政サービスを受けるには、負担増は避けられないのだから、各政党も総花的な政策を標榜するよりも、負担の根拠や何に使われるか、を分かりやすく国民に説明するべきである。というのが主張されている。

    だが、個人的にはそれはあくまで政党の理想であって、そのような政党が現れることはないと思っている。明確な支持基盤があって、政党と支持者双方の信頼関係が構築されていれば、上記のような負担のあり方ををはっきり明言することが出来るだろう。しかし、無党派層が多く、政党との信頼感が築かれていない環境では、そのような政党運営は無理があると考える。

    また、本書の主題である教育費については、「教育費は個人で負担すべきである」という意識が強いからということも、主張されている。そもそも、入試というのは、あたかも誰でも、平等な時期に、平等な条件で受けられるからこそ、落ちれば努力不足、自己責任という結論に至りやすい。だからこそ、入試当日以外におかれた家庭環境などのバックグラウンド環境を隠蔽する。
    さらに、上記でも述べていたように、公教育を受ける国民たちが、全ての国民とは限らない(特に子供の有無など)から、行政サービスでそれらを負担するという合意を形成するには至らないのである。ど主張されている。
    (個人的には、この主張は的を得ていると思う。)

    あとは、教育費負担を増やさないような「小さな政府」のあり方についても、そもそも「小さな政府」を志向するのであれば、政府で救い切れない部分は、「家族」「連帯」といったものに頼ることになる、というのも興味深い主張だった。
    税金を減らして、全て市場原理に任せれば良いのではないかというのが「小さな政府」ではなく、救い切れない部分はある意味ナショナリスティックで、前時代的な部分に頼ることになるのである。それは今の日本の状況を考えれば、どうあがいても難しいだろう。


    ともすれば、我々は政府を自らと引き離して考えているが、我々もその一員である。何のために政府があるのか、何のために我々は税金を払っているのか、そうしたことを今一度考え直さないといけないのかもしれない。

  • 教育がどのように制度として位置づけられているかの本
    教育の成り立ちや必要性、どうしてお金が回らないか、政治の姿勢などを海外を含め広くまとめている。幅広いし深いしいい本だけど流石に疲れる
    後結論としてはどうしようもないとして悪い相手を探しているようになっている。

    教育の目標①民主的平等、良き市民の育成②社会的効率性、労働者として社会に役立つ③社会移動、競争選抜
    教育は平等化とともに差別化の役割となる
    高等教育への投資は結果的に高所得層への還元となる
    自由主義に任せると富裕層の好きなところにしかお金が回らず分断が進む
    教育は対処ではなく投資で効果が見えにくい

  • 8 教育費を負担するのは誰か[鳥山まどか先生] 1

    【ブックガイドのコメント】
    「家計負担軽減のための公的負担増。それがなぜ難しいか、どうすべきかを考えるために。」
    (『ともに生きるための教育学へのレッスン40』183ページ)

    【北大ではここにあります(北海道大学蔵書目録へのリンク先)】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2001619916

    【北大では電子ブックが利用できます(学外からはリモートアクセスサービスをご利用ください)】
    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000016942

  • 著者:中澤 渉
    3,800円+税
    出版年月日:2014/06/13
    9784326653881
    4-6 404ページ

     日本の保護者の教育費負担は非常に重いが、公教育費負担を増やすべきという社会的な声はあまり大きくない。しかし私的負担の重さは、少子化の促進や教育機会の不平等の拡大につながる。社会保障や福祉と教育の機能を考察しつつ、財政難という条件にある日本において、公教育費を増やすにはどうしたらいいのか、そのヒントを探る。
     第36回サントリー学芸賞(政治・経済部門)受賞
    http://www.keisoshobo.co.jp/smp/book/b177747.html


    【目次】
    序章 少なすぎる公教育費
     1 閉塞した教育費をめぐる問題
     2 公教育費は増やせるのか

    第I部 教育費をめぐる人々の意識と政策の現状
    第一章 教育の社会的役割再考
     1 「教育」の浸透する社会
     2 近代化と教育─社会学的に学校教育を振り返る
     3 教育の社会的機能再考

