99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334033415

作品紹介・あらすじ

「最近どうも頭が固くなってきたなぁ」そんなあなたにつける薬は"科学"です。文系理系を問わず、科学のホントの基本を知るだけで、たったそれだけで、あなたの頭はグニャグニャに柔らかくなるかもしれないのです。科学の基本-それは、「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」ということです。思いこみ、常識、前例、先入観、固定観念…そういったものにしばられて身動きがとれなくなっている人っていますよね?「なんでこんな簡単な話が通じないんだ!」ってイライラしますよね?そんなときは、気休めにこの本を読んでみてください。きっと、ものの考え方から世界の見え方まで、すべてがガラリと音を立てて変わるはずですから。

感想・レビュー・書評

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  • 飛行機の飛ぶ原理はわかっていない。うまく飛ぶから飛ばしているのが現状である。このことからもあらゆる物事が実は仮説で進んでいるということに驚かされる。天動説から地動説しかり、今の常識は未来の常識と必ずしも一致しない。この常識を疑うことを踏まえて生活することが大事である。

  • 90%は当たり前のことを書いているのに過ぎない(99.9%でない理由をこの後延々と述べます)。けれども何故この本を読む気になったのか?それはオウム事件死刑囚(故)広瀬健一の手記を読んだからである。

    広瀬が何故そこまで思いつめてしまったのかは、今はもう聴くことは出来ない。けれども彼は高校生から大学院生になるまで、ずっと「生きる意味」を探していた。「宇宙論のように、全ては無に帰してしまうのではないか。絶対的な価値はあるのか」と探し求め、いったんは無いと諦め、この早熟な知性はそのことにより「生きる意味」さえ見失っていたのである。ところが、たまたまの「宗教的体験」が「絶対的価値」だと勘違いしてしまったのが彼の悲劇の始まりだった。この本の題名で言えば、「0.1%」が麻原彰晃の言うことだと信じて仕舞えば、貴方でさえもポア(殺人)するのに、何の躊躇いも無くなるのかもしれない。私がそう思うのには、根拠がある。麻原彰晃に出会う前の広瀬のように「世の中の真実は、相対的でかつ不可知なのだからわかりようがない。変えようと努力することは無駄である。生きる意味もない」という諦めは、広く広く若者の中に浸透していると思うからである。この本のレビューを見ても、「全て不可知だ」で感想をまとめている人が多い。どうも竹内薫はそう言う考えに結びつく事を書いているようだ、と「仮説」を立ててみた。

    99.9%は仮説だから、思い込みで判断しないようにしましょう、と竹内薫は言う。「飛行機が何故飛ぶのか?実はよくわかっていない」という説明はとてもわかりやすく書いていた。

    「土地の値段は絶対に下がらない」という仮説が間違っていた、という説明は歴史的事実だからとてもわかりやすい。

    では、109-110pにこういう文章があります。「この世には『正しいこと』などなにもない」「時代と場所によって『正しいこと』は変わるのです」。

    相対性理論は視点の設定らしい。つまり「ある意味、諦めることが肝心なんです」。(190p)

    それを突き詰めると、著者は「誤解を恐れずにいうと、人殺しですらある意味では悪じゃない可能性がある」(199p)という「仮説」を立てます。「ある意味」という条件として戦争を引き合いに出している。しかし、反証手続きは一切やっていない。もしやろうとすれば、この本の倍以上の分量は必要(それでも反証は難しい)なので、「諦めた」のかもしれないが、私はものすごく「無責任な文章」だと思った。

    「世界は数秒前に誕生した仮説」を否定する証拠はないから、この仮説は有効なのだという(241p)。この本の1番の問題は、自然科学や物理科学と、歴史科学や経済科学(反証できないから科学と言ってはいけないと言っている)を、言っている端から「同じ土俵で」論じている点である。自然科学と社会科学を同じ土俵で論じてはいけない。これは論理的な問題であると私は思う。人は明日の天気を予測できるけど、明日のニュースを予測出来ない。こんな思想の竹内薫だから「戦争による殺人は許される」ということに結びつきかねない文章を平気で書けるのである。それは人間としての教養の問題だと思う。

