カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (541ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751234

感想・レビュー・書評

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  • ※作品の全体を通しての感想は、最終巻(5巻)で書きます。

    3巻目の中盤から、遂に物語が躍動感を持って動き出した。物語が動き出す前にある、最難関の「大審問官」の章。ここを問題なくクリアできたので、あとはストーリーを思う存分に楽しむだけだ。光文社古典新訳文庫版は5巻まであるが、最後の5冊目はエピローグと解説のみらしいので、次の4冊目が実質上の最終巻だ。残り2冊をまだ読んでないので、確信を持ってはもちろん言えないが、おそらく過去最高の読書体験になりそうな気がしてならない。

    【雑感】
    ◇自分の読書遍歴などをつらつらと…。

    今まで書いてきた感想の中にブグログの僕の本棚にない本のエピソードが、既に何冊か出ているので、そのあたりの説明からできればなぁと。
    基本今のブグログの本棚にある本は、現在実際に家にある本棚に並べている本がほとんどで、あとは数ヶ月前から利用するようになった図書館で借りた本が、10〜20冊ほどだ。

    過去に引っ越しを3回ほどしており、その度に本を断捨離している。
    処分した本をちゃんと数えてないので、いまさら何冊かも分からないが、多分処分した本は300冊ぐらいかなぁと。当時はブグログの様な読書記録は一切取っていなかったので、購入したタイトル名すら覚えてない本も結構多いという、情けなさ。その中で自分の年代別に覚えている範囲での概略は以下となる。

    20代…ミステリー作品にどっぷりハマる。
    30代…読む本の90%はビジネス書や仕事に関係する本ばかり。
    40代(現在)…ある小説をきっかけに「小説もいいなぁ」と思い、色々なジャンルを読む様になる。

    20代でミステリーにハマったきっかけは、仕事仲間でミステリー好きの友人のすすめで、読み始めたのが始まりだ。
    当時凄く流行っていた森博嗣氏の「S&M(犀川教授& 西之園萌絵コンビ)シリーズ」、京極夏彦氏の「百鬼夜行(京極堂)シリーズ」、当時売れ始めた頃の伊坂幸太郎氏のデビュー作「オーデュボン祈り」から「死神の浮力」ぐらいまでの3名の著者の文庫化された本は、ほぼ全て読んでいた。
    ベースは上記3名の著者作品だが、他に読んでいたのも、ほぼミステリー作品ばかりだ。
    ミステリーばかり読んでいると、犯人やトリックを暴いてやろうと、そればかりに躍起になり、今考えると読書というより謎解きゲームをしている感覚だったのかも…。

    30代になると仕事が第一優先になり、購入する本も仕事に関連する本しか、ほぼ買わなくなっていた。ビジネス書ばかりを何百冊も読んでいると、途中で嫌でも気づくことがある。
    「ん?、どの本も書いていることが似ている様な…」。そう、たいていの本が中身がビックリするほど似ている。よくよく各書籍を調べてみると、過去のビジネス書の名著からの引用が目立つ。ではそのビジネス書の名著はというと、哲学書や古典思想書からの引用が多い。であれば、引用元の原著である哲学書や古典思想書を読めば、全て知りたいことが載ってあることに、遅まきながら気づいた次第。
    ブグログのプロフィールにも書いてある、哲学や古典思想書に興味を持ったのは、上記の読書遍歴から来ている。

    40代に入った数年前、当時本屋さんに行っても立ち寄らなくなった文庫コーナーに、なぜかその時たまたまブラブラしてていると、「ひと」という、なんとも簡単なタイトルに目が止まる。「ひと」(小野寺史宜著)の感想は、その書籍の感想欄でいつか書くとして、まぁ何せ、感動したのだ。小説を読んでもこんなに感動できるんだと。その「ひと」の帯に「本屋大賞2位」の文字が。そのとき思ったのが、2位でこんなに面白いなら歴代の1位ばかり読めば、もっと面白い作品に出会えるかもと。その後2〜3ヶ月で、文庫化された歴代1位の作品を全て読み終え、小説に完全にハマってしまったというのが、僕の簡単な読書遍歴だ。

