リア王 (光文社古典新訳文庫)

  • 光文社 (2006年9月7日発売)
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  • 本 ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751012

感想・レビュー・書評

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  • シェイクスピアの言わずとも知れた悲劇の名作。良いテンポとユーモアのある表現が心地良い。

    コアメッセージとしては「権力は持ち続けろ」「だれかに依存する状況は絶対に避けろ」というところか。
    リア王は物分かりの良い風を装って、気前よく娘たちに自らの権力を分け与えた。自分と自分の兵隊を養う財産も放棄して、娘に交代で面倒を見てもらう悠々自適な老後を夢見たのだ。しかし娘たちは養い続けなければならない父親に嫌気が差して、彼を追い出してしまう。リア王は裏切られたショックに発狂し、廃人となってしまう。
    あらすじとして悲劇だが、トリガーは王の愚かさにある。例え自分が王であり、頼るのが例え実の娘でも、ずっと依存し続けることはできないのだ。マキャベリは恐れによって人を統治しろと言った。「恩」などまたたくまに風化するものだと。その通りだと思う。権力は手放したら返ってくることはないのだ。

    これが400年前に書かれたものだというのがまた面白い。人間の愚かさとは普遍的で不変的なものなのだ。

  • 勧善懲悪のハッピーエンドだった原案を、シェイクスピアはこの滑稽なほどの悲劇に改変した。

    本当の悲劇に「悪役」はいない。「悪役」はフィクションの中に閉じ込められた存在だが、劇中で猛威を振るう「この世の不条理」は、現実世界との向き合い方に暗い覚悟を迫ってくる。

  • この作品、KiKi はこれが何度目の読書か、正直なところよく覚えていません。  もちろん原典も学生時代には読んだし、福田恆存の訳本(当時のスタンダード)でも読んだし、当時注目を集め始めていた小田島雄志の訳本でも読んでいます。  もっとも今回の読書でそれらを比較検討できるほどには記憶に残っているわけじゃないんですけどね(苦笑)

    ただ漠然と覚えているのは「福田訳」がかなり詩的だったのに対し「小田島訳」はかなり口語調になっていたことと、それと比較しても今回の「安西訳」はそれに輪をかけて言葉としてひっかかるところがなかったこと・・・・・ぐらいでしょうか??  スンナリと目や耳に入ってくるというのはある意味では「わかりやすさ」に通じて素晴らしいことだと感じるのも事実なんですけど、逆に言えば特に読書の場合、「あれ?」と思って読み返して咀嚼するというプロセスがなくなってしまうため、その分読み飛ばしてしまうリスクがあるなぁと感じました。

    シェイクスピアが書く言葉には物事を2面からとらえる言葉とか2つの事象・概念を並べて語る言葉がよく出てくるんだけど(例えば有名なところでは「きれいはきたない、きたないはきれい」というような)こういう言葉って「あれ?」と躓き、何度も読み返して咀嚼するプロセスがあるからこそ何を言わんとしているのかが伝わってくるとか記憶に残るというようなところがあると思うんですよね。  でも、少なくとも今回の読書で KiKi はこれに類するような「あれ?と思って読み返してみる」という行為をほとんどしなかったなぁ・・・・と。

    これを既にストーリーを知っている物語ゆえ・・・・と捉えるべきか、読み方が雑になった・・・・・と捉えるべきか微妙なところだなぁ・・・・・と感じました。     

    さて、それはさておき、読後感です。  今感じている読後感が今回の読書だけによるものなのか、はたまた学生時代に感じていたものそのまんまなのかは自分でもよくわからないし、今となっては学生時代にこの物語から何を感じていたのか?はよく覚えていません(苦笑)

    この物語、シェイクスピアの4大悲劇の筆頭として語られることが多いんですけど、個人的にはこちらの物語よりも「マクベス」や「オセロー」の方が好きだったりします。  それは恐らくリア王の狂気よりもマクベスやオセローの狂気(というよりは錯乱と言うべきか?)の方が KiKi には理解しやすいし、特に「マクベス」あたりはコンパクトな纏まり具合という点からしてみても、素晴らしいとしか言いようがないと感じられるからです。  リア王ってどことなく因果応報な感じもするし、途中でグロスター伯と二人の息子の話まででてきちゃって悲惨さと言えばリア王その人の悲劇よりもグロスター伯の悲劇(リアを助けようとして迫害を受け、両目をつぶされたうえで追放される)の方が悲劇的に過ぎる部分もあるように感じちゃうし・・・・・。

    KiKi はね、リア王って恐らく暴君と言ってもいいほどの専制君主だったと思うんですよね。  で、権力の座にある間は彼の言葉が絶対で、臣下も娘も決して彼の言葉に異を唱えるようなことはなかったし、仮に唱えたとしてもそれをすぐに打ち消さざるを得ないような空気を漂わせた人物だったんだろうと思うんですよ。  で、恐らくそんな暴君でありつつも彼なりの方法で3人の娘たちを愛してはいたんだと思うんです。

