半七捕物帳 1 新装版 (光文社文庫 お 6-16 光文社時代小説文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (453ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334732295

作品紹介・あらすじ

岡っ引上がりの半七老人が、若い新聞記者を相手に昔話を語る。十九歳のとき、『石灯篭』事件で初手柄をあげ、以後、二十六年間の岡っ引稼業での数々の功名談を、江戸の世態・風俗を織りまぜて描く、捕物帳の元祖!「お文の魂」「半鐘の怪」「山祝いの夜」等十四編収録。

感想・レビュー・書評

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  • 半七捕物帳の「白蝶怪」が課題本の読書会に参加するため、「白蝶怪」が収録されている六巻と、最初の一巻を読みました。

    小説のジャンルの「捕物帖」といったら、江戸時代の捜査物ですね。実際の捕物帳というものは「与力や同心が岡っ引きらの報告を聞いて、更にこれを町奉行所に報告すると、御用部屋に当座帳のようなものがあって、書役がとりあえずこれに書き留めておく帳面のこと」なんだそうです。

    日本では、岡本綺堂が「シャーロック・ホームズ」に影響を受けてこの半七捕物帳を書き、池波正太郎が「捕物帖といったら岡本綺堂だが他にもあるぞ」と鬼平犯科帳を書いた、という流れのようです。
    他にも久生十蘭の「顎十郎捕物帖」、野村胡堂の「銭形平次」、横溝正史「人形佐吉捕物帖」などがありますね。
    「鬼平」と「半七」からは現実の厳しさを感じるんですよ。これは江戸時代のシビアさなのか、作者たちの昭和の戦争前後の世情だったのか、わざわざ鬼平犯科帳を「義理人情」というくらいに「この世に情けはないのか?」と思いたくなるような現実の厳しさがあったのでしょうか。
    (そうなると現代作家の、例えば宮部みゆきによる捕物帖はもっと柔らかい雰囲気なのかな?)


    こちらの半七捕物帳は、書き手が「たまたま江戸時代に岡っ引きだった半七という隠居老人と知り合った。自分はたびたび半七老人を訪れて話を聞いて世に発表しています」という体裁をとっています。
    江戸時代の与力には、同心が4,5人ついていた。同心の下には岡っ引きが2,3人ついていた。その岡っ引きには4〜10人くらいの手下が付いていたということです(岡っ引きは、この手下を自分の安月給から支払ってやらないといけないから、他にも商売やってないと生活できなかったらしい)。
    そして半七は”岡っ引き”なんだけど、岡っ引きの正式役職名は”小者(こもの)”というらしいがそれでは格好つかないので別名”御用聞き”とか”岡っ引き”とか”手先”とか”目明し”とかいろんな名前で呼ばれていたということ。

    なおこの光文社半七捕物帳の最終巻である6巻の一番最後に、全事件のメモとして、起きた日付と場所、事件の概要、調査担当者などが書かれているのでとても便利です。


    『お文の魂』
    武家の嫁と幼い娘だけが見る水に濡れた女の幽霊。娘がいう「お文」という女は何者か、なぜ二人だけに見えるのか。
    ==分かってしまえばこんなもん、なのでしょうけれど、そんなことになった当時の時代背景も感じられました。

    『石灯籠』
    大店の娘が行方不明になった。翌日帰ってきたと思ったら、煙のようにまた消えたという。さらに大店の女将さんも殺されて…。
    ==ちょっと不思議なことが起こる推理小説として面白かった。

    『勘平の死』
    大店の金物屋の一家は芝居が好きで、正月には近所を招いての素人芝居が恒例となっていた。しかしその年、若旦那の勘平が舞台の上で死ぬ。芝居用の刀が本物にすり替えられていたのだ。さらに跡取り息子の勘平は、実は旦那が昔よその女に産ませた息子だと分かり…。
    ==人の情が絡み合い…

    『湯屋の二階』
    お侍なのに湯屋の二階でゴロゴロしている怪しげな荷物を持った二人組を巡る騒動。時代遅れの「仇討ち」システムを読むと、仇討ち相手を探すのって本当に無理だろ…と思う。

    『お化け師匠』
    踊りの師匠の歌女寿(かめじゅ)が死んだ。業突婆で、かつて弟子の歌女代をいびり殺したため”お化け師匠”と呼ばれていた。歌女寿は、物置で黒蛇に縊り殺されていたという。これは死者の祟りなのか…。

