「生きづらさ」について (光文社新書 358)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334034610

作品紹介・あらすじ

いま多くの人が「生きづらさ」を感じている。一九九八年以降、自殺者数は毎年三万人を超え、毎日のように練炭自殺や硫化水素自殺のニュースが報じられている。鬱病など、心を病む人も増える一方だ。これらの現象は、現代社会に特有の「生きづらさ」と無縁ではない。その背景には、もちろん経済のグローバル化に伴う労働市場の流動化が生んだ、使い捨て労働や貧困、格差の問題もあるだろう。他方で、そういう経済的な問題とは直接関係のない「純粋な生きづらさ」もあるだろう。本書では、さまざまな「生きづらさ」の要因を解きほぐしながら、それを生き延びていくためのヒントを探っていく。

感想・レビュー・書評

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  • もっとこう、精神的な悩み的な生きづらさかと思えば、どちらかというと社会的なことかな。

    まぁ、そこから精神的なものに来るわけだけれど。
    時代というやつですかね。

    雨宮さんは何度か名前は見かけた事があるけれど、書籍にはあまり触れた事が無くて、こんな方なんだと。

    僕自身もそうだけれど、いつの時代も「生きづらさ」に悩む人は多い。それゆえに、いろいろな活動を起こす人もいれば、内に入る人もいる。

    何かの助けになれればと、いつでも思っているけれど、何が出来るかわからない。
    案外そういう人も多いのだろうな。

  • 持たざる若者が、何々人であることにしかアイデンティティを見出せず右化する。それは日本でも同じようだ。
    元持たざる者である筆者の率直な意見を記載している点は興味深い。
    共感は難しい部分も多かったが、異なる視点からの意見を知るのは自身の視野を広げるには有用かな。

  • 靖国神社に参拝したらリストカットがやんだ。

    という言葉が印象的でした。

    右翼活動や靖国参拝で自己肯定ができたのだと思います。

    自己肯定感は自分で培うものですが、初期の頃は他人からの肯定が必要です。

    それなのに世間も親も否定ばかり…

    自己否定感がなければ行動を起こしやすいのだけど。

    元日本一のニートphaさんは自己責任は50%と言っています。

    残り50%は誰の責任かを知れば自分を責めて生きづらくなることもないのではないでしょうか。

    残り50%を責めること=右翼活動やアメリカ批判でもアリだと思いました。

  • 著者と同年代ということで、時代背景への感じ方がよく似ているなと思いながら読んだ。大学入学と同時にバブルがはじけて、就職超氷河期でいつのまにか「失われた10年」と呼ばれるように。承認欲求が満たされないと、自分が日本人であることでしか、自分が自分であることを認められなくなりナショナリズムに走りがち、という道筋がよく理解できた。

  • 所謂ワーキングプアやニートといった層に於ける労働問題に焦点を絞らている。確かに今の日本社会に於いてそれが一番深刻な問題ではあるし、当事者にとってみれば"Dont push me, cause Im close to the edge/I'm trying not to loose my head(The Message)"といった状況であろうから、正に生き難い時代なのだろうとは思う。


    が、「生きづらさ」を感じるのは何処にも所属せず自立しているフリーターたちが"約束の地"ばかりに目指す正社員にあっても"edge"は視界に入っているのだ(雇用されている側、資本側という問題なのか?

    否、そうではないはずだ。経営者だっていつ会社が潰れるかどうか)。下流(とあえて呼ぶが)から上流に上がってくる空気はとても日本社会を生き辛くしている。

  • この本を読んで思ったのは、自分は恵まれているんだと思った。私は新入社員の頃それほどコミュニケーション能力もなかったので、時代が違えば、非正規でワーキングプアをやっていたかもしれない。そうなってしまうと這い上がることは難しく、今のような生活を送れていなかったかもしれないと思った。あと、非正規だと代わりはいくらでいると言われ、自分のアイデンティティを確立できないので、いきなり国家に所属するという思考に飛躍するというのも、今日の右傾化と相関がありそうなのは納得した。

