リア王 (光文社古典新訳文庫)

制作 : 安西 徹雄 
  • 光文社
3.59
  • (35)
  • (42)
  • (83)
  • (6)
  • (3)
本棚登録 : 431
レビュー : 48
  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751012

作品紹介・あらすじ

とつぜん引退を宣言したリア王は、誰が王国継承にふさわしいか、娘たちの愛情をテストする。しかし結果はすべて、王の希望を打ち砕くものだった。最愛の三女コーディリアにまで裏切られたと思い込んだ王は、疑心暗鬼の果てに、心を深く病み、荒野をさまよう姿となる。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • この作品、KiKi はこれが何度目の読書か、正直なところよく覚えていません。  もちろん原典も学生時代には読んだし、福田恆存の訳本(当時のスタンダード)でも読んだし、当時注目を集め始めていた小田島雄志の訳本でも読んでいます。  もっとも今回の読書でそれらを比較検討できるほどには記憶に残っているわけじゃないんですけどね(苦笑)

    ただ漠然と覚えているのは「福田訳」がかなり詩的だったのに対し「小田島訳」はかなり口語調になっていたことと、それと比較しても今回の「安西訳」はそれに輪をかけて言葉としてひっかかるところがなかったこと・・・・・ぐらいでしょうか??  スンナリと目や耳に入ってくるというのはある意味では「わかりやすさ」に通じて素晴らしいことだと感じるのも事実なんですけど、逆に言えば特に読書の場合、「あれ?」と思って読み返して咀嚼するというプロセスがなくなってしまうため、その分読み飛ばしてしまうリスクがあるなぁと感じました。

    シェイクスピアが書く言葉には物事を2面からとらえる言葉とか2つの事象・概念を並べて語る言葉がよく出てくるんだけど(例えば有名なところでは「きれいはきたない、きたないはきれい」というような)こういう言葉って「あれ?」と躓き、何度も読み返して咀嚼するプロセスがあるからこそ何を言わんとしているのかが伝わってくるとか記憶に残るというようなところがあると思うんですよね。  でも、少なくとも今回の読書で KiKi はこれに類するような「あれ?と思って読み返してみる」という行為をほとんどしなかったなぁ・・・・と。

    これを既にストーリーを知っている物語ゆえ・・・・と捉えるべきか、読み方が雑になった・・・・・と捉えるべきか微妙なところだなぁ・・・・・と感じました。     

    さて、それはさておき、読後感です。  今感じている読後感が今回の読書だけによるものなのか、はたまた学生時代に感じていたものそのまんまなのかは自分でもよくわからないし、今となっては学生時代にこの物語から何を感じていたのか?はよく覚えていません(苦笑)

    この物語、シェイクスピアの4大悲劇の筆頭として語られることが多いんですけど、個人的にはこちらの物語よりも「マクベス」や「オセロー」の方が好きだったりします。  それは恐らくリア王の狂気よりもマクベスやオセローの狂気(というよりは錯乱と言うべきか?)の方が KiKi には理解しやすいし、特に「マクベス」あたりはコンパクトな纏まり具合という点からしてみても、素晴らしいとしか言いようがないと感じられるからです。  リア王ってどことなく因果応報な感じもするし、途中でグロスター伯と二人の息子の話まででてきちゃって悲惨さと言えばリア王その人の悲劇よりもグロスター伯の悲劇(リアを助けようとして迫害を受け、両目をつぶされたうえで追放される)の方が悲劇的に過ぎる部分もあるように感じちゃうし・・・・・。

    KiKi はね、リア王って恐らく暴君と言ってもいいほどの専制君主だったと思うんですよね。  で、権力の座にある間は彼の言葉が絶対で、臣下も娘も決して彼の言葉に異を唱えるようなことはなかったし、仮に唱えたとしてもそれをすぐに打ち消さざるを得ないような空気を漂わせた人物だったんだろうと思うんですよ。  で、恐らくそんな暴君でありつつも彼なりの方法で3人の娘たちを愛してはいたんだと思うんです。

    老境に達してそろそろその「絶対性」にも疲れてきちゃっていた王様は、後世の憂いを絶つためにも彼の領土・権力を3人の娘たちに等分に分配し、「みんなで仲良く」治めて欲しいな~んていう夢みたいなことを思い描き、さらには「絶対君主としての責任は放棄(彼としては委譲)するけれど、王という称号と名誉だけは手元に残す」な~んていう都合のいいことを画策したのがあの冒頭の「愛情テスト」の場面。  まだ権力を手元に置いた状態での「愛情テスト」に上の二人の娘は耳触りの良い言葉で答え、どこか抜けたところのある末娘はそんな姉たちの上っ面に反感を抱きます。

