目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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レビュー : 159
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334038540

感想・レビュー・書評

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  • スリリングで、広い地平を拓く本である。
    著者の専門は美学・現代アートだが、元々は生物学を志していたという。
    生物と美学と盲目が一体全体どうつながるんだ?といささか不思議な三題噺である。
    最初の疑問が読み進めるうちにほぐれ、3つの視点が見事に調和していく、一風変わった「身体論」の1冊。

    著者がそもそも生物学を専攻したのは、自分とは異なる生きものが世界をどう「感じて」いるのかに興味があったためだという。二十世紀初頭の生物学者、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが唱えた「環世界」の考え方ともつながる。体のサイズも構造も、主に用いる感覚器官も異なる場合、当然、とりまく世界のとらえ方も変わるはずだ。ネズミのように鼓動が速く、ハチのように集団として生き、深海の熱水噴出口に住むチューブワームのように地上を想像することも出来なかったら。それはどういう「感じ」なのだろうか。そこが著者の出発点である。
    それが知りたくて生物学を専攻してみたが、著者の目指すところに向かうには、今日の生物学の主流は「細分化」されすぎていた。大きなビジョンが見えにくいのだ。そこで著者が選んだのが「美学」である。「美学」というものは、芸術や美についての認識について、哲学的に探求していくものだという。人が美しいと思うのはどういうものか。美しいと思うということはどういうことか。そのいわく言い難いところを言葉にして「わかって」いこうとする分野なのだ。それは、自らの感覚を理解する、つまり身体で身体を理解しようということにつながる。
    捉えにくいものを捉えようとするとき、先入観や常識は妨げになる。当然だと思ってしまったら、見えるものも見えない。そこで著者が自身の「当たり前」を離れる手立てとして選んだのが、「見えない人」との交流だった。視覚は五感の中でも、重点が置かれる感覚である。五感を持つ人が、得てして最も頼っているのが視覚である。では「見えない人」はただただ視覚を奪われた不自由なだけの人なのか? そのあたりを、視覚障害者へのインタビューや、彼らとの活動を通じて、探っていこうというのが本書の流れである。

    「見えない体」を体験するには手っ取り早いのはアイマスクを付けたり、目をつぶったりすることである。だが、通常、見えている状態の人が急に視覚のみを遮断しても、視覚障害者の感覚を追体験することにはならない。それは四本脚の椅子から脚を一本もぎ取るようなもので、バランスが突然崩れることだからだ。
    そうではなく、視覚障害者の多くは、三本脚の椅子として、安定したバランスを保っていると考える方が近いという。必要な情報を他の感覚で補ったり、配置を覚えておいて日常生活に困らないようにしたりする。
    おもしろいのはブラインドサッカーなど、元々暗がりでやるスポーツの場合、視覚障害者は夜でも昼でも自由に興じられることで、「目開きとは不自由なものよ」ということになる。弱視だった人が全盲になってからかえって転ばなくなったという話もある。
    また、視覚のある人は、得てして、三次元のものを二次元にして捉えがちである。立体図形の見取り図のようなものである。見える人は富士山を横から見た八の字のような形で思い浮かべるが、見えない人はご飯茶碗を伏せたような立体で思い浮かべる。見える人には必ず死角があるが、見えない人は全体を空間として捉えるので死角もないのだという。

    だが、どのように視覚を補い、工夫していくかは、実は、見えない人一人一人で異なるのだという。それぞれが自らの身体に合わせて、世界との関わり方をチューニングしていくのだ。視覚障害者とひとくくりには出来ない十人十色の認識ということになる。そのあたりはバリアフリーを考える上でも参考になりそうな視点だ。

    著者は美術鑑賞のおもしろい試みを紹介している。ソーシャル・ビューと呼ばれるもので、見える人と見えない人がグループを作り、見えない人が必ず1人グループに入るようにする。見える人は美術作品がどんな外見であるか、見えない人に、言葉にして説明していく。見えない人は疑問があれば質問する。見える人はそれに答える。そんなやりとりの中から、見える人の間でも見方が異なること、意外に見えていないものがあったことに気が付いていく。
    感覚を解体していくような興味深い話である。

