リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する (光文社新書 425)
- 光文社 (2009年10月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334035280
作品紹介・あらすじ
「マネジャーは大変だ」「マネジャーになんかなりたくない」そんな「上司拒否。」とでも呼ぶべき気分が、若手の間で広がっている。たしかに、マネジャーは組織の中であらゆる難題を一身に背負わされており、疲弊気味だ。しかし、実はそんなマネジャーとその予備軍にこそ、「学び」と「成長」のチャンスが秘められている。本書は、世代(50代、30代)と専門(経営学、教育学)の異なる気鋭の研究者の共同作業によって、あなたの仕事を「学びのきっかけに満ちた仕事」にするためのヒントを提供する。経験をくぐり、対話をおこない、仕事を振り返るという内省(リフレクティブ)行為によって、大人も成長し続けるのだ。
感想・レビュー・書評
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・ミドルの役割は単に上の考え方を下に垂れ流したり、現場からの要求や突き上げを上層部に具申することではない。上層部の指示をしっかり翻訳し、わかりやすい指示にして下に伝えるとともに、工場の様子、技術動向、消費者の試行などを寄り現場に近い立場から上層部に伝え、場合によってはミドル発の戦略を反映した変革プロジェクトにも従事する
・マネジメントは複雑性に、リーダーシップは変革に関わる
・裏マネジメント:マネジメントの基本だけでは対応できないもの。みんなで一緒に何とかやってみる。目標そのものをみんなと一緒に探したり、手順がわからない仕事に取り組んだり、試行錯誤を繰り返したりする
・成功体験だけでなく、失敗体験も語ること
・プロセス(出来事の連鎖)をつまびらかにすること。5W1Hを明らかにして、その経験から自分が何を感じ、何を思ったのか、そこから導き出される教訓は何なのかを話すのがいい
・吟味や反論の可能性を認めること
・成人の学習とは、経験を解釈し、行為を決定するための解釈の枠組みが変容すること。Unlearn(学びほぐし)が必要
・二重学習ループでは、学習しながら学習のやり方そのものも問う
・経験学習モデル:経験→省察→概念化→実践を繰り返す
・経験の質は「連続性の原理」と「相互作用の原理」
・上司がなすべきことは、個人の熟達を手取り足取り支えることや人材育成のすべてを担うことではない。「人が育つ実践共同体」をつくること、職場のメンバーが成長するような社会的関係や職場の風土をデザインすること
・上司が実践共同体の一部として、上司自らも学び続ける存在として成長を目指す
・人間の思考様式や認知作用には「論理・実証モード」と「ストーリーモード」がある。論理・実証モードは物事が正しいのか間違っているのかを問い、厳密な分析を通して、物事の真偽を明らかにしようとする思考形式。ストーリーモードはある出来事とある出来事の間にどのような意味のつながりがあるかを注視する。そのモードでは現実味に富んでいるか、腹に落ちるかどうかが重要とされる
・職場における学びのいざない人
・年をとるにつれて、わたしたちにとっては、体を動かすことではなく、頭を動かすことが学びになっていく。そうすると、空間によって学びが分節化されることは少なくなる、かわりに時間を気にし始める
・サーバントリーダーに徹するとは、本気で相手の要望を聞けるということだ。「できるからする(doable)」の発想によってではなく、自分がいるおかげで「何がもたらされるか(deliverable)」の発想で行動しなくてはならない
・卒意:主人と客がともに機転を利かせあい、場の構成に関わること。主人と客がともに思いやりを持って取り組むことで一期一会を生む
・越境することはアンラーニングをもたらす。「自分の日常」とは「他人の驚き」であり、「他人の日常」は「自分の驚き」である
・真の対話とは「違いを覆い隠すこと」ではなく「違いを楽しむこと」。また、問われるのは、違いを通して学びあう関係になっているかどうか詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人々が教育についてやたらと雄弁になる(なれる)理由は「誰もが教育を受けた経験をもっているから」であり、またそれが「『評価』の難しい営みであるから」という中原氏の指摘はもっともであると思う(P228)。しかし僕は、ある意味、だからこそこれまでこの分野にはそれほど関心が持てなかった。
人にものを教えたり教わったり、「学び」それ自体はとても好きなのだけれど、それは例えば「収益」といった形で定量的に分析・評価されるものでもなければ、そうするべきものでもないものと勝手に思っていたし、仕事との関連で言えば、本当に意味のあるのか疑わしい退屈な研修などを想起させるから、やはり関心のわかない分野であった。「人材」とか「育成」には常にある種の曖昧さがつきまとい、またそれがもたらす敷居の低さが嫌だった。
しかしつい最近、中原氏の「経営学習論」を読み、多少この分野に対するアレルギーがなくなった。それにはずみをつけるために読んだ本書だったが、やはり面白いと思えた。
何より、繰り広げられる対話の中で、中原・金井両氏自身の、「学び」に対して謙虚に学ぼうとする姿勢そのもののが「学び」を体現していると思えたからである。こういう方々から、たくさんのことを学びたいと思えた。
面白い読み物としてさらりと読めてしまうため、また話題が多岐に渡っているためなかなかつかみどころのない印象も受けてしまうが、だからこそキーワードもたくさん散らばっているので、これらを参考に時間があるときに関連する本でも紐解いていこうと思う。
余談だが、本書で初めて「教育学」の一端を垣間見た気がする(本書が扱っているのは経営学と教育学を跨る学際分野ではあるけれど)。教育学の講義なんて受けたことなかったし、大学に教育学部もなかった(文学部はあったけど、それにもあまり縁がなかった)。今思えば、自分はこれまで一度も「教育学」に触れたことがなかったことに気が付いた。 -
読みづらい
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管理職は忙しいが、振り返りすることが大事。
ちょっと難しかったが、管理職の思考や役目を少し理解出来た気がする。 -
メルカリ売却
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もっと早く読んでおけばよかった。
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成功のメルクマールであった課長の椅子も、仕事のスピード化、管理業務の煩雑化、プレイヤー要素の拡大に伴い、場当たり的問題解決屋としての悲哀が蓄積、お金を積まれても拒否したいポジションとなった。
ミドルマネジャーには、かのアルフレッドチャンドラーも、野中郁次郎も、連結ピンをつなぐ変革マネジャーの役割は大きいとの期待が寄せられてきたが、仕事の断片化は進むばかり。それでも、忙しいから大きな絵が書けないのではなく、絵が書けないから振り回されて忙しいとジョン•P•コッター先生に指摘されるのだから、ぐうの音も出ない。
茹でガエルになるな!とも言われたが、「ミドルが活力の源泉ではあるが、多忙で余裕を失い、仕事を通じて知的蓄積がされてないとしたら由々しき問題」と野中氏が助け舟を出してくれたときには救われた。
それでも著者のお二人は、中年には世代継承性という発達課題がある、これに応えるのが人生の宿題であるからには、このプロセスを再定義して、ミドルの悲哀を人生の意味に転換しようと試みる。 -
うーん、なんだか頭に入ってこない。
また読み直す。 -
働く大人の学びには、内省が重要であるという知見が、教育学者、経営学者の往復書簡のような形式で述べられている。内省というと、ひたすら瞑想的に自分と対話をする事だと思っていたが、他者との対話や、日常を離れた「越境」による新しい気づきが内省を深く導いてくれるという論は目から鱗であった。
この本を読みながらも、自分の部下との関係や社外の友人との関わり方など、自然と内省しながら読み進める事ができた。