菊と刀 (光文社古典新訳文庫 Cヘ 1-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (545ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751692

作品紹介・あらすじ

第二次世界大戦中、米国戦時情報局の依頼を受け、日本人の気質や行動を研究した文化人類学者ベネディクト。日系人や滞日経験のある米国人たちの協力を得て、日本人の心理を考察し、その矛盾した行動を鋭く分析した。ロング・セラーの画期的新訳。

感想・レビュー・書評

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  • 【読もうと思った理由】
    書籍紹介(主に哲学書や古典思想書など)のYouTuberとして有名なアバタロー氏が、自身のチャンネルで紹介していたのが、そもそもの動機。
    また、10年程海外に住んでいた知人が、最近日本に戻ってきた際に、コロナ禍の為、ほとんどの日本人が電車内でマスクをしているのに、本人は「会社以外はマスクはしないよ」と言い、日本の電車内でもマスクは一切していないとのこと。本人が住んでいたヨーロッパの国でも、電車内でほぼ誰もマスクはしていないだとか(2022年12月当時)。元々僕もマスクは嫌いだった為、一度人がそんなに混み合っていない電車で、マスクを取ると周りの視線の冷ややかなこと。その後すぐにマスクをした自分を客観視した際に、自分の主義・主張を後回しにし、周りの視線ばかり気にしてしまうのは、やっぱり国民性なのかなぁと感じた。そんなこともあり、一度海外の人が一切忖度なく書いた、日本人論を読んでみたいと思ったのが理由。

    【著者 ルース・ベネディクトについて】
    [1887年〜1948年]アメリカの文化人類学者。ニューヨーク市生まれ。3歳頃“はしか“のため片耳の聴力を失う。1914年生化学者のスタンレーと結婚。1921年コロンビア大学の大学院でフランツ・ボアズから人類学を学ぶ。同大学の非常勤講師を経て、1937年准教授になる。1943年戦時情報局に勤務し、1946年『菊と刀』を出版。死の2ヶ月前、正教授に任じられた。主著に『文化の型』など。

    【文化人類学って?】
    世界各地のさまざまな社会や地域で日常的に行われている文化的な活動を、実際にその社会や地域に入っていき、一緒に生活してみたり、インタビューすることなどを通じて細かく調査し、研究する学問。調査の対象は、伝統的な風習を守る部族社会から、現代的な地域社会まで、非常に多岐にわたる。また、国内の文化も調査の対象として重要である。学問的な特徴としては、文献による研究よりもフィールドワーク(現地調査)に重きを置く傾向がある。

    【執筆した背景】
    太平洋戦争の終戦が近づいてきた際、アメリカの課題は、アメリカ軍の損害を最小限に食い止めつつ、日本軍を降伏に導く方法を探ることにあった。また天皇の処遇も大きな問題としてあった。そこで外国の文化を研究する専門家として、ベネディクトに白羽の矢がたった。1945年5月〜同年8月までという約3ヶ月間で報告書を書き上げる。そのタイトルが「日本人の行動パターン」である。その後、「日本人の行動パターン」に大幅に加筆・修正を加え、一般読者向けの日本人論として執筆されたのが本書である。

    【本書で初めて知った言葉】
    ・ノーブレス・オブリージュ…19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。法的義務や責任ではないが、自己の利益を優先することのないような行動を促す、社会の心理的規範となっている。(P.235)
    ・怯懦(きょうだ)…臆病で気が弱いこと。いくじのないこと。(P.392)

    【感想】
    今まで何となく感じていた日本人が世間体を気にしすぎる理由を、ベネディクト氏が理路整然と説明してくれ、納得感が得られた。

    本書の構成は、13章からなる日本人とは?という、ただ一点だけに特化した、アメリカ人の文化人類学者が執筆した書籍。
    なので文体は、報告書ベースから一般読者向けに改編されているとはいえ、500ページに渡る長編なので、結構堅い内容に感じる。(ここ最近読了した数冊が、エンタメ小説ばかりを読んだ為かもしれません。)

