- Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751685
作品紹介・あらすじ
ドストエフスキーの代表作のひとつ。日本をはじめ、世界の文学に決定的な影響を与えた犯罪小説の雄。歩いて七百三十歩のアパートに住む金貸しの老女を、主人公ラスコーリニコフはなぜ殺さねばならないのか。ひとつの命とひきかえに、何千もの命を救えるから。
感想・レビュー・書評
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興奮した
面白いのだ!遠い昔の少年時代に読んだときはちんぷんかんぷんだった記憶が薄らとある
途中で投げ出してしまったような気もする
国語のテストの問題文でしかない物語だった気がする
しかし今回は分かる、分かるというかちゃんと面白い
すばらしい新訳のおかげなのか、自分が人生経験を重ね渋みのある大人の男に成長を遂げたのか
もちろん後者に決まっている
ミルフィーユのように経験を重ねいやミルフィーユは甘いからこの例えは違う
主人公ラスコーリニコフはとにかくいかれている
最初からそうだったのか、なにかの罰としてそうなったのかとにかく支離滅裂だ
その支離滅裂な心理描写がとんでもなく巧みだ
とてつもい説得力だ
いかれた男の心理など経験したことないので分かるはずもないのに、それはこういう心理に違いないと思わせる
すげーなドストエフスキー! -
『罪と罰』は高校生の時に読んだ以来の再読。当時は新潮社の文庫で上下巻を読んだ記憶があります。
僕も40歳を超え、いろいろと自分の人生を振り返り、またこれからの生き方を見据えるという意味で、今ロシアの文豪の名作に再挑戦中しているところです。
何故、ロシアの文豪なのかというと、自分でも分かりません。学生の頃から好きなものと言えば、文学ならドストエフスキー、クラシック音楽ならチャイコフスキー、そして政治家ならプーチン・・・というのは冗談ですが、ドストエフスキーとチャイコフスキーは本当に好きなのです(笑)。
ロシアには行ったことともないし、ロシア語も勉強したことはないですけど、何故か惹かれるものがあるんですよね。もしかしたら僕、前世がロシア人だったりして(笑)。
冗談はさておき、本書は言わずと知れたロシアの大文豪・フョードル・ドストエフスキーの傑作。処女作の『貧しき人々』、5大長編への転換点となった『地下室の手記』と読了し、いよいよ5大傑作長編『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』に取りかかろうと思い、最初の『罪と罰』を手に取りました。
今回はいろいろと話題となった光文社古典新訳文庫の亀山郁夫氏の新訳で読んでみることにしました。
本書は文字も大きく、行間も広いので老眼になりつつある僕には非常に読みやすかったです(笑)。分かりやすい訳文も良かったですね。ただ、この『罪と罰』を読む前に読んだ岩波文庫のトルストイ『戦争と平和』では、文章中に「これでもかっ!」というばかりに注釈がついていたので、それと比較するとちょっと不親切かなとは感じてしまいます(まあ、岩波文庫がお節介すぎるという意見もありますが・・・)。
ただ、文末にまとめて『読書ガイト』と称する説明文が地図などと供にかなり詳細に記載されているので、それを読みながら読めば良いのかなと思いました。
この『罪と罰』、読んだのはもう数十年前の話になるので内容についてはほとんど覚えてないのですが、クライマックスで主人公のラスコーリニコフが娼婦のソーニャに自分の罪を告白した場面だけは非常に印象に残っています。
実際、この1巻を再読してみて、ほとんどの内容を忘れているということが判明しました(笑)。ラスコーリニコフが金貸しの老婆の妹も一緒に殺していたことなど全く記憶に無いし・・・(本当に当時、読破したのかということすら、ちょっと自信なくなってきた)。
それにしても、どうしてあの告白のシーンだけを良く覚えているのだろう?