    今後は哲学や古典思想書はもちろん、古典文学や歴史、原始仏教(原始仏教は宗教というより哲学に近いと言われる)、それと現代文学で興味がある作者や作品は読んでいきたい。

    現代作家で興味がある作家さんは、作品への没入感では今村翔吾氏。
    文体の美しさでは、圧倒的に古井由吉氏。この方は唯一、ストーリーなどそっちのけで、ただただ文体に触れていたいと思えた稀有な作家だ。
    あと、20代のころ苦手意識を持ってしまい、ずっと読んでいなかったが、そろそろ長編作品にもチャレンジしようと思っている村上春樹氏。
    時代小説では司馬遼太郎氏だが、読みだすと自分の性格的にハマってしまい、司馬氏の作品ばかりを読んでしまいそうで、躊躇しているのが現状。

    近代文学では、夏目漱石、三島由紀夫など。
    海外古典は、基本は光文社古典新訳文庫で気になるものを読もうかと思っています。
    古典文学で、「この作品は読んどいた方がいいよ」という本があれば、気軽にお教え頂ければ、この上なく有り難く思います!

  • この3巻から物語が大きく動いた。一気に疾走感溢れ、ページをたぐる手が止まらない。
    野蛮人のようなイメージだったミーチャの屈辱と嫉妬。だけどどこか真面目で憎めない奴でもありますね。だから彼の話をじっと聞いていたい気持ちになる。

    グルーシェンカは今ひとつ何考えているか分からない。
    アリョーシャとイワンはこの後どう絡んでくるのだろう?
    あと一瞬、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の一節が出てきて驚いた

  • 狂乱と喧騒の第3巻。

    途中まで、ミーチャの魅力がまったくわからん……と思いつつ読んでました。
    思い込みで突っ走るし、浪費家でお金にだらしがないし。
    なんで、作者から「高潔な」と人物描写されるのか、他の登場人物からなんだかんだ言いつつ好意をもたれているのか、理解できん、と。
    でも、終盤で彼が絞り出した
    「親父の血にかんして、ぼくは無実です!  罰を受け入れるのは、親父を殺したからじゃない、殺したいと思ったから、ひょっとするとじっさいに殺しかねなかったから、なんです······」
    というセリフで、今までの彼の支離滅裂な行動も、性格の甘い部分も、ぜんぶが反転して人間らしく思えてくる、見事さよ!

    そしてこれは、1巻でスメルジャコフが展開した、キリスト教徒が受ける迫害と改宗の問題への「屁理屈」(と、私は思ってる)に対する、痛烈なドストエフスキーの答えになっているのではないかな。

    宿屋で繰り広げられる狂気じみたオールの描写に圧倒されつつ、前半で提示された信仰に関する問いが見事に回収されていく手腕に驚くしかなかった本巻。
    改めて作品のスケールの壮大さに圧倒されて、まだほんのり残っていたお正月気分も一気に吹き飛びましたとさ。

  • 待って待って待って!!
    脇役の話が面白すぎるの!!
    先に進まないでーーーもっと聞かせてーーー!!

  • 3巻目。なんと!話は3日目。長男ドミートリー(ミーチャ)に関して言えば、2日から3日目の話。他のドストエフスキー長編のように主題からズレることなく、グイグイ進むので、恐れていた読み辛さは少ないかな。ミーチャの段については流石に長いなと感じる。日本の出版から編集者を遣わしたいと思う処。

    最初はゾシマ長老の死、遺体からの腐臭にショックを受ける三男アレクセイ(アリョーシャ)。キリスト教でもそんなモノなんかと思う。
    グエルーシェニカを訪ねて、信仰心が復活する件。つまり2巻目のイワンの「大審問官」とゾシマ長老の話は嚙み合っていないと感じたが、イワンの口にしたのは無神論というより教会批判なんだな。ゾシマ長老は生きることを享受せよと言っている訳だしね。
    アリョーシャの復活と俗世で生きる選択で一旦幕。

