中学受験の失敗学 (光文社新書 379)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334034825

感想・レビュー・書評

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  • 中学受験経験者で、かつ塾講師をしていた身としては、実に面白い。わかる人にはわかる、「あるあるネタ」。

  • 前に「こどもは公立にあずけるな」というややセンセーショナルな本をみたので、もう少し別な観点な情報が知りたい、という人に対しては、この本をすすめます。

    受験のマイナス面について議論している本です。受験産業がスポットをあてている成功談の影には、失敗するケースもたくさんあるわけで、時間と金をつぎ込んだあげくに全滅にいたるケースはなかなか表にでてこないです。また、皆がみんなプレジデントファミリーやアエラキッズみたいに、お金もあって親も時間が合って余力がある家庭ばかりではありません。
    いわゆるフツーの家庭が、お勉強のデキはフツーかそれ以下でも、落ち着いた環境で6年間過ごすなかで、好きなもの、打ち込めるものをみつけてほしい、って考えたときに、塾業者や家庭教師センターに踊らされないために失敗談を確認しておくのはよいことだと思います。

    ツカレ親、というキーワードがあります。中学受験にとり憑かれている親、そして暴走したあげくに疲れてしまった親、という意味です。
    なかなか興味深い実例もありました。家庭崩壊するだろうな、って事例も見えますね。
    Web検索で「ツカレ親」でグぐるといくらか出てきますので解説はそちらに譲ります。

    人のことなら客観的に見れても、自分や自分の家庭となるとそういかない面もありますから、あんまり雑誌に踊らされないように自戒していきたいところです。そういう人にもお勧めです。

    2008/11/30

  •  塾で仕事をした経験から言うと、少なからぬ親御さんは自分のお子さんの学力や塾業界の実情といったことについて情報が少なすぎるように思います。

     本書は中学受験がテーマなので、比較的意識の高い親御さんが対象になっています。ある種極端な部分もあるのですが、極端なケースの方が本質的部分が浮き上がって見えることも往々にしてありますから、中学生のお子さんをお持ちの親御さんにもご一読をオススメします。

     本書では、中学受験に失敗する親御さんのタイプ分析が丁寧になされていますが、ポイントとなるのは二つ。一つは、教育においては能率主義が妥当しないということ、もう一つは私学に通わせる理由です。

     前者について。子供の学力を伸ばすということは工場で製品を作るようにはいきません。確かに、勉強のやり方には合理性と効率が要求されますが、その成果は必ずしも勉強した時間に正比例して表れるわけではありません。
     これは英単語を記憶した数を例に取るとわかりやすいかも知れません。単語を一つ覚えたからテストで取れる点が1点上がる、なんてことはありえません。むしろ、意味不明な単語が長文中に20語くらいあった場合、100個くらい覚えた段階で20語の意味不明が解消され、以前は読めなかった長文が読めるように"なっている"という方が実情でしょう。つまり、しばらく横ばいが続いた後、ある一定量を超えたときに急上昇するのが学力の上昇の仕方だと言えます(実際は横ばいと急上昇を繰り返す「階段型」が近いかも知れません)。
     ですが、大人になった親御さんは、自分の子供時代のことなど忘れて、大人の感覚で考えてしまいます。しかも正比例する成果的な発想で考えてしまうため、時には物量攻勢で、子供が可哀想になるくらいの授業数を子供に課したりします。しかし、本書でも指摘されているように、過剰な授業の詰め込みは復習や記憶定着の時間を奪うことになり、却って逆効果になることもあります。

     後者について。子供のためを思ってよりよい教育を受けさせたいという親御さんの気持ちは間違っていないと思います。
     しかし、「子供にとってよりよい教育」というのは学校の偏差値だけで決まる話ではありません。教育は、その子に合ったレベルのものでないと意味が無いことが多く、例えば無理に高いレベルの学校に入れようと無理から塾に通わせることは、往々にして子供を勉強嫌いにしてしまいます。
     あと、理想ばかりを追い求める親御さんは現状認識が甘くなる傾向があります。子供が自ら進んで勉強し、やればやるだけ学力が伸びるという無茶な前提で塾に通わせ、成績が上がらないとおっしゃる親御さんも少なからずいらっしゃいました。また、こういう親御さんは塾に丸投げするところがあり、お金を出して塾に通わせておけば子供の学力は大丈夫だ、と考えがちだったりもします。
     しかし、よく考えて欲しいのですが、勉強というものは、結局は自分でやるしかないのです。自分でできるように理解できていない部分を説明してサポートすることはできますが、それを自分の中に定着させるのは本人にしかできないことなのです。
     普通の塾がちょうだいできる時間は、普通は一科目につき週に90分くらい。一週間168時間のうちのたった1.5時間しかなく、後は本人やご家庭に委ねられるわけです。こちらからコントロールできることと言えば宿題の指定くらい。繰り返しますが、勉強というのは究極的には自分でやってもらうしかなく、自分で勉強する習慣がついていない子供についてはご家庭でも子供に自分で勉強する習慣を付けるよう協力していただくしかありません。

