すっかり赤川次郎さんの小説はご無沙汰しちゃってるのだけれど、その間にミステリ小説やアンソロジーなどの解説で赤川さんの文章にお目にかかる機会が数回あった。それらの解説はいつも何かしら心に残るものがある。
そんな解説を書く赤川次郎という作家は、どのような考えを持ち、どんな思いを言葉にのせて小説を書くのだろう。作家・赤川次郎を誕生させたものはなんだったのだろう。そんな興味もあってエッセイを読んでみた。
このエッセイは「作家になるまで」、「小説作法」、「想像力」、「次の世代のために」など、学生や一般の方々を対象に、講義・講演された内容を再編成したもの。
「真剣に、本当に思っていることを話すしかない」という、赤川次郎さんの姿勢を通じて伝わってくる想いには胸が打たれる。きっと聴講した「次の世代の人」たちは、世の中の流れに安易に流されることなく一旦立ち止まり考えること、自分の言葉で思いを伝えること、それらがどれだけ大切なことなのか気づけたことだろう。
このエッセイを読んでわかったのは、作家・赤川次郎の誕生に欠くことができなかった、いちばん大きなものは父親の存在だということ。
映画に関わる仕事をしていた父親は、赤川さんが物心つく頃にはすでに外で女性を作ってそちらの方で暮らしていた。赤川さんは父親と一緒に暮らしたことはほとんどなく、父親不在の家庭環境で育つ。
赤川次郎さんにとって、この世に父親という存在はあるものの、赤川さんの生きる世界では父親は不在であり、それが当たりまえだった。
「よそとは違う家庭環境、勉強やスポーツが出来なかったというコンプレックスの中で、唯一自分を取り戻す、自分の存在価値を見出す手段として、小説を書き、成り行きで作家になってしまった」という。
赤川次郎さんの初期の頃の小説を読んだことがある方なら気づいておられるかもしれないが、『三姉妹探偵団』や『幽霊列車』などのほとんどの作品で父親が不在だったり、亡くなっている。『セーラー服と機関銃』や『殺人よ、こんにちは』も作中で父親が亡くなったよね。
父親が大きな役割を果たすような小説を書いていないことを、赤川さんは家庭の中に父親がいるという経験がなかったので、いったい家の中で父親は何をしているものなのかが、わからなかったからだと話されている。
ところが自身が結婚し、子どもが生まれ、自分が父親として家庭の中にいることになると、その頃から、書く小説の中にも父親というものの存在感が出るようになった。
そして次第に、自分のなかで否定していた父親という存在に目が向きはじめ、小説家となった自分は父親の気質を受け継いでいるんだろうと考えられるようになっていく。
赤川次郎さんの小説を初期のものから順番に読んでいくと、その変化は顕著に表れているはずだ。
作家が変わっていくと書かれる小説も変わっていく。そう考えると小説も血が通う生身のものなんじゃないかと思えるのだ。
もうひとつ、印象が強く残る講演の内容に、社会への強い危機感に対しての赤川さんの考え方があった。
たとえば、戦争というものを「やられたらやり返せ」のような個人の喧嘩のレベルにまで持ってきて話をすれば、とてもわかりやすく簡単に思える。でも、そうではない。
戦争は、決して簡単に説明できないものなのだ。今の世の中を、世界を理解しようと思っても、そんなに簡単に理解できるものではない。
「物事はわかりやすければいいというものではないということです。つまりわかりにくい物事、難しい物事というものが世の中にはあるということなんですね。つまりそれを敢えて簡単にしようとすると、とても大事なものを見落としてしまう。」
一つの原因で、一つの理由で戦争は始まるものでは絶対にない、と戦争を例にあげて語られる。
「今、私たちが体験している、この時代の中の非常に大きな出来事も、全て私たちの目の前で見ているとおりでは決してない」
これはとても大切な考え方だとわかっているはずなのに、振り返ればどきっとする自分がいる。
想像力を働かせ、果たしてこれは本当のことなのか、違う見方があるんじゃないか、いつも自分の中に問いかけていきたいと改めて心に刻んだ。
おおっ、一緒だぁ。嬉しいです。
わたしも学校で読んでました!
小学校の図書室は入り浸っていたんですけど、中高時代は...
おおっ、一緒だぁ。嬉しいです。
わたしも学校で読んでました!
小学校の図書室は入り浸っていたんですけど、中高時代は図書室を利用してませんでした。。。
なので、赤川作品があったのかはわからないんです。
あの頃はコバルト文庫に夢中で、氷室冴子さんや新井素子さん、藤本ひとみさんのものを友だちと交換しながら読んでました。
今でこそ、フェミニズムやジェンダーの観点から、男らしさ女らしさ、男女の役割の区別など、またいろんな家族の形態があることが特別じゃない、そんな世の中になってきましたが、昭和時代のまだ10代初め頃のわたしには、少女小説文庫に男性作家の赤川次郎さんがいたことや、クロロックの後妻がエリカの後輩の涼子だという設定に、ものすごく衝撃を受けてました。
でも、それが嫌だという衝撃じゃなくて、とても新鮮な驚きでした。
そう思うと、赤川さんて昔から考えが深いというか、物事をいろんな角度から見られる作家さんだったんだなぁ。
エッセイに書かれたことは、本物の赤川さんの言葉なんだと改めて思いました。
本当、赤川次郎全集なんてものが出版されたら、揃えたいくらい、読んでみたくなってきました 笑
確かに、言われてみれば、コバルト文庫に赤川さんの作品があるというのは、女性の気持ちに寄...
確かに、言われてみれば、コバルト文庫に赤川さんの作品があるというのは、女性の気持ちに寄り添えないと、できないことですよね。
ただ、涼子の設定に関して、当時の私は、あまり気にならなくて…小説だから、こういう設定もあるんだろうなって。
視点を変えれば、違和感が無いくらい、赤川さんの家族の書き方が自然だったということかもしれませんがね。
でも、その後、赤川さんの女性キャラには、当時の社会状況と関係なく、平等な視点で見てくれているなとは思っていました。
特に、三毛猫ホームズシリーズの、晴美のキャラクターには、当時の他の作家の作品では見られなかった、女性が生き生きと前に出て活躍する姿を、自然に書いていることが印象的でした。
最初の「推理」だけは、内容的に別でしたが、その後の「追跡」以降は、まさに水を得た魚のような縦横無尽さで、男性陣、顔負けの様子が、微笑ましかった記憶があります。
また、晴美を見守る片山刑事や石津刑事の温かさもいいですよね。
地球っこさんの、赤川さんの作品への思いの深さに、私もまた、読みたい気持ちになりました。
ありがとうございます(^o^)
赤川作品から、こういう視点でお話することができたこと、とても新鮮で楽しかったです♪
赤川作品から、こういう視点でお話することができたこと、とても新鮮で楽しかったです♪