    上で私が出した「仮説」は証明された。竹内薫は、「ホントに書いていた」。よって、この本を読んで納得した若者から「広瀬健一」が出てきても全然おかしくはない。私の仮説で言うと、オウム真理教よりも質(たち)がわるい本だと思う。竹内薫が広瀬健一にならなかったのは、竹内薫が広瀬ほどは真面目ではなかったからだ、という仮説さえ成立するかもしれない。

    私はそれでも世界を諦めたくはない。何故ならば、竹内薫ならば「諦めて」も全く生活に支障はないだろうけど、私の生活は諦めた端(はな)から壊されていくからである。私たちは、社会の全てに「優先順位」をつけて「白い仮説」を信じて生きていかざるを得ないのである。

    • s3312kさん
      苫米地英人博士ですか?
      苫米地英人博士ですか?
      2021/05/27
    • kuma0504さん
      s 3312kさん、
      コメント、フォローありがとうございます♪
      苫米地英人って誰?
      なんですが、調べたら
      脳科学者なんですね。
      どういう意味...
      s 3312kさん、
      コメント、フォローありがとうございます♪
      苫米地英人って誰?
      なんですが、調べたら
      脳科学者なんですね。
      どういう意味かは知りませんが、ありがとうございます(^^)。
      2021/05/27
    • s3312kさん
      返信ありがとうございます。
      私は苫米地博士ファンです。
      オウムの事にも触れているし口調が似てるなと思い、もしや本人?と思い
      思わずコメ...
      返信ありがとうございます。
      私は苫米地博士ファンです。
      オウムの事にも触れているし口調が似てるなと思い、もしや本人?と思い
      思わずコメントしました。笑
      読まれている本、レビューも含めて大変興味深く感動しました。
      参考にさせて頂きます。
      2021/05/28

  • 科学史の具体例を踏まえながら、科学とは何か?の答えを教えてくれる本です。

  • ブックオフで買ってストックしてた本だが、手を付けないまましばらく放置してあった。読み始めてみると、予想外に面白く、最後まで飽きることなく読める。特に科学に関する様々なエピソードが紹介されていてとても面白い。

    つかみの「飛行が飛ぶ仕組みがまだ完全に解明されていない」という事実も驚きだったが、その説明もまたブルーバックスのように科学的な仕組みを素人にもわかるように説明してくれて分かりやすかった。本書全体がそんな感じだ。

    衝撃的だったのは、ノーベル生理学・医学賞をとったエガス・モニスという人のロボトミー手術の話。

    ロボトミー手術とは、精神病の治療を目的として、前頭葉を切除する手術のことだそうで、当時1万人以上の患者に施されたという。権威あるノーベル賞のお墨付きを得たこの手術が、なんと誤った治療法であったことが後に判明する。一万人以上の人が誤った治療法の犠牲となって、命を落とし、精神を奪われたというのだ。残酷な話である。

    著者は、世の中は99.9%が仮説であり、その反証が示される都度、これまでの「正しい」が一転して「誤り」となるという。この転じる様を、著者は「白い仮説」から「黒い仮説」への転換と呼んでいた。科学も文化と同様、時代とともに塗り替えられていくという説明は説得力があった。

    99.9%と言われると0.1%に関心がいく。99.9%が仮説なら。0.1%が真実であるということか?

