- Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751067
感想・レビュー・書評
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40年ぶりの再挑戦。面白く読めているのは自分の成長と思いたい。父親フョードルの異常な道化ぶりが魅力的。教会対国会の優位論争は難解。登場人物付きのしおりは挫折ポイントを乗り越える強力な武器。次巻も楽しみ
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「世界最高の小説は何か」という問いに対する答えとして、筆頭に挙げられることも多い作品。
第1巻読了時点ではまだ全体像は見えてこないものの、確かにこれは「世界最高」かもしれないと思わせる凄味がある。
また同時に「挫折しがちな小説」にも挙げられることが多いとか。400ページ越えの全5巻本ゆえ当然とも思えるが、その第一の関門となるのが、おそらく本書の第2編「場違いな会合」だろう。
第1編で最低限の登場人物紹介だけをすませた状態で、いきなり十数人の人物による会話劇が始まる。しかも教会と国家のあるべき関係性という非常に抽象度が高く難解な議論が延々と続く。挫折者の何割かはここで読むのをやめたのではないだろうか。
なんとか先に進んでも、その後のいわば本題である、カラマーゾフ家の「会合」の意味するところはここでは分からず、要領を得ないままやり取りを追っていくことになる。というのも、彼らがなぜ憎しみあい争っているのかは続く第3編ではじめて詳細に明かされるからである。これがめちゃくちゃに面白い。
だからこれから第1巻を読む人には、飛ばし読みでもいいから第2編を越えて、第3編の3以降の「熱い心の告白」まで読み進めてみてほしい。人間の心理の目まぐるしさと不合理さ、そして悲惨さ。第1巻を読み終わった時点で言えるのはそんなところだが、主人公アリョーシャの最後のページでの独白がこれをよく表しているように思う。
「神よ、どうか今日出あったすべての人々を憐れんでください、心の安らぎを知らない、あの幸薄い人たちをお守りくださり、どうか正しい道をお示しください」。
余談だが、この光文社古典新訳文庫版のいわゆる「亀山訳」には文法上・文脈上の誤訳だらけだとの批判がネット上で散見される。
しかし少し調べればわかるが、これらはある一人のロシア文学者とその界隈が(偏執的な、あえて言えば学術的な正義感に溢れた)批判を長大な論考として自身のホームページに掲載したのがその発端であり、専門家同士の意見対立にしては断定的・粘着的なやり口は素人目にもいかがなものかという気がする。
これまでとは違うスタンスだからこその「新訳」なわけだし、少なくとも一般読者が初めて手に取るには読み通しやすい亀山訳でまず間違いはないはず。 -
※感想は最終巻(5巻)でまとめてアップします。
【読もうと思った理由】
各界著名人の方が絶賛しており、そこまで賞賛の声が多数あるのであれば、読みたい欲が当然のごとく、沸々と湧き上がってくる。
以下に一部ですが「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキーの人物に対する評価も含む)に対して、著名人の絶賛の声を転記します。
世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。(村上春樹)
ドストエフスキーは、どんな思想家が与えてくれるものよりも多くのものを私に与えてくれる。ガウスより多くのものを与えてくれる。(アインシュタイン)
僕などドストエフスキーとはケタが違うけど、作家として一番好き。(黒澤明)
僕がドストエフスキイに一番感心したのは「カラマーゾフの兄弟」ね、最高のものだと思った。 アリョーシャなんていう人間を創作するところ……。アリョーシャは人間の最高だよ。涙を流したよ。ほんとうの涙というものはあそこにしかないよ。(坂口安吾)
『カラマーゾフの兄弟』や『悪霊』のような根源的な観念をまるで核の分裂のように吐きだせる人物を今の私の力倆ではとても、創作できるとは思えない。小説技術的にも何とすごい作家だと思った。その時はいつか、自分もドストエーフスキイのような小説を書くべしと思った。しかし、思えばそれは、こわいもの知らずであった。以来二十年、私ができたのは、結局、私の理想的人物を描いた作品に『白痴』からヒントをえた『おバカさん』という題名を与えたぐらいであった。
(遠藤周作)
【ドストエフスキーって?】
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
[1821-1881]ロシア帝政末期の作家。60年の生涯のうちに、以下のような巨大な作品群を残した。『貧しき人々』『死の家の記録』『虐げられた人々』『地下室の手記』『罪と罰』『賭博者』『白痴』『悪霊』『永遠の夫』『未成年』そして『カラマーゾフの兄弟』。キリストを理想としながら、神か革命かの根元的な問いに引き裂かれ、ついに生命そのものへの信仰に至る。日本を含む世界文学に、空前絶後の影響を与えた。
【あらすじ】