    第二章 国家・政府と教育
     1 政府にとっての教育
     2 近代国家の成立と教育システムの整備
     3 国家機構の整備と世界への普及

    第三章 教育と社会保障・福祉との関係性
     1 社会政策としての教育
     2 日本の教育政策と背景の福祉制度
     3 グローバル化する世界と社会政策
     4 国際比較から見る教育制度と社会保障・福祉制度との関連

    第四章 国際比較から見た日本の教育・社会政策への意識構造
     1 福祉政策・社会保障に対する態度
     2 社会政策の規定要因
     3 国際比較分析

    第II部 教育の公的負担が増加しなかったのはなぜか
    第五章 日本の財政と教育
     1 政府の赤字財政の原因
     2 財政と予算
     3 負担と利益のバランス

    第六章 教育費高騰の戦後史
     1 戦後民主主義教育体制の発足と教育費の負担
     2 高度成長期から安定成長期にかけての教育費
     3 恒常化する重い教育費負担

    第七章 教育費をめぐる争点
     1 自己責任と化する教育費負担
     2 選挙の公約・マニフェスト
     3 民主党政権の掲げた教育政策への賛否

    第八章 政策の実現と政党に対するスタンス
     1 「官」に対する厳しい眼差し
     2 間接民主制における民意の反映
     3 政党支持と政策への態度の関係

    終章 教育を公的に支える責任
     1 「失敗」に対する寛容
     2 教育と公共性・教育の公的負担に向けて

    あとがき
    参考文献
    索引

  • 公教育=学校教育、としての作品だったので生涯学習的な観点が見られなかった。
    これが、自分の求めるものと違ったということであって、作品自体は価値があるものだった。

    市民の感覚に対する著者の意見は、市民がコスト意識に縛られている現状では公教育の意識改革も難しいということだろうか。
    大阪府のバウチャー制度のような使途限定給付だけで終わることのない支援体制を考えたい。

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:373.4//N46

  • 2015.7.14日本の公教育費の個人負担額、つまり政府が負担しない授業料は世界的に見ても非常に高い、なぜか、というのがこの本の主題である。教育についての本というより、教育費用を通してこの国の民主主義について考えさせられる本だった。日本人の政府に対する不信感、教育は個人負担であるという捉え方がこのような現状を構成しており、打開のためにはそもそも民主主義とは国民の税負担により政府の行政が行われる、つまり負担なしで政府にあれこれ要望を述べるのは間違っている。そして教育の公的利益、つまり教育費の高騰が少子化の一因で、さらに少子化による労働人口の減少及び高齢化により個人の負担はさらに増える、増えれば増えるほど政府への不信も高まる、という認識を市民に広める必要がある。調査結果から、国民が教育費の公的負担を特に求めていないという結果は驚きだった。著者のあとがきの通り、結論というか、今後いかにしていくべきかという考察は弱い印象も受けるが、それでも教育費という観点から現在の国民と政治の関係性、この国の政治の現状を洗いだし、改めて民主主義とは何か、我々国民は政治家を選ぶ側と立場であり、政府は神でもなければ王でもない我々の代表者であり、政府の責任は一部我々にもあるのだということを、考え直さねばならないと思う。間接民主制の本質と、教育の公的意義について根っこから考えさせられる一冊。

  • 日経日曜版書評H26年(2014年)8月17日

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著者プロフィール

中澤 渉(なかざわ・わたる) 1973年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。東洋大学社会学部准教授、大阪大学大学院人間科学研究科教授などを経て、現在、立教大学社会学部教授。専門は教育社会学。著書に『入試改革の社会学』 (東洋館出版社)『なぜ日本の公教育費は少ないのか』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)『日本の公教育』(中公新書)がある。

「2021年 『学校の役割ってなんだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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