日本語の宿命 なぜ日本人は社会科学を理解できないのか (光文社新書)

著者 : 薬師院仁志
  • 光文社 (2012年12月14日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334037208

作品紹介

欧米諸国よりも遅れて近代化の道を歩み始めた日本は、舶来の文化や文明を急速に輸入することを迫られた。だからこそ、日本語には、多くの外来語や翻訳語が存在するのである。それは、今日の日本語にとって、宿命とも言うべき事態であろう。ただし、単に外来語や翻訳語を採り入れることは、それらを正しく理解することと同じではない。われわれは、「民主主義」や「市民」の意味を正しく理解してきたのであろうか。「個人主義」や「共和国」といった事柄を、本当に知っているのであろうか。本書が取り上げるのは、そういった問題である。

日本語の宿命 なぜ日本人は社会科学を理解できないのか (光文社新書)の感想・レビュー・書評

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  • 日本語の宿命 なぜ日本人は社会科学を理解できないのか 薬師院仁志

    わかっていそうでわかってないことが説明されてて面白かった。副題の「なぜ日本人は社会科学を理解できないのか」は商業的な理由でつけられたような印象を受ける。「なぜ日本人には社会科学が理解しにくいのか」ぐらいでいい気がする。筆者は本書からわかるように言葉に非常に敏感な方なのだから、残念。でも面白かった。とても基本的で大事なことだけど、自分の小中高でこういうことを説明してくれる先生はいなかった。

    【日本語の宿命とは?】
    ・各単語の関係を語彙体系全体の中で把握することが難しい点。
     (=どのような言語においても、その名の各単語は他の単語から完全に独立し 
     ているわけではない。よって全体の語彙体系を抜きにしたまま、ここの単語の
     意味だけを深く知ることはできない。)
     ←明治維新期以来、日本は西洋文化を輸入する側か、あるいは発信者側に立と 
     うとも西洋語(特に英語)に依存している。
    (・内実の理解が困難な翻訳語には、時として思わぬ用途が生まれてしまう点。)
     ←多くの西洋語を中身が呑み込めないまま輸入し、和訳せざるをえなかった。