それだけ高校生という感受性の高い時期に感じるものがあったのでしょうね。歳を経て、今回はあのシーンをどのように感じるのか楽しみです。
『罪と罰』って日本人なら多くの人が知っているドストエフスキーの古典的名作ですし、「大学生のラスコーリニコフが高利貸しの老婆を自分の高尚な目的の為に殺害する」というあらすじも大体知っているという人がほとんどだろうけど、実際に読んだことがあるという人は少ないと思います(文春文庫の『「罪と罰」を読まない』って本が流行っているくらいだし・・・)。
そう考えると『罪と罰』って「題名もあらすじも知っているけど実際に読んだことは無い本」ランキングを作ったら間違いなくトップを争う本の1つですね。
『罪と罰』は「犯罪者の自己の行為の正当性を『一つの些細な罪は百の善に償われる』『選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ』という犯罪理論から主人公が自ら進んで罪を犯したのだ」みたいに説明してあるものも多いけど、実際に本書を読みすすめると、主人公のラスコーリニコフはそこまで明確に犯行を企ててはいないんですよね。
犯行にはかなり偶発的な要素が絡んでいて、犯行当時ラスコーリニコフは、貧乏生活に嫌気がさしており、しかも最愛の妹が金持ちの男に嫁がなければならないということを知らせた手紙を母親から受け取ったばかりで、主人公は自分の無力さを呪い、かなり心神喪失に近い状態のままで老婆を殺害している。そしてその場で帰宅するはずのなかった老婆の同居の妹までとっさに殺してしまい、金品を盗むのも中途半端になってしまう。
ラスコーリニコフは犯行後も、そのショックから心神喪失状態で寝込んでおり、友人や下宿の女中から介抱されるといいう始末。
このラスコーリニコフの精神状態についての描写は、ドストエフスキーの真骨頂です。陰々滅々としたラスコーリニコフの心の描写、精神状態の独白は、それこそ「ドストエフスキーの文体は暗い、読みにくい」と言われる最も大きな理由の一つですが、そこがドストエフスキーの小説の最も大きな魅力であるとも言うことができます。これを「愉しめるか、愉しめないか」でドストエフスキーを「読めるか、読めないか」が分かれると思いますね。
本書『罪と罰1』では、犯行後、ラスコーリニコフが罪の意識から自暴自棄になり、自殺しようか、警察に出頭しようかと迷っているところに、自分の飲み友達である貧乏役人の死に直面し、その家族への有り金ほとんどを渡し、妻や娘たちから感謝をされたことによりラスコーリニコフの心情に変化が訪れるというところで終わります。
いや~、やはり、ドストエフスキー、面白いです。
このラスコーリニコフのジェットコースターなみの心の動き変化を楽しむだけでも凄い。
のんびり読んでいこうかと思っていましたが、どんどん先を読みたくなりますね。すぐに2巻、3巻に取り組もうと思います。 -
なにこれ。すごい。面白すぎる。
ドストエフスキーは、高校時代にカラマーゾフの兄弟を少し齧ったっきり。
難解な話の展開(と、当時は感じた)と登場人物の多さに挫折したのを覚えている。
そこからはドストエフスキー文学とはちょっと気まずくて(?)、正直言って避けてた。
でも、今回たまたまこの「罪と罰」を手に取って読んでみたら面白い面白い。
意味のわからない展開もあるし、相変わらず名前も覚えられないのに、なんでこんなにドストエフスキーを面白く感じるんだろう。
私は今結構病んでいて、そんな闇の深い自分の心にとって、この「罪と罰」が多分すごくいい鎮痛剤のような本だったんだと思う。
多分、高校時代に読んでいたら「なんだこれ」で終わっていたに違いない。
よくわからなかったなあと思う人はぜひ人生に絶望しきっちゃってる時に再読してみて欲しいです。 -
