読書の方法: なにを、どう読むか (光文社文庫 よ 13-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (421ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334742614

作品紹介・あらすじ

「なにに向かって読むのか」「どう読んできたか」「なにを読んだか、なにを読むか」。偉大な思想家・詩人であり、また類まれな読書家でもある著者が、読書をとりまくさまざまな事柄について書いた、はじめての読書論集成。長年における著者の思索の軌跡、思想の背景が存分に詰まった、「知」の巨人による異色の読書論。著者と荒俣宏との対談も収録。

感想・レビュー・書評

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  • 読書という行為についてや、具体的な本についての文章が収録されている。
    第1章と第2章はある程度興味深く読めたけど、具体的な本の話になりと不勉強故になかなか話についていけなかった。
    でも、太宰治が読みたくなりました。

    1番面白かったのは荒俣宏さんとの対談。
    テーマは恋愛小説。
    ラブ・ロマンスを「ほんとうのような嘘」という点で評価する部分が非常に面白く、荒俣さんが紹介している2冊の恋愛小説も読んでみたくなった。
    今の恋愛小説は内側に障害を設けなきゃいけないという話が不倫設定がやたら多いことに繋がるのかもしれないな…なんて考えたりもした。
    他のジャンルについても対談してくれないだろうか。

  • 吉本氏が1960年から1999年にかけて書いた"書物に関する"文章をまとめたもの。方法論というより、書物を通して彼が考えた「現代の日本」の解釈や思想の解説と、お奨め本紹介だった。
    「現代」は書かれた当時の現代だから、古臭いのは仕方ないが、20~30年前に考えられていた「日本」と2016年の日本を比較して、変わらないところ…と考えさせられた。
    太宰論やハーン(八雲)を通しての日本と西欧論、詩論は面白かったし、本紹介も特に古典は参考になった。
    しかし文学はともかく、経済学や社会学にもおおいに触れていて、ここは私にはお手上げだった。何しろ『恐ろしい精神的な事件のようなよみ方をした』本が、「資本論」(あと「昆虫記」「新約聖書」)というのだから。

  • 「本には恋愛の終りや失恋の辛さを、もとに返す力はないが、あなたの恋愛の終りや失恋をもう一度、あなたが体験したよりもっと巨きく、もっと深く体験させてくれる力がある」(p.25)

    「本を読む体験は実生活には役に立たないことがあるかもしれない。もしかすると逆に実生活のやり方を、ぎくしゃくさせるかもしれない。でも他人からみて、何かこの人は見た目とは違うものがありそうだと感じさせるものがあったら、それは役にも立たない本を読んだ体験を積み重ねてきたからだと思える」(p.26)

    「ホーキングの『ホーキング、宇宙を語る』という本は、じつによくできています。宇宙物理学の専門書でありながら、文学、経済、数学、哲学、教育、ビジネス……、分野を超えて広く何かを語りかけている。宇宙論のやさしい解説書はたくさんありますが、最先端の高度な研究結果が書かれていながら、書物をして喋らせることをちゃんと心得ている」(p.43)

  • 一部、難解で飛ばしてしまった。

    知の巨人もいいところで、その思想は太洋のように広く、しかも海溝のように深い。ここまでくると、呆然とするしかない。

    そんな人が何故「ストップ!ひばりくん」なのだろう? なんて、へんなところで引っかかった。

  • 本屋で見つけて衝動買い。本について本好きが書いた本は楽しい。しかし、21世紀に出されたはずのこの本の文体はなぜかとても古く感じる。不思議だ。漱石を読んでも、福沢諭吉を読んでも違和感を感じない。小林秀雄を読んでも古さはない。なんで?近似しているから逆に古さを感じてしまうのだろうか?村上春樹は翻訳の賞味期限を50年くらいと考えたけど、そう考えると、普通の書籍も賞味期限があるのかもしれない。医学書なんて賞味期限3年くらいだし。

    「辺境主義者」という言葉が使われていたのにはっとしたのと、折口信夫の評価と、黒沢明の映画が後期は面白くない、最高傑作は「虎の尾を踏む男達」というのが共感(ただし、ぼくの中では最高傑作は「用心棒」)。後期の作品がつまらないというのは、宮崎駿も(これは怒られるかな)大江健三郎も(これも怒られるかな)同じですね。

  • さまざまなジャンルから

  • 偶然、古書店で見つけ購入。出逢い方もいかにもな感じ。


    書物に含まれている世界。

    吉本隆明はそれを
    「書き手が幾度も反復して立ちどまり、また戻り、また歩き出し、
    そして思い煩った場所」
    と捉える。

    そこに迷い込んだり、
    佇んだりすることが読書の楽しみである。


    「実際は広場のようなものではなく、
    ただの踏み溜まりしかないほど小さな場所で、
    そこからさきに道があるわけでもない。
    たぶん書き手ひとりがやっと腰をおろせるくらいの
    場所にすぎない。
    けれどそれは世界なのだ。」

  • 著者の読書体験史、読書論、選書、書評、インタビュー、対談等々、様々なことが試みられている一冊です。

    この本のこと、あるいはこの本を読んでのことを、まとまりのある形にすることは、非常に難しいですが、特に、気を引かれた点が2箇所ありました。

    一つ目は、「ことさら感銘とかなんとかというのを起こさないという個所があるんですね。本当はそういうところに文学作品の核心があったり、あるいは書物の核心があったりすることがある。」という所です。
    読書とは何か?読書論において、逆接的な方法で読書へ接近を試みる場合に、「何かの足しにするために本を読む」という行為は、純粋な読書とは違うんじゃないか、と、問いかける例を見かけます。
    では、読書とは、何を指すのか?
    上記の文章は、その問いに対する答えではないですが、答えを飛び越えた、更にその奥の場所の様な気がしました。

    もう一つ、全てを抜粋することはできませんが、筆者が、
    「文化現象の「現在」にほんとに対応する方法」として、
    「重層された文化の層があり、それがまた複雑な乱気流現象を起こしているとき、その合成力がたまたまゼロになった場所」を見つけ出し、そこに根拠をおいて、表現を試みることだ、としています。

    普段、見たり、読んだり、聞いたりするものの中で、「あぁ、いいな」と思った時の、漠然とした感触でしかない、言葉にならないその根拠が、ピシャリと言葉になっていたので、この付近の文章を読んだ時は胸が空くような思いでした。

    その場所で表現することに成功しているから、「あぁ、いいなぁ」と思ったんだよね、ってなもンです。

    上記2点の言葉が、本書の中で、気になりました。

  • いろんな本が紹介されていた。
    でも、それらの本の中で「ぜひ読んでみよう」と思わせられた本はなかった。

  • 2009/
    2009/

    第一章.なにに向かって読むのか
    第二章.どう読んできたか“読書体験論”
    第三章.なにを読んだか、なにを読むか“読書対象論”

    ≪対談≫吉本隆明・荒又宏
    恋愛小説の新しい効用

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著者プロフィール

1924年、東京・月島生まれ。詩人、文芸批評家、思想家。東京工業大学工学部電気化学科卒業後、工場に勤務しながら詩作や評論活動をつづける。日本の戦後思想に大きな影響を与え「戦後思想界の巨人」と呼ばれる。著書多数。2012年3月16日逝去。

「2023年 『吉本隆明全集33 1999-2001』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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