    この悲劇の根本にあるのは、リア王が絶対だと考えていたある種の「価値観」を娘たちの誰一人として共有していないことにあり、その価値観が権力と密接に結びついていたことを肝心のリア王自身が理解していなかったことにあると KiKi は思うんですよ。  ・・・・・と同時に、この物語の背景にある時代が恐らくは結構群雄割拠な時代だったんじゃないかと思うんです。  リア王に勘当されたコーディリアはフランス王に嫁ぐわけだけど、これだってその裏にあるのはどんな思惑やら・・・・・。  だいたいにおいてイギリスとフランスが仲が良かったな~んていう話はほとんど聞いたことがないし・・・・・。

    恐らく本来ならフランスをはじめとする外敵と対峙するためにも王権を3分割するな~んていうのは当時の国家君主としては間違った判断だったんじゃないかと KiKi は思うんです。  でもリアはそんなことさえ考えられず自分の安逸な老後のため(& 姉妹仲良くという夢想のため)に冒頭の「愛のテスト」に臨む段階では「きれいに三等分すること」を心の中で決めていた節があるように感じられます。 

    コーディリアが勘当されることにより三等分だったはずのものが二等分されたことにより、少しはマシではあったかもしれないけれど、もともとあった力を半分ずつに分けられてしまったうえに、引退老人が100人からなる軍隊を言ってみれば自分の遊興のために(そして万が一の時には戦力として)手放さないという状況が2人の娘にとっては面白いはずもなく、彼女たちはリアから戦力を奪ったうえで追放します。

    2人の姉妹が極悪非道・冷血人間のように見えなくもないけれど、だいたいにおいて「姉妹仲良く分割統治」な~んていうのが理想(夢物語)に過ぎないわけで、彼女たちがリアを説得しようとする言葉の中にもある種の真実が含まれているところが目を引きます。

    そしてそんな父親の苦境を知ったコーディリアは善意からフランス軍を率いてドーヴァーに上陸するわけだけど、この段階での彼女はリアの娘である以上にフランス王妃なわけです。  これはブリテン側にしてみれば侵略と呼んでもいいような振る舞いでもあるわけで、ここでもコーディリアのやっていることはどこか間が抜けています。  そうであるだけにリアの長女、ゴネリルの夫であるオルバニー公は心の中ではリアに対する娘(≒自分の妻)の仕打ちを許せないと思いつつも戦に赴かないわけにはいきません。  こうしてブリテン側が勝利することによりコーディリア & リアは捕えられ、その後あれこれあって、結局みんな死んじゃった・・・・・と。

    考えてみるとこの物語、絶対権力者が陥ったある種の時代錯誤・傲慢さの為せる業とも見えるわけで、そこにこそ悲劇性があるように KiKi には感じられました。  狂人となったリアが嵐の中で彷徨う姿は確かに悲劇的だけど、道化の存在やらグロスター伯に迫害された長男、エドガーとの出会い等々があり、悲劇的でありつつもどこか喜劇的なように感じられました。

  • シェイクスピアといえば、泣く子も黙る世界最高峰の文学者の一人だが、「リア王」はその中でも四大悲劇の一つとして名高い。残りの三つはいうまでもなく、「ハムレット」「オセロウ」「マクベス」だ。

    「リア王」は4大悲劇の最後を飾る作品で、黒澤明監督の「乱」では、日本の戦国時代を舞台に映画化された。

    ストーリーは単純といえば単純だけれども、実際読んでみるとかなり複雑。シェイクスピアの作品はいずれも有名だからあらすじはなんとなく知っているような気がするけれども、いざ読んでみるとかなり込み入っていて波瀾万丈で、それがまたおもしろい。

    この光文社古典新訳文庫の目的は、古典を現代の言葉で翻訳し直そうというものだから、「リア王」の翻訳も、もちろん読みやすい。読みやすすぎて、せっかくの「リア王」なんだからもうすこし格調高く、凝った文章でもいいんじゃないだろうかと言いたくなるぐらい読みやすい。原作のシェイスピアがもともと面白いんだから、そんなに読みやすかったら読み始めた途端、途中で止まらなくなるのはいうまでもない。

    だが正直なところ、個人的な趣味でいえば、この安西訳よりも、最初に読んだ福田恒存訳の方が好みだ。当時はまだ、文章が難しすぎて内容をよく理解できていなかったかもしれないが。

    両者の訳がどれだけ違うかというと、

    (安西訳)
    必要? 必要だと? ええい、必要など持ち出すな! どんなに卑しい乞食であろうと、いかに下らぬ者であっても、必要以上の物は必ず身につけておる。人間から必要以外の物をことごとく奪ってみろ、人間の命は獣同然。
    (二幕四場)