     必ずしも本書とは関係しない話も一部書きましたが、こういうことを頭の片隅において本書を読まれると、中学受験に関係ない世代の親御さんにも参考になる部分があるかと思います。

  • 結構攻めた本。書いて大丈夫なのかってところまで踏み込んでる。

    まあ、自分の成功(失敗)体験と子供の経験は別っていう当たり前の前提を忘れないのが大事よね。

  • 自分の価値観が、偏りすぎてないか、失敗するケースにあてはまってないか、の視点で流し読み。
    大丈夫。我が家はプライドで脂肪の決めてないし、他の友達と比較したり、妬みから課題きめたりしてない。タスクが過重になってないかの見直しは必要かな。

  • 中学受験の失敗学 志望校全滅には理由(わけ)がある
    瀬川松子氏による著作。
    2008年11月20日初版第1刷発行。
    著者は1977年東京生まれ。
    お茶の水女子大学大学院博士後期課程に在籍中(専門は社会学ではない)。
    1990年代より、四谷大塚系列の塾で中学受験生を指導。
    その後、複数の家庭教師会社に登録し、多くの中学受験家庭に派遣されるが、
    過剰な利益追求への疑問から、現在は個人で活動している。
    『中学受験の失敗学』(光文社新書、2008年)では、
    中学受験に取り憑かれ、暴走の末疲れ果てる親を 「ツカレ親」と名付け、大きな反響を呼んだ。尊敬する人は正岡子規。

    著者は恐らく大学院後期課程は既に終了されているものと予想する。
    光文社新書で本を2冊世の中に発信して以降は、特に新しいモノは出ていない。また公式ブログも更新されてなくなって久しい。
    (最新のモノで2011年だった)
    今の社会情勢と合わせ、今の状況をどう捉えているのか聞いてみたい思いがある。
    10年ちょっと経っているが、本書の内容は今でも有効だと感じる。
    また中学受験だけではなく高校受験、大学受験でも十分に活用できると感じた。
    自身の得点力と入試との間の距離感に敏感でなければ駄目な所は全ての入試に通じるからだ。
    また塾の授業や家庭教師の講義を受けっぱなしになり復習したり暗記する時間が
    十分に取れない為に学力が伸び悩む等、これも同様だ。
    ただ漠然と予備校の授業を受けているだけでは浪人しても
    志望校には合格出来なかったという先輩の体験記を読んだ事がある。
    (その方は結局、京都学園大学しか合格できず)
    予備校(塾)は床屋では無いのだ。自分で覚える、暗記するといった
    地道な事をやり抜いた上で問題をどう捉えたら良いのかといった高度な質問をするくらいでないと学力は上がらないということを吉野敬介氏は述べていた。
    全く同様の事が中学受験にも当てはまる。
    勉強とはどう進めていくべきなのか根本的に理解する為に本書は有効だ。
    私自身もかつて高校入試で公立高校受験に失敗した事があったが、最後の模擬試験で良い成果があったからチャレンジ校を受けていた。
    もっと安全策、安全校でも良かったと今なら思う。
    ただ高校受験を失敗しなかったら当時あそこまで大学受験に真剣に取り組む事にはならなかったのではという思いもある。
    人生は難しい。
    しかし当時の私でも不合格の現実には悩まされた。
    大学受験が終了するまでは何か怨念に取り憑かれた感はあった。
    いわゆるルサンチマンというか。
    ましては中学受験ではまだ精神的にも当時の私以上に未熟なのだから相当な苦痛ではないのかと予想する。
    親にも振り回されたあげく不合格はたまらないだろう。
    それでも競争倍率はそれなりにあるようだから、厳しい世界だ。
    本書を読むことで最悪の事態にはならないよう本人も親も冷静な判断が出来るようになることを期待したい。
    思い出したが、当時公立中学に通っていた際にやはり
    中学受験で失敗していた人間も何人かいた。
    そんな中の1名はグレるにグレていた。
    最悪のケーススタディと言えるだろう。
    (もちろん大半の人はまじめに学校生活を送っていた)

    本書を読んで復習、知識の定着をいかに重要なのか改めて思った。
    最近よく見るyoutubeの学習系、ビジネス系動画もほぼ習いっぱなしになっているなと反省し、必ずクラウドでメモを取るようにしてちょいちょいそのメモを見返して復習するようにした。
    その事に気がつけただけでも本書を読んだ意義があった。

