- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334033309
感想・レビュー・書評
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p94
社会心理学者のバウイマイスターらは、個人が集団から排斥される3つの要因を挙げている。
1つは「集団の存続や福祉に貢献できない」ことであり、(中略)
2つ目は[協調性や道徳性の欠如」である。(中略)
最後が「対人魅力の欠如」である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「恥ずかしい」という気持ちがどこから生じるのか、自分と周りの人との人間関係に注目し、分析した本。
筆者によると「ほどほどに関係が重要な相手」「中間的な親密さの他者」に対して、羞恥の程度が高くなるという。
確かに、自分が恥ずかしいと感じるときを想像したら納得できる。”ほどよいタニン”の目があるから、我々は自分の行動を律することができるのかもしれない。 -
読み口が軽く、スムーズに読めた。
個人的には社会心理学者のバウマイスターらがいうところの、個人が集団から排斥される三つの要因
・集団の存続や福祉に貢献できない
・協調性や道徳性の欠如
・対人魅力の欠如
に、個人が認識する「ミウチ・タニン・セケン」の範囲を掛け合わせると、羞恥心の存在が明らかになるのかな。 -
カテゴリ:教員著作物
人間関係学科:菅原健介教授の著作物 -
タイトルが興味深かったので。
着眼点はおもしろいけど,あまり研究されていない分野だからか,事例が少ないのと,どこか説得力にかけるのが気になったかな。
新たなことを知ったというよりは,自分が日頃感じていたことの確認って感じ。
印象に残ったフレーズは「ほどほどに関係が重要な相手 」。たしかにそんなひと相手にミスしたらはずかしいかも。 -
友人が電車の中で化粧をする女性の話をしていたので改めて読み直してみました…
なぜ電車内で化粧をする女性、電車内で食事(パンなど)をする人、床に座る若者が現れたのか?
その行為を非難するわけではなく、社会と個人の関わり合いの変化に原因を求めています。
先の問いに答えを出すなら、彼らにとって電車内が公共空間ではないからということになる。
ではなぜそのように考える人たちがでてきたのか?
筆者は「地域コミュニティーの崩壊」や「プライベートスペースの拡大」など様々な切り口からこの問いにアプローチしています。
羞恥心はどこへ消えたのか?
日常の何気ない変化の理由について考える姿勢がまずもって好きです(笑)本当に日常の中に社会学の種は落ちてるんだなぁとも思わされます。
この本に関しては賛否両論分かれると思いますが、それもまた一興。一度読んでみるとなかなか面白いと思います。
アンケート結果なども面白かったですし…普段、電車内で化粧をする人でも、近くに同世代の異性がいる場合はやらないそうですよ(笑)
まぁその理由についても筆者は考察してるんですが…
斜め読みしたのでアレなんですが、インタビュー調査がなかったことが少し心残りでした…必要ないのかもしれませんが、何となく「?」と思う点がいくつかあったので星は3つです。 -
日本は恥の文化と考えられるくらい「人様に対して恥ずかしくないよう振舞う」ことが日本人の美徳と言われていた。
だがそれが近年崩れ始めた? という恥についての学者の研究書。 -
2011.5.30
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社会心理学的に「日本の恥の文化」の現状をまとめた内容となっている。
地べたにすわるベジタリアン、社内で化粧する女性など、若い世代の行動に着目し、「恥」というものがどういうメカニズムを持っているのか、現状はどのように変化しているのかを簡潔にわかりやすくまとめている。
結論的には、落ち着くところの落ち着いていてサプライズが無いのが少し物足りないが、楽しく気軽に読める一冊。
ジブン本位の基準が強くなってきていると書かれているが、これこそが現代の日本の教育における課題ではないかと感じる。
菅原健介の作品