    目が見えない人は、他の人とのコミュニケーションを言葉に頼ることが多いため、ユーモアのある人も多いという。中には見える人からは言いにくいような「自虐ネタ」を持ち味にする人もある。
    もちろん、人を笑わせることが得意な人ばかりではないわけだが、それぞれがそれぞれの持てる能力で世界と関わっているということになる。そう思うと、目が見えないほかは普通の人なんだなとごく当たり前のことにも気付く。

    外界の捉え方について。障害について。主観と客観について。
    多くの事例から刺激を受け、自分の感覚についても認識が広がる1冊である。

  • 読もう読もうと思って積読していたらあるとき小谷野敦さんのレビューを見つけてがっかり。
    ユクスキュルの「生物から見た世界」とは別物というのだ。
    ぱらっと読むと確かに個々の事例は詳しいけどメカニズムに迫ってはいない。
    ユクスキュルの著作では動物の視点が詳しく研究されていたが、こちらの本は身体論に留まっている。
    たいへん残念な本。

  • 呟き程度に。
    知ったからといって自分の中の何かが急にガラっと変わるわけでも無かろうと分かっていながら、長い間知りたいと思っていたことの一つが、この本の主旨です。全盲、特に先天的な全盲の人の世界観というものがずっと知りたかったのです。
    生まれつき目が見えないという状況を必死に想像してみたこともあって、何となく掴めたような気がして、一人勝手に衝撃を受けたこともありました。たとえば色という概念であったり、美的感覚だったり、人間とそれ以外の動物の違いであったり、境界線という概念であったり、いくらでも考えられますが、視覚があるがゆえに情報として入ってくるもの、逆に何らかの制限となるもの、そういったものは山ほど存在していて、それらから解放されている人達はその分ゆとりがあって「見える」人には掴みきれない何かを掴んでいるのではないか、そんなことをぐるぐると考えてワクワクしたり。
    そういった私の混沌とした想像を、この本は、実際の聞き取り調査などを裏付けとして明快に記してくれました。想像だけでは辿り着かなかった箇所の補完やそれこそ「盲点」というところ、沢山ありました。
    こういった本が、想像すらしたことの無い人の元に届いたら、恐らく相当面白いことになるだろうな、というのが専ら漠然とした楽しみです。とことんのところ、自分の基盤を覆す、if、もしも、という仮定にまで掘り下げて物事を考えるという行為は必要な労力が大きすぎて、日頃忙しい人にはなかなか出来ない、寧ろやろうと思わない、というのが実状ではないかと思います。でも、「見えない」世界を考えるというのは、頭を柔らかくするのに間違いなく役立つし、それは自分にとっても他人にとっても必要な優しさに繋がっていると思います。この理屈でいうと、必ずしも「見える」「見えない」でなくても構いません。「聞ける」「聞けない」でもいいでしょう。ただ、本作でも記述があるように、健常者にとって視覚というのは五感の中でも一際重要な位置を占めているというのは恐らく事実です。したがって、まずは導入として「見える」「見えない」を考えるというのは良い入り方だと思います。そこから、自分の知的好奇心などに応じて理解を深めていけばいいのですから。
    問題提起というのか何というか、とにかく入門書としては、ここ数年目にした新書の中で最高の書籍の一冊です。私個人の興味関心にあまりにドンピシャで、もう一歩踏み込んでくれてもいいんだよ、という完全なエゴイズムで★4つとさせて頂きます。今後の執筆活動、楽しみにしております。

