希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334035785

感想・レビュー・書評

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  • ★4.5

    読み始めてからすぐ、胸がどきどきした。
    なんとまぁ、この懐かしい感じ!
    毎日図書館で必死になって卒業論文を書いた二年前が蘇りました。
    簡単に読めるけど、面白い。発見がある。
    この本はそんな一冊です。
    まるで誰かの卒論(実際に著者の卒論らしいですが)。
    他人の卒論を読むあの緊張感とときめきが味わえます。

    著者の考察が正しいか正しくないか、ではなく、
    全くの未知であったピースボートの知識を与えてくれた、
    船内とリアルの世界を縮図だと結びつけた若者論考察、
    卒論のあのときめきを与えてくれた、
    すべてが私には面白かったです。

  • KOTOBAか何かに著者と上野氏の対談が載っていたので興味を持ち購入。

    少し自分のAFS体験を思い出した。
    つっこみどころはある気がするが、後半の冷却に関する分析は面白く読んだ。
    色々もっと読みたい。

  • イラっとした。上から目線リア充、女たらし。

  • 難しい本を読んだなー。
    最後の先生からのあとがきみたいなのを読むことで作者に好感をもてた。
    頭のいい人なんだろうな

  • 承認の共同体

  • 最初は内容が理解できず、読み続けていくうちに次第に理解できるようになってきた。社会学の本を初めて読んだことが原因だと思う。次第に霧が晴れていく様は、映画に似ているような感じがした。まだ1度読んだだけなので、もう一度読み直して自分なりに内容を噛み砕いていきたい。

    ・共同体=安全性と帰属を与える根源
    ・社会的な承認を得ることが難しくなっている認識とサブカルチャー集団やある種の「コミュニテイ」や「居場所」によって埋め合わせようとする発想を複数の論者が共有している=承認の共同体→若者は承認を求めて彷徨っている
    ・ピースボート 早大学生の辻本清美が始めた
    ・現代的不幸と自分探しの幽霊船
    ・自分探し=自分についてのそれまでの外部評価をリセットする
    ・現代的不幸=閉塞感、空虚感
    ・1960年代 政治運動が自己存在の確認
    ・現代 地球一周(制度化された新団体旅行)が自己存在の確認
    ・安全と安心を手放さずに生きている実感を感じられる。 新団体旅行=自分探しの亡霊、ピースボート=幽霊船
    ・ポップ心理学、自己啓発本=ポジティブシンキング、ピースボートと提供する言説、資源に違いなし。想いによって世界を変えられるという思考法
    ・生きづらさを抱える若者に答えを与える
    ・現代的不幸→社会的承認ではなく「共同性」の提供する相互認証によって慰撫できる
    ・ムラ=目的性のない共同性
    ・スポーツや音楽=新しい情緒的共同性
    ・クソゲー=チュートリアルが不十分でゴールが不明瞭、自由度が高そうにみえて、実は初期パラメータに大きく依存する行動範囲。セーブできないし、ライフ1回のみ。この社会がクソゲー要素がいくつも含まれている
    ・「やればできる」「夢は叶う」への違和感 水平線さえみえない夜の闇の中では自分がどこへ進んでいるのは全くわからない。「やればできる」と言われても。
    ・夢見る若者の不良債権化

    巻末の本田由紀氏の反論が非常にわかり易く、理解の助けになった。

  • メモ程度の感想

    本書を読んでいて感じたのは、若者と年配者が話し合いで妥協案を協議することってとても難しいんじゃないかっていう悲観的な考え。
    本書の論理からも実体験からも。

    本書で分類されている「セカイ型」の若者への分析として、「異質なものに対する耐性の弱さ」という指摘がある。
    自分が大好きなもの、価値があると思っているものに対して反対するものに嫌悪感を抱くのだ。
    それってなぜなんだろう。
    きっと、若者世代って、異質なものに対峙すると相手にしないスタンスを取ることが多いからだと思う。何の証拠もない、感覚的な答えだけど。