    事実誤認という欠点があるにも関わらず、執筆されて80年近く経つのに、絶版にならずに今だに売れ続けていることと、日本だけで販売部数が230万部もあるんだから、それ相応の魅力があるのは間違いない。
    特にどうしても強調したいのが、文化人類学の最重要手法である現地調査が、戦争中であったため、したくても出来ない状況であった。現地調査ができない中、12章で語られる子育てに関する考察は、文化人類学者としての力量を圧倒的に見せつけられる。
    ぜひ気になった方は一読して欲しい。
    では実際に現地日本に行かずにどうやって考察したのだろう?→戦時中アメリカには、日本で育った日系人が数多く住んでいた。彼ら日系人から詳細な面談を行うことにより、具体的にどのような事実を体験したのかを、知ることがができたのだ。

    では本書の訴える日本人特有の考え方とは一体何であろうか?→それは恩と恥の概念である。欧米人から見ると一見理解しがたい行動も、恩の貸借という概念で説明できると言う。具体的には夏目漱石の「坊ちゃん」を読んだ時にベネディクト氏は閃いたのだそうだ。

    (以下、『坊ちゃん』の内容を一部抜粋)
    同僚の告げ口を真に受けた坊ちゃんは、勤務先の学校で、唯一まともな教師だと思っていた山嵐との仲が悪くなる。関係が悪化すると、山嵐から以前奢ってもらったわずか一銭五厘の氷水のことが異常に気になる。そしてある日山嵐に一銭五厘を返すことを決意する。日本人なら、まともでない人間から、恩を受けたまま放っておくわけにはいかないからだ。恩にともなう借りを返そうと躍起になる坊ちゃんの心理は病的だ。
    そう思った瞬間にベネディクト氏は、恩の貸借関係が日本人の倫理規範の要となっていることに思い至る。アメリカで借金の返済に向けて強制力が働いているのと同様に、日本では恩返し(義理を果たすこと)を促す作用が働いている。日本での強制力とは「恥」である。義理を果たさないと、恥を知らない人間として世間の嘲笑を買う。だから日本人は義理を尽くす。本書の核心部分はそのように要約できると思う。

    また日本人がここまで世間体を気にするようになったのは、260年も続いた江戸時代からなんじゃないかなと個人的に思っている。いわゆる村八分問題だ。村八分にされてしまうと、実質生きていくことが、この上なく困難になる。なので村八分に絶対にされない様、周りの目を異常な程気にしすぎる性質は、この時から生まれたんじないかなと。
    いわゆる「空気を読む」や「暗黙の了解」とか「阿吽の呼吸」などは、まさに日本人のみが持つ特有の気質だと思う。
    なので日本人は、失敗すること、また人から悪く言われたり、拒絶されたりすることに対して特に傷つきやすい。そのため、えてして他人を責めるより自分を責めがちである。
    だから日本人は他国に比べて鬱になる人や、自殺者の割合が多いんだろう。

    またベネディクト氏が日本人を言い表している箇所で、特に納得感があったのが、以下である。→日本人に特有の倦怠感は、あまりに傷つきやすい国民がかかる病気である。日本人は拒絶されるのではないかという不安を外側にではなく、自分自身に向ける。そして、身動きが取れなくなる。(P.262)

    日本人の深層心理をよく表しているなぁと感心した箇所が以下である。
    →日本の生活においては、恥が最高の地位を占めている。恥が最高の場を占めているということは、とりもなおさず、誰もが自分の行いに対する世評を注視するということである。世間からどのような判定を下されるのか、それを思い描くだけでも、他人の判定が自分の行動指針となる。(P.357)

    また11章(鍛錬)の章では、禅宗の大家、鈴木大拙(だいせつ)の無我の境地を引用している。「それをしているという感覚のない恍惚の境地」、すなわち「力を込めない状態」と説明している。