    あのデカルトは、すべてを疑いにかかって、「考えている自分自身の存在」だけが最後に残った(=我れ思う故に我れあり)。このことを言ってるのかとも思った。

    著者は、エピローグで「すべては仮説にはじまり、仮説に終わる」という本書の主張は反証可能か(つまりこれは仮説か)?・・・と読者に問いかける。

    もし反証不可能(=仮説ではなく真実)であると仮定すると、「すべては仮説にはじまり、仮説に終わる」という内容と矛盾してしまう。するとその仮定は誤りで、これは反証可能の仮説ということになる。つまり終始100%仮説なわけではないということとなり、そこから99.9%という表現とされたのかとも考えてみた(本書に著者の答えはあえて書かれておらず、自分で考えろと言っていた)。

    いずれにしても、世の中は99.9%が仮説なのであり、それはいつ覆されてもおかしくなく、これまで真実と信じていたことが覆った際には、悲劇が伴うことが常であるので、あらゆる仮説は疑ってみる価値はあると著者は言う。

    その後にアインシュタインの「相対性理論」の話と「役割理論(人は複数の役割をもつので、人の性格を一つに決めつけるのは正しくないという考え)」の話が出てきて、仮説の考え方が一転する。「どっちが正しいか」という議論だったものが、「どちらも正しい」(=複数の仮説が共存する)に変わる。

    前半の話で「思い込みにはリスクがある」ということが述べられ、アインシュタイン以降の話で「もっと広い視点で物事を観よ」ということを述べられているように思う。

    第二次世界大戦のころの日本では、本書で言われているように「人殺し」は正義という時代だった。今は真逆だ。人殺し=白い仮説が、黒い仮説に転じた。

    今後、時の指導者や思想の影響で、これがまた白に転換されてしまう可能性もある。そういうことを見極めるための柔軟性をもつために、「世の中のことは仮説でできていて、時代などの影響で変わりうるものだ」と認識していることが大事なのだろうなと思った。

  • 【99.9%は仮説を読んで】
    この本は、科学作家の竹内薫さんが書いた科学的な考え方の本です。

    「思い込みで判断しないために」という副題のもと、世の中にあるさまざまな仮説の具体例が示されています。

    個人的に面白かったのは、「科学は、いつでもまちがいを潔く認めるもの」という一説です。
    批判的思考などと聞くと、疑ってかかるイメージをしがちですが、それは科学的思考とは言えません。
    良いデータ、悪いデータの両方の側面を見ること。こういう態度でものごとに接するとアイデアも豊富に生まれるのではと思いました!

    他人と話すときも、考えを否定するのではなく、「この人はどんな仮説の中に生きているんだろう?」と考えること。
    田村は「これが大人の余裕なんじゃないか!?身に着けたいなぁ。」と思いました。笑

  • もう一度読みたいと思った近年のベスト。
    無人島に持って行きたい本は?と聞かれることがあれば今はこの本をあげたい。
    それくらいすごく面白い本だった。

    著者はとても分かりやすく噛み砕いて書いてくれているのだが、初めのうちはいわゆる「理科」な話が難しく、めげそうにもなった。それはもちろん、私自身がその背景である基礎知識を知らないことが原因であるのだから著者に非はない。

    それでも読み進めていき、だんだんと著者の言わんとすることがわかってくると、ページをめくる手を止められなくなった。

    シチュエーション依存の話などは日常でも大いにある話である。
    人がいがみ合う原因の多くはこのシチュエーションのズレだと常々思ってきたが、まさか相対性理論とつながるなんて思いもよらなかった。

    昨今の日本では「非常識」という攻撃が盛んである。が、それは自分の常識を他人に押し付けているだけなのだということは常々感じている。もちろん自分も忘れないように肝に銘じておかねばならない。
    ガリレオはガッカリするだけで済んだが、今の日本では命を落とす人も多い。
    そういう意味では「自分の考える常識はあてにならない」と個人に促すことで、皆がはっと気がつくきっかけになればいいな、と思う1冊だった。
    とても分かりやすく読みやすいので、老若男女いろんな人に読んでみてほしいと思う。

  • タイトルからわかる通り、ほとんどのことはいつでも覆りうる仮説だという話。また、科学が決して万能ではなく、例えば飛行機が飛ぶ原理はよくわかってないことなどがある。
    ガリレオが望遠鏡を披露した時のリアクションのように、常識はいろんな人に深く根をおろしていてなかなか抜けない。
    仮説がひっくり返るというところで、本の中に取り上げられている冥王星は実際に惑星から格下げされている。
    人と人のコミュニケーションがうまくいかない時は、この互いの仮説が違っていることを認識したほうがいい。