    印象に残った点

    ツカレ親の最大の特徴は、「がんばれば必ず目標に到達できる」という
    根拠の無い信仰、そして「塾や家庭教師にかけた時間」=「子供ががんばった時間」という勘違いです。

    不合格に関する情報があまり出てこないのは、当たり前と言えば当たり前です。あれやこれやの対策をした末に「落ちた」生徒が
    出たということは、塾や家庭教師会社にとって、不名誉な情報ですし、子供が不合格になった家庭にとっても、振り返りたくない過去でしょう。
    つまり、中学受験をめぐるマイナスの情報は、誰も口にしたがらない現実なのです。

    中学受験の惨敗ケースには、
    1 何でも習いっぱなしで、復習時間をほとんど取っていなかった。
    2 塾や家庭教師の過密スケジュールのせいで、かえって知識の整理・定着が
      さまたげられていた。
    3 子供の偏差値をはるかに上回る学校で、第二志望以下も固めていた。
    などの傾向が強く、これらのことに気をつけるだけでも、
    笑えない結果から遠ざかることができるはずです。
    しかし、先ほども書いた通り、マイナスの情報は、なかなか表に出ることがありません。
    「塾や家庭教師の時間を増やし過ぎると逆効果になる」などと言って、収益が減っては大変ですから、親からの授業追加依頼に対し、受験産業の人間が待ったをかけるということも、めったにないことです。

    中学受験を主題にした単行本や雑誌記事に見られるアドバイスは、どれも
    「そこそこ知的環境が整った家庭」の「そこそこ頭のいい子」にしか通用しない理想論ばかりです。

    家族の連携プレイで知識を深め合うことが可能なのは、実際には一部の「インテリ家庭」のみ。教養や知的好奇心、精神的ゆとりのない
    その他大勢の親たちにとっては、家族で知的な会話をするということは、それ自体高いハードルでしかないのです。

    私は、中学受験専門の某有名塾講師が、「バカはものの数に入らない」と言っているのを聞いたことがあります。
    しかし、受験産業が「バカ」な子供の家庭からも授業料を取っている以上この考え方は間違っていないでしょうか?

    一つの単元をマスターするには、類似の問題を繰り返し解くための時間が必要だということ。そして、短い時間で休み無く新しいことを習うと
    一つひとつの知識が整理しきれず、混乱するだけということです。
    下地ができていない状態で立て続けに傾向の違う問題を解説を受け、
    1、2問の類題を解いただけで別の単元に移ることを繰り返しても大した効果が得られないのは、当たり前でしょう。

    運動でお手本を見せてもらっても、それだけで自分もできるようにはならないですよね?勉強もそれと同じで、説明を受けた後で自分で何回かやり直してみないと、分かったことにはならないんです。

    もちろん、宿題に出す所はその日塾でやったところと重なってますから
    宿題をちゃんとやるだけでも十分です。ただ、一度やっただけでは記憶に残らないこともあるので、何回か見直して、覚えきれていない所は、暗記しなおす時間を取っていかないと・・・

    塾に入ったこと、家庭教師がついたことで安心してしまうのか、受け身な姿勢でしか勉強に臨まない親子は、驚くほど多いのです。

    一般にはほとんど知られていませんが、中堅よりさらに下の学校には特定の家庭教師会社や営業担当者との間に「裏口」のパイプを持っている学校が存在しているのです。

    こうした裏口入学の交渉過程で、金銭の授受が行われているのか、
    どれくらいの生徒がこうした形で入学しているのか、私には分かりません。
    しかし、私が知っているだけで、同様の方法で裏口入学を果たしたケースが3件あり、また、この業界で働く知人にも、この手の裏口の存在を知っている人がいましたから、C子ちゃんだけが特異な例外ではないということになります。

    目標を下げるとそれに見合った学力しかつかないという考えは一理あると思いますが、どうあがいても、無理なものは無理。
    ある時期までに子供の学力が伸びなかった場合、適切な志望校を選び直す判断力があるかどうかということも含めて、中学受験と言えるのではないでしょうか?
    しかし、こうした理屈がなかなか通じないのも中学受験の世界です。

    滑り止めまでが「チャレンジ校」になってしまっていては、滑り止めの意味がありません。

    エリート志向の教育ママは、以前から受験現場に生息していました。
    しかし、「出世してほしい」「えらくなってほしい」というより
    「フリーターやニートになられては困る」という危機感から、消極的なエリート志向に走る教育ママが多いのは、最近の新しい傾向ではないでしょうか?この危機感が、「格差」報道の影響を受けたものであることは、間違いありません。