    「死んだつもりになって生きる」ということは、すなわち葛藤から究極的に解放されたということに他ならない。それが意味するのは、次のことである。「活力と注意力を、誰にはばかることもなく、そのまま自分の目的を達成するために注ぐことができる。(P.395)

    日本人の哲学によれば、人間は心の奥底では善なのだという。内なる衝動が直接行動となって具現化するとき、行いは善いものになる。しかも、努力も要することもなく。だからこそ日本人は恥という自己検閲を排除することを目的として、達人の域にたどり着くための修練を積むのである。(P.396)
    →ここが本書で一番納得感があった部分だ。そう日本人は、行動を起こす前に恥というフィルターを、深層心理では、取り除きたいと思っているんだ。だけど、世間体を気にしすぎてなかなかそれが出来ない。
    だから僕が冒頭で書いた、10年ぶりに日本に帰ってきた知人の、周りの目を気にしない自分のポリシーを貫く姿勢を、羨ましいと思ったんだ。
    最近特に「悟り」に惹かれている自分のことを、本書を読んで客観視できたのが、今回の収穫だ。

    僕のように日本人の特性や、客観的に見た日本人に興味がある方へ、お薦めできる作品です。

    【雑感】
    本書は日本人を知る上で、自分を客観視できたのはとても良かったのだが、結構、自分の考えを纏めるのに時間が掛かってしまった。なので次読む作品は、気分転換で純粋に楽しめるエンタメ小説にしよう。ブグログで皆さんが絶賛している「テスカトリポカ」を読みます!

    • ユウダイさん
      koshoujiさん、フォローとコメントを下さりありがとうございます。またYouTuberもやっていらっしゃるなんて凄いですね!またYouT...
      koshoujiさん、フォローとコメントを下さりありがとうございます。またYouTuberもやっていらっしゃるなんて凄いですね!またYouTubeも拝見させて頂きます。こちらこそ読書仲間として、今後とも宜しくお願いします!
      2023/04/07
    • koshoujiさん
      おはようございます。今はブクログも自分の書いたコメントに返信があると、メールで連絡が来て分かるから便利ですね。10年前というか、2017年頃...
      おはようございます。今はブクログも自分の書いたコメントに返信があると、メールで連絡が来て分かるから便利ですね。10年前というか、2017年頃まではこんな機能なかったんですよ。

      さて、あらためて「菊と刀」での、ユウダイさんの考察にある「日本人の“恥”と“村八分” 」について考えました。

      これ、私も思っていまして、昨晩、おそらく仙台では初めて上演されたであろう三谷幸喜氏の芝居「笑の大学」(映画はご存知でしょうか。役所広司と稲垣吾郎が演じて人気になった面白い作品。35年間の東京在住時は三谷さんの芝居が好きで10本以上は観に行きました)を観に行ったのですが、私以外は殆どマスクしていました(笑)。満員のホールなのでそれは納得するにしても、終演後、外に出ても95%以上の人がいまだにマスクをしている。何なのだろう? と考えてしまいましたね。

      特に東北は真面目な人が多く、考え方もどちらかというと古いので、こうなのかなと。関西とか東京では、その割合がかなり違っているのじゃないでしょうか。同調圧力に弱く、“村八分”の感覚が強いのは、都会よりはムラ社会的な人同士の交流が強い田舎だからだろうと。仙台でこうなのだから、もっと田舎では、まだまだマスクを外したら白い目で見られるのでしょう。

      この3年間で、日本人(特に高齢者が多く大都会ではない地域)はコロナ教という新興宗教に洗礼されてしまったのか。連休が明け、2類から5類になっても、マスクが減るのは、徐々に暑くなって周りの人が少しずつしなくなってから安心してみんな外していくのだろう。なんてことを思いました。
      2023/04/07
    • ユウダイさん
      koshoujiさん、ご返信ありがとうございます!
      YouTube拝見させて頂きました。
      歌凄く上手くてビックリしました‼︎
      竹内まりやさん...
      koshoujiさん、ご返信ありがとうございます!
      YouTube拝見させて頂きました。
      歌凄く上手くてビックリしました‼︎
      竹内まりやさんや小田和正さんはお二人とも声が好みでしたが、お声が小田和正氏と似ていて、更にビックリしました‼︎
      またちょくちょくYouTubeでお声を聴かせて頂きますね!

