世界は宗教で動いてる (光文社新書)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334037482

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  • 「宗教には、『自分とは何なのか』という問いが、凝縮されている。人間として生まれただれもが、避けて通ることのできない問いである」(「まえがき」より)

    ヨーロッパ文明とキリスト教。

    宗教改革とアメリカの行動原理。

    イスラム教は本来、平和のための宗教である。

    カーストは本質的に平等ーーヒンドゥー教とインド文明。

    中国文明と儒教・仏教。

    日本人と宗教ーー日本人はなぜ勤勉なのか。国家神道とはどのような考え方か。

    ビジネスマンを相手に行った講義と質疑応答をまとめた新書に、目からウロコが落ち続ける。

    本書を通じて実感したのは、自分自身が多くのことにまだまだ無知でいる事だった。


    同じ地球の違う地域に住む人々が、どのような考えで行動し生活しているか。

    相手を知らないことが、誤解や決めつけになり、あったことも無い人への憎悪に繋がってしまう。

    「本書は新書にすぎない。つまり、ほんの『入り口』にすぎない。本書をきっかけに、その先に進んでいただけることを期待する。本書がその未知の世界への航海の羅針盤となるとよいと思う」(「まえがき」より)

    ほんの僅かではあるが、一歩前には進んだ。

    小さな一歩だが、きっとこれはこれからー続く道の大きな出発になるはずだ。

  • 各宗教を通して、世界の国々の成り立ちや思想を講義形式で教えてくれます。
    とてもわかりやすく読みやすかったです。
    冒頭で、
    「ビジネスマンなら、宗教を学びなさい。」
    「人間なら、宗教を学びなさい。」
    と言っている。納得できる内容です。

  • 宗教知識ほぼ0の私でも面白く読めた。

    再読する。

    イスラエルとアメリカの共通点とは?なぜ仲がいいのか。

    お祭りの目的とは?

    最近耳にする、立正安国論とは?

    南無阿弥陀仏と南妙法蓮華経の違いとは?

  • 『宗教には、「自分とは何なのか」という問いが、凝縮されている。人間として生まれた誰もが、避けて通ることのできない問いである。

    だからこそ世界のどの文明も、宗教を核にして、その社会のまとまりをつくった。そのつくり方にはいろいろ違いがあるが、人類の知的遺産とはすなわち、宗教のことだと言っていい。

    「宗教のリテラシー」は、だから、複数の文明圏が並びたつ現代世界を生きるわれわれにとって、不可欠のものなのである。』

    新書なので、内容は薄く、新たに学ぶものはなかった。

  • 題名に宗教とあるが、宗教の入門書か何かだと思って読むと肩透かしを食らう。著者の教義の解説には間違いが多いとして避ける向きも多いようだが(断定口調にもその一因ありか)、本書の主眼は各国の社会や行動様式とその宗教の関係を考えるところにあるのであり、教義の解説にはない。教義を正確に知りたい人はその手の専門書にあたればいい。たった250ページの平易な文章で、アメリカ・イスラム諸国・インド・中国・日本の社会形成に宗教が与えた影響についてあれこれ考える契機が得られるのだから、大変お得な本だと思う。

    一つ気になるのは、他の本でも著者が多く使用する論法。ある社会に古来Aという考え方があって、なおかつ現在はAと矛盾するBが観察されるとき、著者はAが否定されたのでなく、Bが要請されなければならないほどのCという別の考え方があったためだとする。これだとAは如何なる場合でも否定されないのでは、と思えてしまう。

    例えば、中国では祖先崇拝(A)の考えが根強いため、男子をもうけ家系を守ろうとする意識が強いそうだが、現在はこれと矛盾する一人っ子政策(B)が施行されている(今後は緩和方向)。このことについて著者は、祖先崇拝の考えを覆い隠すほど「政治」の力(C)が強いことがその理由だとするのだ。だが本当にそうだろうか?結局は中国人の意識が、市場経済化によって「家族」<「経済」となったのだということに過ぎないのでは?中国人は「実利的」だと他の箇所にも書いてあることだし…。