  • 著者の伊藤亜紗氏は、美学、現代アートを専門とする、東工大リベラルアーツ研究教育院准教授。
    健常者は五感、即ち、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚で外界の状態を認識し、その中でも、八割から九割の情報は視覚に基づくと言われるが、本書は、その視覚に障害(著者は「障がい」という表記に否定的と語っている)のある人びとは、外界をどのように捉えているのか(「見ているのか」だけではない)を、著者が、視覚障害者やその関係者に対して行ったインタビュー、ともに行ったワークショップ、更には日々の何気ないおしゃべり等から分析し、まとめたものである。
    まず何より目から鱗なのは、「見える人が目をつぶること」と「そもそも見えないこと」の違いの解釈である。前者は、視覚情報の遮断、即ち、見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態であるのに対し、後者は、もともと視覚抜きで成立している体の状態である。著者は、これを更に、4本脚の椅子の1本がない状態(その椅子は傾く)と、もともと3本脚で作られた椅子(その椅子は当然立って
    いる)という、非常に分かり易く例えている。
    そして、そうした視覚障害者が外界を捉える特徴を諸々述べているが、私が印象に残った点は以下である。
    ◆見えない人には「視点」、「死角」がないため、物事の在り方を、「自分にとってどう見えるか」ではなく、「諸部分の関係が客観的にどうなっているか」で捉えている。つまり、富士山は末広がりの三角形(台形)ではなく、末広がりの円錐として、月は円ではなく、球として捉えている。
    ◆見えない人は、断片を繋ぎ合わせて全体を演繹する習慣がついている。見えたイメージに固執するということがないため、入ってきた情報に応じて、イメージを変貌自在に変えることができる、つまりイメージに柔軟性がある。
    そのほか全体を通して感じるのは、著者の障害者に対するニュートラルな姿勢である。「障害」を、身体的、知的、精神的な「欠如」と捉えるのではなく、「特徴」と捉えることによって、障害者だからできないことがあるのと同じように、障害者だからできることがあるというスタンスが貫かれている。
    「世界の別の顔」を知るヒントを与えてくれる一冊である。
    (2017年6月了)

  • 著者のスタンスがとにかく面白い。かわいそうな存在としてでもなく、変に持ち上げることもなく、とにかく「面白い人がいるんだ、聞いて!」といった感じ。例えてみるとこんな感じ。

    目の見える、でも第六感の働かないあなたが、第六感が普通に使われているけど視覚がない世界に行ったとする。とても不便だ。周りは第六感があることを前提に生活が成り立っているから、あなたには様々な「障害者向け」のサポートが用意されている。
    第六感がコミュニケーションの主要な手段になっているから、人対人の関わりになるとあなたはどうしても置いてけぼりになってしまう。でも、人対物になると目の見えるあなたの方が圧倒的に強い。周りの人には不思議がられる。「どうしてあなたはそんなに物の気持ちがわかるのか。まるで私たちには感じられないものが感じられているみたい。不思議だ。」

    本書は、これをひっくり返したような世界を見せてくれる。
    例えば、ブラインドサッカーがどうして成り立つのか、全くわからなかったけど、本書を読むと少しだけわかる。ボールに入っている鈴の音だけでサッカーしているわけではなく、実は鈴がなくてもブラインドサッカーできるくらい気配で他の選手やボールの動きは「見える」とのこと。

    もう一つ、目から鱗だったのは、健常者(目が見える人)とのコミュニケーションが「言葉で説明すること」を経由するため、目の見えない人だけでなく見える人にも「言葉の豊かな世界」が広がるということ。例として美術鑑賞が挙げられている。目の見える人と見えない人が一緒に美術館に行って、目の見える人がどんな絵なのかを言葉で説明する。大きさとか色とか素材とか形とか印象とか、問われて言葉にしていく。目の見える人が一人で絵を見に来たら、数秒から数十秒で黙って見て次の絵に移ってしまうところ、一つの絵に数分から数十分の時間をかけて、見たもの感じたことを言葉にしていく。言葉にした本人もその言葉を聞いて絵の理解を深める。
    なんて魅力的なんだろう。想像するだけでワクワクしてくる。ぜひ体験してみたい。

  • 目の見えない人と会議で同席する機会があって、その人の意見にすごく驚いたり、いまひとつピンとこなかったりした自分がいて、そんなときに書店で見かけたので買ってみた。

    この本を読んだからって見えない人のことが全部わかるわけじゃないけど、読んでよかった。

  • 美学・現代アートを専門とする東工大の先生が,視覚障害者へのインタビューと論考を綴った本.面白かったです.