      話は変わりまして日本人のマスク問題ですが、仙台では未だに95%の方がしていますか。僕は関西在住ですが、電車の中ではまだ殆どの方がマスクしてますねー。世界でここまでマスクをしているのは日本だけなのに。客観的に見れば、一種異様な光景だと思います。どうしてこんな国民性になったのかというところに今も興味が尽きません。「菊と刀」だけでなく、日本人を考察した良書があれば、今後も読んでいこうと思ってます。
      今後とも何卒よろしくお願いします。
      2023/04/08
  • 外から見た日本人の分析。古い本だが、とても興味深かった。恥の文化、応分の場、忠・侾の考え方について中国との違い、自殺に対する考え方、天皇の存在など、なるほどと思うことがたくさんあった。逆に日本人も自分たちのこのような考え方が欧米では理解されがたいということを、理解しておく必要があると感じた。

  • 日本人が相対的価値観にとらわれる理由

    この本は日本人が相対的価値観(世間の目、人からの評判、身分、貧富の差等)に囚われがちであり、だからこそ相対的価値観とは逆の絶対的価値観(自分の軸で生きる)を説いている自己啓発本が人気が出る理由が分かった。

    気付き
    ・恩と愛の違い
    恩は返さなければならない、または返したい
    愛は見返りを求めない
    日本人は恩のほうが強い。これは義務感的な役割も持つ。
    ・恥の文化
    日本人は自分が馬鹿にされたり、けなされたり、恥をかくことを気にする。
    これは道徳心が自分の中にあるか、外にあるかが大きな要因。
    キリスト教ならば、自分は常に神に見られているので自分の中に道徳を置く
    日本は神の教えがないため、世間の目が道徳となる。だから空気を読むとか、同調圧力が一層強い。

    評価の基準を外に置くことが多い理由が分かった。
    このように本で書かれてしまうと、国民性なので仕方ないとも思える。
    ならば、なおさら相対的価値観を持つのではなく、自分の軸で生きていく絶対的価値観で生きていくことの重要性が理解できた。

  • 「本当に国際的というのは、自分の国を、あるいは自分自身を知ることであり、外国語が巧くなることでも、外人の真似をすることでもない。」
    白洲正子さんの言葉である。

    グローバル化という言葉が当たり前になり、自身も海外と仕事をする機会が増えた今、改めてこの言葉の重みを感じる。

    この言葉は国内外のケースだけではなく、もっと身近なところにも当てはまると思う。国内だけで見ても、他の地域の文化、もっと言えば他の人のことを理解するには、まず自分の故郷のこと、自分自身のことを知らねばならない。

    こういった考えに至るには、違う文化圏に飛び込むことが必要に思う。幸か不幸かはともかく、自分は就職以降故郷を出て複数の地方で生活をすることになり、文化の異なる環境で仕事をすることになった。海外ほど極端ではないにせよ、こういった文化の違いを経験することは、人生の中で非常に大きな影響を及ぼしている。

    この本が書かれたのは今から70年以上前。終戦前後のタイミングであり、著者のベネディクト史は一度も日本を訪れることなく、日本で過ごしたことがある外国人と在留邦人の証言のみでこの本を書き上げたそう。そういう背景から誤認に基づく記載も多く、出版当初から日本人から極端な賛否両論を受けている本とのこと。そういった中で長年に渡って読み継がれているのは、本著が日本の文化、日本人の気質に対して極めて鋭く切り込まれているからであろう。

