ハックルベリー・フィンの冒けん

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  • Amazon.co.jp ・本 (558ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784327492014

作品紹介・あらすじ

★柴田元幸氏がいちばん訳したかったあの名作、ついに翻訳刊行。
 ●オリジナル・イラスト174点収録
 ●訳者 柴田元幸氏の作品解題付き(2017年、第6回早稲田大学坪内逍遙大賞受賞)


「トム・ソーヤーの冒けん」てゆう本をよんでない人はおれのこと知らないわけだけど、それはべつにかまわない。あれはマーク・トウェインさんてゆう人がつくった本で、まあだいたいはホントのことが書いてある。ところどころこちょうしたとこもあるけど、だいたいはホントのことが書いてある。べつにそれくらいなんでもない。だれだってどこかで、一どや二どはウソつくものだから。まあポリーおばさんとか未ぼう人とか、それとメアリなんかはべつかもしれないけど。ポリーおばさん、つまりトムのポリーおばさん、あとメアリやダグラス未ぼう人のことも、みんなその本に書いてある。で、その本は、だいたいはホントのことが書いてあるんだ、さっき言ったとおり、ところどころこちょうもあるんだけど。
それで、その本はどんなふうにおわるかってゆうと、こうだ。トムとおれとで、盗ぞくたちが洞くつにかくしたカネを見つけて、おれたちはカネもちになった。それぞれ六千ドルずつ、ぜんぶ金(きん)かで。つみあげたらすごいながめだった。で、サッチャー判じがそいつをあずかって、利しがつくようにしてくれて、おれもトムも、一年じゅう毎日(まいんち)一ドルずつもらえることになった。そんな大金、どうしたらいいかわかんないよな。それで、ダグラス未ぼう人が、おれをむすことしてひきとって、きちんとしつけてやるとか言いだした。だけど、いつもいつも家のなかにいるってのは、しんどいのなんのって、なにしろ未ぼう人ときたら、なにをやるにも、すごくきちんとして上ひんなんだ。それでおれはもうガマンできなくなって、逃げだした。またまえのボロ着を着てサトウだるにもどって、のんびり気ままにくつろいでた。ところが、トム・ソーヤーがおれをさがしにきて、盗ぞく団をはじめるんだ、未ぼう人のところへかえってちゃんとくらしたらおまえも入れてやるぞって言われた。で、おれはかえったわけで。
——マーク・トウェイン著/柴田元幸訳『ハックルベリー・フィンの冒けん』より

感想・レビュー・書評

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  • これを初めて読んだのは小学生のころでした。当時は『トム・ソーヤの冒険』が圧倒的な人気で、続編のようなイメージをもたれた本作は、かなりマイナーな存在だったのをよく覚えています。私はこの作品が断然好きで、独りはしゃぎ、で、それをしゃべる同級生がいなかったのは、ちと寂しかったな……なんてことをつらつら思い出して懐かしくなりました。

    今回、柴田元幸さんの新訳が出たので、彼の翻訳した『トムソーヤ』&『ハック』をあらためて読んでみることに。大人になったいまでもやっぱりわくわくします♪

    著者の回想録のような雰囲気で書かれた『トム・ソーヤの冒険』の語り手は大人。ということでしっかり大人の視点から小気味よくユーモア満載で、面白い作品に仕上がっています。
    それに対して、この本の語り手は浮浪少年ハック。そのたどたどしい語りは子どもらしくて愛らしい。

    そんなトウェインの労作を伝えようと柴田元幸さんがいい仕事をしていますね~。ひらがなで訳していく徹底ぶりにびっくり。また174点の挿画は躍動感にみちていて見惚れてしまい、思わず塗り絵をしたくなるような素晴らしさ。しかも章の冒頭にはオリジナルの文章も掲載しています。トウェインの優しい雰囲気が伝わってきて、二倍、三倍と楽しめる素敵な本に仕上がっています。

    当時のアメリカ南部、とくに奴隷制度の残る田舎町で育ったハックは、彼らを逃がしたり匿ったりすることは大罪になることをよく知っています。でもハックは逃亡奴隷のジムを一人の人間として、そして友人としてともに自由を求めながらミシシッピ川を筏で旅していきます。そんなハックの苦悩や少年らしい朴訥とした心のありように感動します。またジムの素っ頓狂な迷信やまじないの可笑しさ、大人の滑稽さ、ユーモア、人種を超えた人としての優しさ、家族・友人を慕う豊かな人間性……壮大な珍道中にトウェインのさまざまな思いがこめられているようで泣けてしまいます。