    (福田訳)
    おお、必要を言うな! 如何に賤しい乞食でも、その取るに足らぬ持物の中に、何か余計な物を持っている。
    自然が必要とする以外の物を禁じてみるがよい、人間の暮しは畜生同然のみじめなものとなろう。

    うむ。あまり違わないような、違っているような。
    ついでに、岩波文庫に収められている斎籐勇訳。

    (斎籐勇訳)
    おい、要不要の議論はいらん。極度に窮している乞食ですら、
    極端につまらない物ながら何か余計な物を有っている。
    人間が本来必要とする以上は授けられないとすれば、
    人の一生がつまらないことは鳥獣と同然だ。

    三つを較べてみると、個人的な印象としては、スピード感があるけれどもやや平易に流れすぎる安西訳、格調があってスピード感もある福田訳(でも漢字が多すぎ)、真面目に訳している風だけどおもしろみのない斎籐訳、というところかな。これだけで判断するのは大胆すぎるが。

    こう見てくると、シェイクピアの原文はどうなっているか知りたくなる。

    原文は、
    O, reason not the need! Our basest beggars
    Are in the poorest thing superfluous.
    Allow not nature more than nature needs -
    Man's life is cheap as beast's.

    うむ。これは歯が立たない。上の飜訳あるから、かろうじて意味がとれるけれども。
    ただ、斎籐訳は、原作の行にあわせて訳そうとしたものであることがわかる。そういうことをしてはたして意味があるかどうかはわからないけれども。(原書を勉強する学生には便利かも)

    なかなかおもしろいので、もう少し比較を続ける。
    上はリア王のセリフだったが、次はケントの言葉。

    (安西訳)
    悲惨のうちにあらざれば、奇蹟にあうこともあらずという。
    (二幕二場)

    (福田訳)
    奇蹟に出遭うは窮しし者のみ。

    (斎籐訳)
    禍いを蒙らずには
    奇蹟を見ることがまあない。

    (Shakespeare)
    Nothing almost sees miracles
    But misery.

    (先生! シェイクス君の英語は意味分かんないんですけど! 校長先生はシェイクス君はスゴイっていってますけど、ホントですかあ)
    最後はエドガーのセリフ。

    (安西訳)
    忍耐を忘れたのかい? この世に来るのも引っ込むのも、人間の勝手にゃならぬ。時の熟すのを待つしかないんだ。
    (五幕二場)

    (福田訳)
    人間、忍耐が肝腎、己れの都合でこの世を去る訳には行かない、こいつは出て来た時と同じ理窟さ、万事、木の実の熟して落ちるが如し。

    (斎籐訳)
    人間はこの世に出て来るのと同様、
    世を去る時を辛抱して待っていなければなりません。
    機の熟することが何よりもです。

    (Shakespeare)
    Men must endure
    Their going hence even as their coming hither;
    Ripeness is all.

    シェイクスピアの原作は、散文ではなくて、韻文だった。通常の文章とは違うので、われわれには分かりにくい。
    ただ、普通の英米人にとっても、わかりにくいのは同じではないかと思うのだが、どうだろうか。
    学校でわれわれは古文とか漢文とか習うけれども、彼らの場合も、そういう勉強を通じて、古典作品が読めるようになっているのではないだろうか。

    ということは、ひょっとしたら、われわれが学校でいくら習っても枕草子や源氏物語を個人的に読もうという気になれないのと同じで、一部の愛好者を除いては、シェイクスピアを実際読んでいる人は少ないのかもしれない。いくら日本の代表的文化だといっても、歌舞伎を実際見た日本人が少ないのと同様、シェイクスピアの劇も、むこうの人にはあまりなじみのないものかもしれない。
    ただし英語の場合は、日本語に較べると、年数の経過による単語の綴りや意味の変化が少ないようなので、日本人が自国の古典に接するときよりも、まだ近づきやすいのかもしれないが。

    シェイクスピアの作品は、残酷なときは非常に残酷で、五六年前にアンソニー・ホプキンス主演で公開された「タイタス」は、現代のホラー映画も仰天というぐらい恐怖と暴力に満ちた作品だった。

    そんな彼の悲劇だから、人が死ぬこと死ぬこと。
    こんな人間まで死んでしまうのかというぐらい登場人物が死んでしまう。タランティーノ監督も真っ青だ。これほど人を殺してしまうんだから、作品が悲劇と呼ばれてしまうのも当然だろう。死に方の安易なところは、ほとんど喜劇としか思えないところもあるが。だから、昔の映画やドラマなんかでもよく、登場人物が最後にばたばた死んでしまって、そんな御都合主義はないだろうと思うことがあるが、あれは作り手の想像力の欠如とか、番組を時間内で終わらせるための手抜きとかではなく、シェイクスピア以来の伝統ある作劇方法らしいのだ。

