ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡 (光文社新書 458)

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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334035174

感想・レビュー・書評

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  • 60年代の作品を中心にとても丁寧に解説されている。勉強になった。あくまでもアンディ・ウォーホル本人ではなく作品ありきで解説してくれているので、余計な先入観をもつことなく没入できた。結果として、作者本人を知る事ができたようになったのは面白い。
    キャンベル・スープ缶の作品などは、この本を読むまでは大量消費社会を単純に皮肉ったものだと思っていたが間違っていたようだ。もっとフラットな世界観を提示していたことがわかる。そのアプローチの仕方にこそウォーホルの功績があるのだと思った。

  • ウォーホルの絵はま家から好きで、どんな人物かよく知らなかったことからこの本を開いた。正直、生と死がテーマであるとか、敬虔なクリスチャンであることからくる考え方など、少しも考えかなった。絵から伝わってこなかったのは、まったく私の無知と眼力のなさだった。これから、日記などを読んで知識を広めて、再度、彼の絵を見てみたい。

  • [ 内容 ]
    20世紀を代表する美術家であるアンディ・ウォーホル(1928‐1987)は、生前における多方面にわたる活躍やメディアへの頻繁な露出から、これまで様々な流言飛語に曇らされ、毀誉褒貶に包まれていた。
    しかし、1989年にニューヨーク近代美術館で大規模な個展が開催され、94年にはアメリカにある個人美術館としては最大のアンディ・ウォーホル美術館が開館するなど、その多面的な芸術は正確に評価されつつある。
    「孤独なトリックスター」の実像とは―。
    本書は、日本での大規模なウォーホル回顧展にも関わった美術史家が、ウォーホル芸術の意味と本質に迫り、それを広く美術史の中に位置づける画期的論考である。

    [ 目次 ]
    第1章 キャンベル・スープ―ウォーホルの原点
    第2章 スターの本質―聖と俗の肖像
    第3章 名もなき死―現代への予言と警告
    第4章 公権力への恐怖―アメリカの暗部
    第5章 名声と死の影―『ジャッキー』・『花』・『自画像』
    第6章 ウォーホル芸術の終焉―『毛沢東』から『最後の晩餐』へ
    終章 ウォーホルの聖性

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    [ 参考となる書評 ]

  •  ウォーホルって正直陰湿で粘着気質のキモい感じの印象を受けてしまっていたんですが(ごめんなさい)

     見方が変わったかな。

     彼が「死」というテーマを追っていたことはなんとなく知ってはいたけれど、それをより明確にしてくれた感じ。


     商業としての美術。
     いかに個性を際立たせないか。


     自分も絵を描くけれど、
     「無」になりたいという気持ちは勝手になんとなくわかる。

     自分などいなくなってしまえばいいと、
    自分の世界の中で思う。それが作品につながっていく。

     もうなんか、絵を描くことによる自己主張とかそんなんじゃない。うまく言えないんだけど。

     「わたしはここにいるよ」って嘆きというか、そういうのより
     「否がおうにも私はここにいる」ってとこから始まる苦悩というか。

     ウォーホル以降、われわれはどう生きるべきなのか。

     これから切り開いていく活路に身震いしながらも、
     不安で怖くてたまらない今。

     それは「絵」に限ったことではない気がする。

  • ポップアートが真っ先に連想されるウォーホル。
    色々な時代があり、政治的な作品や、死をテーマとした作品をシリーズ化するなど、幅広い作品があるのだなぁと改めて実感させてくれる。

  • ウォーホルが熱心なキリスト教徒だったという事実の紹介が興味深い。「死」に対する興味や、作者の存在を否定する一種のイコン(聖像画)性など、さまざまなファクターがこれでぴたりとはまってウォーホルの全体像がある程度見えてきた。

  • アンディウォーホルの足跡を辿る一冊。事実の信憑性はさておいて、ウォーホルがその時々で誰に影響を受けその作品を創ったのか、アイデアのネタは何だったのか、作品を追って書かれているので、すごく斬新で重要な事のヒラメキを追体験している様に感じられて面白い。

    抽象絵画時代からの脱却を念頭に置いて、現代におけるアートへの新しいアプローチを模索し、作者不在=汎用品の再利用 複製技術といった自己を希釈させるような手法を使う事で作品の独立性を増し、さらにメディアを使い操作した作者のブランディングがウォーホル自身を、逆接的に作者不在の作品、の作者たらしめている。

    記号としての作者と作品の関係を巧みに操った作家像が浮き彫りになって行く様は興味深い。そういった関係性はモノだけではなく人であろうが社会であろうがウォーホルには関係なかったのだ。

    帯に『聖と俗』と書いてあるからか、本当に信心深いクリスチャンであったからか、事実は知らないが、比喩として教会のミサ、キリスト、宗教画、といった信仰対象としてのアイコンと大衆との関係性と上記の作者と作品の関係性についての指摘は、読み物としても鋭い観点だし、毎週ミサに通う事が事実だとしたら、POPとは折り合いの付かない矛盾したウォーホル観が更に掴み所を無くさせ、よりウォーホルの聖性を際立たせるものとなると思う。

    『単に白黒のイメージとしてみて欲しいな。ちょうどドレスの柄と同じ様に』

    自分の作品を楽しく観たい、というか別の観点を持って接する努力をしているのか、それとも作者不在を演じているのか、はたまた本当にそんな事を考えているのか、いずれにしても常人離れしている所が魅力的だった。

    本書を読めば、今だに大量生産され巷に溢れているウォーホル作品群のPOPな軽さが余計に重く感じられる様になるのは間違い無いと思う。

  • 現代美術はわかりにくいと言われる中で、ウォーホルは比較的わかりやすいのではないだろうか?

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著者プロフィール

宮下 規久朗(みやした・きくろう):美術史家、神戸大学大学院人文学研究科教授。1963年名古屋市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒、同大学院修了。『カラヴァッジョーー聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞など受賞。他の著書に、『バロック美術の成立』(山川出版社)、『食べる西洋美術史』、『ウォーホルの芸術』、『美術の力』(以上、光文社新書)、『カラヴァッジョへの旅』(角川選書)、『モチーフで読む美術史』『しぐさで読む美術史』(以上、ちくま文庫)、『ヴェネツィア』(岩波新書)、『闇の美術史』、『聖と俗 分断と架橋の美術史』(以上、岩波書店)、『そのとき、西洋では』(小学館)、『一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》』(ちくまプリマー新書)、『聖母の美術全史』(ちくま新書)、『バロック美術――西欧文化の爛熟』(中公新書)など多数。

「2024年 『日本の裸体芸術 刺青からヌードへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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