    本の中で印象的だった一節(原文ママではなく、要約)

    盆栽は鉢という限られた中でおさまっている内は極めて調和がとれており美しく見える。しかし、ひとたび庭に植えられてしまうと二度と鉢の中に戻すことはできない。自由に生きることを知ってしまうからである。これと同じで、日本人は日本という鉢の中で生きている内はその文化の中における美しさを生き生きと体現するが、ひとたび世界に出てそこに適応してしまうと、かつて自分が生きていた世界の狭さを知り、戻ることができなくなってしまう。

    盆栽としての美しさを体現する人生もあれば、大地に根差すことを目指す人生もある。違う世界があることを認識した上で、自分の好きな道を選べることだと思う。

  • 難しかったー。
    でも面白かった。

    簡単に説明するならば。
    第二次世界大戦の折のアメリカ。
    「日本人、不可解すぎるよ」
    攻撃的なのに温和。
    思い上がりつつ礼儀正しい。
    頑固さと柔軟さを兼ね備え。
    従順でありながらぞんざいに扱われると怒る。
    節操あると思いきや二心もある。
    勇敢でもあり小心でもあり。
    保守的であると同時に新しいものを歓迎する。
    他者の目線を気にし見られていなくても気にし。
    上からの規律を守るが上に反抗的な態度もとる。
    竹槍で戦闘機は落ちないよ。
    ラジオ体操で空腹はおさまらないよ。
    冬場の乾布摩擦や滝行、何?
    寝ずの行軍練習で極限に慣れる、なんてやめとけ。
    とまあ、矛盾しすぎて次の行動が読めず、
    「この民族滅ぼすしかないんじゃね?」
    日本人を知るための研究レポートに加筆修正を加えたのが本書です。

    面白かった考え方。
    「恩」について。
    受けた分はきっちり返さなければならない、まるで借金のようなもの。日本人は「恥」を以って、返済を強要されている。「名前」「名誉」を汚すことのないよう、他者からの評価、つまり自分に向けられる目線を気にして生きている。
    「そんなことしてたら人に笑われるよ」
    と小さい頃からしつけられる。
    もし「名」が汚されたときには「復讐」として人に返すことを好む。侮辱には報復を。しかし仕返しが叶わなければ、憎悪は自分自身に向かっていく。
    「やられたらやり返す…」
    って現代でもやってますもんね。
    忠臣蔵のときからそれは変わらん、と。
    そして、人からの目線が気にならない人間を「悟った!」と崇め、皆鍛錬を積んで目指す。
    無我の境地。ゾーン。邪魔をするなら仏でも倒す。
    日本人にとっての修行はそんな感じ。
    「恥」から逃れた生き方ができるのが、達人。
    わがままに過ごせた幼児期に帰る、とも言う。
    それこそが日本人の二面性を生むらしい。
    大胆不敵な子どもだった自己。
    慎重に「恥」に気を配る、自重する大人の自己。
    菊を愛でる美的感覚を持ちながら。
    武士のように刀を振るうのを厭わない。

    日本人の国民性を浮き彫りにした著作として、ロングセラーになる理由がわかりました。


  • 第二次世界大戦で日本と戦ったアメリカが日本人の気質を研究するために書かれた本。
    著者のルース・ベネディクトは一度も日本に行かず、聞き取り等だけでこれだけのことを書いたとは…と驚かされました。
    日本を直に目で見ていない分、時々「あれ?」と思うことや『身から出た錆』のように言葉の選択がおかしく感じることもありますが当時の日本人の思考、気質がアメリカの目で分析されていました。
    恥の文化と罪の文化の違いは大きいと感じました。