    そしてなんといっても、この作品を貫く雄大なミシシッピ川の描写が素晴らしい。ゆったり優しく、ときには激しく荒れ狂う流れ、時とともに移りゆく人間の営みのはかなさ、寂寥感や郷愁さえも大河とともに流れ去っていくようです(ちなみにトウェインはミシシッピ沿岸で幼少期を過ごしています)。
    こんな感覚は子どものころにはなかったよな~やっぱりいい本は大人になって再読してみるものね、としみじみ思いました。

    そしてこの作品を見るたびに思い出すのは、この本が人種差別をひどく助長する、という理由でアメリカの公立図書館から撤収されたという報道です。それを学生のころに耳にしたときは、アメリカの人種差別の根深さに唖然としたものです。

    それからだいぶ時が経ちましたが、自由を標榜するアメリカで、はたしてこの本が読めるようになったのだろうか? 皮肉なことに、日本ではアメリカの文豪の作品が昔もいまも自由に読める、それは幸せなことかもしれない……ふと想いながら、表紙のかわいいハックを見つめたのでした。

  •  ハックルベリーのお話を、子供向けの童話かなんかじゃないかと考えていらっしゃる方が多いのですが、果たしてそうでしょうか。
     まあ、長大なミシシッピ川のいかだの上で、終わりなき時を暮らしているようなものですから、お忙しい大人の皆さんにはアホらしくて読めないかもしれませんね。でもね、マーク・トウェインは「トム・ソーヤーの冒険」というおはなしを、学校で「よいこ」をしている子供向けには書いているわけで、こっち、ハックルベリーね、はどうも大人向けなんじゃない買って読み終わると思うんですよ。
     お仕事とか、趣味とか、人付き合いとか、まあ、何かとお忙しいこととは思いますが、一度手に取っていただくと分かりますよ。忙しく暮らしていることがいかにバカバカしいか。
     柴田元幸さんの訳で初めて読み通せた割りには、えらそうな口を聞いて申し訳ありませんでした。
     ブログにも、あれこれ書きました。覗いてみてくださいね。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201905070002/

  • 日本では「ハックの冒険」より「トムソーヤーの冒険」の方が有名ではないだろうか? にもかかわらず,オールタイムベストの類に選ばれているのは,かならず「ハックの冒険」の方である.この認知度(日本での)と評価のずれは,一体何なのだろう? とかねてから不思議に思っていたのだが,そこに鳴り物入りで柴田元幸訳の本書が登場したので,読んでみた.
    ハックはまともに教育も受けていない,なかば浮浪児であるが,そのハックが自分で書いたという設定が絶妙で,ハックのたどたどしい文章を通じて,彼の冒険の数々が生き生きと浮かび上がる,また冒険の道連れとなった逃亡奴隷のジムも当然ながら無学で,この二人が様々なトラブルに巻き込まれる道中が,そしてそれに対する二人の心からの反応が,彼らの周りの一見立派な世の中の矛盾を浮き彫りにする.
    あとがきによればヘミングウェイは最後の10章分は読まなくていいと言ったというが,まあ,ここは必要でしょう.
    で,最後になったが,何よりも翻訳が素晴らしい.本書の魅力はハックが書いたという設定の,誤字だらけで平易な単語しか使っていない文章にある.それを平仮名ばかりで「読みにくいの一歩手前」で訳した翻訳者の力量は,本当にすごいと思う.

