商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784334036850

作品紹介・あらすじ

極めて近代的な存在である商店街は、どういう理由で発明され、そして、繁栄し、衰退したのか?よく言われるように、郊外型ショッピングモールの乱立だけが、商店街衰退の原因なのか?さらに、地域コミュニティの要となる商店街の再生には、どういう政策が必要なのか?膨大な資料をもとに解き明かす、気鋭の社会学者による画期的な論考。

感想・レビュー・書評

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  • 目次
    序章 商店街の可能性
    第1章 「両翼の安定」と商店街
    第2章 商店街の胎動期(一九二〇〜一九四五)―「商店街」という理念の成立
    第3章 商店街の安定期(一九四六〜一九七三)―「両翼の安定」の成立
    第4章 商店街の崩壊期(一九七四〜)―「両翼の安定」の奈落
    第5章 「両翼の安定」を超えて―商店街の何を引き継げばよいか
     
    第1章 「両翼の安定」と商店街
     かつての日本の繁栄は「企業」と小売零細業を中心とする「自営業」の両翼にささえられていた。
     しかし、既得権益を守るための圧力団体と化した自営業、つまり商店街陣営は数々の規制を政府に求めた。
     が、その蜜月は長く続かなかった。

    第2章 商店街の胎動期(一九二〇〜一九四五)―「商店街」という理念の成立
     商店街の萌芽は、まずは第一次世界大戦後にみられる。離農した農民が、都市に大量に流入した。工場の労働者として雇われるものもいたが、近代官僚制が進み学歴重視の社会となったため、就職できなかったものも多くそこで食い扶持を稼ぐために、零細小売業となった。
     だが彼らが増えることにより、物価の乱高下を招くとして消費者と対立することもあった。そのひとつが「米騒動」である。
     消費者は小売業に対抗するため、協同組合を作り、また政府も公設市場の設置を目指した。
     「協同組合」は最初は小売業のためであったが、零細業の組織化に転用され、「商店街」の理念の形成に一役買うことになる。
     第一次世界大戦後、百貨店が登場した。それは買い物と娯楽を組み合わせた施設で、小売り零細業と対立した。
     しかしこれら「市場の公共性」「協同組合の協同主義」「百貨店の娯楽性」の要素を合わせ、規模の拡大と専門性の獲得を目指し、「商店街」が誕生した。
     誕生した背景に、物質不足を乗り切るための官の統制があった。
     そこで、個人事業主を適切な地域ごとに割り振るため、免許性、距離性を実施しひとつの地域に、酒、米一軒ずつという統制を敷いた。政府には商店街を生活インフラとして整備する思惑があった。 
     だが、それは徐々に忘れ去られ、商店街は既得権益を主張する団体へと変貌していく。
     彼らは、20世紀前半に大規模な企業が現れるまで、相対的に経済的地位は高かった。
     
    第3章 商店街の安定期(一九四六〜一九七三)―「両翼の安定」の成立
     第二次世界大戦後も闇市などが乱立し、経済はしばらく混乱していた。
     しかし政府は、製造業中心の社会へと経済を立て直していく。
     主婦の倹約貯蓄を奨励することで、その貯蓄を工業のインフラ投資へと回し、ハード面を整えた。
     または第3次産業に規制をかけ、第2次産業に安価な労働力が回るように、ソフト面も整えたが、それは商店街の保護政策へとつながっていった。
     だが、スーパーマーケットが誕生し、商店街は、流通やコスト最適化し得ていない保守的で不合理な存在だとする論が登場する。
     その代表者はダイエー創始者の中内功氏であり、彼は製造業ではなく消費者が価値を決定する「バリュー主義」を唱え、商店街を旧来の悪癖の象徴として攻撃した。
     すぐには商店街の既得権が切り崩されたわけではない。
     第3次産業が受け皿となり、日本の完全雇用を実現しているとされていたからである。
     が、社会構造は大きな変化を迎えていた。一つは、経済の復興・成長に伴い、「サラリーマンとその家族」が日本を支える典型的な有り様とされたことである。そして、男性サラリーマンと専業主婦の家庭を前提とした社会保障政策が次々と実施されていく。
     その中で、商店街は旧来の悪習の象徴とされていった。