先日の『悪霊』に続いて『罪と罰』も亀山郁夫氏の新訳で読んでみたくなり。
『罪と罰』は高校生の頃に読んだ新潮文庫の工藤精一郎訳、数年前に読んだ岩波文庫の江川卓訳に続いて3回目となります。 -
第一部あらすじ
7月の太陽が照りつけるペテルブルグの街中を、元大学生ラスコーリニコフは歩いている。
彼は殺人計画を立てていて、そのターゲット金貸し老女アリョーナの居室を下見の目的で訪れるのである。はたして実行できるのか、神経質にびくびくしている様子が描かれる。
いよいよ金貸しアリョーナの部屋に着き、古い銀時計を質草に金を借り、また訪れると予告して去る。
幾ばくかのお金を手にして居酒屋に寄るラスコーリニコフ。そこで、マルメラードフという飲んだくれの元役人に出合い、酔いに任せたおしゃべりで彼の家庭事情を聴かされる。再婚した妻の病気、子沢山、そして前妻との実娘ソフィアの稼ぎ(売春)に頼る生活。
ラスコーリニコフは酔っぱらったマルメラードフをそのアパートまで送り、貧困にあえぐとても悲惨な生活状況をつぶさに見る。
自分の下宿に帰ったラスコーリニコフは母からの手紙を読む。仕送りが途絶えた事情、妹ドゥーニャの家庭教師先での災難、ルージンという男との婚約を知る。しかし、その婚約は母や妹の貧困脱出の打算が見え、暗澹となる彼。
ラスコーリニコフは、自身の非力、むなしさに悲嘆・無気力で自堕落になっている様子、そして金貸し老婆を殺さなくてはいけない、という極端な思想に走る狂気的状態が描かれる。
いよいよ、息詰まる殺人実行の描写で、第一部は終わる
わたしの感想
ラスコーリニコフが殺人を実行するまでにどうして至ってしまうのか?あまりにも唐突で、ちょっと理解できなかった。ストリーが進むにしたがってわかるのだろうか。
それはむしろ、酒場で知り合ったマルメラードフという飲んだくれの独白。どうしようもない哀れな自虐話の内容。母親からの手紙の内容のおぞましさ悲惨さ。母・妹が彼に期待し犠牲に走る心理。それを知り怒り不甲斐なく思うラスコーリニコフ、そんな別物語が潜んでいるのを感じるのは、読む視点が変わったのだ。
第二部あらすじ
夢中で下宿に帰って死んだように眠っても興奮冷めやらないラスコーリニコフ。そこへ突然の警察からの呼び出し状にぎくりとする。
ドキドキしながら警察を訪れ、別件「不払い下宿代の催促だったとだった」と知る。警察の事務官ザメートフにラスコーリニコフが「自身が父親の早世による貧困で大学をやめざるを得なかった事情、下宿屋の娘との婚約、死別したために借金になってしまった」事情を語り、書類にサインするも、警察では「金貸し老婆殺人の話題」が飛び交っていて、精神が持たず失神してしまう様子。そこから彼の罰が始まる。
下宿で寝込み、友人ラズミーヒンや医師のゾシーモフたちが親身に介護するも、抜け出してアリョーナのところから盗んだものを隠したりする。妹の婚約者ルージンが下宿に来れば喧嘩したり、警察事務官ザメートフと危険な会話をしたり、街をさまよい懊悩する。
そのさなか、マルメラードフの事故死に遭遇、母から送金されたなけなしの25ルーブルをマルメラードフの残された家族にあげてしまう。
下宿に戻ると田舎から出て来た母と妹ドゥーニャが待っていた。
わたしの感想
あらすじを忘れていたからなのか、ジェットコースターのように変化にとんだ展開に驚く。さすが犯罪ミステリー小説の古典だ。それから、スラブ人のというか、ロシア人の極端な性格、熱するかと思いきや、氷のように冷める上がったり下がったりの行動の満載に圧倒される。『カラマーゾフの兄弟』もそうだったが、ドストエフスキーの骨頂だ。 -
あの時代のロシアの社会が違うのか、ラスコーリニコフやソーニャが違うのか。ドストエフスキーが変なのか。俺の人生観が狭いのか。本を読み進めるたびに異様な世界に入らなければならなかった。