    敗者復活系の話を聞きたがる親は、意外に多いものです。
    今では他人に勉強を教えている人間が「実は私も勉強が得意だった
    わけではなく・・・」というのを我が子に重ね、
    「成績が悪くても大丈夫なんだ」という安心感を得たいのでしょう。
    しかし、敗者復活の物語をいくつ聞いたところで、残されている時間の短さや伸び悩む成績が変わるわけではありません。
    一時的な安心感に酔いしてているうち、不合格街道まっしぐら。
    「大丈夫じゃない」現実に目を向けないうちは、いつまで経っても大丈夫にはならないのです。

    自分の無力さを感じる時は、こういう時です。
    すでについて行けなくなってい塾の授業コマを減らしてみてはどうかと言い出すこともできず、国語の家庭教師をつける計画は断行されてしまいました。
    結局、受験産業への莫大な投資に反比例して、合格したのは偏差値40台の滑り止めのみ。予想通りの結果でしたが、
    指導が終了した時、とてつもない疲労感に襲われました。
    (中略)恐ろしいのは、こうしたケースが、一握りの例外ではないことでしょう。

    子供が小5や小6初めの頃ならばできたはずの冷静な判断も、
    受験が差し迫ってくると焦りや不安で狂ってきます。
    営業担当者や家庭教師もそれを心得ており、受験直前期をねらって新しい提案を持ちかけてきますから、注意するに越したことはないでしょう。

    ツカレ親度チェック 16項目中半分以上にチェックがついたら要注意

    □公立中学に進学させるなど、ありえない
    □子供には、今のうちに多少の苦労をしてでも、将来楽してほしい
    □「エリート」という言葉にあこがれがある
    □自分や配偶者のことをエリートだと思う
    □子供にはそこそこの大学に進学してほしい
    □自分や配偶者の学歴にコンプレックスがある
    □自分や配偶者の学歴に誇りを持っている
    □自分自身の経験として、勉強ができるようになるコツをつかんだことはない
    □わが子の学力が他の中学受験生と比べてどれぐらいなのか、イメージがわかない
    □塾や家庭教師なしで中学受験するなどバカな人のすることだと思う
    □高偏差値をキープしている子供は、何か特別な勉強法を実践しているのだと思う
    □「学力は生まれつきのものだ」という説には反発を感じる
    □どんな逆境も努力次第で切り抜けられると思う
    □目標を途中であきらめるのはダメな人間のすることだと思う
    □「敗者復活」系の伝記や逸話が好きだ
    □子供の教育にはそれなりの出費を覚悟している


    ツカレ親が問題なのは、度を越して中学受験にのめり込み、過剰な学歴至上主義や努力信仰の果てに、合格と反対の方向に向けて暴走を始めるからです。
    教育熱心も、一定の限度を超えれば、ただ子供を振り回し、親自身を疲弊させる結果にしか終わりません。

    ツカレ親とは、子供の学力に見合わない志望校を掲げ、塾や家庭教師に費やした時間が勉強した時間だという勘違いのもと、どこまでも暴走を続けてしまう親のことです。

    セレブ系ツカレ親・・自ら勝ち組という意識を持っている
    子供の下流化に対し、非常に強い危機感を抱いてもいます。
    現状維持の方法の一つとして(子供の)中高一貫校を考えているのです。
    この手のツカレ親はそこそこ知的で、子供の教育環境を整えることにも熱心なため
    小3から塾に通わせたり、習い事をさせたりするだけでなく、毎日ニュースを見せ、家族で社会問題について話すことを心がけるなど
    まさにプレジデントファミリーが推奨するような試みも実践しています。
    (中略)こうした試みがうまく行くのは、子供に一定の理解力があり知識の吸収と積み重ねが順調にできた時に限られます。

    セレブ系ツカレ親はセレブを自認しているだけに、一定以上の志望校レベルを
    下げることを許しません。子供の偏差値が30台や40台をさまよっていても
    あくまで世間に名の通った中高一貫校にこだわり続け、
    「御三家じゃないんだから、やれば何とか受かるはず」と無謀な暴走を始めるのです。
    さらに、セレブ系ツカレ親に顕著なのは、母親以上に父親が暴走を見せる傾向にあるということ