    【第1章 社会 その1】
    ・日本語は言語的に一種のガラパゴス状態にある
    【第2章 社会 その2】
    ・「社会」は、個人を構成単位とする集団、赤の他人同士が連帯する場
    ・個として自立しながら他人と人間関係を結ぶ「個人」が形成せざるをえな
    ・洋の東西を問わず、圧倒的大多数の人類は、今日的な意味での「ソサイエティ」の一員であるよりも、「コミュニティ」に帰属する存在であった。
    ・「コミュニティ」とは共属感情を持つ人々の集団
    ・コミュニティとソサイエティは明確に区別される。
    ・コミュニティの場合、その一員に「なれる者」と「なれない者」が存在するということ
    ・コミュニティという語は、「municipal市町村の」と非常に近い単語
    ・ラテン語の「socius」は元来は戦友を意味していた
    ・社会という語は、学者の世界や社交界をも指すようになり、ようたく19世紀に入ってから、ほぼ今日と同様の意味を獲得した
    。人々は市民革命によって身分的な束縛を解かれ、産業革命によって土地と直結したノン村型の生活から離脱し始め、近代化と民主化が進む中で、国民国家に個人として所属する人間となってゆくのである。
    ・社会学という学問分やもこの過程で誕生
    ・看護の「社会」は、「ソサイエティ」よりいも「コミュニティ」に近い
    ・「society」の訳語に漢語の「社会」が当てられたことで、「ソサイエティ」と「コミュニティ」の区別が曖昧になった
    ・日本語の「社会」は、西洋語の翻訳であり、中国系ゆうの漢語であり、かつ一般的な日常語である
    【第3章 大衆】
    ・「大衆」と「質量」はもとは同じ
    ・同一あるいは同系列の西洋語が、類義語とは見なしがたい複数の日本語に訳されることは珍しくない
    【第4章 個人 その1】
    ・社会学の書物に登場する「個人」という語と、我々が普通に使っている日本語の「個人」とは、なんだか少し意味が違うように感じられた
    ・明治時代、日本人の大半は西洋語に触れる機会を欠いたまま、原語の意味を把握することもなく、「個人」なる新しい翻訳語だけを知ることになった
    ・individualと日本語の個人は深い次元での不整合が存在する
    ・個人なる日本語は、数的な意味での「一人」ではなく、むしろ態度的な意味での「一匹狼」に近い含意を持つように感じられてしまう
    ・西洋語の「個人」は、群を離れた一匹狼というより、むしろ集団や団体や社会の構成単位という意味の方が強い
    ・原語に照らした場合の個人は、全体から離脱した存在というより、むしろ全体を構成する単位だと理解すべきなのだ。これ以上に分割不能な単位、原子あるいは元素といった発想
    ・個人主義とは、それぞれの個性を尊重するという意味を含んでいるのではないか?
    【第5章 個人 その2】
    ・王侯貴族も平民も奴隷も同じく「個人」だという認識は、ヨーロッパ諸国においてさえ、長い年月を通じて非常に希薄であった
    ・人類という種族の成員、ひいては社会の構成単位という意味で、ここの人間存在を意味するようになってくるのは、17世紀以降
    ・18世紀に入ると、平民富裕層(ブルジョアジー)の台頭と連動するかのように、個人という存在が、独自の個性や人格、すなわちパーソナリティの担い手だと見なされるようになるのである
    ・個人主義と利己主義、日本ではこの区別が曖昧
    ・個人主義は、ある社会集団内の一人ひとりを尊重する考え方であって、集団と個人との対立関係に基づいているのではない。むしろ、その根底にあるのは、一匹狼型の志向ではなく、赤の他人との連帯という発想である
    ・エゴイズム(利己主義)は個人主義ではなく、「私」主義
    ・個人主義の原則は、たとえわが子であれ、自分と同じ個人として尊重する
    ・高福祉高負担を旨とするヨーロッパ型の社会保障制度を支えるのも、この個人主義に他ならない。つまり、自分という特定の個人の私有財産を最重視するのが利己主義であるのに対し、個人なるすべての存在の利益を重視するのが個人主義
    【第6章 市民】
    ・1789年、フランス革命の際に出された「人および市民の権利宣言」
    。「市民」は国民主権の担い手である自由で平等な人間であり、その権利と義務を併せ持つ存在
    ・ブルジョアというフランス語は11世紀ごろの商業ルネサンスと相前後しながら生まれる
    【第7章 NPOとNGO】
    ・日本語に訳しにくい外国語単語を理解するためには、言葉だけではなく、その背後にある思想や歴史をも知っていなければならない
    ・NPOはアメリカ期限のコミュニティ型団体で、NGOはヨーロッパ期限のソサイエティ型組織
    ・コミュニティとソサイエティとの違いを抜きにしてNPO、NGOの違いを語ることはできない
    ・NGOの代表例:1863年創立赤十字国際委員会
    ・国際機構とうものは通常は国際条約でつくられた政府間機構を指すのに対し、民間人や民間団体のつくる機構を非政府組織と呼ぶ
    ・NPOは「削除されがちな公共サービスを補完する機能」を担うものではない
    ・NGOはしばしば国境を超えて赤の他人と連帯することを主眼に居ている
    ・そもそもNPOの原則である、「自助の精神」は、公的な社会福祉の縮小と表裏一体だということを忘れてはならない。とりわけ、民間ボランティアに依存するかたちで「公益の増進に資する」活動を拡大することは、公共サービスの削減を進めることと紙一重なのである。その背後にあるのは、自由競争と自己責任の世の中に他ならない。