    学校でもそうだった。あいつは嫌いだからって、合わないからって、無視する。いじめに発展することもあるんだけど、その場合だって異質なものを力でねじ伏せる。
    ここでは、異質なものは弱いものっていうのが前提になっているんだけど、本書での事例っていうのは、学生運動を経験してきた元気な年配者。
    そりゃぁ若者に耐性なんかあるはずもない。年配者の知り合いがいる若者は少ないと思うし、知り合いがいたとしても、激論を交わすことなんてままある話ではないだろう。

    「若者は感覚によって共同性を構築しているためかもしれない。」
    うん、きっと、まさに、そのとおり。

  •  この本を読んで最初に感じたのは『希望格差社会』の山田昌弘さんの主張と近いな、ということだった。2人の主張は「若者を納得させて諦めさせろ」というものだ。
     本書はまず、現在さまざまな課題を解決するためのキーワードとして蔓延している「共同体」や「コミュニティ」という言葉に疑問符を投げかけている。本当に解決できんの?そんなにいいもんなの?という感じに。
     次に「旅」の持つ歴史と現在の社会の持つ閉塞感について述べている。本書では閉塞感のことを「現代的不幸」と呼んでいる。
     まず「旅」については、昔存在した子供から大人になるための通過儀礼としての「旅」から健全な娯楽としての「旅」、そして自分とは誰かを問うためのツールとしての「旅」の変遷を歴史的な事実に基づいて説明してくれている。
     次に現代的不幸について。戦後から高度成長期の終わりまでは学校から会社に自動的に振り分けされるパイプラインシステムがまだ健在(今もあると思うが)していた。若者はそのパイプラインの中を通っていく中で自分の可能性に対して「納得して諦める」ことが可能であった。しかしメリトクラシーな社会が壊れる中で可能性に関して諦める装置が機能せず、個人が自身の状況に対して「こんなはずはない」と諦めることができなくなってしまっている。機能的なキャリアラダーが存在しない中、精神論で「がんばれ」とか「本気出せ」と世間から要請される若者は捌け口を無くし、アイデンティティを喪失してしまう。このアイデンティティクライシスを現代的不幸と著者は呼んでいる。
     中盤はピースボートの歴史やピースボートの特徴について述べられ、ピースボート乗車体験が若者に対してどのように作用するかを考察している。結論としては、ピースボートは「若者を諦めさせる装置」として機能しているという。
     ピースボートの提供する「世界一周」という特別感や、チラシを貼れば世界一周ができるという努力と結果が結びついた分かりやすいストーリー、9条ダンスなどの左翼的な行事など、乗船者は(全てではないが)「9条というすばらしい法律を持った国の私」、「世界を仲間と周る私」、「世界を平和にする私」という風に自分のアイデンティティを確立していく。現代的不幸を持った若者は「アイデンティティの確立」を目的とし、ピースボートに集う仲間との共同を重視する。結果的にピースボートを降りた若者はもともと持っていた目的を忘れ、互いをやさしく承認してくれる仲間との共同にコミットしていく。
     最後に、このように若者が経済的資本を社会的資本で穴埋めすることによって幸せを獲得していくことに関しての著者の意見と、本田由紀による解説・反論が載っている。
     個人的には、もし若者がピースボートによって「自分の身近から離れた夢」を捨てられるなら、それはいいことではないかと思う。自身の体験から離れすぎた夢を持つのは辛いから。しかし共同が目的になったコミュニティはどうかと思う。たとえゆるくてもいいから、同じ「目的」を持っていないと関係性を持続させるためにそれこそ閉塞感がコミュニティに漂うと思う。コミュニティ内で衝突が起きたときに基準になる概念が無いからだ。なのでどんなコミュニティでも各自のスタンスは別々でいいから同じ目的を共有はした方がいいと思う。
     最後に著者が参照した文献で今後絶対読みたいと思ったものをメモする。