    現在はもうほとんど失われてしまったと感じるものもありますが日本人が日本人を知るためにも色々と参考になるものがありました。

  • これはもう、とんでもない研究論文である。
    読む時間が相当かかったのは、日本人たる自身や周りに垣間見える、見ようと思わないと気がつかない日本人の姿そのものが細かく描写されていて、いちいち読み込まねばならなかったからだ。
    戦後、大きく日本人の文化は変わり、アメリカ人の文化も変わって、互いに融合して重なる部分が増えたように思う。しかし、本書で指摘されている恥の文化のようなファンダメンタルな日本人は変わっていない。その事を認識すれば、日本社会のみならず、国際的な活動における指針となるだろう。

  • 今なお「日本人論」の決定版といえる古典的名著。実は大学時代にゼミの教授から「絶対に読んでおきなさい」と言われ、「はい」と答えて放置すること20年。ようやく義理を果たせました。
    そう。本書はこの「義理」が大きなテーマです。日本では、義理を果たすことを促す力が強力に働いています。義理を果たさないでいると、妙にそわそわすることがありますね。それはどうやら私たち日本人に特有の性向らしいです。
    60年以上も前に著された本書ですが、今もなお売れ続けるのは、やはり時代を超えた洞察力でしょう。今も色あせない、というより、今こそ耳を傾けるべき示唆に富んでいます。
    たとえば―。
    「アメリカの生活の仕組みにおいては、競争は望ましい社会的効果をあげるが、日本ではそれと同じ水準の効果は期待できない。(中略)心理テストが示すところによると、わたしたち(米国人)の仕事の出来が最高になるのは、競争に刺激されたときである。ところが日本では、(中略)事情が変わってくる。競争相手がいる状況でテストを受けると、成績が落ちるのである」
    「誠という言葉は、私利私欲に恬淡としている人を称賛するために、繰り返し用いられている。このことは、日本人の倫理が利益の追求を強く非難していることの現れである。利益は、階層的秩序のもたらす自然な結果でない限り、搾取の結果と判断される」
    「中国の当面の目標は軍事力の増強である。そして、その野心はアメリカによって支えられている。日本は、軍事力の増強を予算に計上しなければ、やる気次第で数年のうちに繁栄のための態勢を整えることができよう」
    現在、盛んに報道されているTPPを念頭に置けば、次の指摘は実に考えさせられます。
    「アメリカ人は、絶えず挑戦してくる世界に対応するために、生活全体の調子を加減する。また、そのような挑戦を受けて立つ構えができている。ところが日本人は、手順通りの図式的な生活様式に支えられて初めて安心するのである。そこでは、見えないところからやって来る脅威が最大の脅威と見なされている」
    専門家によれば、明らかな事実誤認や瑕疵が見受けられるそうですし、素人の私から見ても現代の日本人にはそぐわない記述も随所に見受けられます。
    たとえば―。
    「妻は夫のために人生を犠牲にする。夫は自分の自由を犠牲にして、一家の稼ぎ手となる」
    このような自己犠牲の観念は、特に若い世代の多くには理解しがたいことでしょう。
    「なぜ夫のために自分を犠牲にしなければならないのか」
    「なぜ自分の自由を犠牲にしてまで家族を守らなければならないのか」
    そんな反論が容易に予想されます。
    しかし、それ以上に本書は、日本人とはどういう性質を持つ国民なのかについて、実に正鵠を射た論考を展開しています。
    著されてから60年以上たった今も、日本人はほとんど変わっていないことに気づかされ、喜ぶべきか悲しむべきか、複雑な気持ちになりました。

  • アメリカ人の文化人類学者であるベネディクトが日本人の特性・特徴を研究して著した本。

    本著の起因は1945年、太平洋戦争終結後にアメリカ軍が日本を統治するにあたって分析を試みた際、ベネディクトに鉢が回ったことにある。
    アメリカ人からすれば当時の日本人は不可解な行動を取る国民であった。
    日本人は、攻撃的であるかと思えば、一面では温和であり、軍事を優先する一方で、美も追求する。このような二面性が彼らには理解できなかった。