    とはいえ、これだけの濃密な内容をさらっと軽やかに読めるのは本当にありがたい。視野がガバッと広がること請け合いの一冊。

  • 書き下ろしではなく橋爪先生のセミナーの書き起こしで構成されています。受講生からの質問と回答も掲載されていて、ライブ感を感じられるのはなかなかよいです。
    肝心の内容は、キリスト教•イスラム教•ユダヤ教、さらにヒンズー教から中国の宗教観、最後に日本の宗教まで、それぞれの違いや考え方の解説となっていて、読み手のレベルに合わせて読み進めるうちに知識が(豆知識含め)補足される感じ、でしょうか。
    新書の性格上、広く浅くの解説になっていますが、橋爪先生のお話はわかりやすいので、各宗教の成り立ちや対立点の理解、世界中の揉め事の理由がどこにあるのかのヒントにもなります。興味があれば楽しいです。
    小室直樹先生亡き後、直接のお弟子さんである橋爪先生がこの分野の啓蒙をされることはとてもうれしいです。そんな私情も含め、とても意味のある一冊だと思いました。

  • 深い悲しみや大きな喜びを感じた時、多くの人はカミサマに感謝する。またスポーツの大会や受験の前にも神社を訪れてお守りを買ったりする。宝くじを買うと昔の人なら神棚によく供えただろう。人は自身の努力以上の何か大きな力を必要とする時、カミサマに祈る。だが多くの日本人に質問したらきっと無宗教だと答えるし、身内や親族が亡くなった際に初めて、自分の家が仏教の何宗派であったことを知る、なんて事もごく普通の話だ。
    以前読んだ本に外国人の友人やビジネスパートナーに宗教について質問されたら、無宗教という回答は避けた方が良いと書かれていた。最悪アナーキストの様に感じられるかもしれないと。外国ではそれほど宗教と生活、人々の考え方、そして政治の分野にまで宗教は深く影響するし、時には宗教が原因で戦争が起こったりもする。政教分離の原則を掲げる民主主義国家でさえ、政治家の思想や言動の背景には宗教に根ざした考え方があるのはごく普通だし、日本でも政治家が宗教団体の強力な影響力を借りて選挙に勝つというのも良くある話だ。イスラム教になるとそもそも聖典クルアーンとムハンマドの言行録であるハディースに従う事が必要なため、政治と宗教は切っても切り離せない。
    本書のタイトル「世界は宗教で動いている」とはまさにその様な宗教が原理的に持っている考え方や行動の規範が人を動かし、またそうした人々の集まりである以上、国家も同様に宗教で動いているという。その通りである。
    それぞれの宗教の成り立ちを聖典の言葉を引きながら学生に講義するといった形で進められ、学生から上がってくる宗教に対する疑問や質問に、根拠を明らかにしながら応えるシーンもよく登場する。よって内容は非常に解りやすい上に、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、そして中華思想のベースになる儒教、我が国にも伝播してきた仏教、元々ある神道と、人口ベースであれば世界の主要な宗教を網羅して説明している。五大宗教で言えば、それらの原点となるユダヤ教についてはそれほど多くは触れられていないが、キリスト教の項目では旧約聖書を引く部分もあり、ある程度理解を高められる。
    海外で発生している事件や紛争なども所詮は人が起こしたものであり、神の怒りや所業ではない。と言えるのも、私が(無宗教とは言わない)特定の宗教を信仰していないせいかもしれない。宗教によってはその多くを神の仕業と捉えるし、またそれが無かった時も、神が退けてくれた、だから神に感謝すると捉える。そう言えば、我々日本人は前述の通り無宗教と考える人が多いが、初詣に行き、七五三を祝い、夏祭りで大声を出し、秋の実りにお供物をして、クリスマスにはケーキを食べ、お葬式で親族が集まって悲しむ、こんな風に一年を通して宗教的な行事を行なっている。それだけでなく、大自然に神秘的なものを感じ取り、雷がなれば少しお腹をかくしてしまったりと。お分かりの通り、神道も仏教もキリスト教も混ざり合わさった良いとこどりとも言えるミクスチャー宗教、全ての宗教からの派生系とも取れる。
    そしてそれら行事に一喜一憂し、日々の生きがいや経済効果に繋がっている点では、日本人も宗教に動かされた人々であり、国である。
    911テロはイスラム原理主義的なテロ集団が起こしたこともあり、その後続く自爆テロなどを報道で見ても、初めて宗教という行動原理の大きさを学んだ人も多かったのではないか。本書ではイスラム教だけでなく、キリスト教や仏教、ヒンドゥー教についても原理的なものに触れてそれ自体は危険な思想であることを否定する。また常にそれに反する思想が生まれることから、様々な宗教内の思想の対立が生まれ、そのうちの一つまたは幾つかが本来あるべき姿を力を用いてでも回帰しようとする動きになっていく点にも触れている。原理的に人間の争いを是とする教えは無いだろうから、過激派組織は往々にして、自身に都合の良い様に拡大解釈しているか、利用しているうちに誤った思想が絶対であるかの如く過激に変化してしまったのだろう。
    本書の表すとおり、宗教が世界を動かしていると言っても全く過言ではなく、今もこの瞬間も宗教を要因とする争いがどこかで人の血を流している。自分と異なるカミサマを受け容れ、または完全に否定しない心が無い限りは(永遠に訪れない気がする)まだまだ続くだろう。