    【第8章 民主主義と共和制】
    ・当時のギリシアでは、政治形態を三種に分類して考えるのが一般的であった。すなわち、君主制、貴族制、民主制の三種である
    ・この分類の第一の基準:統治者の数、統治者の選出方法に基づくものではない
    ・君主制:一人の統治者、貴族制:一部の統治者、民主制:全員による統治
    ・独裁は必ずしも悪政や弾圧とは限らない。君主制に他ならない
    ・ある国に君主が存在するからといってその国を君主制に分類することはできない
    ・君主が置かれていない国は概して共和国が多い
    ・民主制と共和制が混同されている
    ・共和国はみんなのもの。
    ・君主制か貴族制か民主制かといった分類と、共和制か否かの区別は、別次元の問題
    ・政体の形式が何であれ、みんなのものである国家において公共の利益を指針とする統治が行われること、これこそが共和制の本質規定
    ・共和制と代表民主制がほぼ同じ内容になってる
    ・共和制は合議制のことではない
    ・多数派であれ少数派であれ、誰もが「全員」の中の一人という点では同じだという大前提を無視してしまえば、民主的な手続きと称されるものは、国内対立と多数派工作しか生まない。国民投票や住民投票といった多数決になるとその危険はさらに大きくなる
    ・代表民主制時(間接民主制)は、ミルやヶルゼンの理論に立脚している
    ・選挙や多数決が民主主義的だとする誤解
    ・スイスを除くヨーロッパでは、個別の政策決定に際して住民投票や国民投票に訴えることは、非民主的な行為だと見なされることが多い。そのような方式は、議論による合意形成を放棄した勝負でしかないと同時に、歴史的に見ても、独裁者(ナポレオン一世、ナポレオン二世、ヒトラー)が多用した手法だったからである
    ・民主主義は、「民」が「主」となるために、「官」による上からの統治に反対する思想だと誤解されがち
    ・民主制国家の大原則:普通選挙で選ばれた代表者による議会が決定を下し、その決定を全体の奉仕者たる公務員が空こうすること
    ・定義上は国の政務を執行する期間である「官」や「公」こそが。民主主義の第一の担い手になるはず。逆になるべく多くの事柄を「民」の自由に任せるという 
    のは、極端な話、民主政治の放棄でさえある。全員の一票が届かない場所での決定や、私的行為の遂行などは、すべての民主制の枠外にある行為。
    ・民主的な政治の役割は、全員のために、私的自由や市場原理だけでは実現できない公共利益を保護することに他ならない
    ・全体の声を国政に反映させるためには、十分な議員定数が不可欠
    ・イギリスとフランス:人口は共に六千数百万、下院議員数、650、577
    ・ドイツ:人口八百万、622人
    ・日本:人口1億2800万、480
    ・不可欠なのは議員数だけでない、全体の利益に奉仕する公務員もまた、民主国家には不可欠
    ・租税負担を軽くすることが善政ではない
    ・民主化の過程は、議会をつくり、そこに国民の代表者を少しでも多く送り、誰もが代議士になれるように議員報酬を保証し、全体の奉仕者たる公務員によって私的な支配を排除することだったはず、、、
    ・日本の人口はフランスの役2倍以上。だが市町村数は二十分の1。市町村合併が企業合併の論理で解釈され、大規模化と競争力強化が「お上」たる国への対抗手段だと誤解された結果このような事態を招いた(?)
    【第9章 権利と暴力】
    ・権利は、個別に獲得すべき力ではなく、「憲法」によって「すべての人たるもの」に保証されるものだ(ルソーの『社会契約論』)
    ・権利と権力の混同
    ・権利は個人や団体が声高に主張して勝ち取る力ではない
    【第10章  「法治主義」と「法の支配」】
    ・日本語とかした翻訳語も、その原語である西洋語も、時代が下るにつれ、それぞれ別々の歩みを経験することになる、これもまた日本語の宿命
    ・「法の支配」はイギリスで採用された方原則
    ・「法治主義」はイギリスで発達した「考え」
    ・日本語と化した「法治主義」の中で、洋風と中華風とを明確に区別することはできない
    ・「法治主義」は「法治国家」を支える主義
    ・イギリスは法の支配ではなく、人の支配
    ・国民主権という考え方は、法より国民の方が上だという点で、「人の支配」の一種に属することになる。事実イギリスは国民主権をうたわない。
    ・イギリスの場合、伝統的な「法」は、国王との約束(契約)を通じて勝ち取ってきた自由権や所有権を積み重ねたものにすぎない
    ・上からの支配を縮小することを是とする、小さな政府
    ・第二次世界大戦後のイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」という標語の下、福祉国家へと向かい始めた
    【第11章  首都と資本】
    ・riverとrivalは仲間
    ・telephone, telepathy, telescopeも
    ・capitaは首、captainも
    ・「資本主義」という語から、富や財が中止いや中枢へ集結してゆくという印象を実感することは、それほど容易ではあるまい
    【第12章  主観的と主体的】
    ・「主体的」という語が肯定的な語感を持ち、「主観的」ちう表現に否定的な響きが伴うのは、それらの語が指し示す対象の違いに起因するのではなく、むしろ同一の指示対象における価値判断の違いを反映している
    ・「主体的な考え」と「主観的な考え」は同じ事実
    【第13章  愛国心と国粋主義】
    ・「国民精神総動員実施要項」の中には、「愛国」という文言は一度も登場しない。要するに、「愛国」よりも「尽忠報国」よいう本音の下で、「平和」や「正義」を掲げる「“愛国”行進曲」がつくられた
    ・「愛国心」と「国粋主義」は本来は対立関係にあるもの