  • いきなり、この本の感想ではなく、別の本の感想というのもなんだけど(^^ゞ
    この間、たまたま本屋で別の新書(日本史を総ざらいしたような本)を立ち読みしていて感じたのは、最近の新書って、なんだか、いわゆる意識高い系の人に「この本を読む俺/私って賢いよね」と自己満足してもらうためのモノになってない?と(^^ゞ

    いや、たまたまその本の内容が、いちいち「この本を書く俺って賢いよね」書いているようでw、そう感じたのかもしれないが。
    でも、出版社と書き手が「あなたは全部正しいんですよ」と大衆にすり寄ってくる今の世の中は、いつぞやの風景のようで、なんとも気味が悪い。


    そこで、この「99.9%は仮説」だけど、いや。著者は「サイエンスZERO」でずっと見ていて親しみがあるので、あんまり悪くは言いたくないw
    というか。この「99.9%は仮説」で著者は、なかなか面白いことを言っている。
    でも、自分は根性が曲がってるんで(爆)
    読んでいて、頷くばかりだからで、な~んかエキサイティングじゃないだよなぁー、みたいな?w
    いやいや。内容はいいと思うのだ。
    この本は、実は「いいね」をくださった方の本棚にあって、その感想を読んで興味を持って読み始めたのだが、
    その人は著者の説明の用例の引き方に反感をしていたようだけれど(想像)、自分は特にそうは感じなかった。
    ていうか、安直に正しいor正しくないではしゃいでいる、世の情報信仰の危険性をちょっと皮肉っぽく書いているという意味でいいんじゃないかと思うのだ。
    ただ、著者もこの本をひねくれて書いているから。
    同じく、ひねくれた人が読むと、ひねくれられないからツマンナイんだと思う(爆)


    そういえば、去年。年号が変わって、すぐだったかな?
    ある朝、友人が「TVの情報番組は、もう絶対信じない!」と憤慨しているので。
    聞いたら、平成の30年間で変わった常識、みたいなことを紹介する番組の中で、“煮込み料理は煮込んだ後、冷える時に素材に味が染み込む”というのは間違いで。今は、“煮込んでいる最中に味が染み込むが常識”と言っていたのを見て、「冷える時に素材に味が染み込むって言ってたの、ついこの間じゃない!」と、思わず怒髪天を衝いてしまったのだと(爆)
    いや、それを聞いたら、自分も怒髪天を衝いていたのだが(^^ゞ

    とはいえ。
    TVの情報番組でやってることなんて、どーせそんな程度だよ、とも思ったw
    だって、今はニュースですら、ほぼそんな感じだもん。
    まともにニュースやっていたら、チャンネル変えられちゃうからと、「なぜでしょう?」と引っ張ってみたり(「なぜ」を連呼するのは、ニュースの最近の流行りw)
    ニュースだと思って見ていたら、いきなり記者の主観で構成されたドキュメンタリーになっちゃって。
    その中では、取材されている一般人が、TVカメラが自分を撮影しているというのに、パソコンやスマホ見たり、土手を散歩したりしている映像が“必ず”流れる。
    もし、自分がN●Kに取材されたら、ずっとカメラを見ているだろうけどなー。間違っても、取材されている時にパソコンやスマホは見ないけどなーと思うのだが、
    どうもN●Kのニュースを見る限り、世の人はN●Kに取材されている時にパソコンやスマホを見たり、散歩したりする方が普通みたいだw

    とはいえ、世の中って。所詮はそんなもんだと思うのだ。
    誰もがもっともらしいこと言ってたり、正しさや公平さを装っているけど、一皮剥けば、全ていい加減。←言いすぎw
    個人的には、世の中の人がみんな同じことを言っていたら、それは間違い。間違っているから、みんなが同じことを言っているんだと、思うようにしているw
    もしくは、自分に耳障りのいい意見は大体間違っている。間違っているから耳障りよく聞こえるんだ、みたいな?(^^ゞ