    庶民系ツカレ親は、セレブ系ツカレ親に比べ、知的・文化的なものに対する
    関心がうすく、子供に勉強を教えるためのスキルも持ち合わせていないため、受験に関することは、最初から最後まで、塾や家庭教師に丸投げする傾向にあります。さらに、受験や大学をめぐる情報にうといということも挙げておかなければならないでしょう。
    こうした特徴は、庶民系ツカレ親に、厳しい選抜を経験している親が少なく
    選抜のための勉強や受験というものをめぐる「常識」が内面化されていないということと、関係があるようです。
    解決を聞くことと自分で問題を解くということはどう違うのか、基本問題と発展問題はどのような関係にあるのか、
    模試の偏差値は何を表しているのか、大学入試はどのような仕組みに基づいて行われているのか。こうしたことが、自身の経験として理解できていないため、やみくもに塾や家庭教師の時間を増やしたり
    「大学進学率アップ」を公約に掲げているというだけで、
    「この学校に入れば、うちの子の将来も安泰」と、安易に志望校を決めてしまったりするのです。
    ちなみに、ツカレ親なだけに、一度決めた志望校はなかなか変更がきかず、
    それが子供の学力に見合っていなくても、「何とかなるはず」で押し切ってしまうところは、セレブ系ツカレ親と、何も変わりありません。

    現実には、わずかな偏差値の低下で動揺を見せ、子供を振り回すツカレ父親が少なくありません。我が子の事となると冷静な判断力を失うという点では
    父親も母親もそう変わらないのです。
    ツカレ父親の特徴としては、先程登場したセレブ系の親が多く、いわゆる「エリート」であるということが、指摘できます。
    難関大学を出て、医師や会社の代表取締役、有名企業の社員といった職にある人に限って、何故か、中学受験熱に取り憑かれる傾向にあるのです。

    収入はほどほど高くても、仕事ではどこか満たされない。
    その心の隙間を埋めるために、子供の受験に過剰な情熱を傾ける。

    →これは以前読んだ日本人にMBAはいらない(遠藤功著)にも似た記述があった。
     心の隙間を埋める対象がMBAになるのか、子供の受験になるのかの違い。

    学歴の高い親なら勉強のコツが分かるはずだから、自分で子供を教えられるんじゃないの?という声が聞こえてきそうですが、
    これは誤解と言わざるを得ません。現実には高学歴な親に限って
    「勉強ができない」「わからない」という感覚を理解できないという
    悩みを抱えていることがあり、自ら指導に当たろうと思っても、我が子の飲み込みの悪さに苛立つため、塾か家庭教師といった外部の人間に助けを求めがちです。
    結局、我が子が勉強につまづいた時に「教える」ことができないという点ではエリート系ツカレ親も庶民系ツカレ親も、それほど変わらないのです。

    →これは特に最初から勉強ができてしまった出来の良かった親はそうだろうなと。
     勉強法を工夫して得点力を上げた経験の無い高学歴の方だと余計にそうなのかも。
     無論、子供の出来があまりに悪ければそれ以前なのだろうが。

    大学進学状況には、高校がどこであるかということ以上に、各学年の「デキ」が大きく関係しているのです。

    首都圏の高校では「遊んでいる人」とそうでない人の差が歴然としている。
    「遊び」の内容はさまざまだが、男子校や女子校の場合、
    適度な異性交友とそれに関連するイベントということになる。
    「不純」と眉をひそめる向きもあるだろうが、高校生のうちにある程度の恋愛スキルを身につけていないと、大学入学後、恋愛市場であぶれかねない。

    進学校では、大半の生徒が有名大学に進学していくため、全く無名の大学に
    進むのは「恥ずかしい」「カッコが悪い」ということで、時々、国外逃亡を図る生徒がいる。
    親同士の交流や同窓会の活動がさかんな学校ほど
    この傾向が強く、理由は言わずもがな。もちろん、オックスフォードやハーバードに留学していくわけではない。

    要するに、無理をして、有名大合格実績を上げている学校に入ったところで
    その学校が子供の学力に合っていなければ、それまで以上の苦労と屈辱を味わうことにしかならないのです。

    今や、大学受験は、かつてのような激戦ではなくなってきています。
    首都圏の国公立や早慶上智は依然難関ですが、とりあえず大学に進みたいという希望をかなえるのは、もはや少しも難しいことではありません。

    中堅より下、具体名で言うなら、大東亜帝国以下の大学でいいとなると、話は別。公立中学から都立なり私立の高校に進み、高3になってから受験勉強を始めても、短期集中のがんばりで(学校によってはがんばらなくても)いくらでも合格することができます。

    大学進学のためではなく、中高6カ年を落ち着いた環境で過ごしてほしいという意識から中学受験を考えるなら、それはそれでいいと思います。
    しかし、大学受験を人生の一大試練であるかのようにとらえ、その早期の対策として中学受験をさせるならば、それは、無駄な骨折りというものではないでしょうか?

