日本語は「空気」が決める 社会言語学入門 (光文社新書)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334037468

感想・レビュー・書評

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  • 社会的立場を考えた上で正しい日本語を選択することは、日々社会で必要であるため、とても参考になった。アニメや漫画、身近なものを例としていて学生としては共感しやすくわかりやすかった。社会言語学への関心が深まった。

  • 《肉にはいろいろ種類がありますが、「肉まん」といえば、ふつう豚肉を指します。これが無標です。もし牛肉や鶏肉が入っていれば「牛肉まん」「鶏肉まん」という名称で呼ばれます。これが有標です。
     しかし関西では「肉まん」は「豚まん」と呼ばれます。関西では「肉」といえば牛肉が無標で、豚肉は有標だからです。同様に、関西では肉じゃがやカレーの肉も牛肉が無標で、豚肉が有標になります。》(p.41)

    《言語決定論は、「言葉が人の認識のあり方を決める」という考え方ですが、こうした強い仮説を受けいれている研究者は、現在ではほとんどいないと考えてよいでしょう。その理由の一つは、人は言葉によってのみ思考をしているわけではないからです。》(p.206)

    《肌色という色のある言語では、肌の色を肌色で描き、人の肌以外の描写では肌色を避ける傾向もあるようです。
     韓国では在韓外国人の訴えに基づき、肌色という名称を韓国工業規格から外し、「淡いだいだい色」(現在では「あんず色」)と言い換えられており、日本の文房具メーカーでもそうした言い換えが徐々に進んでいます。こうした言い換えも、人の認識に部分的に影響を及ぼすと考えられます。》(p.208)

    《日本語の活用は単純化の歴史です。「得る」に関連する範囲で申しますと、古典の上二段活用、下二段活用は、上一段活用、下一段活用に吸収されました。
    (…)
     なのに、なぜ「ありうる」が残っているかというと、おそらく文体的な問題だろうと思います。「ある」を「する」に直して考えますと、「しうる」は可能性を表す言葉ですが、可能の「することができる」と近い関係にあり、置き換え可能です。この両者が併存してきたのは、
    「しうる」が書き言葉(硬い文体)、「することができる」が話し言葉(軟らかい文体)という役割分担をしてきたためと思われます。つまり、「しうる」が硬い書き言葉専用の言葉だったので、文語調の「うる」が保存されてきたのでしょう。》(p.222-223)

  • 文法的な言葉の正しさを重視するあまり片隅に追いやられている「言葉のふさわしさ」。
    生きた言葉が存在するのは人と人とがコミュニケーションを行う社会そのもの。社会の中で言葉がどのように使われているのか。これを知ることにより初めて言葉の真の姿が見えてくる。貴様、御前もかつては敬語。言葉の正しさは時代の変遷とともに大きく変わりゆく。言葉として決して正しくなくとも、時と場合によっては最もふさわしい言葉となることは、しばしば我々が日常経験すること。形式にとらわれることなく、おかれた場面で、空気を適切に読み、どのように言葉を選び使うかが最も重要だということである。

  • 社会言語学ってこういう話なのか。
    語用論とかテクスト分析とかとごっちゃになっている。
    わかりやすいし面白いとは思う。

  • □内容
    なぜ、方言はうらやましがられたり、馬鹿にされたりするのか。『となりのトトロ』のサツキとカンタの会話から、何が分かるのか。あの人はなぜ自分のことを「オレ」と言ったり「ぼく」と言ったりするのか。ママと呼んでいたのがかあさん、おふくろ、母親、と変化するのはなぜか。状況に合った敬語が使えるようになるにはどうしたらよいのか…。学校では教わらない、でも、一番「伝わる」日本語とは…?「生きた言葉」と、環境(社会)との関係を科学する―「ことばの社会学」の入門書。 by アマゾン

    □感想
    『文章は接続詞できまる』でも感じたが、なにか物足りない。各章の最初と最後を読めば主要はわかる。タイトルやトピックのネーミングも上手だ。けれども、何かが足りない。それってなんだろう。
    社会言語学の入門書というように、網羅(といっても、社会言語学の本は読んだことはない)しているが、広く浅くというものだ。

    興味深いのは次の3つ。

    話し手は、親しさを示したい場合は相手の言葉遣いに合わせ、反発を感じる場合は相手の言葉遣いを合わせない傾向がある。それを分析するのがアコモデーション理論である。p.115
    →本書では帰省したら「関西弁」、子どもには子どもにあった「話し方」、外国人にはできるだけわかりやすい日本語で話そうとする、ということを「言葉遣い」としている。後述したのは親しくしたい、というものもあるがマナーや思いやりということもあるだろう。
    たしかにm親しくしたい場合、(意識したことはないが)自然と相手にあった言葉遣いをしている。また相手の使う「言葉」を使って話をしようとする。これも結構あるのでは?