    ・Sennett, Richard(1976) "The Fall of Public Man" Cambridge
      ⇒北山克彦『公共性の喪失』
    ・Honneth, Axel(2000)"Kampf um Anerkennung"
      ⇒山本哲『承認をめぐる闘争:社会的コンフリクトの道徳的文法』
    ・Delanty, Gerard(2003)"Commnunity"
      ⇒山之内靖『コミュニティ:グローバル化と社会理論の変容』
    ・鈴木謙介(2008)『サブカル・ニッポンの新自由主義:既得権批判が若者を追い込む』
    ・Young, Jock(2007)"The Vertigo of Late modernity"
      ⇒『後期近代の眩暈:排除から過剰包摂へ』
    ・Bauman, Zygmunt(2001)"Community: Seeking Safety in an Insecure World"Cambridge
      ⇒奥井智之『コミュニティ:安全と自由の戦場』
    ・雨宮処凛「ロストジェネレーションと『戦争論』」
    ・Maffesoli, Michel(1991)"Le temps des tribus..."
      ⇒古田幸男『小集団の時代:大衆社会における個人主義の衰退』

  • 先輩に薦められて読みました。何気なく見ていたポスターの印象が変わった。

  • 著・古市憲寿、1985年東京都生まれ。
    慶應義塾大学環境情報学部卒業。
    現在、東大大学院総合文化研究科博士課程、慶應義塾大学SFC研究所上席所員。
    有限会社ゼント執行役。
    専攻は社会学。
    簡単に言えば、26歳の現役学生社会学者。
    時々テレビでも見かける。
    初版・2010年8月、306ページ。

    内容的には、難しいように見せかけて、実際は大したことは言っていない。
    しかし、指摘は的確で、視点も独特。
    「希望」だの、「努力」だのが喧伝される現代日本にあって、

    「若い人は、諦めちゃえばいいんじぇねーの?」

    っていうことを、さらっと言ってしまう、無気力かつ無責任な本。
    それを言っちゃ終わりでしょ、ってことを、事もなげにさらっと言う。

    社会学とは、社会の本質を解き明かし、そこから解決策を導き出す学問だと思うが、
    筆者は、その学問的本質を理解しているのに、敢えて

    「それでも、ムリでしょう」

    と、苦笑い混じりに言い放ってしまう。
    読んでいて痛快だが、ここでターゲットにされている「若者」層も、
    あるいは社会を変革していくべき政治家層も、
    きっとこんな本を読まないもんだから、
    この筆者がどういうことを言いたいのか、何が必要なのかなんて考慮されることはなく、
    勿論、社会が変わっていくことなんてないだろうという諦めの雰囲気が漂っている。

    本書は、ルポの部分はとても読みやすい。
    ピースボートがどんなものなのか、非常によく分かる。
    自分も一時ボランティアスタッフをやっていたが、想定の範囲内である。
    ただ、この本を読んだ人は、ピースボートに対してネガティブな印象を持つことは請け合いだ。(本人にその意図は全くないと思うが)

    結局、「何かを変えたい」と思ってピースボートに乗り込んだところで、
    ほとんど変わるということはないということ。

    「自分探し」という言葉があるが、
    「自分」なんてものは、どこかにあるものではなくて、
    今までの自分の積み重ねだし、理想の自分を見据えて、
    それに対して一歩一歩努力していくものだと思うわけです。

    本書の主眼は、
    しかしそうは言っても、日本の社会が、そういう人達をフォローできるような仕組みになっておらず、
    結局、自分探しの結果敗れ去ってしまう人に対するサポートがない以上、
    若者は、理想を追い求めるだとか、本当の自分を探すだとか、そういうことにあくせくしないで、
    全ては諦め、仲間内の人たちとのんびりと楽しくまったりと暮らせばいいんじゃねーかというお話。

    思うんだけどさ、田舎行けばいいんじゃね?
    皆で東京に憧れを抱いて、夢を実現しようとしないで、
    人手が足りていない地方都市に移り住んで、
    そこで地元の活性化とか、
    より豊かな生き方ってのを模索するようになればいいんじゃね?

    まあ、現代社会の問題の一つは、
    幸せの形、成功の形を、ある一つの方向にしか提示できていない点であって、
    その他の可能性を提示できるようなムーブメントがあれば、
    社会が変わっていくとは思うんだけどね・・・

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著者プロフィール

1985年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。2011年に若者の生態を的確に描いた『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。18年に小説『平成くん、さようなら』で芥川賞候補となる。19年『百の夜は跳ねて』で再び芥川賞候補に。著書に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

「2023年 『僕たちの月曜日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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