    ベネディクトは、アメリカ人には理解できないこのような不可解さも日本人なりの価値観や論理に基づいた相互に有機的な関係であると考えた。
    そこで、日本人捕虜の尋問録、日本の映画、新聞、小説などから分析を行い、日本人の不可解さを説明する幾つかの鍵を見つけた。

    それが、「応分の場」「報恩」「義理」「特目」「名」である。
    つまり、己の分を知り、自身を抑制することで慎重にこれを弁える。自分が受けた恩には何があっても報いる。受けた義理は、たとえそれが不本意なものであったとしても、必ず返す。自分の評判を輝かしいものにしておくことをなによりも尊び、名誉を回復するためなら誰かを殺すことも自らの命を差し出すことも辞さない。
    ベネディクトは、これらの性質を持つのが日本人だとする。

    またベネディクトは、日本人に二面性をもたらすのは幼少期における教育の極端なまでの甘さであるとする。日本人の子どもは幼少期、欧米の子どもと比較して遥かな自由を認められる。
    しかし、10歳頃になるまでに躾の一環として「コミュニティから仲間外れにされる恐怖」やそれに付随する恥や嘲笑を与えられるため、日本人は壮年期には自分の衝動を抑えることが常となってしまう。
    それでも、時折、自由奔放の身であった幼少期の記憶がフラッシュバックする。これが日本人の二面性として表出するというのだ。

    本書は80年も前に発表された本だが、深く西洋化された現在の日本にも通ずる内容だと感じる。それほど日本人の本質の部分を的確に捉えている。

    高度成長期の日本は敗戦後の荒野から、先を行く欧米諸国にキャッチアップするだけで成長が約束されていた。しかし、それに追いついてしまってバブルが崩壊し、日本経済は底を打った。そしてそこから30年間、遂に浮上することなく今日に至る。

    日本経済の復活のためには、官民学のあらゆる領域において抜本的な改革が必要である。経営学のトレンドを追うことや細かな経済施策を考えるだけではなく、より根本的で徹底的な革新が必要だ。
    そしてその革新の準備のために、今一度日本人の特徴・資質を見つめ直すべきだと思う。本書はその一助となる古典だ。

  • 思わぬほどに時間がかかってしまいました。そんなに
    読みづらい文章ではないのですが。
    昔から読んでみたいと思っていて読めずにいた本です。
    1946年の本。いまから70年以上も前の本
    ではありますが、日本人の考え方についてよく分析している
    と思いますし。自分でもなるほどと納得する部分もあります。
    自分自身の根っこの部分は、両親から教えられたことが
    そこに純然としてあって、それは、応分の場を意識すること
    義理を果たすこと。恥を嫌うこと。過去に負い目を持っておくこと。などが確かにあると思います。
    ただ、やはり日本人も少しずつかわっているのだと
    思いますし、自分よりも後の世代の人たちがどのように
    受け取るのかは興味があります。

    最後の部分
    ”日本人は現在、軍国主義が輝きを失ったことを知っている。日本人は、世界のほかの国々においても事態は同じなのだろうかと、目を凝らして見守ることになるだろう。同じでないとすれば、日本はふたたび好戦的な情熱を燃やす可能性がある。そして、事に加担する力があるということを誇示するであろう”
    については、安部首相とその仲間たちとそれを喜々として騒ぐネット系の人たちのイメージがわいてくるのですが、もしそうであれば、そのまま言い当てられていると思いました。

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著者プロフィール

Ruth Benedict 1887―1948。アメリカの文化人類学者。ニューヨークに生まれ、コロンビア大学大学院でフランツ・ボアズに師事し、第二次世界大戦中は、合衆国政府の戦時情報局に勤務し、日本文化についての研究を深める。晩年にコロンビア大学の正教授に任じられる。主な著書に、『文化の型』『菊と刀―日本文化の型』など。


「2020年 『レイシズム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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