    英語は性差別語(sexist language)だと言われることがある。例として、chiairman,policemanなどmanを用いたり、actor/actress, waiter/waitressのように男が基本形で女が派生形だったりする。これらに対して性中立語にする動きがある。
    これらに対して社会的な反発がある。問題は言葉にあるのではなく、差別意識にある。言葉の言い換えに終始しても意識を改革しないことには根本的な解決にならない。その言葉が相手を侮蔑するかどうかは文脈によって決まることが多く、文脈を無視して表面的な言葉の使用だけを問題にしていいのか、という意見もある。
    でも、言葉は自分でいうことは許されても人から言われると傷つく。例えば、「おれ、デブだからさ」と自分でいうのと、「お前、デブだな」と人からあらためて言われるのとでショックを受ける。pp.211-214
    →うーん。もう少し書いてほしい。誰かこれについて話しましょう。

    同じ意見文を書いてもらった場合でも、国によって色が出る。韓国人は身近なことについて引きつけて自分が感じたことを大切にするのにたいし、中国人は身近なことを書いても最終的には一般化して、経済・社会・文化といった大きな枠の中で教訓的に取り上げる傾向がある、ドイツ人の文章は飛躍が少なく、接続詞などで丁寧に理論を追っていくのにたいし、フランス人の作文は表現に凝る印象があり、批判的な見方を忍ばせる傾向がある。
    どこまでが言語の問題で、どこまでが文化あるいは教育の問題かわかりにくいところはあるが、書き手の言語的・文化的背景が反映されていることはたしかだ。 pp.214-219

    (まっちー)

  • 理論言語学=記号としての言葉の内部構造を明らかにすることを目指す内部志向の言語学=正しさの言語学
    社会言語学=発話された言葉と発話された外部環境の関係を明らかにすることを目指す外部志向の言語学=ふさわしさの言語学

    社会言語学からみた「言葉」についていろんなことが書かれていておもしろかった

  • 先生おすすめ本('22.7 図書室通信掲載)

  • 801-I
    小論文・進路コーナー

  • 若者言葉は断定、限定を避けるぼかし表現が多い
    共感したり参加しやすくするため。
    とか、たり、って感じ、-くない?

    ぼく
    のび太は子供っぽくて頼りない感じ「ぼく」
    スネ夫は都会的なお金持ち特有なキザな感じ「ボク」
    ドラえもんは消去法。わたしは大人っぽい、おれはのび太が立場上になる。から「しもべ」ともとれる「僕」

    うち、あたし、おれ、ぼく、わたし、わし、おら、おい、自分、先生、拙者、ママ、お母さん、おふくろ
    状況とどう見られたいかで人称変わる

    英語は訛りたくさんあるから日本語訛りでも
    たどたどしくても内容がある事が◯

  • <第二言語の能力は、表面的には第一言語の能力と違うように見えても、基本的な能力は第一言語と基盤を共有しているため(二言語共有説)、第二言語の能力は、第一言語の能力によって制限を受けているのです。そのため、第一言語の能力が不十分な段階で第二言語を習得しようとしても、弊害のほうが大きく、結果的にセミリンガルになることが多いと考えられています。
     つまり、第一言語である「国語」力が言語能力の基本であり、つねに英語に触れていられる環境にいる子どもでもなければ、「国語」力に割くべき時間を犠牲にして、焦って英語を身につけさせようとしても、「国語」力も英語力も身につかずに終わるおそれが高いと考えている言語学者が少なくないのです。>(193〜194頁)

     小学校での英語の教科科がスタートしようとするなか、英語教育の研究者が揃って述べていることが上記の内容だ。「早くから英語をはじめれば、容易に英語習得ができる」という考えは、たしかに一部には適用されるが、絶対ではない。むしろ、小学校時代の英会話や英語塾での経験が後の英語学習に全く効果を及ぼさないことを示す研究は多数ある。世間の言説にまどわされて感情的に教育を考えてはならない。だが、人々は理論よりも情動に影響を受ける。いくら科学的なデータを提示して説得しようと試みても、人々の考えを変えることはむずかしい。英語教育に携わるものとしてできることは何なのか、よく考えたい。

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著者プロフィール

横浜市出身。1993年一橋大学社会学部卒業。1999年早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。国立国語研究所教授。一橋大学大学院言語社会研究科連携教授。著書に、『「接続詞」の技術』(実務教育出版)、『段落論』(光文社新書)、『よくわかる文章表現の技術』Ⅰ~Ⅴ(明治書院)など多数。明治書院教科書編集委員。

「2021年 『よくわかる文章表現の技術 Ⅳ 発想編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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