  •  最近地政学とか言って地理的な条件が世界のあり方にどう関わっているのかというテーマで書かれた本があるが、それの宗教版と思えばいいのか(と言ってもおれたぶん地政学の本読んだことないのだけど)、宗教がどう人々の行動様式や社会の仕組みを決定づけているのか、各宗教の歴史を見ながら解説したもの。キリスト教とヨーロッパ、キリスト教とアメリカ、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、日本の宗教。
     宗教の本は興味があったから少し読んでたけど、全然知らなかった(気づいていなかった)思考の枠組みとか思想が紹介されているのが読んでいて楽しい。以下はそのメモ。まずキリスト教では聖書に「ヤハウェが人間の寿命を、百二十年にした、と書いてあるのです。したがって、百二十年より前に死ぬのは早すぎる、のです。この考え方だと、キリスト教との医療の目的は、人間を、その寿命である百二十歳にまで生き長らえさせることである、ということになる。」(p.68)らしい。百二十まで生きるとか、一体平均寿命が何歳の時代にそういう発想したんだろうか。それはともかく、人の生死は「Godがすべて命じていることなので、そのことを思い悩まないのが、正しい態度です。『あすのことを思い悩むな。空を飛ぶ鳥でさえ、神の許可なく、一話も地面に落ちはしない。(略)』みたいにイエスがのべたと福音書に書いてある通りです。」(p.66)、生死を心配するよりも、「現在を大切にしてしっかり生き、Godに救われることのほうがはるかに重要なのです。」(p.68)という部分は、なんか理想だなあと思った。うちの母親がボソッと最近、なんで生きてるんやろ、もういつ死んでもええわ、みたいなことを言ってたけど、いや生きてよ、以上のことは何も言えなかった。こういう人たちを支える考え方なんだろうなあと思う。それから、歴史上はカトリックとプロテスタントの間の殺し合いというのが行われてきたが、これは「互いに相手は、悪魔みたいなもの。悪魔ならあ早く殺したほうが、罪が少なくなるので、悪魔にとってもよいことである。相手を抹殺することは、神のためであり、自分の安全のためであり、悪魔自身のためでもある。そういう理屈になります。そう信じているのだから、殺し合いは容赦がない。」(p.86)という、この神もいれば悪魔もいる、というのがこういう宗教の恐ろしいところだなあと思う。ちなみにフランスが激しかった、ということで、フランスの歴史を勉強したらその結構な部分はこの対立の話になるのかなあ。アメリカの話のところで、アメリカの歴史というのも少し勉強したことがあるけど、そもそも「西欧世界ではキリスト教会が分裂した結果、信仰が、政治問題に直結してしまうようになった。このためヨーロッパのキリスト教徒は、異なる教会から悪魔扱いされて、ひどい目に遭いました。どこかに安心して、自由な信仰の生活を遅れる場所はないものか。(略)そう言えば、新大陸があった。あそこに自由な信仰の共同体を作ればよいのではないか。そう考えたことが、ピューリタン(清教徒)たちがアメリカをめざした動機であり、ひいては、アメリカ合衆国がつくられた端緒です。」(p.89)という歴史の始まりの部分をちゃんと押さえておきたいと思った。(ネイティブアメリカンを追い出した)新大陸=約束の地、みたいな構図がイスラエルと似ているからアメリカはイスラエルを支持するという点(p.91)。そして政教分離、信教の自由。だけれど「キリスト教のロジックからいって、政府や警察、軍隊などの公的職務は、神の意思を体現する権威をもっている、と考える」(p.105)という部分が難しい。信教の自由だけどそれはヤハウェ、Godがいることを前提にしているのか?あと日本語の「天職」という訳語をあてている考え方はGodがいることが前提になっているので、「苦しまぎれの訳語」(p.107)となっているが、天職、っていう言葉は結構日本人でも違和感なく使うよなあと思う。そうすると本当の(元来の)天職、の意味とは違った意味で使っているということなのかなあ。これに関連して「天は二物を与えず」という言葉もよく使うけど、これも英語のえそして、日本とは違って、「大統領個人ではなく、彼の職務に対して忠誠を誓う」(p.104)という考え方は、日本人にはピンと来ないよなあ。英語の話?で「神の業はネイチャーです。それに対して、人間のやることはカルチャーです。