    ただ、それって、面倒くさいんだよね。
    拠り所がなくなっちゃうというか、アイデンティティーがワケわかんなくなってくるというか。
    そういえば、ロックファンの人なら誰しも、自分がいいと思っているミュージシャンを他の人が「いい」と言った途端、そのミュージシャンがダサいように感じてしまって、聴く気が失せてしまうという経験があると思うのだがw
    つまり、みんなが言っていることは正しい、耳障りのいい意見も正しい。他の人が「いい」と言ったからって、そのミュージシャンが嫌いにならない方が、生きていて楽だし。
    何より、その方が楽しいと思うのだw

    それを救ってくれる考え方が、第7章にある「間主観性」ということなのかなーと。
    ここで著者は、客観と主観を、自分の認識とは微妙に違う形に定義している。
    “客観とは、世間の誰もが白に近いと認める仮説に従うこと”、“主観とは、世間とは関係なしに自分だけが白と認める仮説に従うこと”と。
    それは、どっちがいいということではなく、“より大きな視点”である、二つの間の「間主観性」が大事なのだと。

    とはいえ、それって、具体的に何なんだ?ってことになるのだが。
    ただ、自分はそこは、意外とスルっと飲み込めた。
    というのは、ずいぶん前、「アメリカの面白い会社」みたいなタイトルの本を読んだことがあって。
    その本はもう手元にないので、うろ覚えなのだが、その中に、“常に自分を笑えるようにしておかなければならない”と、“どんな時でも自分を笑えるということは、あらゆる悪徳からあなたを救ってくれる”というのがあって。
    読んだ時、パッと目が覚めたような気がして。思わず、クスッとしてしまったのだ。

    そういえば、中島みゆきも、「時刻表」という曲で次のようなことを歌っていた。
    評論家みたいな人たちは、悪いのは誰のせいで、どうしたらそれが改善されるかを書くことで生計をたてている。
    世の人は、その評論家みたいな人たちほど頭のいい人はいないと思って、その人たちの言う通りにすれば、自分も幸せになれると思う。
    でも、評論家みたいな人たちは、自分言っているソレは自分がお金を稼ぐためのタテマエにすぎなくて。
    ソレをしたところで幸せになんかなれないよ、と心の中で舌を出して、稼いだお金で優雅に暮らしている。
    その評論家の言ったことを信じている人より、はるかにいい暮らしを。

    歌詞をそのまま書けないので。意訳して書くと、見も蓋もなくなっちゃうんだけどねw
    つまりだ。評論家みたいな人たちやTV、ネットが言っていることというのは、世のため人のため、あなたのためではなくて。
    それを言うことで、お金を稼ぐために言っているのだ。
    でも、言っているそれは、世の人に広く受け入れられなければ、お金は稼げない。
    だから、世の誰もが受け入れやすい、タテマエやキレイゴトだけを言う。
    ゆえに、ダイエット法はどれも「毎日〇〇を食べれば…」や「毎日3分××をすれば…」なのだろうw

    そういえば、著者は第4章で、“科学がどんなに進んでも完全な予言などできないし、永遠に真理に到達しえない”と書いているが。
    今の世に何となくある、ビッグデータやAIは未来のご託宣をくれる万能のモノという変な信仰は、「あるある大事典」と同じってことなんだろう(^^ゞ

    自分はオバケのようなものを見たことがあるので、「オバケなんていない」と断言する科学者は科学者として認めないことにしている(爆)
    (ただし、大槻義彦氏は大ファンだw)
    だって、「オバケなんていない」と言うけれど、その「いない」と言う“オバケ”が何なのか?、今の科学は絶対!説明できないんだもん。
    ていうか。「オバケなんていない」という科学者ほど、その「オバケ」を“死者の魂”と勝手に定義づけて「いない」と言っているような気がするんだけどw
    そもそも、オバケは“いない”って、勝手にオバケを擬人化するな!って話だ。←唐突に何に怒ってるんだ!?(^^;