    ミーチャに関して言えば、何なのコイツと思った。文無しで暮らしの生計がない。タダの穀ツブシじゃない。あそこに行けば金が手に入るって甘い考えで彼方此方走り回る。ホントに莫迦だよね。そして絶望したにせよ、手にした金で大盤振舞って、これがロシア人なのかねえ。
    グル―シェニカとの仲は騙されて終わりかと思ったら、意外な展開だった。
    「あなたを、根底において高潔な青年とみなすことにやぶさかではありません。ですが、残念ながら、あなたはいくつかの情熱に、いささか度を越して熱中しすぎているのです…」
    ホントにそうだね。ミーチャが恥とするものは判りづらいよ。負けの込んだ博打打が泥棒にはなるないと意地を張っているようなものだな。
    しかし、段々ミーチャが好きになってくるから変なもんだ。

    稍々ネタバレかもしれないが、一言。
    3千ルーブルではなく、1,500ルーブルをお願いしに廻ればいいじゃないか、とは思った。

  • ついに第3巻読了!ゾシマ長老が死ぬが奇跡は何も起こらず悲しむアリョーシャ。その膝の上に乗り誘惑するグルーシェニカ。彼女が話す「1本の葱」は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」とそっくり。その頃、衝動的な長男ドミトリーは親父の家に忍び込むが召使いに見つかり杵で殴り血だらけにして逃げる。グルーシェニカが元カレといる村へ押しかけて、大金を使って大宴会を開く。そこへ警察が現れ、父殺しの嫌疑で逮捕。。。欲望と快楽に突っ走ったツケは支払わなくてはならないが、父殺しの謎は残る。第4巻へ。

  • 全5冊の中で最も読みやすい巻。初見の読者もここまで辿り着ければ後はイッキだと思う。ミーチャの視点になってからはドライブ感、グルーヴ感と呼ぶべきようなスピーディーな展開が待っている。不意打ちで襲いかかるシリアスな笑いに思わず噴き出すおそれがあるのでお家で読もう。

  • 3巻を読み出してすぐ
    これがドストエフスキーの凄さだなと思った。
    他の古典的名著とは一線を画している。
    長老の腐臭の話だ。
    人間のこのあざとさをここで書くとは…。
    凄まじいことだ。

  • 二巻で停滞していた物語が加速し、快適に読み進められた。
    最初にゾシマ長老の腐臭の話。いかに聖人のように思われていた人物でも、死ねば腐る。
    フョードルがついに殺されるが、誰が殺したのか、その場面は明らかに描かれてはいない。
    ミーチャがモークロエのグルーシェニカのもとへ押しかける場面。
    買い込んだワインや食べ物をたらふく積み込み、まっすぐに駆けていくトロイカが、破滅に向かっていく痛々しいさまをよく暗示していた。ドストエフスキーが、トロイカの出てくる誰かの作品に影響されて表現したものらしい(解説にそう書かれてて、なるほどと思った)
    飲んでカードゲームをやって騒ぐ場面は破滅の一歩手前ではらはらする。
    せっぱつまった生命感覚。
    「もっとも、死刑場に連れていかれる罪人の頭にさえ、時として、事態とまるで無縁で、その場にふさわしくない考えがひらめくことがよくあるという」
    それまでミーチャにつれなかったグルーシェニカが、急にミーチャに恋していたかのように、束の間の逢瀬をする場面はなんでだろうと思った。

  • カラマーゾフも折り返し、後2冊です。
    絶望的な量だと思ったのですが、この一冊に救われました。

    ミーチャが中心になることで、話が早い早い。スピーディーなミステリーを読んでるようです。
    ただ、イワンの告白や、ゾシマ長老の話に比べると引き込みは弱かった。私にとっては一服の清涼剤になりました。

    ミーチャの今後が気になる終わり方です!

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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