    私は、一度に多くの子供を教える塾での指導を通して、
    この「埋められない溝」の深さを、いやというほど思い知らされてきました。
    20人弱の子供を教えていると、一度の説明で理解できる子と、極限まで噛み砕いた説明を何回も繰り返さないと理解できない子が必ず出てきます。このほか、30分前に聞いたばかりの人名を忘れてしまっている子と、2週間前の余談に登場した豆知識を覚えている子、宿題はしっかりこなしてくるのに小テストでなかなか得点できない子と宿題をさぼっていても常にトップの座を譲らない子など、歴然とした「デキ」の違いが現れてくるのです。

    難関校に合格する子供の多くは、科目を問わず、基本事項の理解や暗記に
    それほど多くの時間や労力を費やしてはいません。
    理解しよう、暗記しようと思わなくても、自然と分かるし、忘れないでいられるからです。
    つまり、こうした子供たちは「デキ」の悪い子の何倍もの時間を勉強にあてていたり
    何か特別な勉強方法を実践しているというわけではなく、
    もともとの能力の高さによって、受験勉強の最初のハードルをクリアしているのです。

    このように「もともとの能力差」ということを強調すると、差別だとか人権がどうのといった方面からの批判が飛んでくるかもしれません。
    しかし、見せかけのヒューマニズムで、誰もが無限に輝く可能性を秘めているかのような幻想を持たせる方が、よほど無責任です。
    十分な能力が無ければ、どのみち、その現実に直面することになるのですから。

    生きていくということは、こうした能力差に折り合いをつけながら、可能な範囲で最良の結果を出せるよう努めることの繰り返しに他なりません。子供への教育的配慮として必要なのは、
    「努力してもかなわない夢がある」という現実に気付かせるのを先送りにすることではなく、希望通りにならない時、実現可能な範囲で幸福を見つけられる柔軟性を身に付けさせることではないのでしょうか?

    「偏差値って、そこまで正確なものでもないでしょ」
    こんな言葉とともに、子供の偏差値をはるかに上回る学校の受験を決定。
    あまりの無謀さに待ったをかけた人間の方が、偏差値でしか物事を見られない悲しいやつのように言われることもあるぐらいです。
    偏差値が絶対的な基準でないというのは、その通りです。
    一度の模試で偏差値が1ポイント下がったからと言って大騒ぎするのは馬鹿げていますし、実際、模試での偏差値よりも数ポイント上の学校に受かるというケースは、決して少なくありません。
    しかし、何回模試を受けても、著しく低い偏差値しか出ないとなると、
    その現実は、深刻に受け止める必要があります。

    中学受験の奇跡は、そこそこの学力に達している子供が、模試では測れないような得意分野を持っており、その得意分野と志望校の出題傾向が重なった時に起こる場合がほとんどです。
    偶然や運といった要素があるのは確かですが、不思議なパワーが働いていつもできない問題が突如として解けるようになるというような奇跡は決して起こり得ないのです。

    塾の講師や家庭教師が、あくまで「商売」として受験生を教えており
    彼らの「アドバイス」が「セールストーク」であるかも知れないということは、常にしっかり肝に銘じておく必要があります。

    中学受験業界には、直視しないと最悪の結果を招くような深刻な現実を直視しない、指摘できない体質があるように思います。
    こうした傾向は、塾業界に比べ、家庭教師業界に顕著
    (中略)その危険性をはっきり指摘することはまれで、せいぜい
    「もう1校ぐらい受けてみませんか?」と、レベルの低い学校をすすめるぐらいです。

    中学受験のデメリットは、合格を信じて投資した時間とお金が不合格の瞬間、意味のないものになってしまうことでしょう。

    こうした時間的・金銭的「損失」に加え、さらに深刻なのは中学受験が子供の精神や家族関係に及ぼす悪影響です。

    子供の精神が荒廃するのは、受験が終わった後とは限りません。
    なかなか成績の上がらない子供は、鬱屈した思いを抱えながら日々の過密スケジュールをこなしています。
    努力しているつもりなのになかなか結果が現れず、一方の「デキる」子供を目の当たりにしていれば、ストレスやコンプレックスが増大するのは当たり前。その結果、些細なことでキレる、親を恨む、自分より低い成績の子供を見下す、「人生なんて」というニヒリズムを気取るなど、荒んだ精神状態に陥るのです。

    中学受験そのものが不幸の生産装置になっているということではなく、中学受験をさせる以上、そこに伴われているマイナスの可能性に意識的でなければならないということです。

    中高一貫校ならば、本当に、どこでも「良い」のでしょうか?
    中高一貫校の「良さ」を強調するものの多くが、偏差値50以上の学校を念頭に置いている一方で、準中堅と呼ぶことも難しい偏差値30台の中高一貫校は、公立に比べて格段に「良い」と言えるだけの要素を、それほど多くは持ち合わせていません。

    →これは自分の出身高校(私立)を振り返っても実感がある。
    6カ年コースも併設されていたものの、進学実績を見れば大阪府内の公立進学校の方がよほど良い結果を出していた。
    今は学区制も撤廃されているし、ますます中途半端な私立中高一貫校へ進学する意味は無くなっていると思う。

    反発を承知で言ってしまえば、こうした底辺校の中には、とても勉強に励むような雰囲気でないところもありますから、ひとまず、「中高一貫校が良い」という先入観は捨て、
    校風や教育理念に共感できる学校がなければ、公立中学に進んでみてもいいのではないでしょうか?

