福の神になった少年―仙台四郎の物語

著者 :
  • 佼成出版社
4.18
  • (27)
  • (18)
  • (14)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 179
感想 : 18
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784333018383

作品紹介・あらすじ

明治の時代に、仙台の町で、みんなにばかにされたり、愛されたりしながら、無邪気に自由に生き抜いた四郎さん。笑いと涙に包まれた四郎さんの人生が、やさしく語りかけてくれるものは…。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 児童書ですが、大人であっても心に響く作品です。ところどころ、涙が出てしまいました。
    舞台は明治時代の仙台。障がいがあるであろう、芳賀四郎のお話。四郎がどんな人で、どんな時代に、どんな人たちと支え合いながら生きてきたか…。
    東北での遊郭、コレラ、宗教、明治政府、自由民権運…。
    時代背景も勉強になりました。
    挿絵も柔らかく、あたたかみがあって、いいなあ。

    本文から
    246p〜247p
    …世間の人はこの男を「しろばか」とよんで、ばかにして優越感をいだいている。しかし、心のどこかで、この人のように自由になれたらなぁとも思っているのだ。
    この人の前では、天皇も平民もない。金持ちもびんぼう人もない。みんなおんなじ人間だ。
    この人は、身分や財産や地位で人間を見ない。だから、そうできないみんなは、この人のようになれたら、どれほど気分がいいだろうと思っているのだ。

    …なぜ、おまえはこの人のようになれないのか?

    俊介は自分に問うてみた。
    …わたしにはあまりによけいなものが身についてしまっている。もっと、もっと、はだかになって、よけいなものをすてて、ただ、ひたすら神のしもべになって、神の前に身をなげ出さなければならないのだ。

    266p
    せっかくうまれてきたんだっぺ。いきてみれば、おもしれえことがいっぺえあるっちゃ。

  • 最後のおじさんとぼくの会話。
    現代の福祉の問題点をやさしく語っていた。

    この本をもっといろんな人に読んでほしい。
    福の神に、福の神を取り巻く人々に、教えてもらえることはたくさんあるはずだから。

  • 読すめや清水さんファンの方にはおなじみ、ド定番の本かもしれません。


    明治時代の仙台に実在した「仙台四郎」の物語。

    知的障害を持つ彼は、家業の鉄砲屋の仕事を覚えることができず
    捨て犬のキク丸と一緒に街に出て、
    気の向くままに気に入った店の掃除をしたりして毎日を過ごします。

    時には店の商品を持って行ったりしてしまうけれど
    そんな自分をあたたかく迎えてくれる店とそうでない店を感覚的に選び
    お気に入りになった店には度々足を運んでいたそうです。

    いつも笑顔で、目の前に在ることを一生懸命にやろうとする四郎。

    しだいに、「四郎が気に入って出入りする店は繁盛する」
    というウワサが広がり始め

    四郎を利用したり、手のひらを返したように四郎に優しくする店が出てきましたが
    彼はそれをきちんと見抜いていたようです。

    そんな彼にも、
    成長するにつれ、さまざまな試練が襲いかかります。

    それでも彼は、持ち前のステキな笑顔と
    損得や危険を全く気にせず
    彼ができる精一杯のことを一生懸命にやる姿勢で
    前向きに乗り越えていきます。




    「四郎のような少年でも、あたたかく迎える店は
    お客様にも同様に心のこもったおもてなしができるから繁盛する」

    というのも本当に納得なのですが

    彼の笑顔のパワーと

    損得や危険を気にせずに
    今できることを一生懸命やる

    という姿も
    商売のヒントや生き方のヒントになるのではないかなと思います。


    この本は児童書なので、難しい本が苦手な方でも楽しく読めると思います♪

    ほとんどの漢字によみがながふってあり、
    難しい言葉も出てこないので、お子さんと一緒に読んで
    お子さんと感想をシェアすると
    また違った視点からの気付きがありそうです。

  • 久しぶりに本を読んで泣きました。
    子供向けの本ですが、大人にとってもいろいろと心に響くものがあると思います。
    結核やコレラで亡くなった人の話もあり、私自身が医療関係の仕事をしているからなのか、今の時代はそれらの病気で亡くなる人がほとんどいないほど医療が発展していて、それはとても有り難いことなんだと感じました。
    自分に子供ができたら、読んでもらいたいなと思う本でした。

  • 純粋に生きた少年は本当に多くの人に愛されていた。 裏でばかにされたようだがこの少年の純真さをわかっている人々にはこの少年の重要性が理解出来たし、また少年も心を開いた。 是非、仙台に行く機会があれば商店に飾ってあるという仙台四郎の写真を見てみたいものだ。

  • "ラジオ福島 お母さん教室水曜日で朗読放送
    「福の神になった少年 仙台四郎の物語」の朗読があった。(鈴木秀喜アナの時)当時はネットもなく往復はがきでの問い合わせをした。(99.1.8の消印で返事が来た)
    2011.0505追加 「とどろヶ淵のメッケ」登録で
    http://mediamarker.net/u/crystaldomo/edit5797333
    登録漏れを知る"

