- Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334037345
作品紹介・あらすじ
だいじなことは、役にたたない。そして一見、役にたっているようにみえるものも、ひと皮むけば役たたず。役にたつことばかりしていると、暮らしも人も、痩せていく-。古風な下町感覚の文章を書きファンの多いエッセイストで、ここ最近は小説家としても頭角を現している石田千が、日常のなかで綴った「役たたず」の視点からの風景。二年あまりにわたる連載の途中では、大震災が起き、そのときの空気感も文章としてリアルに切り取られている。相撲好き、競馬好き、ビール好きの「町内一のへそまげちゃん」が、だいじにしたいもの。へなちょこまじめ日常記。
感想・レビュー・書評
-
新書という事もあってか、いつもとは少し違う味わいの石田千さん。
でもやっぱりしみじみ味わいたくなる文書ばかり。
石田千さんの意図的であろうひらがなの使い方が、ことばに奥行きを与えている。
ーうちのおばあさんは、還暦以降の長い晩年、ずっとうわの空だった。
それが最期の数年、一発逆転した。
人の声を聞くと、いつでもだれにでも、にっこり笑いかける。
そのにっこりが、かわいい、うれしいと、ヘルパーさんに喜ばれた。
おたくのおばあさんはにっこりしてくれるから嬉しい。そういって見舞いにきて下さる方がたくさんいた。八十過ぎたころは、ご利益さえ出ていたと思う。
ひとはなんにもできなくなっても、最後まで役立つものと、みんなに教えて亡くなった。
ー社会に出るということは、はだかんぼうが、まっさらなふんどしをつけることだった。
ー少なくとも、無理に口を開き、小手先のことばを鳴らすより、こころをからだに託す沈黙のほうが、祈りはずっと伝わる。
2013年3月 光文社新書詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『このあいだ、イアリングを、かたほうおとして、がっかりした。また五百円貯金をしなければいけない。ひと月たって、あきびんに五枚ほどたまった。けさ、朝の散歩から帰ったら、アパートの入口の窓枠に、ちいさな真珠玉がのっていた。だれかが拾って、おいてくれた。手のひらにのせる。息はすっかりしろくなっても、朝の光は背なかをあたためる。』ー『忘れて候』
天邪鬼になって口をへの字にしていると、いつの間にか耳もへの字になっていて、他人の言葉が一向に頭の中心に届いて来ない。への字の口元を少しずつ緩め、耳も頭も柔らかくしてしんとしていると、ようよう言葉の放つ音が響いてくる。そうなれば、響きと響きが重なりあって、次々と言葉が頭の中を刺激して回る。
石田千の書き綴ることばの響きが好きだ。それでも、その好きなことばの響きが頁を繰れども中々鳴りださない。もどかしさだけが募る。仕方がないので一旦本を閉じ、もう一度初めからやり直す。声に出さない音読の響きの余韻に耳を澄ます。すると、やはり鳴っている。そうそう。へそ曲がりの短く区切れた一文が、断定的響いたり、やせ我慢に響いたりする。簡単に表に出せる感情なんてありはしない。だから細かく観察をつみ重ねる。つみ重ねた見え方の集まりから、自分の中にひっそり隠れていた感情を知る。その過程を石田千は印象派の筆づかいのような、点描で描く。ひとつ一つの点の色にばかり目を奪われていると、何も見えて来ない。耳を澄ます。そしてやられまいと無意識のうちに張っていた気を緩める。点の集まりがなす印象が像として立ち上がるように、ことばの響きが輪郭づけるものが、ゆっくり聞こえてくる。
役にたつ。人間は結局どうしたって他人の役に立ってしまうと言い切る石田千の理屈は、少々強引だけれと、人と人とは結局どうしようもなく、寄りかかり合っているということなのだと、受け止める。一人暮らしで他人に迷惑をかけていないと言ったって、どこかでやっぱり誰かの世話になる。人はどこまでも孤独を囲えて、同時に一人では生きられない。そんな矛盾をえいやと一括りに大風呂敷に丸め込む。その気概が石田千のことばの端々には溢れているような気がしてならない。
それは、何度となく引用される漱石の、草枕の冒頭の一続きの文章に顕れる精神とよく似たもののようにも思える。世の中を単純に生きたいと思えども、それは思っているよりずっと難しい。何故なら世の中が単純ではないからで、そんな世の中の、あちらにぶつかり、こちらにぶつかりしながら、流されているような、もがいて泳いでいるような様で生きていく。それを簡単に一つの色に染めようとする人の言葉には単純に頷かず、所詮負け戦なんだよという人にはそんなことはないと抗弁する。へそ曲がりの真骨頂。矛盾が怖くてはへそ曲がりは務まらない。
やわらかなひらがな書きのその向こうに、汲々と生に執着しながら涼しい顔を装っている石田千のたおやかな強かさが覗いている。 -
文学
-
石田千さんのえっせい2冊目読了しました。
「役立たず」とはどういうことなのかを考えながら
読み進めていきました。
東日本大震災のことを含めたのに対してのことだったのですね。
軽やかな文体で読みやすかったです。 -
2015.05.14
-
挫折しました…
読んだことない人のエッセイが読みたくて、以前本屋さんで絶賛されてた石田千さんの本を図書館で借りてきました。
この人の文章は一文一文が短い。キレがあってそこがいい、という人もいるのだろうけど、私にはただザクザク切られてるだけな感じがして、句点や行間から何のイメージも浮かんでこなかった。ふくよかさがないというか。
3分の1ぐらい読んで、あとちょっと読めば慣れて面白くなるかも、とも思ったけど、エッセイは文章そのものを楽しめてこそ面白いのだから、読み続ける意味ないかな、と思ってやめた。
またいつか読みたくなったら。とりあえず今回は買わなくてよかった。 -
こころの持ち方の指南書。
ちょっと堅苦しい。 -
何冊か、石田千さんの本を読ませていただいて、そのたびあたたかい気持ちと元気をいただいていました。文章などは、やはり石田さんだなぁと思わせる部分もあったのですが、何かちょっと。。。
今まで読ませていただいた本は、すべて評価「5」だったのですが、今回は私の評価は「3」です。
でも、作品中に「はいからさんが通る」の花村紅緒、「SWAN」の聖真澄の名前を見つけた時には、懐かしさに涙がでました^^;
この本も、図書館で数ヶ月待って借りたものだったのですが、ちょっと残念だったかもしれません。 -
石田千という人の本は数年前から気になっていた。
手にとってぱらぱらしてピンと来なくて、ここまで読んだことはなかった。
ずっと、浅草あたりに住んでいる隠居のじいさん(でもまだ50代)
みたいな人だと思っていた。
新書で出たこの本は、なんとなく匂いを感じて初めて読んでみた。
読みながら男性なのか女性なのかも分からず、
分かった方がイイのかなと思ううちに女性だと分かる文章が出てきた。
年も私と一つ違い。
いい文章を書く人がまだまだいるんだなと嬉しくなる。
石田さんの文体は、ゆっくり読ませる間合いがある。
歩くような早さの文章の切り方とひらがなの使い方が絶妙だ。
やららかさと乾いた感じ、力の抜け具合が気持いい。
世を愁いたり説教モードのような具合の流れになっても、
さらりとした文章で自然と自ら反省するような雰囲気に繋がって
読んでいる側も、しおらしく一緒に「そうだなあ」と考え直すような気持になっている。
こんな文章が書けるのを羨ましく思う。