  • 雨宮処凛・萱野稔人"「生きづらさ」について"を読む。

    労働者の貧困についての言説で知られるジャーナリスト雨宮氏と津田塾大で権力構造の研究を行う萱野准教授との対談。

    雨宮さんといえば、いじめ経験、居場所を求めての右翼団体入り、のちの労働問題から左翼への転向という経歴で、なにやら薄っぺらいサヨくささを感じるイメージでしたがあにはからんや!少女時代のいじめ経験を振り返り、そこに構造的分析を行う目線は冷静そのもの。

    いじめ経験を振り返り語る、クラス内での過剰な同調圧力、生きづらさの根源。不機嫌な職場に通じるものがあります。

    【引用】
    ◯空気を読んでいるときが一番きつかったともいえますね。…教室内や部活内のいじめがいつ自分に来るんだろう、と日々ビクビクして過ごしてあましたから。いつか自分にくることはわかっていて、そこから逃れるために一日中神経を使うという状況のほうが、いじめられているときよりもある意味できつかったかもしれない。

    ◯(萱野准教授)いじめは、子供や若者たちのコミュニケーション能力が下がって、人間関係が希薄になったから起こっているのではありません。逆に、コミュニケーション能力がここまで要求されて、何らかの緊張緩和がなされないと場を維持することができないから起こっている。そこで実践されているのは、空気を読んで、相手の出方を先回りし、まわりに配慮しながら場を壊さないようにする、という高度なコミュニケーションです。

  • フリーター、ハケンなど非正規雇用者が1700万人を突破。超不安定、希望ゼロの「蟹工船」時代を生き抜くには?
    いま多くの人が「生きづらさ」を感じています。1998年以降、自殺者数は毎年3万人を超え、毎日のように練炭自殺や硫化水素自殺のニュースが報じられています。鬱病など、心を病む人も増える一方です。これらの現象は、現代社会に特有の「生きづらさ」とは無縁ではありません。
    その背景には、もちろん経済のグローバル化に伴う労働市場の流動化が生んだ、使い捨て労働や貧困、格差の問題もあるでしょう。
    他方で、そういう経済的な問題とは直接関係のない「純粋な生きづらさ」もあるでしょう。本書では、さまざまな生きづらさの原因を解きほぐしながら、それを生き延びていくためのヒントを探っていきます。
    まず、精神的生きづらさと社会的生きづらさは重なっている、今の社会はハードルの高いコミュニケーション能力を求められていて一度つまづけばなかなか立ち直れない、派遣などの流動化した労働市場では労働条件もアイデンティティも悪化しやすい、閉塞感の中で膨れ上がった怒りが外国人や過剰なナショナリズムにつながる、貧困ビジネスや規制緩和の裏側にあるもの、生きづらさを抱えながら生きていくには「自分を責めないこと」「自分で問題をすべて引き受けようとしないこと」「たとえ頼る所がなくても絶対見放さずにサポートしてくれる運動や仲間が存在することを知ること」などを様々な角度から書いていて、生きづらさを抱えながら生きていく方法を教えてくれる対談本です。
    この本の収益の一部は自立生活サポートセンター「もやい」に寄付されるそうです。
    だから、立ち読みはダメ。ちゃんと買って読むべし。

  • 「生きづらさ」というタイトルに惹かれて購入した本です。
    新しい貧困問題について,当事者の視点に触れています。福祉事務所等がこれらの貧困問題に対して対応できていないことについても書かれています。生きづらい状況について,心理的なことと社会的なことが関連していることについては分かりますが,ナショナリズムとは強引に結びつけているという印象です。確かに,社会システムや国の施策と大きな環境があるのですけど。

  • 748

    萱野  完全に居場所がないという状態だったんですね。で、その後、右翼団体にいくわけですね? 雨宮  はい。こういう言い方は変かもしれませんが、右翼はすごく居心地がよかったですね。ある意味、いまかかわっている労働組合と似た感じがあります。労働組合に入ってくる人たちも、ここではじめて人間に対する信頼感を取り戻せたというんです。「この人を蹴落とさなきゃ」とか「競争しなきゃ」とかいう感情ぬきで、はじめて人と話すことができた、と。私にとっては、そういう体験をしたのは右翼団体がはじめてだったん