    ただ違うところは、シェイクスピアの場合は、そこに至るまでの内容が非常に濃すぎて、それぞれの登場人物が担っている重荷の重さで、最後には物語世界そのものが吹き飛んでしまう、それが登場人物達の死となって結末するというところで、それでこそようやく観客は、この濃密な世界から解放されて、劇場の席を立って家路につける。そうでもしない限りかれの作品世界は観客の精神を縛って閉じこめたままにしてしまう、それほど強力で魅力的な世界なのだということだろう。

  • そもそもシェイクスピアはよく知らない。
    でもなんかきっとすごいんだろうと思って読んでみたのだけれど。。。。
    これ面白いんですか?
    それともこれだけがつまらなくて、他のはもっと面白いのかな?
    それともこれも面白いと感じるべきなんだろうか?
    面白いと思えない僕がダメなのかな?

    ひたすらに陰鬱で大仰な台詞回しが続く物語は、どう考えても老害ジジイの自業自得としか思えなかったし、コーディリアの優しさがちっとも物語に生かされてないじゃん!
    うーん。

  • 2017年6月3日購入。

  • w

  • 行き違い・間が悪いの連鎖。連想が走る先はマーフィーの法則。あんまりだね。

  • 福田さんも安西さんも実際に演劇にするために訳されているので、なんかいい。劇にすることを前提にしていない脚本はなんだかリズムがつかめない。
    シェイクスピアさんの全集を買おうかと思ったけど、買うならちょっと古いかもしれないけど福田恆存さんのになるかなぁ〜?
    でも、まずはハムレット、オセロー、マクベス、リア王を福田さんの訳で読もうかな。あと、あらし。その他はぼちぼち読んでいこうかな。
    安西さんの訳は読みやすい。実際の台詞にもとづいているからのようだ。そうそう、シェイクスピアさんの年譜や作品史を読んで、バカダミアンさんの重松さんを思い出した。まさに、博多のシェイクスピア!

    Mahalo

  • 四大悲劇の一つ。純真な心を持つが故に悪辣な競争者に敗れる者、打算に生きるが故に人を裏切り続けなければならなくなった者、どちらも非業の死を迎える。
    エンターテイメントとしての勧善懲悪物語ではなく、世の不条理、理不尽、無慈悲さを説く。

    正直ストーリー自体は特に変わったものでもない。やはり「舞台劇の脚本」である以上、舞台を観ないと真価はわからないような気がする。

    巻末のシェイクスピア解説は興味深かった。

  • 人に人の心が読めるなんて、そんなお話。

    娘の愛情をテストしたリア王。ことばに騙され読み間違える。忠臣を追いやり、荒野をさまよう。家臣は野心に満ちた子の計略に嵌り、二心のない上の子を遠ざける。愛を手段に、この世の富と肩書を求める姉妹。結局、心優しいコーデリアも、自分の間違いに気付いた老王も、死ぬ。悲劇。

    ハッピーエンドに直した版があるという。それはそれでいい気持ちになれるかもしれないが、悲劇を観る意味がある。悲しい、悔しい、ひどい、そんな激情に身を委ね、心を揺さぶらせる。その中から見えてくるものがあるはずだ。お涙ちょうだいの安易なものにとどまらず、観客を突き放して、呆然とさせて、ひっかかったまま、いつまでもどこかに残り続ける、そんな悲劇。それは、フィクションの力。

    人の心を読もうとしても読めない。疑い始めたら戻れない。かといって、道化を演じても自分は欺けない。『リア王』が語る人間は、決して過去のものではなく、現代だけのものでもない。きっとこの作品は未来にも生き続ける。

  • 必要以上の悲劇。
    原典はハッピーエンドになるキャラクタもいるらしいんだけど、シェイクスピア版は大体死ぬ。その辺には当時の世相も関係しているみたいだが。

    にしても古典物の登場人物って、みんな揃って我儘だよな。

    ところで道化って一体何なんだろう。そういう人を連れてるものなの…?

全48件中 1 - 10件を表示

リア王 (光文社古典新訳文庫)のその他の作品

リア王 (光文社古典新訳文庫) Kindle版 リア王 (光文社古典新訳文庫) シェイクスピア

シェイクスピアの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
フランツ・カフカ
ヘミングウェイ
東野 圭吾
有効な右矢印 無効な右矢印

リア王 (光文社古典新訳文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする