肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751487

作品紹介・あらすじ

第一次大戦下のフランス。パリの学校に通う15歳の「僕」は、ある日、19歳の美しい人妻マルトと出会う。二人は年齢の差を超えて愛し合い、マルトの新居でともに過ごすようになる。やがてマルトの妊娠が判明したことから、二人の愛は破滅に向かって進んでいく…。

感想・レビュー・書評

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  • 訳者中条省平さんの解説から引くと、筋書きは、

    早熟な少年が、人妻に恋をし、その夫が戦争に行っているのをいいことに肉体関係を続け、彼女の生活をめちゃめちゃにしてしまう、

    というもの。
    作者の実体験に基づいて、16〜18歳のときに執筆されている、というのが、まず驚き。
    ヒロインであるマルトの人格がよく分からないというか共感し難いのだけど、古典新訳の対象として選ばれたのは何となく理解できるような。
    『カフェ古典新訳文庫』で思い入れのあるひとの文章を先に読んだからかもしれないが。
    少なくとも100年前の小説には思えなかった。

    三島由紀夫が惚れ込んだ作者と作品らしい。

    赤ちゃんの父親が誰か、という点で、終盤くるんと一回転して、元に戻る辺りは、してやられた感がある。

    お昼のメロドラマ的な安っぽい作品とも言えるし、夭逝した天才作家の傑作とも言えるし、出版社の腕の見せ所のある作品か。

  •  素晴らしい。すばらしすぎる。奇跡のような至高の小説。

    「僕はさまざまな非難を受けることになるだろう。」書き出しの1文である。
    この1文でグイ!とひきこまれた。この書き出しで面白くないわけがない(計算された技巧的な書き出し、とも言えるが)。みがきぬかれた文章表現、構成。なるほど完成度が高い。18歳でこれを書きあげたラディゲの天才は疑いない。

     作中、秀逸なまるで老成した表現が次々に現れる。

    「体の触れあいを愛のくれるお釣りくらいにしか思わない人もいるが、むしろそれは、情熱だけが使いこなせる愛の最も貴重な貨幣なのだ。」
    などなど。名文句は数しれない。

     物語は、15歳の「僕」と19歳の人妻マルトの恋愛、そして愛憎。10代の青年でもあり、理性も分別の制御もきかないわけで、感情や想いのままに突き進む。痛々しいほどの疾走。焦燥。マルトと「僕」は、救われることのない道行きをゆく。破滅の予感。その川の流れにやがて崖と瀑布が、終りと破滅が現れること。二人は、そのことを感じている。
     「僕」の苛立ち哀しみを、読者である私もまた、強く生々しく感じながら読み進めたのであった。
    ところで、読者である自分自身もまた記憶を喚起される。中学の頃の片思い、そして若き日の恋愛のこと。久しく思い起こすことのなかった記憶。その生々しい手ざわりを思い出した。「僕」のように、私もいつも苛立っていた。それでも相手の女性は、いつも従順についてきてくれた…。「愛情のせいでマルトのなかの奴隷のような性質がめざめていた。」ということだったのか…。

    そう、マルトは背徳の女、というより、意外にも、純で一途、従順なのであった。

     屋根上の狂った娘を夢中で見物したこと。パリの夜、ホテルを探して歩き続ける二人、疲労、倦怠、焦燥。これらの場面もまた印象深い。寛容で理解ある父のありようにもおおいに感心。父になるなら、あんな父になりたいと思った。
     図書館で借りて読んだのだが、後日、あらためて文庫を購入し、折にふれて再読したいと思う。

  • ラディゲはこの小説を18歳で書き、20歳で亡くなった。腸チフスだった。
    これは14歳で年上の女性と恋愛関係になり、不登校で放校処分となったラディゲ自身の経験を基に書かれたと言われている。


    15歳の少年が、19歳の婚約中(のちに結婚する)のマルトという可憐な女性に出会い、恋に落ちる話だ。
    一人称で語られるこの物語は、恋する男の喜びや夫に対する嫉妬、少年ならではの身勝手さや呆れるほどの無責任さなど、目まぐるしく変わる心の中を繊細に且つ鮮やかに描いている。それはとても正直な言葉で語られているので、とんでもない奴だと思いつつ、何故かわたしはすんなり受け入れてしまう。

    わたしは読んでいる間ずっと考えていた。
    『僕』の愛は本物なのだろうか。
    そしてまたマルトの愛も。
    マルトが戦地に赴いている夫を嫌いになったのは、近くに『僕』がいるからで、そして『僕』は夫のような大人ではなく後先を考えない子どもだから、一緒にいると楽しいと感じただけなのではないか。

    15歳なんてまだ子どもだ。これから経験することや学ぶことが沢山あるだろう。だから『僕』はマルトとのことは、いずれ終わってしまうものだとなんとなく思っているが、マルトが妊娠したことで状況は一変する。
    残酷なオチは秀逸だ。
    なるほどねと可笑しくなり、その後ろからすぐに怒りと哀しみが訪れた。


    わたしはこの本を図書館で借りて読んだんだけど、
    『不幸はなかなかそれと認めることができない。幸福だけが当然のことに思えるのだ。』
    という部分に鉛筆で鉤括弧が書かれていた。
    わたしの前にこの本を読んだ人は、この文章に何かを感じたんだろうと思った。だからわたしも、
    『よく似ていると思うものほど、本物とは異なっている。』というくだりに鉤括弧を書こうしたけれど、でも公共のものにそういうことをするのは正しくないことなので止めた。