    「超常現象を科学する」でも書いたけど、超常現象に興味がある理系の人は、大学や会社で「超常現象なんかに興味持っていたら出世できないからやめろ」と言われるらしい。
    それは他の人からも聞いたことがあって、どうも理系の世界ではある程度普遍的なことらしいのだ。
    それを踏まえると、科学や科学者が「オバケなんていない」と言い張るのは、出世できないと困るからということになる。
    出世できないということは、お金が儲からないということで。お金が儲からないということは、食えないってことだ。
    つまり、科学者が「オバケなんていない」と言うのは、中島みゆきが歌う、評論家やカウンセラーが世の人に受け入れられることだけ言っているのと同じということになる。
    いや。だからって、科学や科学者をバカにしたり、軽蔑したりはしない。その人がその人の疑問を追求し続けるその姿勢は素晴らしいと思う。
    でも、科学者だって人間だ。お金は欲しいし、出世もしたい。科学者だからこその自己承認欲求だってあって、世間で“映え”たいんだと思う。
    だからこそ、日●学術会議のメンバーから外されたら、困るのはお金がもらえないことなのに「学問の自由の侵害だ」と論点をすり替えて大騒ぎするんだろう(^^ゞ
    というか、そういう話じゃなくて、科学を利用する側の自分たちが、科学者=偉い人、科学=正解不正解を教えてくれる便利な“情報源”と、短絡的に思い込まないことが大事ということなんだろう。
    たまたま見たTVだけど、北海道大学の高橋幸弘教授(といっても、YMOとは無関係らしいw)という人が、“子供の頃、「太陽はこうだよ」、「惑星はこうだよ」と本に書いてあっても、何がわからないのかは書いてなかった。それが不満だった”と言っていた。
    繰り返すけど、科学や科学者を馬鹿にする気はない。馬鹿にする気はないけれど、でも、今、世に満ち溢れている科学情報というのは、(わからないことは明かさずに)わかることだけ言って、「正解」を押し付けているだけのような気がしてしょうがない。


    おまけのツッコミw
    著者は、第5章P167で、“「なんらかの知的生命体が生命の種をまいた」みたいな話は、グレーゾーンの仮説としてはアリ”と書いているが。
    「サイエンスZERO」がUFO現象を扱った回では、「宇宙人の乗り物のとしてのUFOは、もちろん信じてませんよ」と言ってなかったっけ~(爆)
    ただ、それはこの本の出版より後のことだから。著者が、新たな仮説にたどり着いたのかもしれないし。
    ていうか、TV番組ということは台本があるわけで、台本に「そう言え」と書いてあったのかもしれない、とは思うw





    このブクログで「いいね」をくださった方が書いている感想を読んで、興味を持って読んだこの本。
    出版されたのが2006年とあるから、例の「あるある大事典」のインチキが話題になっていた頃だからこそ書かれた本と思うんですよ。
    「あるある大事典」は、その信奉者がどこにでもいて。
    メシを食ってたりすると「それが正しい」「そうしなきゃダメ」と、あるあるネタがとにかくうるさくて、とにかくウンザリだった記憶があります。
    とかいって、自分もニガリを買って。炊飯器に1、2滴たらしてたんですけどね(爆)

    つまり。実はあの時、誰しもの心に「あるある」にはウンザリ!というのがあったから。
    出版社は著者と相談して、科学の盲信を叩くという大衆ウケを狙って、わざとちょっと過激チックに書いた面が多分にあるんじゃないですかね。
    そういう意味でいえば、著者と出版社が、その大衆ウケのために“わかりやすさ”重視、あるいは、わかりやすくするために“煽った”面はあるのでしょう。
    感想で書かれてましたように、その煽りに乗じちゃう人も、もしかしたらいるのかもしれません。
    でも、その程度の“煽り”にのってしまうような自分本位の人は、著者のそれがなかったとしても、それをしまう口実を何としてでも見つけちゃうように思うんです。