  • 長くてどうなることかと思ったけど、無事読み終わりました。柴田さんによる新訳は素晴らしい試みであり、これがアメリカ文学の源流であることはわかるのだけれど、最初の150ページくらいは肝心の物語が正直そこまで面白いと思えず困惑した。でも、「王と公しゃく」のインチキコンビが出てきたあたりから俄然面白くなってきて、終盤またちょっと飽きながらも、最後は読んでよかったと思えた。柴田さんの解説によれば、ラストのトムの茶番劇をヘミングウェイは「読まなくていい」と否定したという。私がこの茶番劇を読みながら思い浮かべたのは、先週観てきたばかりの「二月大歌舞伎」。「仮名手本忠臣蔵」のお軽(菊之助)と平右衛門(海老蔵)兄妹の掛け合いがやたらと長く、面白いし芸も見事だとわかっていながら「うわあ、これいつ終わるの…?」とお尻がモゾモゾしたものだ(一緒に観た友人たちも同じだったらしい)。でも、もしかしたら、昔は時間はもっとゆったりと流れていて、現代ではくどいと思える描写ものんびり楽しんでいたんじゃないかな(それか、私の教養が足りず、楽しむべきポイントを逃してるって可能性も高い)。柴田さんの解説には、ライ麦畑で「all of sudden」が頻出する(せわしなさを表す)のに対し、ハックでは「by and by」が悠然と使われる、と書かれていたこともヒントになるかな。「何が語られているか」も大事だけど、この小説の場合「どう語られているか」はとりわけ大事、というのもすとんと納得。柴田さんの朗読でのんびり聴いてみたいなあと思った。それと、公しゃくの偽名の「ビルジウォーター(船底にたまる汚水、みたいな意味)」だけど、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』で、ヘドウィグのバンドがどさ回りするダッサいクラブの名前も「ビルジウォーター」だったよね。これって引用だったりするのかなあ、とぼんやり思ったり。

  • じつに伸びやかな冒険譚なのであるが、「しゅくえん」の話みたいに南北戦争前のアメリカ中西部の厳しさも多々あり、ハックの良心についての悩みも読みごたえがある。

    挿絵がたくさん入っているのも、終盤のともすると蛇足っぽいあたりも、なんだか昔の本という感じがして好き。

  • 柴田元幸さんによる新訳版。
    ハックとジムのやり取りをはじめとする会話シーンが印象的。
    持っている知識を使って自分なりに物事を理解しようとする様が、会話の中から見えてくるのが面白かったです。勘違いや言い間違いも含めて。

    ハックの一人称の語りを通して、子どもたちが世界をどう捉えているのか、宗教や政治や歴史をどう捉えているのか、とても生き生きと感じられました。

    特に、黒人奴隷のジムに対するハックの葛藤に引き込まれました。
    ジムのことは愛しく思ってるけど、元々誰かの所有物だったため、そこから逃げ出す手助けをしてしまったという「盗みの罪悪感」を常に抱いています。しかし一方で、ジムが家族と離れ離れになったり、逃亡ニガーとして捕まってしまうことが理不尽なことだという意識もあります。

    ハックの中では、ジムを捕まえることが善で、ジムを逃すことは悪。
    今とは違う価値観ですが、ハックの語りを通して、彼自身の中にその価値観が埋め込まれてしまっているのがよく分かります。そして、「そういう価値観を信じ込むというのはどういうことか」を読者が体感できるようになっています。

    だからこそ、その価値観に自らあらがって、「よしわかった、なら俺は地獄に行こう」と覚悟を決めるシーンが際立つのです。あそこのシーンはシビれました。

    そして改めて、変な奴とされながらも常識をきちんと疑うハックと比べて、トムソーヤーはなんでも型にはめて物事を行おうとするつまんない奴だなと思いました。ハックをバカにするときも人格を否定するような言葉を使うし。子どもだからまだいいかもしれないけど、これがこのまま大人になったらかなりキツいなと。
    マーク・トウェインがどのような意図をもってトムソーヤーをこういうキャラクターにしたのかが気になりました。

    後半トムソーヤーが再登場してから話が無意味に停滞し、まったく展開しなくなったのもきつかった。最後のクライマックス前にめちゃくちゃ盛り下がりました。

    とはいえ全体としては、語る内容にもましてその語り口に面白みがある物語として、改めて楽しむことができました。そして、ここまで書いてきた感想ひとつひとつに応えてくれるような、柴田さんの解説もとても面白かったです。

  •  あいかわらず、引っかかりがなくスルスルと入ってくる訳文だ。
     難しい漢字が全てひらがなになっている。これは原作の文章の雰囲気を日本語的表現で反映しようとしたためとのことだが、ちょっと読みにくい(原作のスペルミスだらけの英語を読むときのネイティブも、同じように感じるのだろうか)。
     ハックの大冒険の物語の詳細よりも、印象深く残っているのは風景の描写だ。筏で迎える川の夜明け、あらし、夜更けの航行の様子は、どれも目の前でハックの目線で見ているような気になった。どんな豪華な食べ物も衣服も、自由と空と川と森の美しさには勝てないのだろう、ハックにとっては。

  • なんてこってしょ!

