今日の芸術 時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫 aお-6-1)
- 光文社 (1999年3月11日発売)
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感想 : 211件
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Amazon.co.jp ・本 (268ページ) / ISBN・EAN: 9784334727895
感想・レビュー・書評
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赤瀬川原平の解説より⇩
ぶつかる/はげしい意志/常識を否定して/のり越えて/ギラギラ/裂け目/とことんまで/身震いするような
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ゴッホの絵は出てきた時は狂人の絵だと相手にされなかったが、今日では時代がゴッホを乗り越えてしまったので優美で心地よく微笑ましい絵になってしまった。という文章よんで、今日の岡本太郎作品もそういうところあるよなぁと思ってしまった。
記念館などにある岡本太郎グッズいい感じにモダンで部屋においたらオシャレだもん。
誰もが絵を描けるし描かなければいけない!というのに結構ページを注ぎ込んで力説してるのには驚いた。また、芸道と違って芸術は決意の問題である(からお前が決意すればいい)というのは現実そうであり、簡単そうで踏み切れないところをスパッと後押ししてくれてる。芸術家志望者にとって即効性のある劇薬という感じ
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"分からないもの"に対して私たちは距離をとる傾向にあると思う。或いは、無理やり分かったつもりになるか。
この本は"分からないもの"を分からないままにすることの大切さを教えてくれた気がする。たまには、"分からないもの"を分からないまま受け入れてもいいのだ。-
2020/09/06
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2020/09/06
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2020/09/07
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いわゆる指南書ではないと著者は言っているが、この本のおかげで、今まで食わず嫌いしていた現代の抽象芸術や超現実派の作品を見るのが楽しくなった。
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もともとは貴族階級の占有物であった芸術が、資本主義の台頭によって一般階級のものとなった。と同時に、パトロン(お得意様)に向けて依頼された肖像画をできるだけ綺麗に優美に描くという、職人芸的な絵画は終わり、「きれいであること」「上手であること」はもはや芸術の条件ではなくなった。
そのうえで岡本は「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはいけない。ここちよくあってはいけない。」と宣言する。うまいから、きれいだから、ここちよいからという絵画の絶対条件が全くない作品で、しかも見るものに緊張を与え価値観を根底から揺さぶるような作品こそがほんとうの芸術である。
私は鹿児島市立美術館に行った際、ジャン•フォードリエルの「雲」という作品を前にした際、はじめて本当の意味で芸術に対峙した感覚があった。いわゆる抽象画で何が描かれているかはよく分からないが、なぜか心が激しく揺さぶられ、緊張なのか感動なのか自分でも分からない感情に支配されて、しばらくその場から動けなかった。芸術のもつ凄まじい力を実感させられ、それまでの自分の芸術鑑賞は型に当てはめて分かったような顔をしているだけの「八の字」的なものだったのだと気付かされた。
岡本はまた、すべての人が絵を描かなければならないと主張する。うまく書こうとしなくていい、でたらめでいいから、自由な気持ちで書くことが大事であると。
私も思い切って書こうとしてみるとこれが非常に難しい。どうしても「うまくなければならない、きれいでなければならない」と言った刷り込みがあるためか、鉛筆を書く手が止まってしまう。そうしたしがらみ、見栄や世間体、社会性に縛られた精神を乗り越えるために、苦しみもがきながら戦って自由を獲得し、自分の精神、人間性を積極的に打ち開いていかなければならない。そのようにして創造された芸術には、魂を根底から揺さぶるようや強烈な根源的驚異があるのだ。
すばらしい読書体験でした。1954年に書かれた本でありながら、内容はとても新鮮で、今を生きる自分にグサグサささりました。必読書だとおもいます。 -
わたしは「美しさ」を「きれい」と勘違いしていたようだ。
芸術の本質を、この本の中に見たような気がする。
熟練した技術や学びがなくたって、整っていなくたって、溢れる情熱を放出させればこそ、真の芸術が生まれる。