    老境に達してそろそろその「絶対性」にも疲れてきちゃっていた王様は、後世の憂いを絶つためにも彼の領土・権力を3人の娘たちに等分に分配し、「みんなで仲良く」治めて欲しいな~んていう夢みたいなことを思い描き、さらには「絶対君主としての責任は放棄(彼としては委譲)するけれど、王という称号と名誉だけは手元に残す」な~んていう都合のいいことを画策したのがあの冒頭の「愛情テスト」の場面。  まだ権力を手元に置いた状態での「愛情テスト」に上の二人の娘は耳触りの良い言葉で答え、どこか抜けたところのある末娘はそんな姉たちの上っ面に反感を抱きます。

    この悲劇の根本にあるのは、リア王が絶対だと考えていたある種の「価値観」を娘たちの誰一人として共有していないことにあり、その価値観が権力と密接に結びついていたことを肝心のリア王自身が理解していなかったことにあると KiKi は思うんですよ。  ・・・・・と同時に、この物語の背景にある時代が恐らくは結構群雄割拠な時代だったんじゃないかと思うんです。  リア王に勘当されたコーディリアはフランス王に嫁ぐわけだけど、これだってその裏にあるのはどんな思惑やら・・・・・。  だいたいにおいてイギリスとフランスが仲が良かったな~んていう話はほとんど聞いたことがないし・・・・・。

    恐らく本来ならフランスをはじめとする外敵と対峙するためにも王権を3分割するな~んていうのは当時の国家君主としては間違った判断だったんじゃないかと KiKi は思うんです。  でもリアはそんなことさえ考えられず自分の安逸な老後のため(& 姉妹仲良くという夢想のため)に冒頭の「愛のテスト」に臨む段階では「きれいに三等分すること」を心の中で決めていた節があるように感じられます。 

    コーディリアが勘当されることにより三等分だったはずのものが二等分されたことにより、少しはマシではあったかもしれないけれど、もともとあった力を半分ずつに分けられてしまったうえに、引退老人が100人からなる軍隊を言ってみれば自分の遊興のために(そして万が一の時には戦力として)手放さないという状況が2人の娘にとっては面白いはずもなく、彼女たちはリアから戦力を奪ったうえで追放します。

    2人の姉妹が極悪非道・冷血人間のように見えなくもないけれど、だいたいにおいて「姉妹仲良く分割統治」な~んていうのが理想(夢物語)に過ぎないわけで、彼女たちがリアを説得しようとする言葉の中にもある種の真実が含まれているところが目を引きます。

    そしてそんな父親の苦境を知ったコーディリアは善意からフランス軍を率いてドーヴァーに上陸するわけだけど、この段階での彼女はリアの娘である以上にフランス王妃なわけです。  これはブリテン側にしてみれば侵略と呼んでもいいような振る舞いでもあるわけで、ここでもコーディリアのやっていることはどこか間が抜けています。  そうであるだけにリアの長女、ゴネリルの夫であるオルバニー公は心の中ではリアに対する娘(≒自分の妻)の仕打ちを許せないと思いつつも戦に赴かないわけにはいきません。  こうしてブリテン側が勝利することによりコーディリア & リアは捕えられ、その後あれこれあって、結局みんな死んじゃった・・・・・と。

    考えてみるとこの物語、絶対権力者が陥ったある種の時代錯誤・傲慢さの為せる業とも見えるわけで、そこにこそ悲劇性があるように KiKi には感じられました。  狂人となったリアが嵐の中で彷徨う姿は確かに悲劇的だけど、道化の存在やらグロスター伯に迫害された長男、エドガーとの出会い等々があり、悲劇的でありつつもどこか喜劇的なように感じられました。

  • ここまで悲劇的な終幕が許されて良いものかと衝撃を覚えてしまった……
    別に何もかもが運命の悪戯や悪魔的な采配による不幸ではない。それぞれに少しずつ罪が有ったり落ち度が有ったりする。しかし、だからといって罪を悔い改めて己を見つめ直せたかもしれない者や、心優しき者まで犠牲になる終幕は容赦が無さすぎて唖然とさせられる
    歴史的には本作が上演される際にはハッピーエンドに改作されたものがお決まりだったらしいけど、それが頷けるくらいに本作からは救いや幸福感は容易には感じ取れない
    では、何を本作は訴えてくるかといえば、人間は地獄と紙一重の世界で生きているのだと、それでもより良い人生を得る為に最良の未来へ手を伸ばす事を諦めてはならないのだという点かもしれない


    まず、冒頭からして衝撃的
    物語が始まってすぐにリア王が娘達へ領地の分割を行うのだけれど、その際におべっかを口にするゴネリルやリーガンに良い顔をして、偽りのない言葉を口下手ながら発したコーディリアを勘当してしまうという衝撃
    道徳的な作品であれば、偽りを口にした長女・次女にいずれ天罰が下り、真実を口にしたコーディリアに幸福が訪れるものだろうけど、本作では三者等しく不遇の死を遂げる。それどころか、真実を見抜けなかったリア王とて長女・次女から放逐され非業の死へと突き進む事になるのだから理解を超えている