カルチャーはもともと『土を耕す』ということ。農業です。(略)エデンの園では、農業は必要なかった。食べ物はなんでもあった。でも、追放されたので、額に汗して日々の糧を手に入れなければならなくなった。これが農業と牧畜で、人間の業なのです。そのほかにも人間がやるものとして、アート(技術、芸術)がある。」(pp.110-1)というのは分かりやすい。でもおれこれだけ本読んでるんだからどっかにこういうことは書いてなかったのか、おれが忘れているだけなのか、と思った。そしてキリスト教とイスラム教の関係について、「イスラム教からみると、旧約の預言者に従うのが、ユダヤ教徒。新約の預言者イエスを神の子キリストだとして従うのが、キリスト教徒。どちらも、信じ方が間違っているけれども、アッラーの啓示に従っている点はよろしい。ゆえに彼らは、『啓典の民』であるとして、彼らの信仰を承認する。まったくの異教徒であるとはみなさないのです。(略)イスラム教は後発の宗教なので、先行したユダヤ教やキリスト教を批判しやすい面がある。実際、ムハンマドはそれらの宗教を手厳しく批判しています。でも批判するだけでなく、イラスム教の優位を説き、イスラム教への合流をよびかける。それは、ムハンマドが生きていた時代、多くの宗教が併存し、混乱が深まっていたことと関係しています。イスラム教には、争いを避けようという知恵が備わっているのです。」(pp.126-7)の部分は分かりやすかった。あとはクルアーンについて、「クルアーンは、アラビア語でなければならず、ほかの言語への翻訳を認めません。『認めない』とは、翻訳したものは聖典ではないので、礼拝や祈りに使えないという意味です。翻訳は解釈を含み、解釈は人間の業だからです。」(p.132)ということは究極的にはアラビア語が母語じゃないとイスラム教徒にはなれない?いくら言語を勉強しても、母語の思考回路があった時点で人間の業になっちゃうんじゃ?それにしてもクルアーンは今でも原本そのまま(p.133)、というのはすごい人間の(神の?)遺産だなあと思う。そしてイスラムを知らない多くの人にとっての関心事は「イスラムは原理主義か」(p.143)という部分。あるイスラムの知識人の答え、というのが紹介されていて、これがとても納得できた。「クルアーンが神の言葉で正しく、それが思考や行動の基準になることが原理主義だというのであれば、私は原理主義者だし、すべてのムスリムは原理主義者だと思う。しかし、法律を無視して手段を選ばず、過激なテロや政治行動を行うという意味であれば、私はそうではないし、九九.九%のムスリムもそうでないと思う。だが、そういう過激な政治分子というのは、残念柄ムスリムの中にもいる。でも、そんなことを言えば、キリスト教徒の中にもそれはいるし、マルクス主義者の中にもいるし、無神論者の中にもいるし、ヒンドゥー教徒や神道主義者のなかにもいるのではないですか。つまり、そういう過激な行動とイスラムの本質とは何の関係もないのです。」(pp.143-4)という部分は、学校教育の中でちゃんと教えられるべきだと思う(教えているのか?)。ヒンドゥー教とかになってくるともっとよく知らなくなってくるが、その中でも特徴的だと思ったのは「神が『化身』するという考え方が、ヒンドゥー教の根本的な点だと思います。こんな便利な考え方はない。この考え方によれば、どんな宗教もヒンドゥー教になってしまう。」(p.160)という、確かに、便利。「ヒンドゥー教を構成するそれぞれのグループには、具体的な信仰(具体的な神)があって、ほかのグループ(神)には関心を持たない。でも互いに、ヒンドゥー教徒だという意識をもつことで、個々の具体的な神を超えた、抽象的な上にともに従うグループだという意識をもつことができる。この抽象的な神は、本来はひとりなのだけど、あらわれとしては複数になる。これが『一即多』という考え方です。これは一神教の『偶像崇拝の禁止』と裏返しの考え方になっている。」(p.161)の部分が分かりやすかった。そして「一即多」なので、「バラバラであることはまったく問題がありません。多様性が残されていてこそ、インドなのです。しかし、多様性を残そうとすれば、メリットもあるが、ある程度のコストがかかります。そのコストのひとつが相互無関心であり、それが国民統合を難しくしています。」(p.170)という部分で、また宗教と社会の関連が分かった。あと中国に行って、中国をCU(China Union)として、つまりEUの対になるものと理解する(p.181)というのが分かりやすい。