でも、“腐っても鯛”。へんな例えで申し訳ないけど、とんでもない登場人物たちは見事にロシア社会を描いているし、想像させてくれる。
そして生きている。この今の日本の多くの人たちよりずっと。
生誕200年。文豪と言われる所以が少しわかった気がする。
他の作品も読んでみるよ。ドストエフスキー。 -
老婆殺人前にみた病的な状態にあるときに見る夢が鳥肌立つほど怖かった。人間の残虐さと当時の犯罪都市ペテルブルクを語るエピソードだとしたらこんなにグロテスクなわけあるんだって恐ろしくなった。夢の中で人が馬を殺す、殺人終えて夢遊病者のように街を歩いているときに聖書を読み込んでいるマゾヒズムに侵された男が馬に殺される。登場人物誰も彼もが正気じゃないし、精神病的なのに、ラスコリーニコフが殺人前・殺人中・殺人後で正気じゃたどり着けないほどの精神分析を遂げてる描写が本当に凄い。著者が実際に殺人したんじゃないかって思うくらいに詳細なのが怖い。
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ずいぶん前に買って、積読状態が数年続いていた。
背表紙をほぼ毎日眺めながら
そのうちに…
と思っていたところ
昨夜辺りから
台風が近づいている
そんなニュースを耳にしながら
ひょいと手に持ってみた
いゃあ これが
なかなか 面白い
何十年か前に途中でやめてしまったのは
なぜだろう
犯罪小説の古典的名作
「罪と罰」をおもしろい
と感じ取れるまでには
それなりに人生を経なくてはならないのだろう
なにより
活字が大きくなっているのが 何よりうれしい -
罪と罰。
恐らくは中学生くらいの頃に読んで以来ですから、およそで言うと30年ぶりくらいになります。再読。
と、言っても前回は新潮文庫版。今回は光文社古典新訳文庫版。
去年あたりから、「もう何にも覚えていないし、再読したいなあ」と思っていました。
亀山郁夫さんの翻訳については、賛否両論があるようですが、僕は光文社古典新訳文庫さんを応援したいので(笑)、そちらで購入。
「読んだ」という記憶以外に何も覚えていなかったのですが。
改めて読んでみると、まあ、ほぼ、イっちゃってる青年が殺人事件を犯す、と言っても過言ではありません。
そしてその背景には、資本主義的な大都会の貧困や格差の人間模様に満ち溢れています。
まあとにかく、パワフルでクドイ。
サウンドを敷き詰めるコルトレーンのような、濃さ。濃い。濃ゆいですドストエフスキー。饒舌。
その代り、第1巻について言うと、それほど難解ではありません。
とにかく主人公の心情にべっっったりと寄り添って、汚れた街を暴走していく感じ。
主人公は、ラスコーリニコフ。「元大学生」という設定がどういうコトなのか、ちょっと判りにくいですが、要は貧しいインテリ青年。
貧しい。実家も貧しい。田舎に母と妹がいる。あんまり貧しいので、金の為に、兄の為に、愛の無い結婚を妹はしようとしている。
ラスコーリニコフはペテルブルグに暮らしている。時代は明治維新くらいの頃。(当時の現代劇です)
当時のペテルブルクは、資本主義といっしょに地方の農民たちがどどどっと流入したようで、えらいこっちゃな犯罪貧困都市だったそうです。
もうとにかく貧しくて、未来が無くて、娘は娼婦に落ち、父はのんだくれる。
そんな人生模様が酒場に充満し、ラスコーリニコフと読者の目と耳を埋める。正直、その饐えた匂いが鼻まで支配されそうな濃さ。
もう、のっけからラスコリくんは、イっちゃってます。
ほとんど神経症?ノイローゼ?演劇的?ふらふらの痩せっぽちの、熱にうなされがちな病弱青年が、自分と未来と家族と犠牲と貧困と不公平と社会に、うなされています。
そして、金貸しの老婆。徹底してがめつい高利貸し。
家族もいない。義理の妹がいるが、日々その義妹を虐待している。
こいつを、なぜ、殺してはいけない?