    批判されていた“そのこと”というのは、実は意外とまともに考えたことのない人が多いようで。
    ネットなんかでも、「なぜ“そのこと”をしてはいけないのか、誰も答えられない」みたいに、“そのことをしてはいけない理由は古今東西誰も答えられないことなのだ”と、半ば得意気に書いているのを見かけることがあります。

    でも、そのことをしてはいけない理由がわからないと言うのは、その人が、“人がそのことをしてはいけないワケ”ちゃんと考えたことがないからにすぎないと思うんです。
    だって、そのことが絶対いけないことなんだというのは、ちょっと考えれば誰でも納得出来る答えが見つかることなわけですもん(ちゃんと考えさせれば、幼稚園児だってわかるはずです)。
    にもかかわらず、“それをしてはいけない理由は古今東西誰も答えられない”と思い込んでいる人はいます。
    そんな風に、“それ”をしてはいけないことは誰でもすぐわかることなのに、“それをしてはいけない理由は古今東西誰も答えられないことなのだ”という、どこからか持ってきた“回答(情報と言ってもいいかもしれない)”で安直に済ませている人が意外と多いことを考えても、それが「99.9%の仮説」(というか、それは問いかけになるのか?)なのだということを考える機会を、(この本に限らず)もっと設けた方がいいように、自分は思うんですよねぇー(^^ゞ

  • 99.9%は仮説

    この世の中で定理や真実といわれている、いわゆる科学的に証明されていることのほとんどはすべて仮説の上に成り立っていることであり、この世の中に真実など存在しないという大胆な切り口で理論が展開されていく。

    難しい言葉を極力使用しないで、科学がどのようにして発展してきたかを解説してあり、その中で現時点でもっとも正しいと「思われている」ことをあたかも真実として教えている今の教育方法には問題があると筆者は説いている。確かに、現時点で最も正しいと思われていることはあくまで仮説であって真実ではないということを伝えておかないと、その仮説をぶち壊す(新しい仮説を立てる)ことが行われなくなり、そこで思考が停止してしまう。子供たちにこのことを教えておかないと、彼らが将来、自分自身の手で選択肢を数を増やすことが難しくなってしまうかもしれない。

    すべては仮定にすぎないというかなり大胆なアプローチから、頭の固い人からすると頭に血が上ってしまうような表現が随所に見られる。個人的には、世の中で言われていることはほとんど嘘か欺瞞だと、常にアンチテーゼばかり唱えている私のような人間には、かなりスルっと入ってきて面白かった。

    特に相対性理論の解説は秀逸。科学に興味があるけど詳しいことはまだ知らないという人にはうってつけの入門書かもしれない。

    ※抜書きが行われていないため、このままでは売却できません。流し読みでよいのでチェックすべし。

  • ・飛行機がなぜ空を飛べるか、その原理は実はよくわかっていない。
    ・「宇宙はほんの数秒前に誕生したばかり」という仮説を否定できる証拠はない。
    ・アインシュタインが「生涯最大の過ち」と言った「宇宙定数仮説」は、今は正しいとされている。

    ・・・このように、科学的な事象も、ほじくっていくとほとんどは「仮説」に過ぎず、また「客観」もしょせんは人間の「主観の寄せ集め」に過ぎず、世の中に100%確かなんてものはまず存在しない。
    だから、教えられたことやいま観察できることを鵜呑みにすることなく、頭(考え方)を柔軟に保ちましょう。
    そんな本であります。

    こうして見ると、「科学」も相当に人間くさい営みなんですねぇ・・・。

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著者プロフィール

たけうち・かおる サイエンス作家。1960年生まれ。東京大学教養学部教養学科、同大学理学部物理学科卒業。マギル大学大学院博士課程修了(高エネルギー物理学専攻、理学博士)。フリースクール「YES International School」校長も務める。著書に『99・9%は仮説』(光文社新書)、訳書に『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』(ポール・ナース著、ダイヤモンド社)などがある。

「2021年 『人と数学のあいだ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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