    面白く映ったのはリア王や三姉妹に対する作中人物に対する評価かな
    心にも無い偽りを口にしてリア王の好感を勝ち取ったゴネリルとリーガンだけれど、彼女らとて同様に心にも無い偽りを口にするエドマンドによって財力や権威を狙われている。そして、その果ては⋯
    と、こちらについては判りやすい構図をしている。この者らに関する構成は最早道徳的と言ってすら良い。そのせいか、作中でも彼女らの死について冷淡な反応が取られているほど

    対して、リア王に対する作中評価の変遷は本当に面白い
    冒頭の引退宣言やコーディリアに纏わる言動はケントなどから猛批判され、娘達の館に逗留した際の横暴さなど真っ当に非難されている。これらの展開はリア王が道徳的に考えれば討ち果たされるべき悪と見る事が出来る
    だというのに、娘に裏切られたリア王が荒野を彷徨う段になって評価は一変するね。実父に対してあのような非道を行うべきではないとか、忠臣としてお助けせねばとか
    裏切れたショックにより狂気へと陥る老王の姿は確かに哀れに映る。此処まで来ると己の行いにより罰を受けていると感じ取る事すら難しい
    そして、リア王への評価がそのように落ち着いてしまったからこそ、彼へ偽りのない愛情を向けていたコーディリアとの再会は希望溢れたものと感じられ、その分だけ二人に訪れた非業の死に対する衝撃が計り知れないものとなる

    救われて欲しい者が救われず、報われて欲しい者が報われない。鑑賞者や読者の期待を裏切り残酷な結末へとひた走る本作の展開を納得できるものと感じる事は難しい
    けれど、これによって本作を唾棄すべきもの、または認められるべきではない作品とも捉えられないのも事実。何故なら本作は真摯に絶望へと突き進んでいたのであって、読者の予想を裏切るべく衝撃的な結末を突如用意した訳では無いだろうから
    本作は実社会に存在する地獄を真っ当に写し取ったのであって、作品そのものが誰かを裏切ってなど居ないとも言える。現実でも人が容易に陥る地獄を作中に用意し、罪の有る者も無い者も等しく地獄へと落ちてしまったというだけ

    ただし、登場人物残らず地獄行きに成ったら、本作を見ても何の感慨も得られない。それ故に用意されているのが生き残った三人の共通項。忠心を持つ三人が生き残った者の責務として、また若い衆として何をなさねばならないのか
    悲惨な物語であるからこそ、狂気とは全く異なる感情がラストに残された事に想いを馳せてしまう、そんな受け止め方の難しい名作でした 

  • 気違いと道化がよく分からん例えで話すのですごく読みにくい。
    お芝居用だからにしてもなんでこんな展開になってるんだ?というのが多過ぎて全然読めた気がしない。
    本より映像作品を見た方が良さそう

  • 初めてきちんと読んでみた。思っていたよりもドロドロ。ある一国の王家の没落にまつわる悲劇。2人の姉娘がとにかく性悪だなぁ…コーディリアとなぜここまで違うのか…。最後はまだ救いがありそうだったけど悲劇というだけあって後味は悪い。劇で見てみたい。

  • 初めての?古典。救いがないが、老害にならないよう、なのか権力は全部渡すな、なのか…

  • 子ども向けに書かれたのを読んだきりだったが、こんなに壮絶な内容だったとは音読するのは憚られるセリフの数々…よくまぁ、これほど悪口雑言、罵詈讒謗の限りを尽くせたもんだ

    おおもとの物語はハッピーエンドらしい…なんで変えたんだろう

  •  いつも思うのだが、昔の人は言葉だけで人を信じすぎている。と思えば忠臣の忠告は聞く耳持たずなのは、どういうことなのか。道化がとても良い味出している。
     リア王症候群という言葉があるらしく、昔の上司を思い出した。文明は確実に進歩したけれど、人間の本質は大昔から何も変わっていないんだな。
     4大悲劇のうち3つまで読了。『シェイクスピア物語』で有名な話の粗筋も掴めたので、勢いに乗ってシェイクスピア読破していこう。

  • 結局全員いなくなる…道化の部分は原文で読んだら韻を踏んでていいんだろうなー。

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著者プロフィール

イングランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家とも言われている。また彼ののこした膨大な著作は、初期近代英語の実態を知る上での貴重な言語学的資料ともなっている。
出生地はストラトフォード・アポン・エイヴォンで、1585年前後にロンドンに進出し、1592年には新進の劇作家として活躍した。1612年ごろに引退するまでの約20年間に、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。「ヴィーナスとアドーニス」のような物語詩もあり、特に「ソネット集」は今日でも最高の詩編の一つと見なされている。

「2016年 『マクベス MACBETH』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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