- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334031732
感想・レビュー・書評
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・4/1 読了.独特な社会を持つ京都の習慣には古くからの訳がちゃんとあるんだよね.こういう地域によって独特な特色はこれからも残していって欲しい.
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20141023読了
これおもしろい!特定の地域に住む人たち(この場合は京都)の思考パターンを解説している本っておもしろいんだなと思った。 -
『菊乃井』三代目主人が語る京都の流儀。古い慣例に疎い僕には勉強になりました。
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ラジオで著者の「日本料理を世界に発信しよう」という趣旨の言説を聞いて、興味を抱いたのでこの本を読んでみたが、京都人の保守性がよく分かり面白かった。
身の丈に合った生活を好むのは、変革や進歩を求めない人間に見られる傾向である。
この本から感じるのは、京都に生まれると、伝統を背負っているという勘違いからか妙な自負心が生まれるようである。
興味深い社会ではある。 -
「菊乃井」の三代目であり、京都に住みはじめて十八代目にあたる生粋の京都人である筆者が語る京都と京都人の裏の裏。よそさんから「冷たい」「閉鎖的」「裏表がある」と思われ、常に「『お茶漬けでもどうどすか』と言われたら帰らなくてはならない」、「一見さんお断り」、「いけず」などのフレーズがつきまとう人と街。何がホントでウソなのか?何がオモテでウラなのか?京都人であると同時に、日本料理界有数の理論家で国際人である筆者が、ときに客観的に、ときに舌鋒鋭く、常に面白おかしく、変わらない京都の流儀を語る。
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“僕は、料理の評論はすべてナンセンスだと思います。それこそ、なくなったほうが世のため人のためになるのではないでしょうか。
料理というのは、非常に個人的な世界です。ある人が美味しいと思ったものを、ほかの人が美味しいと思うかどうか分からない。同じものを食べて、僕と隣にいる家内が美味しいねぇと言っても、美味しいと思っている部分は違うかもしれません。
料理は芸術ではないと僕は思っています。なぜなら相対的な評価ができませんから。三百人がいっぺんに聞ける音楽。何万人もの人が同じものを見られる絵画というのは芸術です。相対評価ができますから。そやけど、料理というものは相対的な評価が難しい。そやからそれを評価することはできないと思うのです。
自分は美味しいと思う、ということは言えます。そやけど、それは評価ではなく、あくまでも個人的な嗜好です。そういう個人的な好き嫌いをパブリックなもので流してはいかんと思う。”
共感できる部分や、京都について新しく知れた部分とか。
なめらかで読みやすい。
“京都人はなかなか本心を見せないと言われることがあります。これはイエス、ノーがはっきりしないというところに原因があるのでしょう。長年京都に住んでる者同士やったら、阿吽の呼吸で分かるイエス、ノーが、よそさんにははっきり分からんということやね。
イエス、ノーをはっきりしないのは、嫌われたくないという保身を図る気持ちと、相手への気遣いからです。相手に嫌われたくないという気持ちがあるから、言葉を濁してしまう。相手に嫌な思いをさせたくないという気持ちが強いから、「ノー」とは言えない。” -
京都の老舗料理人でもある著者が、自らの人生経験をもとに京都人のメンタリティとはなんであるかを、東京人や「よそもん」と比べたりしながら書き綴っています。
学びたくなるような考え方も豊富で、
「よそもん」である僕からしたらむずかゆくもある本書。 -
京都の流儀を語る、という内容ですが、よく読んでみると昔からあった日本の流儀だと思います。それをちゃんと守ろうとしている京都。確かにこの本を読めば京都に対する誤解が解けるけれど、それよりも日本人として何が足りないかを思い知らされる1冊だと思います。