    第4章 商店街の崩壊期(一九七四〜)―「両翼の安定」の奈落
     1970年代、オイルショックが起こり、世界経済は大混乱となった。
     その中で日本だけが欧米より一足早く立ち直った。
     それは「日本的経営」の賞賛とつながっていった。
     それは具体的には、終身雇用と年功序列をおもとする、企業中心の日本のイメージであった。
     企業が男性サラリーマンを中心とした雇用者の家族ごと丸抱えし、国家を頼らない福祉モデルとされた。
     S60年には3号被保険者が制定されている。
     だが、それら、サラリーマン以外の自営業や地域が排除されたモデルであった。
     そのモデルは、一定以上の成果を収め、日本は強大な貿易黒字国となる。
     しかし、バブル期の終わり、日本の過剰な貿易黒字を憂慮したアメリカは日本国内の内需を促すため、「規制緩和」と「公共事業の拡大」を求めた。  
     アメリカの圧力に屈した政府により、商店街を守っていた、流通の規制が緩和された。
     さらに「公共事業の拡大」により、高速道が急速に整備され、人々は土地代の高い都心部から、郊外へとうつっていく。
     こうして、消費空間が変化をしていき、人のいない都心部に商店街は取り残さていった。

     追い打ちをかけたのはコンビニである。
     コンビニは1970年代の終わりから急速に増えていた。
     当時のコンビニの本部は、イトーヨーカ堂やダイエーなどのスーパーマーケットである。大型店舗の出店が「大店法」という規制(大型の店舗を出店する場合には、地域の商店街の許可が必要)により、制限されたため、彼らは戦略を変え、
    1大店法に引っ掛からない
    2フランチャイズ
    3郊外型店舗
    を目指した。彼らは商店街と真っ向から対立するのではなく、スーパーマーケットの理論に塗り替えることにした。
     このコンビニのチェーン展開は、商店街の後継者問題を解決するとして、跡継ぎ不足に悩んでいた商店主たちに歓迎された。
     商店主たちはタバコや酒は、免許制なので、子供以外に継がせたくないと考えていたが、子供は将来性のなさから店を継がない。
     そして、商店街は長時間労働が問題である。
     が、コンビニ化により、パートや人材の確保が容易になった。
     こうしてコンビニは万屋として、たばこ屋、酒屋、八百屋、米穀店などの存在意義を奪い、崩壊を促していった。


    第5章 「両翼の安定」を超えて―商店街の何を引き継げばよいか
     商店街が滅んだ理由は、圧力団体となっていったこと、免許制が制度の硬直化と権益の私物化を促したことにある。 
     そして、政府の政策も変化した。
     1980年代以降、個人の給付と地域の給付、規制緩和は積極的に行われたが、適切な規制は両者に行われなかった。
     商店街だけでなく、数々の「規制緩和」は、競争力の弱い地方を苦境に陥れる。
     結果、地方を潤すためには、有力な企業を誘致するか、公共事業を誘致するしかなくなっていく。
     国も地方の苦境は知ってはいるから、「景気対策」という名目で助成金をバラまき、公共事業をあてがい、それをアテにした地方はそれなしにはやっていけなくなるという、まさにマッチポンプな状態となっていった。
     規制緩和が景気をよくするとは限らない。
     適切な規制が今後は求められる。
    ==========================
    最近、政治・経済に興味の出てきたワタシです。こんばんは。
     読み解くのが難しいし、ノイズが多いので敬遠してたんですが、年のせいでしょうか(多分、そう)。

     滋賀県知事選挙、終わりましたね。
     前カダ政権を引き継いだ三日月氏が当選しました。
     一応無所属、って触れ込みだったけど、民主党が応援してた候補です。かつては滋賀県は「自民党王国」だったらしいんですけどね。
     
     早速、テレビで「カダ前知事が以前白紙撤回をした、新幹線の駅の再誘致も前向きに検討」と言われてたけど・・・。
     すでにJR東海は以前撤回された栗東駅の件があるから冷ややかなんだとか。
     けど、県内では栗東以外に候補として手を挙げている場所がいくつかあるらしく、そのひとつは東近江市の「五個荘町」。