  • 江戸時代の終わりから明治時代にかけて、宮城県仙台市に「芳賀四郎」という名前の、町をぶらぶら歩き回ることが大好きな身体の大きな男がいた。その男は後世にも「仙台四郎」と親しまれ、本物の福の神だったんじゃないかと伝えられている。

    この「仙台四郎」さんは、発達障害をもっていたようで、子どものころから、町をぶらぶら歩き回り、着の身着のまま、そこらの店の玄関口を掃いたり、水を撒いたり、子どもに馬鹿にされながらも笑われるのが好きで、踊ったり、一緒になって笑ったりしていた。

    そのうち、四郎さんが手伝う店の中には、ほうきで掃いても砂ぼこりが舞うだけだし、店の前で居座られることを怪訝に思い、追い払う店と、好きにやらせてお駄賃やご飯を食べさせてくれる店とが出てくる。

    四郎さんは、自分を追い払う店には通うことをやめ、好きにやらせてくれる店に通い、満足するまで自分なりの手伝いをするようになると、不思議と四郎さんの通う店は繁盛し、追い払った店は逆の結果となっていく。

    他にも四郎さんの通う団子屋も「四郎が通う店だから美味しいにきまってる!」という噂から行列ができるほど繁盛したことがある。

    四郎さんにとっては、自分の好きにやらせてくれる店に通ったり、お世話になった人がいる店の団子を食べに行ったりしてる普通の行動だけだったけど、そういった店の四郎さんが通うことを嫌がらない店主の人柄や、四郎さんとは関係なくもともと美味しかった団子が知られることになり、結果的に四郎さんが通った店を繁盛させることになり、人々は「四郎は福の神だ。」と言うようになる。

    諸説はあるものの、そんな四郎さんの一生を描いた一冊。

    また、時代は進み、いろんなものが豊かになった現代、障害をもった人や老人が幸せそうに、町を歩き回っていることはあまり目にすることはない。そういった人たちにとって、貧しくはあっても自由だった明治あたりと、施設や設備は整っているけど、規制や法律により守られる今とは、どっちが幸せなのか、考えさせられる一冊でした。

  • 明治を生きた知恵遅れの男性の話。明治という時代も見える。

  • 仙台四郎を知ることが出来てよかった!と本に感謝したくなる一冊。
    自分のまわりに仙台四郎がいたらわたしはどんな態度になるのだろうか?という問いかけの気持ちと、とても気持ちが温かくなる気持ちと混じりながら読みました。まるで自分のそばにいたかのような温かい四郎の物語です。

  •  よく街で写真は見かけるのですが、仙台人でありながら、仙台四郎は「商売繁盛の神様」と言う事くらいしか知りませんでした。本書によって、仙台学としての知識を得る事もできたし、それに留まらず、とっても大切な事を教えられました。

     四郎さんは、本名・芳賀四郎と言う人物で、写真も一枚だけ(写真)残っています。知能障害を持っていますが、別の言い方をすれば、余計なものを持ってない人物とも言う事ができます。

     仙台市内の地名や歴史も出てきたりして、仙台に縁のある方は、特に興味を持って読み進められる一冊かと思います。また別の視点では、暖かい物語で、気づきも沢山あり、最後は泣けてくる内容でもあります。お薦めです。

     ありがとうございます。


     以下、本書で共感した箇所です。

    ☆page.246

    ・・・・・・世間の人はこの男を「しろばか」とよんで、ばかにして優越感をいだいている。しかし、心のどこかで、この人のように自由になれたらなあとも思っているのだ。
     この人の前では、天皇も平民もない。金持ちもびんぼう人もない。みんなおんなじ人間だ。
     この人は、身分や財産や地位で人間を見ない。だから、そうできないみんなは、この人のようになれたら、どれほど気分がいいだろうと思っているのだ。

    ・・・・・・なぜ、おまえはこの人のようになれないのか?
     俊介は自分に問うてみた。

    ・・・・・・わたしには、あまりにもよけいなものが身についてしまっている。もっと、もっと、はだかになって、よけいなものをすてて、ただ、ひたすら神のしもべになって、神の前に身をなげ出さなければならないのだ。

    ☆page.264

     お年よりや障害を持った人たちは、法律や施設がととのっただけでは幸せにはなれない。まわりにいる私たちひとりひとりが、あの人たちを受け入れているかどうかにかかっているということだ。四郎さんの時代の人たちは、四郎さんをときにはばかにしながらも、四郎さんといっしょに生きてきた。今の時代の人たちは、障害を持った人も人間としておなじだということは知っているけど、いっしょに生きようとはしていないのかもしれない。つまり、頭で理解しているけれど、心では受け入れていないのかもしれないね。

    ☆page.266

     せっかくうまれてきたんだっぺ。いきてみれば、おもしれえことがいっぺえあるっちゃ。

全18件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

【丘修三・作】  1941年熊本県生まれ。「ぼくのお姉さん」で児文協新人賞、坪田賞受賞。「少年の日々」で小学館文学賞受賞。

「2015年 『おばけのドロロン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

丘修三の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×