遠野物語 (光文社文庫)

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  • 光文社
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レビュー : 19
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334742393

感想・レビュー・書評

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  • 森山大道さんの写真集は、どれも不思議な郷愁や懐かしさを持っているのですが、不意に提示される事物の圧倒的な存在感にびくっとすることもあり、この本もそのような印象だったと記憶しています。
    無作為な羅列のようでいて、物語を感じさせる内容です。

    この本を読んだのは7年も前ですが、その時の感想というかエッセイめいたものが見つかったので少し推敲して載せておきます。

    ::::::::::::::::::::

    森山大道は、何も考えずに撮るが、
    撮るということをとても考えている。

    彼の撮った写真にはあざとさや、衒いがない。

    ----
    自分は以前、写真という写実の媒体を使う写真家は、その表現力を機械に頼っていると感じていた。画家よりもおとるのでは、と。

    たしかに同じ場所で同じカメラで同じアングルでシャッターを押せば、誰が撮っても論理的には同じような写真が撮れるはずだ。

    では写真家の表現力とはどこに現れるのだろうか?

    写真という芸術は、作品が無機的・写実的・機械的な性格を持つがゆえに、見るものに、撮影者自身の姿を想像させずにはおかない。

    写真に固着されている情報はたしかに光の瞬間的データであるが、見た者はそこから写真家自身の姿や思いを想像するのだ。

    何を撮っているのか、どのように撮るのか、撮ってきたのか、なぜ、それを撮るのか。
    写真家にその写真を撮らせたのはなんなのか?

    その問いに対する答えをどう伝えるかが、写真家の表現力であり、その源は写真に対する意志である。写真家の写真には写真家自身の生き様や哲学が転写されるのだ。

    森山氏を始めとする写真家たちの作品を見て、そう考えるようになった。

    ---
    この『遠野物語』の写真にも、森山大道という人間が遠野に行き、何を見、何を感じたかが生々しく記録されているように感じられる。

    モノクロであるがゆえに、色彩やディテールに気を取られずに、被写体そのものの存在感、そして、その被写体を選んだ彼自身のスタイルや流儀、哲学を想像することができる。

    この作品から強く伝わってくるのは、森山氏の写真に向かい合う純粋さである。
    いい写真をとろうとか、きれいな写真をとろうとか、そういった見栄は感じられない。
    ものをみたそのままを感じるままに、
    まるで目で見るようにカメラで見ている、そんな風に感じた。

    しかもその視線は好奇でも凝視でも傍観でもない。

    自分のようなアマチュアのカメラ好きは、カメラを構えると、ちょっとしたものを撮るにも、やれ構図だ、やれ光の加減だ。ピントだ。逆光だ。とあれこれ気にかかる。

    それらは、必要なことだが、写真をとる本質ではない。それらは、きっと無意識的に行われるべきで、意図的すぎてはいけない。
    それらに気をとられ過ぎるのは、商業的なことであり、被写体至上主義とも言えるものだ。

    写真家が芸術家であろうとするには、
    被写体をいかに美しく写すかだけではなく、
    被写体を撮る自分が何なのか、何を思うのか、示し続けなければいけないのだろう。

    被写体を写すことでしか表現できない写真家は、
    自分自身の姿を、写真というフィルタを通して、被写体に投射する。

    ―写真には、写真家の肖像が写っているのだ。

    (…こういうとまるで心霊写真のようだが)

  • 本書を片手にまた遠野を訪れたい。

  • 1970年代に記録された遠野のモノクロ写真を主体としたフォト・エッセイ集。

    どこか日本の原風景を感じる遠野。いにしえより、日本の良さを残し続ける遠野。不思議な街、遠野…

    そんな遠野を様々な視点から撮影したモノクロ写真は生々しくもあり、美しくもあり、恐ろしさ、厳しさ、物悲しさを感じる。大半が、こうしたモノクロ写真で埋め尽くされ、エッセイは後半にひっそりと僅かばかり収録されている。『遠野物語』と題して『なぜ遠野なのか』『遠野へ』『遠野で』『もうひとつの国』と、どこか粘着質を感じる4編のエッセイを収録。

    これは、これで、有りかも知れない。

  • なんか古いなと思ったら、1970年代の再発だった。

  • 四分の三くらいが写真なのですぐ読み終えることができた。私の写真作品鑑賞などそのていどのものである。とはいえ、写真はいつもの森山大道作品の力とけっして見劣りするものではない。

  • 文庫本。大半が写真。後半から書かれている文書はインタビューの書き起こし。この流れていくかのような体裁に森山大道という人の姿勢が見て取れる。というのは言い過ぎだろうか。写真とはこんなもので、写真だからこういう切り口ができる。という一つの提示とも感じられる心地よさがこの本からは伝わってきた。撮影、喫茶店、撮影、喫茶店、撮影、喫茶店の彼が言う変な流れも「リズム」ととらえればごく自然。森山大道の写真がびっしり敷き詰められた部屋が見たい。それが読後に真っ先に浮かんだ感想。

  • 柳田国男の『遠野物語』に触発され、'70年代の遠野の情景を捉えたフォトエッセイの文庫版。漆黒の影のなかにぼやける光のコントラストが絶妙。森山大道の写真観が語られる文章もなるほどーな内容でした。

  • 結局モノクロで、美しいと思える風景もなければ考えさせられる描写も無し。文庫版なので写真は小さいし、「昔遠野はこんな風景でした」ということだけが知りたい人しかあまり価値はない。

    遠野に関してはもっといい写真集が出ているのでそっちを買った方がよい。

  • ここと言った故郷がないから、架空の故郷を作ってしまう、というところに共感。

  • 森山大道が旅し、モノクロフィルムに収めた1970年代半ばの遠野は、当然ワタシがよく知っている遠野とは違う。しかし、今は見ることのない場面が切り取られても「ああ、ここは遠野だ」とすぐわかる。それは、彼が遠野に憧れ、旅をして写真をとっていた時に感じていた「ふるさとの姿」と同じものを、ワタシも旅した時に感じたからだった。遠野を訪れる人のほとんどは、まさにその気持ちを持っているのだろうな。

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プロフィール

写真家。1938年大阪府池田市生まれ。デザイナーから転身し、岩宮武二、細江英公の助手を経て、1964年にフリーの写真家として活動を始める。1967年『カメラ毎日』に掲載した「にっぽん劇場」などのシリーズで日本写真批評家協会新人賞を受賞。近年では、テートモダン(ロンドン)で行われたウィリアム・クラインとの合同展(2012~13年)他、国内外で大規模な展覧会が開催され、国際写真センター(ニューヨーク)Infinity Award功労賞を受賞(2012年)するなど、世界的に高い評価を受けている。

「2017年 『写真集 あゝ、荒野』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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