- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334102524
作品紹介・あらすじ
世の中の発達とともに失われていった身体技法は、疫学研究者である著者の興味をひいてやまない。ある身体技法ができる、ということはどういうことか。なぜできるようになるのか、なぜできなくなるのか。本書では今はこの国でほとんど失われてしまった身体技法「頭上運搬」の記憶を追う。沖縄や伊豆諸島をはじめ日本各地や海外にその痕跡を訪ねつつ、話題は着物や伝統衣装、お産のほか、生活と労働を支えていた身体技法へと広がる。
感想・レビュー・書評
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頭にモノを載せて運ぶ、頭上運搬。
かつてな日本各地でも行われていたこの身体技法について、
フィールドワークで得た情報を綴り、生活や文化を探る。
・はじめに
I 失われゆく身体技法 II 頭上運搬の記憶をたずねて
III 生活と労働を支えた身体性
・あとがきにかえて
石垣島や沖縄県糸満、沖永良部島、神津島、江島、
中川の北山杉集落でのフィールドワークと様々な先人たちの
研究などから、かつて日本各地で行われた頭上運搬が
解き明かされてゆく。
頭に載せるのは、芋、薪、魚、水、タライに洗濯物、
燃料用のソテツの葉、花、丸太さえも。しかも重い!
載せる工夫のクッションは様々。額に紐を掛けての運搬も。
ササグやイタダキは神への供物、神饌を運ぶ意味が内包。
できると思ったから。周りの人がみんなやっていたから。
やらなくなったらできなくなった。
やっている人がいないのでできない。そう、
水道整備、車や自転車での運搬、石油燃料等の出現での、
生活の変化により、頭上運搬はほぼ消えてしまった。
でも、掲載されている頭上運搬の姿が美しい。
日々を支える運動で身体を意識し、センターの通った
真っ直ぐな筋の通った身体には、リズムとゆるみ。
まるでファッションモデルの如し。
このような失われつつある生活や文化を調べ、
教えてくれるのは有難いし、興味を深めてくれました。 -
手段によって身体が変わってゆく
華やかさとは違う、慎ましくそこにあって惹きつけられる美しさ -
頭上運搬の文脈にまつわる薄味エッセーかな。
身体技法に関しての記述はほぼない。
「やろうと思えばできるのだ!」って。
新書にもレベルがあって。
光文社新書は書き散らしレベルなんで。 -
<目次>
第1章 失われてゆく身体技法
第2章 頭上運搬の記憶をたずねて
第3章 生活と労働を支えた身体性
<内容>
身体技法のカラダの話と民俗学的な話が混ざっている本。少しどっちつかずになっているかな?男性が肩に担ぎ、女性が頭に乗せる、その違いをもう少し突っ込んで欲しかった気もする。身体技法を突き進めれば、今の姿勢を整える話になったり、世界と沖縄と日本の対比をすれば、民俗学的にも面白かったかな? -
主に日本国内の頭上運搬の「最後の世代」をいくつか紹介しつつ、共通事項と、いままでの頭上運搬に関する研究を結びつけている。頭上運搬の謎がはっきりするわけでもなければ、日本の生活に馴染む身体技法について広く知ることができるわけでもないが、過酷で良い評価をすることが現代では困難ながらも、その身体性との連続に感動する筆者の熱が伝わり、面白く読んだ。
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【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/572913 -
【本学OPACへのリンク☟】
https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/713832
著者プロフィール
三砂ちづるの作品






<書評>『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』三砂(みさご)ちづる 著:東京新聞 T...
<書評>『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』三砂(みさご)ちづる 著:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/326472?rct=shohyo
「頭上運搬を追って 失われゆく身体技法」 - 「京都・北山丸太」 北山杉の里だより(2024年05月02日)
https://blog.goo.ne.jp/kyotokitayamamaruta/e/11bc80473441f74577ebb3d0b2bd7735