まあ、読む側も大抵は、「青年が老婆を殺す話」ということくらいは知って読んでるってこともありますけれど、100頁も我慢したら、その犯罪に向けて堕ちていく、まさにダークヒーロー。悪漢小説。ピカレスク・ロマン、というのですかね。
犯罪のプロじゃありません。シロウトです。どきどきです。
計画、偶然、迷い。決断。斧。目撃者。現場。
この心臓バクバクする感じ、ジェットコースター・エンターテイメント。
殺しちゃってからがまた。絶体絶命かと思われた現場からの逃走。
警察。悪夢。うなされて気を失って、復活したら。
宿敵?「可愛い妹と結婚するいけすかない勝ち組野郎」との対決。
自首するのか?生き延びるのか?悩みと彷徨。
偶然という美味しさ。貧しい中年男の事故死から、その娘の、娼婦ソーニャとの出会い。その家族への支援。
いたいけな幼女から感謝と祝福を受ける場面は、前後がどれだけ、くどかったりもたついたりしていても、圧倒的な小説らしい快感に満ちた名場面。震えます。
こういうのが、くどくて、長くて、饒舌で、重くて痛くないと、こういう瞬間にならないんだろうなあ。
すごいです。
そして、なにかしら、やる気になって帰宅...ドアを開けると待っていたのは、田舎から出てきた母と妹。
うーん。
疾風怒濤の第1巻。
やっぱり面白い。犯罪ミステリー。どきどき、第2巻へ。
(って、名作だからそういう議論になりませんが、芥川龍之介さんが言った通り、ドストさんの描く女性像っていうのは、ひょっとして結構...紋切り?だったりするのか?
「ドストエフスキーの女は、すね毛が見えている」。
つまり、男性が頭で想像した女性像で、妙に男性的なことを言うか、あるいは紋切りな女性的情緒と健気さのイメージ?
そのあたりを検証しつつ、2巻3巻を美味しくいただきましょう) -
とても面白い訳じゃないけど、変なリアリティがあって引き込まれた。意外と読みやすい。
ラスコーリニコフ
こういう奴いるよなぁという奴。頭が良くて思想が強い(社会的正義感が強くて自分もより良く生きようとしている)が故に、抽象的な思考に囚われすぎて、自分の肉体を蔑ろにする奴。社会の汚いところを潔癖なまでに嫌っているから、お金に苦しんでいるくせにお金を捨てる奴。ラズミーヒンみたいな、社交的でバイトの口をすぐ見つけられて友達の心配もしてくれるような、良識のある要領の良い社会化された人間を、助けてもらっているくせに内心軽蔑してる奴。逆に社会に苦しめられ底辺で喘いでいる、上手くやっていけない不器用な人には心底同情する。母(的なもの)に溺愛されていて父(的なもの)がいない奴。
思想が強い割にその思想を現実生活に落とし込んで立ち向かったり問題を解消していく方法を知らない、あるいはそんな狡猾さを嫌う、あるいは純粋すぎてそうやっていくと自分が傷ついてしまうから、急に極端な方法で実現させようとする奴。
そういう人を思い出しました。
主人公は行動だけ見るとめちゃくちゃだけど、内心を追っていくと不思議と気持ちが分かるので良い小説だと思う。
あと当時のロシアの街並みとお金と汚い酒場と人の生活が臨場感を持って迫ってくるのがすごい。登場人物が多すぎて混乱することもあるけど、色んな場面を垣間見ることで、主人公に覆い被さってくる現実の苦しみやそれらの社会構造としてのどうしようもなさみたいのが感じられた。
読む気にならない。
というより、自分に読める能力があるとは思えない。
まあ、そのうちに、と言い続...
読む気にならない。
というより、自分に読める能力があるとは思えない。
まあ、そのうちに、と言い続けウン十年。
ハードル高いなぁ(*´Д`)