    プラス思考というものは、一定の条件がそろっていて初めて意味を持つのであって、それが「根拠のない楽観的な見通し」である限り失敗を呼び込む原因にしかならないものです。


    ビジネスマンの中には、自らをアスリートになぞらえ、こうしたイメージトレーニングを励む人もあるようですが、肝に銘じておかなければならないのは、多くのトップアスリートが、肉体と精神のトレーニングに日々励んでいるだけでなく、
    世界選手権で常に上位にランキングしているとか、かつて世界記録を出したことがあるなど、何かしら自分を信じるに足る肯定的要素を持っているということ。
    ただやみくもに自分を信じ、成功する姿を思い描いているわけではないということです。
    基礎的な学力が完成されていない状況で、偏差値が10も20も上の学校を
    狙うというのは、地区予選ですら予選落ちを繰り返している人が、いきなりオリンピックの金メダルを目指すようなものであって、全く現実味がありません。
    子供の中に眠っている才能を信じるにしても、その才能を裏付けるものが何一つなく、残された時間もわずかしかないとなると、本気で合格を信じるのは、ポジティブでもプラスでもない「馬鹿」ということになってしまいます。

    子供を信じることも大切ですが、客観的な目を持って、子供に危険な綱渡りをさせないようにすることも親の役目。
    小6の秋を過ぎて、子供の偏差値が志望校から大きく隔たっているようであれば、目標そのものを再検討する必要があります。

    試験で全く得点できなければ、温情措置の対象になることはない

    過去問チェックを怠らないこと
    何回過去問を解いても得点できないようであれば、偏差値に関係なく
    目標そのものを再検討する必要があるでしょう。
    (これは大学入試や高校入試にも当てはまる)

    第二志望を初日(2月1日)に受験する
    多くの中堅校は受験日程後半になるほど、初日(2月1日)に上位校を
    受験してあと一歩で不合格となった層がなだれ込んでくるため、1日の入試に比べ、競争が激しくなります。

    「一日目に受けに行ってれば、きっと受かってたのに」
    毎年2月5日頃になってこうしたぼやきをもらす親は、決して少なくありません。

    人から習う時間をやみくもに増やすのではなく、家庭教師を増やした時はその分、塾の授業を削っているということ
    余裕のないスケジュールは、知識の消化吸収を妨げるだけで、逆効果にしかなりません。

    スケジュール無理度チェック
    塾には週4日以上通っている
    塾の平日授業から帰った後は疲れているため、ほとんど勉強時間が取れない
    土日のどちらかあるいは両方に塾が入っており、午前中だけで終わらない
    すでに家庭教師をつけている
    塾と家庭教師の両方が入ってる日、もしくは、家庭教師が2人以上来る日がある
    一週間で塾や家庭教師が入っていない日が2日以下だ
    塾や家庭教師の入っている日が4日以上連続している
    塾や家庭教師の宿題のため、就寝時刻が12時近くになることが多い
    塾や家庭教師の宿題が終わらないことが多い
    *偏差値50以上をキープできていて、塾の集団授業に特に遅れを取っていない場合
    このチェックはあまり参考になりません。

    くどいようですが、家庭教師がついたからと言って、一度説明してもらった問題をそのままやりっ放しにしては、再び授業料をドブに捨てることになります。
    分かったつもりになっていても、自主的な復習を心がけることを忘れないで下さい

    もっとも、中学受験の算数は、特殊な解法を要求する問題が多く、指導経験が無いと大人でも混乱することがありますから、親が指導するには、限界があると思います。
    算数に関しては、分かりやすい説明をしてくれる家庭教師に任せた方がいいかもしれません。
    (これは高校受験、大学受験の数学にもほぼ当てはまる)

    理科や社会の知識が身についていない場合、家庭教師をつけなくても家庭学習で十分カバーすることができます。
    受験本番までにこれだけは終わらせる(つもり)という問題集を一冊決め、間違えたところ、覚え切れていなかったところを中心に暗記を進めていけば、それがそのまま、試験での得点源になります。

    絶対にやめさせるべきダメな勉強法

    間違った答えを消しゴムで消す
    自分の書いた答えが間違いだと分かった途端、その答えを消してしまう子供がいます。これでは、自分がどこにつまずいたのか、何が分かっていなかったのか、後から確認することができません。
    子供にしてみれば、間違えてしまったことが恥ずかしいという思いがあるのでしょうが、受験本番で正解できればいいんだということを分からせた上で、自分の答えに赤ペンで☓をつけ、赤字で訂正をする癖をつけて下さい。