誰しもが表現者であり、常に時代は変わって芸術的な価値も変わっていく。
真似事をしてばかりではならない。自分をもっと表現したいと思った。 -
子供の絵が芸術になりえない理由や、太陽や花の描写の事は、凄く気付きになった。
今もみずみずしい言葉で綴られていて、日本の変わらなさに、気付かされる。
謙虚さを捨てていき、今を生きたいと考える。 -
岡本太郎といえば、誰もが知っているであろう「太陽の塔」の芸術家。この本のおかげで、岡本太郎のおかげで芸術について初めて考えることが出来た。芸術を考えるきっかけにしては内容の濃い、しかしわかりやすい本だった。
芸術とは、自分発信でなければならない。
最近、自由について考え、自在について考えていたので、それに関連付けて考えることが出来る内容だった。
ただ、とにかく現状に怒りを憶えているのだなぁと、しみじみ感じさせる口調で、学生運動とかこんな雰囲気だったのかな、と感じてしまったり、時代のギャップを感じざるおえない。温室育ちのひよっこな世代としては、すこし恐ろしささえ感じさせる、ハングリー精神あふれる人だなと感じ、魅力も感じた。
ただ、ひとつ。どうしても「岡本太郎という存在が、恵まれた環境にあった」という事実が、ぬぐいきれないもやっとした何かを僕の中に残しました。 -
岡本太郎の論調は現代にも当てはまる部分が多数あるのは事実だか2011に読むと少し違う
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岡本太郎はなんてvigorousなんだろう。彼の言葉の節々にその情熱が伝わってくる。
作者と作品だけでは作品は完成しない。観る人がいてこそ、作品は完成する。
彼の芸術論はわかりやすく、かつストレートである。 -
私は、はっきりと言います。芸術なんてなんでもない。人間の精神によって創られたものではありますが、道端にころがってる石ころのように、あるがままら見えるがままにある、そういうものなのです。←真摯に、愚直に、芸術を捉える姿勢として1番良い見方だな。
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ぼくは本を読むとき、気になったページを折ったり付箋をつけたりするのですが、そんな箇所ばっかりの変態的で、刺激的な内容でした。残念ながらそのほとんどに共感してしまいました。
芸術に立ち向かう我々の精神はどうあるべきか、芸術に携わる全ての人におすすめしたいと思います。いろいろ思うこと書きたいことはあるのですが、ぼくも忙しいので1箇所だけ引用して、ご紹介します。興味があったら読んでください。
絵を描くことーそれは評価されるのが目的ではありません。この原則はおとなのばあいも子どものばあいも同じことです。自分のうちにあるものを外に投げだす。本能的な表現欲、その衝動がいかに自由に、直接にあふれだし、結晶し、定着されるか。それが根本です。人に喜ばれようが、ほめられようが、またときにたいへんな商品価値を与えられようが、そんなことは、二義的でしかありません。
cf.山本美芽『りんごは赤じゃない』
教育に関することがメインですが、芸術に対する精神の多くが共通しています。
また再読。絵を描くこと(芸術)は本能的な表現欲そのもので、誰のためでもない自分が生きるためにあるということ。このことばが定期的に必要になるのは、すなわち自分が未熟だということを思い知らされるようで悲しくもある。自分が音楽に取り組む姿勢は、芸なのか芸術なのか、改めて向き合いたいと考えた。ヨーゼフボイスを思い出した。アバンギャルドであり続けたい。 -
・日本での生活で抱く違和感が分かりやすく言語化されていて腑に落ちた。
・創造欲が掻き立てられる。まだ知らない自分と出会える可能性を感じさせられる。 -
魂を揺さぶられる。魂を揺さぶられろ。
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2023年度【芸術学部 彫刻専攻】入学前知トラ「課題図書」
OPAC(附属図書館蔵書検索)リンク
https://opac.lib.hiroshima-cu.ac.jp/opac/volume/346172?locale=ja&target=l -
前半は怒られてるような、又は怒られてる人を見てるような気まずさと「やはりこの文章は一時代前に書かれたものだナ」と批判したくなる気持ちが掻き立てられるけど、後半に向かうにつれてアツ〜くなっていって勇気づけられる。
何より岡本太郎の説明能力が高すぎる。美術系の人とばっかり話してると、美術教育を受けてない人との話し方が分からなくなるし、本当に全然伝わらなくて辛く寂しくなるものだけど、岡本太郎は芸術家が絵を描く時何を考えてるのか、何にワクワクしてるのか言語化するのがうますぎる。今後引用できるように何本も線引いちゃった。 -
専門的な言葉や根拠となる事例も並べつつ芸術の歴史と見解を述べていてハッとさせられた。
・流行の「創造」と「模倣」の二つの要素が時代を進めている
・新しいといわれればもう新しくない
・芸術なんてなんでもない。人間の精神によって創られたものではあるが、道端にころがっている石ころのように、あるがまま、見えるがままにある、そう言うもの。
著者プロフィール
岡本太郎の作品
