殉教 日本人は何を信仰したか (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334035327

作品紹介・あらすじ

桃山時代から江戸時代初期にかけて、豊臣秀吉や徳川家康といった時の権力者によってキリスト教は弾圧を受け、四千人とも言われる大量の殉教者が出た。これは世界に類を見ない特殊な出来事であるが、そもそもなぜ為政者たちは、キリスト教を厳しく弾圧しなければならなかったのか?また、宣教師や日本人キリシタンたちは、なぜ死を賭けてまで信仰に固執したのか?そこには、信仰心以外の"何か"があったのではないか?-本書では、クリスチャンだった遠藤周作氏の名著『沈黙』に加え、キリシタン迫害の様子を伝える数々の史料を批判的に読んでいくことで、「殉教」から見えてくる日本人特有の気質や死生観を明らかにしていく。

感想・レビュー・書評

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  • 遠藤周作の「沈黙」を読んで以来、気になる日本人の信仰について、ちゃんとした文献をもとに当時の日本人の心理を読みとこうとする本。武士道と通ずるものがあるし、殉教という言葉が持つ悲惨さとは全然違う喜びのなかでまさに昇天していく信仰の心理は理解できない。どちらかというと転び、転ばない人を嘲笑する心理の方が理解できる。なんにせよ、やはり日本人の信仰は日本独自で進化を遂げた土着した信仰なのだと思う。

  • [辛酸か、法悦か]豊臣、徳川初期時代の上からの弾圧により、苦しみの中で殉教を遂げたと「教科書的」には説明されるキリシタンの殉教。そんな定式化した見方に異議を唱えつつ、日本人の死生観の一端を明らかにしようと試みた作品です。著者は、一次史料から丁寧に日本近世を浮かび上がらせることで評価が高い山本博文。


    このテーマの着眼点はお見事だと思います。読めば読むほど、「え、そうだったの!?」と思わされることばかりで、刺激に満ちた読書となりました。また、殉教に対するイメージがいかに現代的な理解に基づいて組み立てられているかが、本書中で明かされる史料の数々で明らかにされており、原資料に当たることの大切さを教えてくれる作品でもありました。


    キリスト教の説く殉教と、武士の死生観が意図せずしてクロスすることを指摘する箇所も非常に読み応えがあります。また、それと対比しながら庶民のキリスト教に対する姿勢の変化もしっかりと捉えられており、当時の人々が持つ生死に対する姿勢を考える上で非常に有益だと思います。

    〜信仰の強さによる殉教、キリスト教の教えを棄てさえすれば許されるのに、わざわざ信仰を告白して殉教する日本人信者の姿は、世界に類を見ないものだと言ってよい。〜

    常識だと思っていたものがひっくり返る気持ち良さが味わえます☆5つ

  • フォトリーディング。著者はノンクリ。なかなか良さそうな本。
    高速リーディング後、高速を交えて熟読。

    著者はカトリックの信仰とプロテスタントの信仰が違う事を全く述べていなかったので、ひょっとしたらクリスチャンをカトリックの色眼鏡で見ているのかもしれない。その意味で、江戸初期の殉教者たちの死骸を聖なるものとして取り合う切支丹を「信仰者としては当たり前かもしれないが、それ以外の日本人には奇異にみえた」というような事を述べている。プロテスタントの私としてはちょっと著者の記述に教義への不理解が見えた。
    しかしながらそのようなことが為政者にとってキリスト教を邪教と思わせる要因となったことは大いに納得できた。

    また殉教しようとする切支丹を沿道から崇拝したり、着物に触れようとしたりした時代から20年ほどで、同じような場面で連れて行かれる切支丹を沿道の人々が罵倒するようになったことは、日本人の変わり身の早さを思わせられた。時代が変わると言う事は霊的(聖書的)な表現をすれば、日本の宣教の扉が一時開けられ、すぐに閉じられたと判断できる。これは逆に言えばまた開かれた時にも人々はガラッと変わるのではないかという、リバイバルへの期待へとつながる。

    迫害が家康の死後から苛烈になったことは、歴史的に見て興味を持った。

    星四つ。

  • キリシタンの見方が変わった。
    今までは悲劇の人たちという印象だったが、そうではなかったのかもしれないということだ。
    彼らにとって弾圧され拷問され、そして殉教することは悲劇ではなく喜びであった。
    すべての殉教がそうであったとは思わないが、少なくとも私が思っているよりはそうであったのだろう。

    信仰とは素晴らしいものである反面恐ろしいものだと思った。
    生きるため、またそれを支えるために信仰はあるのだと思っていた。
    だから、死ぬという行為に過剰な希望を与え、死を喜んで受け入れる人たちを生みだしたこの信仰に、私はとても違和感を覚えた。

  • 「沈黙」の考証あり。

  • [ 内容 ]
    桃山時代から江戸時代初期にかけて、豊臣秀吉や徳川家康といった時の権力者によってキリスト教は弾圧を受け、四千人とも言われる大量の殉教者が出た。
    これは世界に類を見ない特殊な出来事であるが、そもそもなぜ為政者たちは、キリスト教を厳しく弾圧しなければならなかったのか?
    また、宣教師や日本人キリシタンたちは、なぜ死を賭けてまで信仰に固執したのか?
    そこには、信仰心以外の“何か”があったのではないか?
    ―本書では、クリスチャンだった遠藤周作氏の名著『沈黙』に加え、キリシタン迫害の様子を伝える数々の史料を批判的に読んでいくことで、「殉教」から見えてくる日本人特有の気質や死生観を明らかにしていく。

    [ 目次 ]
    第1章 遠藤周作『沈黙』に見る殉教
    第2章 秀吉はなぜバテレンを追放したのか
    第3章 武士のメンタリティと、聖遺物信仰
    第4章 弾圧に歓喜するキリシタンたち
    第5章 大殉教の時代
    第6章 それでも日本を目指す宣教師

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 日本人が元来もっている「精神風土」といったようなものを、かいまみたような気がします。

  •  イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」と呼ばれていた。中世カトリック教会の修道会は数多く存在するが、教会による世界制覇の尖兵(せんぺい)といっていいだろう。宣教師は貿易の窓口となり、世界各国の状況をヴァチカンに報告していた。このような歴史もあって、現在のヴァチカンも高い諜報機能を備えているといわれる。

    http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20100407/p3

  •  遠藤周作の『沈黙』を枕にして殉教を論じる。日本における殉教現象のすさまじさとその背景にある日本的な武士道精神に注目する。また、殉教=神の国への道=名誉なこと、という方程式がキリスト教信者の間に定着していたこと、これも宣教師を含めた激しい殉教を生み出した。
     そうした殉教の嵐とその後の衰退との間の落差には何が隠されているのだろうか。

  • その心意気アッパレぞ!
    聖遺物への執着については、秀忠らがおぞましく思う気持ちもわかる。

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著者プロフィール

1957年、岡山県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。文学博士。東京大学史料編纂所教授などを勤めた。1992年『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。著書は『寛永時代』(吉川弘文館)、『日本史の一級史料』(光文社新書)、『歴史をつかむ技法』(新潮新書)、『流れをつかむ日本の歴史』『武士の人事』(角川新書)など多数。NHK Eテレ「知恵泉」を始め、テレビやラジオにも数多く出演した。2020年逝去。

「2022年 『角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 全16巻+別巻4冊定番セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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