    算数ができない子供には、問題文中に登場する数字を適当に組み合わせ自分が何をしているのかよく分からないまま、答えを導き出そうとする癖があります。これはどの問題にどの解法を使うかという基本的な知識が全く身についていないために起こることです。
    算数を一瞬のひらめきで解く教科のように言う人もあるようですが、
    あるレベルに到達するまで、様々なパターンの問題の解法を「暗記」し自分で問題を解く時にそれを再現するという意味で、算数も理科や社会のような暗記科目と、それほど大きく違っていません。
    そこで重要なのが、答えを導き出すための図(線分図、面積図など)や
    途中式を、常にしっかり書くようにすることです。

    家庭教師によって、登録時に筆記試験があるところと無いところがあるが、
    筆記試験では、教え方がうまいかどうかまでは分からないため、あまり当てにならない。また「有名大学を卒業している先生をつけてください」というような依頼をしてくる家庭もあるようだが、高学歴ならば指導力が高いとは限らないので、要注意である。

    ダメ家庭教師に多く見られる特徴
    解説ばかりしていて、子供に問題を解かせて理解度を確認する作業をしない
    問題を解かせて答え合わせするばかりで、どこを間違ったか、
    何が分かっていなかったかの確認や、間違った所の詳しい解説をしない
    口頭で説明するばかりで、板書しようとしない
    授業時間中に、不必要な雑談が多い
    宿題に関する指示が全くない
    授業終了後、子供の学習状況について何も説明せず急いで帰る子供が真面目に問題を解いていても、ミスをすると
    「どうしてこんな問題が分からないんだ」などの暴言を吐く
    やたらと授業時間を延長したり、授業の追加を求めてくる自分の学歴や昔の偏差値の自慢をする


    しかし、不特定多数に向けて自分の言葉を発信する人々に中学受験ができない層に対する配慮が欠けていることは黙って見過ごすことができません(和田秀樹氏に向けて)

    経済的理由から中高一貫校進学の困難な家庭が存在することは、もはや疑いようのない現実です。そうである以上、もしも本当に、公立中学に進むことで将来の可能性が限定されてしまうのなら先決課題は、具体的かつ実践可能な形で、公立中学の改革案を取りまとめることでしょう。
    「公立は悪い、だから中学受験をしましょう」という流れはお金がない層に向かって、将来をあきらめろと言っているのと大差ありません。

    現実に、有名中学、有名大学に進学できる人数は限られていますしエリートは数少ない存在であるからこそ「エリート」なのです。
    相対的に見れば、それほど有名でない中学、高校、大学を経てご縁があって採用された会社のサラリーマンとして生きていくことになる子供の方が圧倒的に多いはずなのに、どうして、学歴や立身出世ばかりを幸福と結び付けようとするのでしょうか?


  • 中学受験をすすめるにあたり、親が陥るトラップについて書かれた、ある意味警鐘本である。

    受験の主体はあくまで子供。それ自体は当り前ではあるが、親の考え違いや見栄などが入ってくると途端におかしくなり、誰も幸せにならない結果が待ち受けている。

    また、塾などを「産業」としてとらえた時の見方などもあり、やはり親としてはある程度必要な知識なのではないかと思う。

    中学受験を考えている場合、結果として不幸にならないためにも読んでおくことを強くお勧めしたい。

  • 失敗事例多数。キーワードは塾への丸投げと子供への一発逆転発想。
    自分の子供をどこかで諦めなければいけない。この判断が自分達が親としてできるかどうか。中学受験の難しさと感じる。

  • 家庭教師をしていた著者が、あえて中学受験の負の側面を強調した本。子供の受験に取り憑かれ、疲れはてた「ツカレ親」が描かれていて、その実態は傍から見ると笑えるんだけど、全くの他人ごとではないという恐ろしさもアリ。親バカとはよく言ったもので、ほんとに自分の子って実際よりよく思えるもの。親バカと現実のギャップに少しでも早く気づき、冷静に、客観的に、等身大の子供の幸せを一緒に考えられる親になりたいものです。著者の、度を超えた楽観主義や努力至上主義への戒めは、常に頭の中心に据えておきたいと思った。

  • 家庭教師が綴るツカレ親の記録。
    ・いつの間にか大学に合格させる力=私立中学の教育力になっている。
    ・大学進学のためで無く落ち着いた6年のために中学受験を考えるべき。
    ・子供には、希望通りにならない時実現可能な範囲で幸福を見つける柔軟性を身につけさせる。
    ・もう少しで結果が出ます、は塾が利益を上げるための嘘。

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