     ・・・五個荘町・・・

     いや、綺麗なところですよ。田園風景の広がるね。

     で、そんな田んぼの真ん中に新幹線の駅、作ってどうするんだ・・・。快速の駅も止まったっけ?(五個荘町の方、スミマセン)

     よく田舎の「どうしてそんなとこに?」っていう場所に大仰な施設が出現することがありますが、別に、ココだけの話じゃなくて、地域振興といえば公共事業っていう発想になっちゃうんだろうなぁ・・・ 
     
     最近、読んだ本の影響ですね。
     

  • 地方の衰退がとまらない。
    でよく象徴的に描かれるのが商店街のシャッター化に代表される衰退だ。
    商店街はなぜ衰退するのか?そしてそもそもいつどうやってうまれたのか?について体型的に整理した本。
    地方創生に興味ある人には一読の価値あり。

    そもそも戦後日本の経済成長をもたらしたものはなにか?
    戦前は国民の8割が農民や兵士であり、それが戦後一気に都市に流れ込み、また膨大な移民の人が帰国して都市へ。
    で、その若い人々を第二次産業が吸収し、豊かな中産階級がうまれて高度経済成長がうまれたというのが一般的なストーリ。
    が、筆者はそれだけではないという視点を提示。
    もうひとつ、自営業者が激増したという点を指摘している。
    都市に流入した人は零細商店、飲食店を経営していた。
    雇用の安定と自営業の安定(雇用されてない人)。この両翼こそが戦後の総中流社会を形成。

    を以下のように記述している。


    自営業者(農業を含む)の数は、一九六〇年代から八〇年代初頭まで九〇〇万人台後半で安定しているが、この時期、農業に携わる層が急速に減少していた。農業層が減少していたということは、都市自営業者が増加していたということである。一九六〇年代というと、一般的にはサラリーマンの増加と思われることが多いが、増えているのは雇用者だけではなかったのだ(*5)。
    旧中間層」は、大きく農業層と都市自営業層とに分けることができるが、近代化は、農業層から雇用者層への移行だけでなく、都市自営業層への移行をも進め
    二〇世紀前半に生じた最大の社会変動は、農民層の減少と都市人口の急増だった。都市流入者の多くは、雇用層ではなく、「生業」と称される零細自営業に移り変わった。そのなかで多かったのが、資本をそれほど必要としない小売業であった。


    そしていま、再び雇用の安定が叫ばれているがあわせて「自営業の安定」の是非について論じることがなかった。おそらく「自営業の安定」は、あえて議論するまでもないということなのだろうが、本当にそれは検討すべきことではないのか。という問題を提起。
    ショッピングモールの増殖は、「自営業の安定」を崩壊させ、雇用ですら「雇用の流動化」を生み出した。

    ではかといっていまの商店街を規制で温存すればいいのか?

    そもそも商店街とは二〇世紀になって創られた人工物である。
    一九三〇年代初頭で、東京市内でお菓子屋が一六世帯に一軒、米屋が二三世帯に一軒と、小売業はとてつもなく過密な状況であった。
    その頃に誕生した百貨店の脅威に零細小売店が百貨店に対抗するためには、質のよい商品を消費者に提供し、かつ、その場所に行けば何でも揃う空間をつくる必要があった。

    しかしながらそこで膨大に誕生した零細商店はそれ以前の商店とは違う性格を帯びて行く。
    それを以下のように指摘。

    社会学では、親族集団の家族と区別するため、経営体としての擬似血縁組織を「イエ」と呼ぶ。親方‐子方から成る「イエ」、家元制度の「イエ」である。近世における商家は、典型的な「イエ」であった。すなわち、それは家長とその親族、そして住み込みの奉公人たちで成り立っていた。もし経営体の存続が危機になれば、「非親族的家成員」(中野卓)である奉公人が経営を引き継ぐことも決して珍しいことではなかった(*7)。  だが、近代の小売商は、「イエ」の規範ではなく、「近代家族」によって担われていた。つまり、二〇世紀以降の小売商は、近代家族の規範のもとで事業をおこなったために、近世の商家に比べてはるかに柔軟性のない組織となった。
    れる。零細小売商は、イエ原理ではなく近代家族のもとで経営をおこなっているため、規模が相当に大きくならないかぎり、家族成員以外の者を経営に参加させなかった。

    つまりかつては、商店ありきで家族はひもづいてなかったものが、商店=家族になっていく。
    それによって軒並み商店は後継者問題をかかえることになり衰退に拍車がかかっていった。

    だからいま規制を強化したとしても、後継者になり手が誰もいないという問題は解決できないと指摘。


    こうしてみると、シャッター商店街の問題の根源は都市への人口の大量移動という人口問題であったことがわかる。
    現在、人口を増やそうという掛け声がおおいが、1955年にはこういうことがいわれていた。

    「日本政府は、一九五五(昭和三〇)年一二月に、初の政府公認の長期計画である「経済自立五ヵ年計画」(経済企画庁立案)を閣議決定した。この長期計画は、完全雇用を目標に定めるものだったが、その実現のためには、労働力人口の抑制が必要であるというものだった。
    日本政府は、一九五五(昭和三〇)年一二月に、初の政府公認の長期計画である「経済自立五ヵ年計画」(経済企画庁立案)を閣議決定した。この長期計画は、完全雇用を目標に定めるものだったが、その実現のためには、労働力人口の抑制が必要であるというものだった。具体的には、海外移民の促進、家族計画による出産数の抑制、社会保障による女性・高齢者の非労働力化」

    人口増やすではなく人口抑制、海外から移民受け入れではなく日本人の海外移民化、出産数を増やすより出産数の制限、女性/高齢者の活用ではなく非労働力化。
    現在と真逆の政策が提唱されていたことに驚く。

    人口の増減を政策的にコントロールすることの難しさをまざまざと考えさせられる。

  • 流通史を商店街を通じて読み解いていく本だった。わかりやすかった。規制の法律や政策により小売商がどのような対応をとっていったかがわかる。
    商店街は必要である。若者が参入しやすい形がほしい。

    商店街の消滅は起こるべくして起こった 29
    次の人が立てられない問題 43
    生活できさえすればいい店とそうじゃない店の差 71
    商店街は新しい 93
    流通の説明は車と道路でするとわかりやすい 118
    松下さんは値引き反対。中内さんは値引き推進。今思うと松下さんが正しいのかな 124
    バリュー主義からみる中内さんの極端さ 128
    生活のための商売のこわさ 181
    商店街は自滅した 191
    商店街は滅ぶべくして滅んだ 196
    一社が勝たないことが商店街の理念 210

  • 商店街に関する書籍を探していたところ、この新書を見つけることができた。
    ここでは、商店街の歴史を振り返ることで、現在の商店街の問題点などを明らかにしている。タイトルが、なぜ滅びるのか、ということであるため、商店街の再生などの言及は少なかったと思うが、それは本書ではなく、違う書籍に当たるべきである。
    今まで抱いていた商店街のイメージとは違う部分も多く、商店街の再生という一言では収まりきらない、いろいろな課題が横たわっている。
    では、どうするか、いい答えが見つからないのも感想である。

    新しい「商店街」理念とは
    ・規制の見直し:業界や一部経営者を利するもの→人々の生活を支え、地域者のつながりを保証する
    ・地域の協同組合や社会的企業に営業権を与える仕組み
    →若者に事業をおこなう機会をつくりだす
    ・地域社会の消費空間は、けっして経済的合理性だけで判断されるべきではない→バーチャルな空間だけでは地域社会の生活をささえることはできない
    ・商店街の存在理由は、「生存競争の平和的解決」にある

    <この本から得られた気づきとアクション>
    ・商店街の歴史は抑えることができた。しかし、ではどうするかが見えてこない。自分の日常生活を振り返り、商店街の理念は相いれるものなのか、考えなくてはならない

    <目次>
    序章 商店街の可能性
    第1章 「両翼の安定」と商店街
    第2章 商店街の胎動期(1920~1945)――「商店街」という理念の成立
    第3章 商店街の安定期(1946~1973)――「両翼の安定」の成立
    第4章 商店街の崩壊期(1974~) ――「両翼の安定」の奈落 第5章 「両翼の安定」を超えて ――商店街の何を引き継げばよいか
    あとがき