そして「漢字が成立するということと、中国が成立するということは、ほぼ同義でした。漢字で表す中国語は、文字からできた言語なのです。これは文化的統一、経済的統一を実現して、他民族がクラスエリアを政治統一するための基礎を提供する、大事業だったと思います。(略)この大事業を、中国では『大一統』といいます。中国全体が、政治的・軍事的に統一されるという意味です。この概念は今でも立派に生きていて、中国共産党が存在する正統根拠は、まさにこれなのです。」(pp.183-4)ということで、統一するための政治が最も重要、そして能力がある人が政治をすべき、という思想が儒学の本質(p.189)というつながりになるらしい。儒教は誰が君主に相応しいかという戦国時代の思想なのに対して、江戸時代に日本が導入した朱子学はすでに「科挙の制度が完成し、皇帝を中心とする行政官僚制ができあが」(p.203)った宗の時代にできたもので、そうやって選ばれた政治的リーダーに「絶対的な服従義務があることを詳しく説明している」(p.203)ということで、幕府が利用したものらしい。そして「江戸儒学の、思想としての見どころは、江戸幕藩体制と朱子学の矛盾を、どのように受け止め、乗り越えようとしたかにあると言ってよい」(p.241)ということなので、やっぱり「見どころ」があるくらい思想史の勉強って楽しいよなあと思った。「忠孝一如」(p.243)なんていかにも思想的に重要な概念に見えるけど、そう見せただけであって、実は「儒教の古典に根拠がない」(p.243)もので、勝手に日本社会の現実に照らして作っただけ、なんて巧みなやり口だなあと思った。また、「仏教の中国的展開」という部分では、まず日本も取り入れた仏教はインドで興ったけれども中国で独自の発展を遂げた、という部分で、これも社会に合うようにうまく宗教が改変され、利用された例。「僧侶は国家公務員」(p.208)ととなって、たとえ政治活動に参加しなくても、出家をすることが良いこと、と解釈できるようにした。それにしても「サンスクリットからの翻訳を装って、中国で経典を量産した。漢訳仏典のおよそ三分の一は、偽経だと言われているほどです。」(p.209)だから、クルアーンと対照的だなあと思う。そうすると日本で研究される仏教学ってこの偽経が研究の対象だったりする、ということはないのだろうか。むしろ偽経と分かっていてそれを研究の対象にするのだろうか?最後にいよいよ日本に来て、「本地垂迹説」って倫理の授業ですごい習ったけれど、結局「本地というのは、インドのこと。垂迹は、移動すること。インドにいた仏や菩薩が大挙、日本にやってきて、カミガミになったという学説です。大日如来が天照大神になった、などと一対一の対応がつけられます。経典のどこかにそんなことが書いてあるかというと、どこにも書いていない。だから『説』なのですが、日本人にはよほど都合がよかったとみえて、またたく間に広まり、通説となります。結論は、『仏=カミ』。仏がカミなら、仏を拝めばカミを拝んだことになり、カミを拝めば仏を拝んだことのになるので、仏教徒浸透を区別する必要がありません。ならば、仏教と神道は同じものになります。いわゆる神仏習合です。これが日本人の常識となり、平安末から江戸時代まで、日本人は神道と仏教を分けて考えませんでした。」(p.229)というのが日本の宗教を考える時の基本、だろうか。
     という感じで引用も長くなってしまったが、それだけ面白い本だった。これまで著者の本は何冊か読んだけど、もっと読みたい。『ふしぎなキリスト教』もそうだったが、特に宗教に関する著書が面白いかな。(23/03/27)

  • 世界の主だった宗教を概観し、それらが、各エリアでどのように影響して、政治、経済、日々の暮らしを動かしているかを解説する。
    儒教とは言うが、これは、宗教なのか、疑問は残るが、全体的に新たな視点を提供してくれる良書であった。

  • たった250ページの文庫本サイズの本なのに、主要宗教の軸となる考え方、価値観が網羅されている。
    読了後に「宗教って複雑」ってことが、ズシッと実感できる本。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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