  • 西洋のシステムを移植するということと翻訳とは同時であり、その瞬間に誤解は始まっている。そして、私たちは本著者のように何度も何度も鏡を見てはselfreflectionを健気にも続けるのだ。漱石先生が胃痛とともに持ち帰ったコンプレックスは反芻され、「日本」の「近代」との居心地の悪い同床異夢はやがて「宿命」として自覚されるということになる。このコンプレックスは丸山昌男などに典型的に見られるが、図式は今も変わっていないということだろう。反対に西欧人の方が、日本のシステムに新しい成熟の形を見るということが時折あるというのに。ともかく、西洋に「個人」「民主主義」「共和国」への「正しい」理解と「正しい」構築があるのだというのは、もう、ちょっと、いただけない文脈である。まあ、こうやって、いつもいつも、せこせこせこせこ鑑み、顧み、省みしているのが、「慎んで怠ることない」日本人の姿勢を表しているとも言える。

  • 読了。

  • 惜しい。
    着眼点は良く、取り上げる言葉も社会学者としての専門性と一般人の興味がちょうど重なる領域のものが選ばれていて、そこから日本人の思考の流れの癖のようなもの、そして議論の方向性のようなものに関する考察が提示されるものと期待した。
    しかし、内容はほとんどが語義の解説に割かれ、備忘録に集めたメモを集約しただけのものになった。
    惜しい。特に「民主主義」のところを深堀りできていれば極めて有益な日本語論、日本人論に発展できただろうに。
    著者が社会学者であるだけに残念。ここまで気づけていながら…
    新書ではなく、単行本での大幅増補を求む。

  • 日本語の特殊性が日本人の社会科学の理解を妨げている、という論。明治期に西洋思想を輸入した先人たちは、その言葉を翻訳し、漢字を当てて新たな「和製漢語」を数多く作った。「哲学」などはその最たるものだろう。そのおかげで日本人は「自国の言葉で他国の思想を学ぶ」ことができるようになった。そのメリットは大きかったけれども代償もあったということだろう。