父親フョードル・カラマーゾフは、圧倒的に粗野で精力的、好色極まりない男だ。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人兄弟が家に戻り、その父親とともに妖艶な美人をめぐって繰り広げる葛藤。アリョーシャは、慈愛あふれるゾシマ長老に救いを求めるが…。
【事前の予習不足を感じた部分】
本書巻末解説で、ドストエフスキーは晩年ロシア正教会に傾斜していたとあり、実際に第2編の「場違いな会合」で、教会と国家のどちらが優位とされるべきかをめぐり、かなりのページ数を割いて熱く議論される場面があった。ここは正直自分の知識不足がかなり露呈し、議論の核心部分の理解度が甚だ乏しいと言わざるを得ない。正直、「あぁ、もっと深掘りして予習しておくべきだった」と、めちゃくちゃ後悔した部分だ。
これから「カラマーゾフの兄弟」を読もうかなという方がもしいらっしゃれば、ロシア正教会の正統派ではなく異端派、かつ異端派の中でも、「鞭身派」と「去勢派」については、結構深掘りして予習し、本編に臨まれることを声を大にしてお伝えしたい。
ドストエフスキー文学の特徴として、自分の訴えたいことを登場人物を通して、これでもかという程、熱く、深掘りして訴えてくる。
なので読み手としてのこちらも、相応の準備をして望まないと、「よく分かんなくて、つまらない」と感じてしまう可能性が高まってしまう。
世界文学の最高傑作と喧伝される本作は、少しの予習をしてから本編に臨むのが、遠回りのようで、結局は最も近道だと経験上、肌で感じた。
まだ1/5しか読んでいないが、このままいくと過去読んだ小説の中で、最高傑作となる可能性が出てきたので、あと4冊楽しみでしかない。
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長い長い物語の序章。ドタバタコメディ的な魅力があるため、世間で言われてるほど読みづらくはない。
「東大生〇〇が選んだ〜」だの「世界最高峰の〜」といったレッテルが手に取るまでの敷居を上げてしまうが、感触は「銀魂」みたいなもんだ。気軽に挑め。
序盤だけあって人物紹介やドストおじさんの語が多くてダルいセクションもあるが、物語を最後まで読んだ上で戻ってくると、この巻の濃さ、面白さに驚く。 -
3度目のトライであり、30代では初めて。
フョードルの、道化であると分かっていながら道化を演じる部分や、ミーチェのプライドや恥からカタリーナと別れを告げたがっている部分や、イワンの世を知った様な傲慢な部分や、アリーシャのあたかも自分はすべての人に平等であるとでも言いたいかのような振る舞い、そしてそれらの属性が消えたり表れたりしながら、人間関係が紡がれている
カラマーゾフ的で大方の人間の属性は網羅されてしまいかねないほど、多様で人間的だと感じた
神や不死の存在についてイワンとアリーシャがフョードルから問われている箇所、それに伴う長老制や教会の存在意義へ繋がる部分は、後の父殺しに繋がる土台の議論だが、矮小化して身近なものに当てはめていくこともできる
理想的には神的なものと現世的なものは両立し、思想が実践と繋がることが望まれるが、どちらかに自身が深く依存してしまったり存在の拠り所になればなるほど、極所化して先鋭化するし、そうでなくとも自分と対立する思想が出てくると、それを冷静に分析し取り入れたり適切な距離をおいたりということを両者がやらなければいけない
宗教的な問題でなく思想的な問題に置き換えても同様
また、思想を溜め込む人達もいる。溜め込み溜め込み、濃縮されていくことで、現れたときには手が付けられない状態であることも想定される
ロシアの農家を例に出していたが、これも現代でも同様だろう
キリスト教の部分を取り入れず読んでいるため、また別の読み方になっているだろうが、色々な読み方にたえることも大作たりえる理由だと思える -
東大教授たちが新入生に進める作品ベスト1に選ばれるこの作品。宗教をテーマにしたり、家族をテーマにしたり、推理小説的であったり、大きなテーマがいくつもある。序盤では人物の説明、舞台の説明が細かく説明されているため、ストーリーが一気に動くのは中盤である。
1巻最後のリーズからアレクセイに書かれたラブレターが甘ずっぱすぎてキュンキュンしてしまった。カラマーゾフの血を引いていることがアレクセイにどう影響を与えていくのか。兄ドミートリーが彼に悪影響を及ぼさないかが気になるばかりである。 -
とても簡単とは言えない小説だが、やはり世界的古典の名著なだけあって読む価値がある。
様々な登場人物の間で行われる会話の内容はとても教養深く、長いのに飽きが来ない。
私は小説を半分まで読み進めた後マンガを読み、また最初から読み始め、読了できた。
マンガを読むと人物のイメージがしやすくなり、本全体(特に会話のシーン)がより面白く感じる気がするので、本書を読む前にマンガを手に取ることをお勧めする。 -
学生の頃に手をつけた時は、よく分からなくて一巻も読み切らなかった。改めて読んでみたら、場面をイメージできるという意味で読みやすく、先が気になって全巻読むことになった。とくに4巻が面白かった。5巻のエピローグは、これでもう終わってしまったのかと、第二の小説が執筆されなかったことが残念に思った。イワンとミーチャが人間らしくて好きだ。この二人が今後どんな人生を送るのか知りたかったなぁ。5巻は、ドストエフスキーの生涯と作品の解題があり、それらが主なのだが、これも読んでよかった。