    『半鐘の怪』
    近頃江戸野町では妖怪の仕業かと思われる出来事が相次いでいた。人気のない火の見櫓の半鐘が鳴る。洗濯物が一人で歩く。妖怪らしき物陰が人を襲う。
    近所のいたずら小僧が捕まるが、それをあざ笑うようにさらに事件は続き…。
    ==不思議で怖い話はやっぱり面白い。ネタとしては海外文学の「史上初の推理小説」と呼ばれるあの小説を思い出しました。

    『奥女中』
    茶店の若い娘お蝶が姿をくらました。10日後に帰ってきたお蝶は不思議な体験を語る。数日後またお蝶は姿を消す。お蝶は何に目をつけられたのか。
    ==平和に解決してよかった。

    『帯取りの池』
    帯取の池という怪談がある。池に美しい帯が浮いていて、取ろうとした人間を水の中に引きずり込んでしまうという。
    そんな伝説のある池に、若い娘の帯が浮いていて…
    ==男女の情の絡み合い。めんどくさいことに自らはまり込んじゃったり、なんかいい気なもんだがまあそれが人間の情だよねってところ。

    『春の雪解け』
    療養中の花魁に呼ばれた按摩は、その座敷になんともいえない嫌な気配を感じる。
    ==「半七捕物帳」において、男女の情が絡んで縺れる話、そんなに悪くない人でも一度ケチがつくとその後は転がり落ちるという話がそれなりにある。人間の理性ではどうしようもない情、人間では防げない天の采配のようなものが、人の命運を妙な方向に追いやる。

    『広重と河獺(カワウソ)』
    動物犯人小話2つ。最初の話は「さすがにそれを動物にできるのか??」とちょっと思う。
    しかし江戸が都会だといっても、大鷹が舞ったり、河獺が泳いだり水辺を歩いたり、自然がもっと身近で、人間には予測も回避もできないことってたくさんあったんでしょうね。

    『朝顔屋敷』
    朝顔の呪いの言い伝えがある旗本屋敷で、13歳の倅の大三郎が神隠しにあった。
    どうも”女の浅知恵”がろくなことにならない話がおおいな…。

    『猫騒動』
    長屋で猫婆さんの おまき が頓死した。はて、猫の呪いか…

    『弁天娘』
    大店の一人娘お此(おこの)は器量よしで気立てもよいがどういうわけか縁遠く「弁天娘」と渾名されてしまっている。
    最近店の小僧の徳次郎が急死した。最期に「お此さんに殺された」と言ったというのは穏やかでない。
    ==うーん、お気の毒…

    『山祝いの夜』
    箱根の宿でおきた強盗殺人。
    強盗とは知らずに自分の共に入れてしまった与力の若侍は、腹を斬って詫びるという。その心意気を感じた半七は調べを引き受ける。

  • 一度図書館で借りて読んだのですが、やっぱり手元に欲しくて購入(古本だけど)。全巻揃えたい。
    書かれたのは90年くらい前になるそうなのですが、今読んでも全く古くさくない。やっぱり長年読み継がれている物にはそれなりの理由があるんだなあ、と思う事しきりです。
    推理物としての展開もさることながら、舞台の江戸の雰囲気も凄くいいんですよね。特に「お化け師匠」とか「帯取りの池」とかの序盤のちょっと怪談ぽい感じ、いかにも綺堂という感じで好きです。

  • 新聞記者の「私」が、岡っ引き上がりの半七老人から聞く事件の数々。江戸時代の世態・風俗が鮮やかによみがえる。

    いやー、素晴らしかった。
    まず文章が美しい。いかにも江戸風な、しゃっきり、さっぱりした語り口が心地よい。いくらでも読めそうな、それでいて飽きの来ない文章なのである。
    そして、それぞれの短編のクリオリティの高さには、目を瞠るものがある。
    ミステリーとしてはちょっと説得力に欠ける部分が多いのだけど、お話としてどの短編も実によくまとまっていた。全話が短編としてもやや短めなページ数になっており、それが半七捕物帳の「一話」なのだ。だれず、たるまず、ちょうどよい長さで、実際に半七老人が話したら、これぐらいだろうなぁ、と想像できる。

    いいですねぇ、半七。さすが岡本綺堂、安心して読めますねぇ。
    下手な短編集を続けて読んでしまったときなんかに、お口直しとして読むのに取っておきたいシリーズだな。

  • 2019年3月2日、読み始め。

    読了したのは、
    ・お文の魂
    ・石燈籠
    ・勘平の死
    ・湯屋の二階
    ・お化け師匠

    171頁まで読んで、返却。

    2021年5月16日、追記。

    ウィキペディアで、著者、岡本綺堂を見ると、

    岡本綺堂(おかもと きどう、1872年11月15日(明治5年10月15日) - 1939年3月1日)は、小説家、劇作家。本名は岡本 敬二(おかもと けいじ)。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。新歌舞伎の作者として知られ、また著名な作品として小説「半七捕物帳」などがある。

    また、漱石の明暗が絶筆になったのが1916年につき、岡本綺堂と漱石は、同時代を生きたと思われるので、漱石も調べてみた。
    結果は、岡本綺堂が1872年生まれ、漱石が1867年生まれ。

    ウィキペディアで、漱石を見ると、

    夏目漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者、俳人。本名は夏目金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍した近代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり、講演録「私の個人主義」も知られている。漱石の私邸に門下生が集った会は木曜会と呼ばれた。

  • 手下になって、半七親分マジかっけえっス!て言いながら可愛がられたい。鰻食べたい。初出が大正時代だというのに、つい最近出版されましたと言われても信じて しまいそうな読みやすさにまず驚いた。美しい文章で描かれる江戸の風物が魅力的。時代背景が幕末なこともあって、もうすぐ消えゆく風景だと思うから尚更かもし れない。これは名作と呼ばれるの納得です。「お文の魂」から「山祝いの夜」まで14編収録。本当は青空文庫を纏めたものを読んでいる。これが無料だなんて、読ま ない理由がない。

  • たまたま続けて読んだ「知的生活の方法」、「きたきた捕物帳」の両方で本書が絶賛されていたので、興味を持って購入。
    100年前の作品だが、さすが絶賛されるだけのことはある、と唸った。江戸末期を舞台にした連作推理なのだが、長編小説になりそうな題材が次から次へと繰り出されて「もったいないのでは?」と思ってしまうほど。
    説明不足、ご都合主義に感じる部分もないではなかったが、それは普段「本書に学び、工夫を重ねた現代作家の作品」を読んでいるからなのだろう。

  • ちっとも古めかしさを感じないですね。
    きれいな日本語というか、正しく美しい日本語で書かれているので、とても品があり、さりとて堅苦しくはなく、江戸っ子気質でさっぱりあっさりした文面は読みやすいです。
    そうなんだよな、一から十まで言葉で伝えなくても読者に委ねればいいんだよな、と(物書きでもないくせに)思いました。
    現代で言えば、令和になったこの時代に昭和時代の話を書いているのと同じで、電灯が通ったとはいえ、そこここに江戸の夜の暗さがリアルに残っている風景。そういった雰囲気が行間からにじみ出ていて、いわば地に足のついたリアリティさが良いです。

    まだ3話までを読んだだけですがとても面白く感じました。続きも読みます。

  •  1917(大正6)年から1936(昭和11)年にかけて雑誌連載されたこの連作は、「捕物帖」なるジャンルの嚆矢であるらしい。
     私は時代劇はあまり好きでない。小学校低学年以下の頃だか、家で祖母や父親がテレビの時代劇ドラマをときどき観ていたので、何となく眺めていたが、つまらなかった。なんだかどれも同じ話を繰り返しているようでマンネリだし、決まって悪い商人みたいのが悪さをしていて、彼とつながっている陰の権力者が「おぬしもワルよのう」なんて言っていて、そんな連中に善良なおとっつぁんと若い娘がいじめられていて、じっと耐えているところに、最後「お上」がやってきて悪者を懲らしめてくれる。いつもそんなだ。自分では何も解決できないから正義の「お上」の裁きを諾々と待っているだけという、日本人的な無為の精神が何となくイヤだった。
     さて本書を読んでみると、そんな話では全然なかったのである。善と悪なんていう単純な図式は用いていないし、話の内容もバラエティに富んでいる。
     第1話である「お文の魂」の最後に、岡っ引きの「半七」について、
    「彼は江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズであった。」(P.38)
    と書かれている。岡本綺堂はまさに、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズを原語で読み、これを江戸時代に置き換えて新たな物語空間を生み出したのだったらしい。そう言われてみれば、確かにホームズっぽい感じがする。どうやら綺堂(1872-1939)はドイル(1859-1930)をほとんどリアルタイムで読んでいたように思われる。
    『緋色の研究』(1886)で始まるドイルのシャーロック・ホームズものは、近代推理小説の祖とされているが、読者にすべての伏線を示して謎解き問題を提示しようという「本格推理小説」はむしろ、ポー(1809-1849)の『モルグ街殺人事件』(1841)の方が近いような気がする。ホームズものは、なるほど謎と謎解きはあるものの、むしろ物語の面白さの方が際立っており、小説としての輝きはシャーロック・ホームズという奇人変人のキャラクターの魅力が中心だと感じる。コナン・ドイルは他にも『失われた世界』等の、更に変人度の高いチャレンジャー教授ものなどもあって、たがの外れたようなキャラクター造形を中心に、冒険談的な楽しい物語を書いた作家だった。
     しかし、懐かしい。私がドイルを読んだのは遙か昔、中学生の頃である。
     さて岡本綺堂の半七は、ホームズのような変人ではなく、ごく普通の人物である。特別な推理法を持つわけでもなくて、どうやら直感(山勘)と運で事件を解決していくようだ。真相解明は意外だが、ホームズものと同様、読者に伏線をすべて示すわけではない。単純に「実はこうだった」という驚きが示されて、読者は素直にその驚きを楽しむのである。特異なキャラクターではない代わりに、本作は江戸時代の世相風俗や多彩な人物をえがいているのがとても興味深く、面白い。
     読んでみて、いかにも「時代劇」というものに私が抱いていたようなマンネリなところは全く無く、14編から成る本巻のどの話も多彩で、面白かった。楽しい。
     とりわけ「猫騒動」は怪談になっていて、いかにも岡本綺堂、と嬉しくなった。
     この光文社文庫版は半七捕物帳の全話を収めていて全6巻となっているようだ。大正時代から昭和初期に書かれた本作は、どうやらずっと読み継がれてきたらしい。名作である。

  • 江戸時代末期に岡っ引きとして活躍し今は隠居の身の半七老人が、明治の世になって、若い新聞記者に昔の手柄話を語る。海外のミステリーを渉猟した作者が独自の形式として編み出した、捕物帳の嚆矢。江戸の暮らしぶりや、幕末の騒乱にもかかわらず日々をつつましくしたたかに暮らす人々の息遣いが伝わる。何より読み物として夢中になる面白さ。仮名遣いは現代的になっている。
    収録作品は、お文の魂、石燈籠、勘平の死、湯屋の二階、お化け師匠、半鐘の怪、奥女中、帯取りの池、春の雪解、広重と河獺、朝顔屋敷、猫騒動、弁天娘、山祝いの夜。

  •  購入は1998年と思われる。同期購入の「影を踏まれた女」か数年毎に読み返してしまう。自分がまだ存在しなかった時に書かれた本はどこかなつかしく悲しい。
     しまったままだった本書を再度手に取ったのは宮部みゆきの影響が大きい。
     私は彼女の文体が大変好きである。特に江戸物はいい。残念ながら鹿児島-薩摩-の地に住んでいては江戸の地理は不案内である。
     本作はその江戸地理にすら手を出してその時代を知ろうとした一品である。

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著者プロフィール

(おかもと・きどう)1872~1939
東京生まれ。幼少時から父に漢詩を、叔父に英語を学ぶ。中学卒業後、新聞、雑誌の記者として働きながら戯曲の執筆を始め、1902年、岡鬼太郎と合作した『金鯱噂高浪(こがねのしゃちほこうわさのたかなみ)』が初の上演作品となる。1911年、二代目市川左團次のために書いた『修禅寺物語』が出世作となり、以降、『鳥辺山心中』、『番町皿屋敷』など左團次のために七十数篇の戯曲を執筆する。1917年、捕物帳の嚆矢となる「半七捕物帳」を発表、1937年まで68作を書き継ぐ人気シリーズとなる。怪談にも造詣が深く、連作集『三浦老人昔話』、『青蛙堂鬼談』などは、類型を脱した新時代の怪談として評価も高い。

「2022年 『小説集 徳川家康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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