    ハックとトムの物語が、こんなに魅力溢れる本だったとは知らなかった!

    子どもの頃から何かのおりに、トム・ソーヤーや、ハックルベリー・フィンの名は聞いていて、そうか、男の子のロマンなのかな?くらいにしか思っていなかったし、2人が友だち?悪友?だったって事も知らなかった。

    柴田元幸さんの肝入りの翻訳というのと、この素敵な装丁に惹かれて読んだのだけど、とんでもない冒険しちまったよ!ってな感じ。

    ハックは、現代ならば、DV親父の下で暮らす貧困児童。
    でも、彼らの時代はそんな言葉はなく、ハックの自由さに驚くばかり。
    父親がダメなこともよくわかってるし、関わりたくないのだけど、善良な叔母さんたちに躾られるのも真平ごめん!

    そして、巧みな、男の子らしい計画によって、島を抜け出し、いかだに乗って自由な旅に出る。でも、図らずも自分の叔母さんのニガーと出会い、叔母さんのニガーを盗むなんて、いけない事だと思いながらも、ニガーのジムを大切な友人として2人で自由へと冒険して行く。

    フィンの目的はただの冒険と自由でなく、とりあえずはジムを自由にしてやる事に変わってゆき、ユーモアたっぷり、冒険たっぷり、いろんな大人たちに巻き込まれながらミシシッピ川を下ってゆく…

    おかしな公爵だか王だかというペテン師と旅しても、ハックは誰よりも分別があり、知らずに身についた信仰もあり、本当に素敵な男の子の振る舞いをしてゆく。ジムのハックへの愛も素晴らしい。子どもの冒険を守るべく大人の存在として、愛のかたまりみたいだ。

    そして、トムが現れる!トムがやって来てからのこの子たちのほんとにバカみたいな男の子の様子が、お腹を抱えるほどおかしくておかしくて…

    でも、時々本当に切ない。
    奴隷制度廃止運動が起こり始めたアメリカの社会を子どもの目を通して描かれている。白人たちはそれぞれにニガーを所有しているけれど、本当に奴隷として扱っているかというと、まるで家族のように暮らしていたりする。
    ニガーたちの身分の低さが悲しいのだけど、ちゃんと愛も描かれていて、子どもの文学って素晴らしいなと思わせる。

    どういう意図でマーク・トウェインがこの物語を書いたかは、柴田元幸さんが解説で詳しく書いている。ニガーという言葉に対しても。

    そういう背景はともかく、本当にこのフィンの冒険を読めば、全て体感できる気がする。何が正しくて、何が悲しいのか。そして自由の身でありたいハックルベリー・フィンだけど、ちゃんと素晴らしい大人が周りにいて、行きて帰りし物語、子どもが読むにふさわしい物語だと私なんかは安心してしまった。

    また、アメリカの男の子たちの無邪気なおバカさの原点も見た気がするかなー。私、ハリウッド映画が大の苦手なんだけどw

  • 柴田元幸|トークショー&サイン会|HMV&BOOKS SHIBUYA|インストアイベント
    http://www.hmv.co.jp/st/event/31524/

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    柴田元幸がいちばん訳したかったあの名作、ついに翻訳刊行。
    ●オリジナル・イラスト174点収録
    ●訳者 柴田元幸氏(2017年、第6回早稲田大学坪内逍遙大賞受賞)の作品解題付き
    http://books.kenkyusha.co.jp/book/978-4-327-49201-4.html

  • 人に勧められて。後世に残すべき本。

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著者プロフィール

Mark Twain 1835年-1910年.
邦訳された自伝に、
時系列順に並べられている
『マーク・トウェイン自伝 〈上・下〉 ちくま文庫 』
(マーク トウェイン 著、勝浦吉雄 訳、筑摩書房、1989年)
や、トウェインの意図どおり、執筆順に配置され、
自伝のために書かれた全ての原稿が収録されている
『マーク・トウェイン 完全なる自伝 Volume 1〜3 』
(マーク トウェイン 著、
カリフォルニア大学マークトウェインプロジェクト 編、
和栗了・山本祐子 訳、[Vo.2]渡邊眞理子 訳、
[Vo.1]市川博彬、永原誠、浜本隆三 訳、
柏書房、2013年、2015年、2018年)などがある。



「2020年 『〈連載版〉マーク・トウェイン自伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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