    元々生物学者志望(現在は文学者)で,さまざまな生物への変身願望があったという著者が,観察対象へ没入するような丁寧な観点で世界を見直す事例が紹介されています.

    例えば,ハチから見える花畑とヒトから見た花畑では色の波長も違うだろうし,ヒトはきれいだと言うがハチは食事だと空腹を感じるかもしれない.
    では,身障者(生まれつき目が見えない人)と健常者ではどのように世界の見え方が異なるのだろうか?という問いから丁寧な対話を通じたエピソードと共に解説していきます.

    読み進めるうちに,身障者と健常者という区分が自然と溶けて個人と個人の違いに意識が向きますし,また,過去の自分と未来の自分の違いにも思いを馳せる感覚になってきました.

  • 自分の考え方が、いかに福祉的視点に偏っているかを痛感する。「どうしたら晴眼者と同じように暮らせるか」だけを模索するのではなく、「彼らはどのような世界を生きているのか」「見えないからこそできることは何か」などということを知らなければならない。視覚障害者に対する単純な興味からこの本を書き上げた著者に脱帽である。障害者をこんなにも笑い飛ばしてもまったくいやらしさを感じない、むしろ痛快さすら感じるところに、彼女の障害者に対する深いリスペクトを感じる。

  • ヨシタケシンスケさんの絵本はこの本から生まれた,ということで,特別にヨシタケさんの表紙カバーがついているのに惹かれて購入。それだけでなく,以前から「目の見えない人はどんな夢を見てるんだろう?」とか自分では想像つかない世界に興味があったので,「これは!」と思ったのでありました。
    目の見えない人といっても,程度の差があってこの本に書いてあることがその全てではない,というように,全編「断定」してしまわない姿勢にまずは好感が持てました。優劣をつけたり,正否をつけたりしない。そこに,想像力の働く余地があり,他者を受け入れる余地があり,共存できる余地があるなあ,と。見えない人の,私たちにはできない認知方法の良さを述べますが,見える人が劣っている,という話ではない。見えない人に配慮して世の中を作りかえろ,とかそういう話でもない。おたがいの認知方法なり,過ごし方を知り,足し合わせていくことで,両方の世界が広がるのではないかという提案。見えない人と美術鑑賞をする「ソーシャル・ビュー」などはその典型で,すごく興味深いと思いました。体験してみたい。ソーシャル・ビューは,読書に似てるな,とも思えて,自分の中に鑑賞物を再構築する作業であり,豊かな世界を一つ,自分の中に作る作業なんだろうな。
    というように,キーワードは「面白い」だと言います。「障害」(本書にならってあえてこの字を使います)をアンタッチャブルにしてしまわず,「そういうこともあるのか,面白い」と受け止められることで,ぐっと世の中生きやすくなるのではないか。そしてそれは,障害者と健常者の間だけでなく,一般的に言えることなのではないか,とも思えて「深いなあ」としみじみしたのでした。
    と,もっぱら個人レベルの話を書いているけれど,この本ではもっと社会的なことも書いてあり,そういう意味でもよく配慮された本だな,と感じました。

  • タイトルに惹かれて購入したが、期待はずれ。
    それ、わかるよね。という事をクドクド書いていてイライラした。もちろん、知らなかった事も書いてあったが。
    もっと多くの見えない方の話、特に先天性の方が、どのように世界を捉えているか、感じているかに「注目」して書いて欲しかった。

    「見る」 という文字に捉われた本。

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