  • 商店街のあり方について興味深い考察。
    石巻の商店街が震災から4ヶ月程度でボランティアの尽力にやつて瓦礫が取り除かれたのに対し、多賀城市のイオンは泥だらけ。
    コンビニの存在。

    新たな規制と緩和

    大規模消費システムやバーチャル空間では地域社会は支えられない。

  • 商店街が滅びていく(?)のは、やはり後継者の不在が原因のひとつ。しかし、家族経営の中で、他人を後継者にするのは難しいところでしょう。

    近所に元気な商店街がほしいところです。

  • 商店街に視点を置いて日本の産業構造の変化を観察している。

    現存する商店街の多くは20世紀になってから作られたもので、農民の減少と都市人口の増加の中で都市流入者が始めた零細小売業が元になっている。大規模な商業街ではなく居住地域から徒歩圏で行けるところに規制産業である酒屋や同業者組合のカルテル、企業特約店制度によってエリア制限を組み合わせ、それぞれの店が専門家することでデパートに対抗する。家族経営の自営業の安定は労働人口を吸収し、都市に第三次産業の受け皿を作った。

    高度経済成長とともに発展した商店街はやがてその終わりを迎えつつ有る。最初のチャレンジャーはダイエーの中内功、家族経営の小売業は生産性が上がらない割に賃金は上昇しその上昇分を価格として消費者へ転嫁したのだが、そのときにスーパーは消費者の見方として現れた。当初支持基盤だった零細小売業の安定を優先した自民党は零細小売業保護の中心だったがやがて支持基盤としての優先順位を下げて行く。そしてま日米構造協議の中での第三次産業の規制緩和特に海外企業に対する参入障壁の引き下げを行い、景気対策をかねた公共投資は郊外のアクセス道路を整備し大規模な土地を造成することで郊外型大型店を生み出した。大店法の規制がゆるみ、大型ショッピングセンターが商店街に対抗する様になって行く。

    もう一つの商店街消滅の契機は核家族化による跡継ぎの問題で、例えば酒屋は跡継ぎに専売圏を引き継げると言う特権が有ったがこれが後継者不息で意味を無くさなくなった。このとき専門店の消滅の穴埋めをしたのがコンビニで、発祥のアメリカではフランチャイズが店舗を用意しガススタンドに併設されたコンビニは退役軍人などの就職先として用意されたのに対し、日本では酒屋、米屋などからコンビニへ家業の変更と言う形で跡継ぎ問題を吸収して行った。社会の変化が商店街を生み、そして無くしつつ有る。

    震災後の石巻市では商店街が復興の核としてボランティアを集めた一方、郊外型のショッピングセンターにはボランティアが集まらず企業従業員頼みになっていた。商店街が買い物だけではなく生活の場として地域のコミュニティの核になり得ると言うことだ。筆者は商店街の有用性を生かすにはエリア規制を組み合わせながらも営業免許の相続については見直し、地域で管理し流動性を高めて新しい事業を始めやすい仕組みづくりを提案している。