    訳が読みやすくて、それもよかったと思う。

  • 三年半ほど前、
    高校生のときに古書店で古い文庫を買って積んだまま
    読まずに〈引っ越し処分〉していたことを思い出し、
    反省しつつ光文社古典新訳文庫を購入。
    早熟・夭折の天才と言われる
    レーモン・ラディゲの(短めの)長編小説。

    作者の分身と思しい語り手〈僕〉の思い出。
    分けても15歳からの激動の日々について。

    第一次世界大戦下のフランス。
    〈僕〉は四つ年上の画学生マルト・グランジエと出会い、
    興味を募らせていったが、
    彼女には婚約者ジャック・ラコンブがいた。
    しかし、彼女が予定通り結婚した後も
    互いに秋波を送り続け、
    ジャックが戦線に送られた不在のうちに、
    当然のように一線を超えてしまった――。

    20世紀不倫小説の古典、但し、
    当事者が十代なので相当に青臭い。
    結末は2パターンのいずれかであろうと
    予想しつつ読み進めた。

     1.ジャックが戦死し、
       マルトは晴れて〈僕〉と再婚。
     2.マルトと〈僕〉は
       白い目で見られる不倫に倦んで関係を清算。

    が、どちらでもなく、
    しかも、1・2よりもっとひどいエンディングだった。

    そもそも〈僕〉は周囲を見下す鼻持ちならないヤツで、
    マルトが彼のどこに惹かれたのか、よくわからない。
    ジャックに問題があったとすれば、
    マルトが絵を嗜むのを快く思っていないらしい点ぐらいだし。
    彼女も若かったので、スリルを求めていたということか。
    もう一つ考えられるのは、下品な穿鑿で恐縮だが、
    マルトにとって性的な相性が
    ジャックより〈僕〉の方がよかったから、かも……とかね。
    とはいえ、独白の中でしばしば愛を口にする〈僕〉は
    女を嫌いではないし、
    その気になればセックスも充分に出来ます、というだけで、
    本当に女性を――マルトを――愛しているとは受け取れず、
    これはホモソーシャル小説の変形ではないのか?
    と疑ってしまった。
    女性との性的接触を汚らわしいが避けて通れない道と考える
    高慢な男子が、一人の女の人生を踏み躙ってしまう、
    といった筋書きの。

    タイトル"Le Diable au corps"(カラダの悪魔) とは
    《胎児》ではないのかな。
    それが宿ったがためにマルトと〈僕〉は破局を迎えた、
    という。
    いや、不倫なんだから避妊しなさいよって話で。

  • 1923年ラディゲ20歳のときの作品。ラディゲはその年、腸チフスで死去。

    主人公の僕の12歳から16歳までのお話。

    人が恋をしたときに感じる不安や疑心暗鬼、心理描写なんかが繊細に描かれてる。
    手にしても、手にできなくても何かしらの引っ掛かり。
    僕のお父さんは、なんでマルトの肖像画もってたのかな?マルトの家と僕の家はどんな関係にあったのかな。

    ドルジェル伯の舞踏会、借りてたの返却したけど、やっぱり読もうと思う。

  • ラディゲと言われても良く知らない。コクトーと言われると「オルフェ」を思い出す。その程度の知識で読んでみた。
    物語自体は刹那的で破滅的なひたすら身勝手な若者の恋愛悲劇で、正直、だから何?的なものではある。だがしかし、一人称の語りが一貫して第三者的であり、なおかつ詩的で、この小説を単なる恋愛悲劇と呼ばせない文学的な厚みを持たせている。実際、その表現力は実に的確で、詩的だ。
    「猫だって一生軽いコルクに悩まされるより、ひと月だけ重い鍋を引きずるほうがましだと思うにちがいない。」
    「この残忍な愚弄は、愛が情熱に成長するときの声変わりだった。」
    「妻を亡くし、これほど誇り高く絶望を克服する男を見て、いつかは世の中の秩序が自然に回復していくことを悟った。」
    肉体の悪魔というタイトルだが、悪魔は出てこない。ここにあるのは、永遠に刹那的には生きられない人間の運命と、実態としての肉体をもって続いていく人間の血縁と、その檻に囚われて叫び声をあげる人間の精神なのだと思った。

  • お話の内容は単純でした。でも主人公の感情が痛いほど伝わってきて、その単純さをいい意味でぶち壊した。ラディゲが私と同じくらいの歳でこの小説を書いたなんてとても思えない…。深すぎます。

    こんなにすごい小説久しぶりに読んだ気がします。次はもう少し大人になってからまたこの本を手に取りたいです。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「主人公の感情が痛いほど伝わってきて」
      一部夢見て、勿論あり得ないなぁと思いつつ。若かったです、、、
      「ポケットの中の握り拳」と言う名作を作...
      「主人公の感情が痛いほど伝わってきて」
      一部夢見て、勿論あり得ないなぁと思いつつ。若かったです、、、
      「ポケットの中の握り拳」と言う名作を作った、マルコ・ベロッキオが映画化していて、非常にエロかったです(当時は免疫無かったからかな)。。。
      2012/12/07
  • 初めてフランスの恋愛小説を読み、ヨーロッパの小説に触れることができた感触があるが、小説の理解を深めるためには自分にもある程度の経験が必要だと思った。

  • 18歳でこれ書くってなんなん!

  • 10代で書かれたものとは思えなかった。
    傍からみるとどうかしていると思うくらい強烈な感情を抱いている主人公の様子が淡々と綴られている。コントロールできない強い感情が愛情とは矛盾した行動をとらせるが、それが「僕」の未熟さや利己的な執着心を感じさせた。
    最後、ジャックと子どもの行く末に希望を見つけたように思うが、寂しさが漂っていて印象的な終わりだった。

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