    日本語話者にとっては「民主主義」や「市民」、「共和国」、「個人主義」などの熟語を“使える”が故に、その意味を深く考え、理解することが難しい。漢字が持つ表意性によって、なんとなく意味が分かったような気になってしまうためだろう。

    と、非常に興味深い内容なのだが、言葉の差異の羅列ばかりで「これは」と思う内容を読み取れなかったのが残念。

  • この本はすごい!!!!日本の国語教師は全員読むべきだ。
    ・野球のストライクと労働のストライキは英語は同じだが、日本語になると全然違ってしまう。
    ・動画とは、日本では昔アニメのことだった。
    ・日本で外来語を翻訳する際につくった造語が独り歩きし、元の意味とは違う独自の意味を帯びるようになっていく。
    ・『全訳 漢辞海』
    ・『現代に生きる 幕末・明治初期漢語辞典』
    ・コミュニティーとササイエティの違い。
    ・フランス語では、炊き出しの場所もマクドナルドもレストランと呼ばれる。
    ・「小説」は坪内逍遥による造語。ノベルは「新話」とでも。


    ・2012年4月29日。フランス大統領選挙にのぞんだオロンド候補は、一方の手にフランス国旗、もう片方に欧州旗を持ち「私がナショナリズムに対置するのは愛国心である」と主張した。
    →ナショナリズムと愛国心は異なる!
    フランス語の場合、愛国心の対象はnationではなくpatrie(祖国)である。フランス国歌でも、要するに自分たちの国家体制を転覆する運動が祖国の名の下で遂行された。祖国を愛するゆえに君主を処刑したのだ。ただし元来のナショナリズムもまた、フランス革命を契機にヨーロッパに広まったもので、基本的には左派的な系列に属するものだった。その背後には、君主への忠誠から、国家や国民といった集合体への忠誠心という価値転換があった。しかし19世紀末ごろから、ナショナリズムの意味が変化していく。民主制や共和制といった価値ではなく、民族の伝統や血統を重視する思想となっていった。これが今日まで続く右派的なナショナリズム。
    一方愛国心は祖国を愛することであり、君主崇拝でもないし、現行の国家体制を支持することでもない。自国民の優越性を掲げることでもない。郷土愛に近い。ちなみにフランス人は愛国者を自称するが、フランス国歌を歌ってみろというとたいてい1番で終わってしまう。
    ・riverとrivalは関係がある。川をめぐって争う人というのが原義だから。
    ・首都と資本はcapital。何の関係があるか。両者とも中央集中という共通性がある。
    ・明治時代、学歴主義という言葉は、藩閥主義に対抗する良い意味を持っていた。
    ・共和国という表現が、フランスのジャコバン派による恐怖政治を連想させたので、ドイツでは代わりに法治国家という表現が用いられるようになった。
    ・漢語の「民主」は民の主、つまり君主を指す表現。
    ・民主はギリシャ語由来で、共和国はラテン語由来という違いがある。共和国とは「みんなのもの」という意味で、君主政体でもその国がみんなのものなら共和国と呼べる。たとえば皇帝ナポレオンと刻まれた硬貨の裏面にはフランス共和国と刻まれている。
    ・NGOは非政府組織とするなら、宗教団体も暴力団も入るのか?NPOはアメリカ起源、NGOは欧州起源。NPOはコミュニティ型で、NGOはソサイエティ型。
    ・日本国憲法中の「恵沢」とは神の恵みのこと。
    ・インディビジュアルとは、全体を前提とした個であって、全体から切り離した個ではない。

  • まぁソコソコ勉強になった

  • 社会、市民、民主主義、権利…といった用語は翻訳語だが、日本語や漢語の語感にひきずられることで、原語のニュアンスから離れ理解が難しくなってしまう、という話。確かにそうだなと思う。

  • 民主主義の目的は、選挙や多数決を国民間の闘争と化し、同じ祖国を持つ人間を多数派と少数派、ひいては勝者と敗者に分断することではないのである。

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