    「お年寄りの原宿」巣鴨地蔵通り商店街なんか見てるとまだまだやりよう次第だと思うけどねえ。高齢化が進む日本でどういう街が好まれるようになるかでしょうか。

  • 疲弊する商店街を活性化しようという時、それが伝統的な存在であるということが議論の前提になっていると思われますが、現在の商店街が決して伝統的な存在ではないということが、本書を読んで分かりました。
    たしかに商店街の起源は江戸時代に見ることが出来ますが、現在の商店街の多くは戦後に形成されたもの。東京でさえ設立時期が昭和20年以前の商店街はわずか6%に過ぎないとのことです(平成19年の東京都商店街実態調査)。
    商店街の疲弊の原因を、郊外型ショッピングセンターの乱立に求める議論が目立ちますが、これも一面の理解に過ぎないことが分かります。むしろ、商店街側が政治に過大な保護を求め、自ら現在の惨状を招来してしまった面もあるようです。
    江戸時代には丁稚奉公の奉公人が商売を引き継ぐことも珍しくありませんでしたが、近代家族化の波が自営業にも押し寄せたことで、商店主は自らの子どもに継がせる意外の選択肢はほぼ持ち得ませんでした。そのような硬直化した事業承継の在り方が、現在の後継者難の主因と著者は見ています。
    さらには子供に承継させるため、将来性のあるコンビニに業態転換する商店主も少なくありませんが、これが商店街の衰退に拍車をかけているのは、皮肉としか言いようがありません。
    このように本書を紹介すると、著者はまるで商店街を敵視しているように感じるかもしれませんが、そうではありません。
    特に冒頭の場面は印象的です。著者は東日本大震災発生後、宮城県石巻市に調査に訪れますが、商店街では大勢のボランティアが復興活動に尽力してました。一方で、ショッピングモール地区にはボランティアの姿がほとんど見当たらない。
    「商店街という場だからこそ、本来出会うことのない雑多な人たちが交差する。だからこそ、災害時に商店街の『魅力』が現れたのではないだろうか」
    そんな著者の主張には、商店街の再生への期待がにじんでいます。
    実際、終章で著者は商店街の再生について提言しています(表題は「再生」ではなく、「商店街の何を引き継げばよいか」とかなり控えめですが)。
    中でも注目したいのは、次のような提言です。
    「地域単位で協同組合が商店街の土地を所有し、意欲ある若者に土地を貸し出すとともに、金融面でもバックアップするという仕組みがつくられるべきだろう」
    課題はたとえば新卒で官公庁や企業への就職にしか目が向いていない若者に、説得力を持って商店街への就職を「新たな選択肢」として提示できるかどうか。個人的には今からでも決して遅くはないと思っています。

  • 2012/11/16読了。
    商店街というものがどのようにして生まれ、そして滅びていったのか、昭和の初期から現在までの政治・経済・社会の動きを追って、零細小売業の歴史を説き明かしていく。なぜ日本はこのような有り様の国になってしまったのか、ということもよく分かる切り口だ。
    余談だが私の自宅の近所にはとても良い商店街が残っていて、そこではチェーンスーパーやジャスコなどは及びもつかないプロフェッショナルな個人経営の専門店が繁盛している。
    普通のスーパーでは売ってないような、寿司屋か料理屋で食べるような色々な魚を、寿司屋や料理屋よりも遥かに安い値段で提供し、またこちらがこの前食べた魚を覚えていて「今度はこれがオススメ」と調理法と一緒にレコメンドしてくる魚屋。
    取次のルート配本そのままではなく目の利いたまともな品揃えの本棚を持ち、店にない本を注文しても神田まで仕入れに行って問屋にあれば翌日には売ってくれるAmazon並みの本屋。(この本屋は新刊や雑誌を買おうとすると「その本はさっき奥様が買っていかれましたよ」と教えてくれるので助かる。)
    大震災の後にコンビニでは軒並み売り切れていた乾電池を、たぶん裏の倉庫の在庫を少しずつ出してくれたのだろう、買い占めを防いでみんなに売ってくれた電気屋。
    築地や神田に近い、ジャスコが出店できるような広い空き地が近所にないという東京独特の地の利もあるが、こういう本業をまっとうに極めている店はスーパーや同業種のチェーン店と並んでいても滅びていない。
    本書では、商店街(零細小売業界)が滅びゆく理由のひとつとして、自民党に圧力をかけて自分たちに有利な規制や支援策をごり押しするという生き延び方に頼り切ってきたことが挙げられているが、そうした延命策に漬からずにきちんと商売のレベルを上げてきた店が繁盛している「例外」を見ると、その主張もなるほどと納得されるのである。

  • 商店街が滅びるまでの過程は論理的かつ分析的に述べられており十分に納得できる。

    ただ、そこからの復興策については非常に曖昧でわかりづらく、実現も難しい気がする。

    何よりも、時代に淘汰されつつある商店街を無理に存続させる必要性がどこにあるのか。

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著者プロフィール

1973年福岡県生まれ。社会学者

「2017年 『これからの地域再生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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