    右翼にいったのは、いまから分析すると、「誰にもどこにも必要とされてない」という心情とすごく関係があったと思い



    学歴のある人や上の世代の人なんかは、若者が「大いなるものと結びつきたい欲求」によってナショナリズムや愛国に走るんじゃないかと指摘したりします。それもあるとは思うんですが、実際に最底辺の現場で、アジアの人や他の貧しい国の人と働いていると――なぜか日本でそういう「外人部隊」にぶち込まれて働いていると――、日本人であるということしか拠り所がなくなって


    フランスに、ジャン=マリー・ル・ペンという有名な政治家がいます。「移民はフランスからでていけ」ということを公然と主張している人で、フロン・ナショナル(国民戦線)という極右政党の党首をしてい



    左翼はどうしても「こっちが正しいんだ」という態度で、相手のいうことを否定し、説得することに向かってしまいがちですから。で、相手が直面している実存的な問題やリアリティを見落として


    無条件に認めてくれる


    コミュニケーション重視型の



    たとえばイケメンだったりキレイだったり、トークが冴えていたり、あるいは他人にアピールできるような特別な能力や資格、ステイタスをもっていないといけませ



    共同体というのは、人びとに安定的な承認をもたらしてはくれますが、同時に排他的だったり、ややこしい共同体のルールやしがらみを押し付けたりもし



    ただ、確実にいえるのは、まったく共同体的な承認なしにコミュニケーション重視型の社会を生きていくのは相当キツイということ



    それから、コミュニケーション重視型の社会では、承認される人とされない人のあいだの格差も広がっていきます



    そういう状況なので、フリーターをやればやるほど承認に飢えるという逆説的な部分がある。それがキツかったです



    格差の問題って、経済だけじゃなくて顔面格差やコミュニケーション格差など、いろいろあるんですよね。それによって生き延びられるか、生き延びられないかが決まる。お金がなくても人間関係で生き延びられることってありますよね。 萱野  そうなんですよね。たとえば早い段階で学校教育からドロップアウトしても、コミュニケーション能力があれば、なんだかんだやっていけたりする。たとえばヤンキーとかで、地元の先輩・後輩の 絆 が強い人は、それほど職能的なものを身につけていなくても生きていけたりするんです


    私も、右翼団体に入る二一歳ぐらいまでは、何でも自分のせいにしていました。自分のせいにして、死のうと思ってリストカットばかりしていたし、バイトをクビになるたびに「おまえはこの社会に必要とされていない」といわれてる気がして、ダメな自分を責めて、オーバードーズして救急車で運ばれたりしていました。でも、右翼団体に入って、全部アメリカと戦後民主主義が悪いんだ、とアメリカのせいにしたら治ったんです。ある意味、つねにクスリが効いてる状態というか、一発決めているような状態だったんですね。でも、その過程は自分に必要だったし、必要だったからこそそっちにいったわけで、そのおかげで生きやすくなった部分は確実にありまし

    福島みずほさんや森達也さん、若松孝二さん、鎌田 慧 さん、斎藤貴男さんなど、いわゆる「左派」系の著名人たち



    でも私は靖国にいったり、右翼の団体に入ったりしたとたんに、リストカットが治ったんですよ。うーん、靖国とリストカットのつながりって言語化するのが難しいですが、靖国参拝する人のなかにはメンヘラーの女の子なんかも多いんです



    さらにいえば、どんなギャンブルや宝くじでも、一番儲けるのは、賭けをしているプレーヤーではなく、それを開帳してテラ銭(賭け金のなかに含まれる参加料、主催者の開催手数料)を手にする主催者です。つまり賭博をすればするほど、労働者は――誰が勝とうが――トータルとしてどんどんお金を吸い上げられていく。飯場で稼いだお金よりも、借金のほうが膨らんでしまうことだって珍しくありませ

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著者プロフィール

萱野 稔人(かやの・としひと):1970年生まれ。津田塾大学総合政策学部教授。哲学者。早稲田大学卒業後に渡仏し、2003年、パリ第10大学大学院哲学研究科博士課程を修了(博士・哲学)。専門は政治哲学、社会理論。著書に『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』『名著ではじめる哲学入門』(ともに、 NHK出版新書)、『暴力はいけないことだと誰もがいうけれど』(河出書房新社)、『暴力と富と資本主義』(KADOKAWA)、『死刑 その哲学的考察』 (ちくま新書)、『リベラリズムの終わり』(幻冬舎新書)ほか多数。

「2023年 『国家とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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