プログラミング教育はいらない GAFAで求められる力とは? (光文社新書)
- 光文社 (2019年2月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334043971
感想・レビュー・書評
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挑発的なタイトルをつけたかった、プログラムの授業を受け持っている著者による、プログラミング教育についての本。
なので、こんなタイトルなのに著者自身はプログラミング教育に否定的というわけではないミスリードな本。
では、何がいらないかというと、具体的なプログラミング言語による開発についての教育はいらないけど、文科省が2020年度に必須化するプログラミング教育の目的である、「プログラミング的思考」を身に着けることについては賛成的な立場だそう。確かに、プログラミング教育というと、具体的なプログラミングによる開発を連想するだろうしね。そういう意味でこういうタイトルにしたというのは分からなくないかもしれない。
実際、著者のいうように天才プログラマだからといって億万長者になれるわけではないとのこと。フェイスブックのザッカーバーグやマイクロソフトのビルゲイツのプログラミング能力はすばらしいけれども、それ以上に優れている人はいるだろうとのことだ。やっぱり、プログラミング能力だけではなく、アイデア力と実行力が重要なんだろうなとは思った。
そういえば、プログラミング教室(学校の教育ではない)について、講師一人でみる生徒には限界があるということが書いてあったのだけど、なんで複数見る前提なんだろうなと思った。楽器の習い事なら大抵の場合、講師と生徒は1対1だろうと思うし、プログラミング教室もそういうふうにできないのだろうか。少数の生徒につきっきりだと月謝が高くなるみたいなことも書いてあったけど、自分が子供の時に習っていたピアノは基本的に1対1だったけど、この本に例としてだされてたプログラミング教室より月謝は安かった気がする。まあ、そのピアノ教室は個人でやってたものだからまた違うかもしれないけど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
プログラミング教育において「プログラミング的思考」を学ばせることの重要性を説いた本。
本書を読めばプログラミング教育必修化の経緯や意義、情報教育の現状や課題がよくわかります。 -
C言語にオブジェクト指向を取り入れたのがC++
オブジェクト指向→巨大で複雑なprogramを作る際に大きな武器になる
P.62
SIerシステムインテグレータ -
プログラミング的思考(も含めた広義のプログラミング)の教育がいいというお話でした。コーディング(狭義のプログラミング)の教育は低学年向けであるほど少人数の指導が効果的で、民間教室は都市部の方が多く費用負担から格差が生じている。学生、新入社員、社会人、経営者の場面を想定しても、論理的思考能力、問題解決能力、プロジェクトマネジメント能力、コミュニケーション能力といったプログラミング的思考に加え、情報技術の発展と活用に対し、「やれること」と「やっていいこと」は同義ではなく定め方と抑止力の指針を持つための哲学が必要な学びであるとの指摘に共感しました。
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プログラミングは異文化コミュニケーションという言葉がもっとも心に残っている。
自分とは異なる言語を理解しようとして、相手の言葉で相手にわかるように語りかける。
ヴィトゲンシュタインの言語ゲームでいう相手の言語を学ぶことなのだと感じた。
プログラミングを学ぼうと思いながらパイソンに手を出したりしたけど、うまいこといかず、ずっと迷走していたけれど、この本を読んですっきりした。
著者は実際に大学院で情報科学を教えている先生であり、その人がこんなタイトルの本を書くのか?とおもったけれど、意図としては、末端のソースコードを書く意義は低くなっているということだ。
それよりも上流にあるなぜそのプログラミングをするのかを考えることの方がよっぽど重要で、実際に著者が考えるプロジェクトを進めるにあたり大事な能力は、
論理的思考能力
問題解決能力
プロジェクトマネジメント能力
コミュニケーション能力
といったビジネスで必要なポータブルスキルに他ならなかった。
そしてさらには、なぜその課題を解決する必要があるのか?なぜその方法を使うのかなど、本質的な疑問を抱ける哲学的思考も大事だといわれていたことに、心から納得した。
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中々挑戦的なタイトルであるが、プログラミング教育を通して思考力とコミュニケーションを磨こうという筆者の主張を強く感じられた。
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いまの日本のIT産業を理解することはできた。ただ、副題にあるGAFAで求めらる力が、本書で語られている内容には違和感が残りました。
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【概略】
2020年から小学校で必修化となる「プログラミング教育」を、プログラミング教育に携わる著者が斬る。プログラミング教育とは、優秀なプログラマーを育成するものなのか、またはコンピューター技術を磨くためのものなのか、プログラミング教育を通じて育まれる本来の能力、そのための土壌づくりについて踏み込んでいくと、「プログラミング教育はいらない」というタイトルの意味が見えてくる。
2019年12月01日 読了
【書評】
年が明けた1月に学習塾の先生方にこのプログラミング教育に関連して講演をする(といってもプログラミング教育そのものではない)お仕事を頂戴してね。いくらプログラミング教育そのものについての講演でないにせよ、やはり勉強&下ごしらえをする必要がある、ということでまずは一冊目。
この本が一冊目でよかったかも。タイトルが与える挑戦的なインパクトとは裏腹に、プログラミング教育という素材を通じてもう一段抽象度が上がった「プログラミング教育を通じて、生徒達はどういった事柄・思考を育むべきか?」という箇所にしっかりとウェイトが置かれてて。「今、目の前で行なわれている作業が、どういった完成形となるのか?」というヴィジョンを忘れてはならないなと再認識。
本書では、その世界に疎い自分のような立場の人間が持っている「プログラミング教育とは?」についての知識矯正からはじまる。そしてここ興味深いのは、「上流・下流」という言葉でもって仕事・業務の種類(または個別のプロジェクトならばそのプロジェクト内の分担)を分けて説明していたのだけど、その部分がまさしく「具体と抽象」の考え方と同じだということ。上流というのはその仕事やプロジェクトの方向性を司るもの、下流は上流で決まった方向性や水質によってより具体的・枝葉の仕事に分派していく。ここで「プログラミング教育」で「本当に学んで欲しいこと」「育んでもらいたいこと」が、実は上流を意識したものであることにつながったりしている。
根拠も薄い、自分自身の感覚で、自分自身も陥ってるのだけど、(こういう括り、よくないのだけどね)とかくこの国では「下流」の仕事を美化しすぎることがある。もちろん「仕事に貴賎なし」なのだけど、職人気質からくる敬意が色濃く反映されてると思うのだよね。本当は、よりコアな、より神の領域にまで踏み込んでいる職人ほど、あらうる意味で上流を意識してるハズなのだけどね。ところが今後の世界の変動や、他国から良いところをどんどん盗もう!って意味でいうと、自分達はもっともっと上流を意識してもいいと思う・・・そのキッカケとして、このプログラミング教育が役立ってくれたら、ということなんだと思う。
・・・と同時に、リアルタイムで事件が起こっている現場が抱える慢性的な問題とこのプログラミング教育は、見事に・・・衝突してる。これは素人立場の自分から見ても、容易に想像できる。ヒトがいないのだ、(多分)カネもないのだ、(そしてこちらも多分)モノがないのだ。都会と田舎との格差なども、起きやすいだろうね。多くの人達がこの「プログラミング教育」を「狭義におけるプログラミング教育」として捉えてしまいがちで、その箇所に(現場を円滑にまわす、または盛り上げる)アイデアが加わり、「広義の、というより、本来の目的達成のためのプログラミング教育」が活用されたらいいのだよね。
もうちょっとこのプログラミング教育、勉強することにする。