罪と罰 (2) (光文社古典新訳文庫 Aト 1-8)

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  • Amazon.co.jp ・本 (465ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751739

作品紹介・あらすじ

目の前にとつぜん現れた愛する母と妹。ラスコーリニコフは再会の喜びを味わう余裕もなく、奈落の底に突きおとされる。おりしも、敏腕の予審判事ポルフィーリーのもとに出向くことになったラスコーリニコフは、そこで背筋の凍るような恐怖を味わわされる。すでに戦いは始まっていた。

感想・レビュー・書評

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  • みんみん激推しの『罪と罰を読まない』を読むにあたり、『罪と罰』を知らなくてもめっちゃ面白いとのことでしたが、みんみんと同じじゃつまらないじゃないかねワトソン君
    というわけで読まない言うてるのにあえて読むという天のジャッキーなスタンスで読み始めた『罪と罰』ですが思いのほか面白くてなんか得した気分
    たまたま寄ったスーパーが特売日だった気分(違う)
    久しぶりに着たコートのポケットに百円入ってた気分(違う)

    さて罪も罰も続くといった感の第二巻ですが、なんといっても罪を犯したラスコーリニコフと対決する予審判事ポルフィーリーに惹かれましたよ
    どこまで確信をもってラスコーリニコフと対峙しているかは伏せられたままですが、彼の方がすこい上手なような気がしますし、この二人の心理戦がすごい面白かったよね

    また、この二巻ではラスコーリニコフが罪を犯すに至った潜在的な動機が明かされるんですが、選民思想的な感じがもうどんどんラスコーリニコフから心離れさせられます
    同時にラスコーリニコフの善なる部分もこれでもかってほど押し付けてくるので、どう思ったらええねん!という迷路

    そしてさらに重要度を増してきそうな登場人物たちがガンガン深掘りされていくことで物語は混迷の一途

    どうなるの?!

    • みんみんさん
      ラスコーね…思い出した…
      すぐ気絶する俺は特別なヤツ笑
      ラスコーね…思い出した…
      すぐ気絶する俺は特別なヤツ笑
      2023/03/02
  • いよいよ、本巻ではラスコーリニコフが追い詰められていきます。本巻でのメインイベントは妹アヴドーチヤの婚約者である成金弁護士のルージンとの対決、ラスコーリニコフと娼婦のソーニャの密会、そしてラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリィーとの2度の対決と盛り沢山。

    まずは、ルージンですね。彼の人間性自体が今の時代ならセクハラ(笑)。大きく歳の離れたアヴドーチヤに対しての彼の歪んだ愛情(これは愛情と呼ぶよりも所有欲と言ってしまった方が近いかもしれない)が描かれます。
    そのルージンの「愛情」とは、『金銭的に不自由している若くて美しく、それでいて不幸な女性に対して、自分と結婚することにより、大金と弁護士の妻という地位を与え、未来永劫、自分に対して神のごとき忠誠を誓わせる』ということに無情の喜びを感じるということです。あまりの成金趣味で男の風上にも置けません。

    でも、こういう男って今でもいますよね。奥さんや恋人の人格を無視し、ただ単に「弱き存在」として認識、それを自分の庇護の元に置いてやっているということで自分の自尊心を満足させている男が。しかもそれが絶対的に正しい「愛」なのだと勘違いしている。
    もしかしたら大昔はそうだったのかもしれません。でも、約150年前のロシアにおいてすら、このルージンがひどく滑稽な男として描かれているのですから、そこはちゃんと理解しなければいけませんよね。それがどのくらいかっこ悪いことかってことを。

    次は、ラスコーリニコフとソーニャとの密会の場面。ソーニャとの密会は、これは非常に精神的でキリスト教的なものがあります。
    ラスコーリニコフは純粋無垢な美少女ソーニャが家族を守る為に娼婦に身をやつしていることに対して心を痛めるとともに、変な意味で「仲間」と認識しています。
    つまり、ラスコーリニコフは殺人を犯した「罪人」であり、ソーニャも娼婦という職業についている「罪人」であると。そして、無理矢理ソーニャに聖書の一節「ラザロの復活」の章を朗読させます。
    このラスコーリニコフの自己本位の考え方は、ちょっと気持ち悪い。
    ソーニャもラスコーリニコフのことを「この人、ちょっとキモッ」ってたぶん思っていると思います(当然、そのような描写は本文中にはないです←)。
    もし、現代社会の日本でこんなことを突然言ってくる男がいたら、いかに恩人とはいえ
    「いきなり聖書読めとか、あんた何なの?バカなの?死ぬの?」
    と言われて蹴り出されるのは間違いないと思いますが、我らがソーニャさんはそんなことはしません。涙ながらに美しい声で聖書を朗読します。
    その美しい声を聞いたラスコーリニコフは「いずれ、あなたに金貸しの老婆の妹リザヴェータを殺した犯人を教える」と言い残して立ち去ってしまいます。もう、ラスコーリニコフはかなり参ってますね。

    キリスト教徒でない人にとってはあまりピンときませんが、この「ラザロの復活の奇跡」とは何かを調べてみると「キリストの友人であるラザロが死に、四日後にキリストがラザロの埋葬されている墓に呼びかけるとラザロが生き返ってきた」という話です。
    この話の解釈はいろいろあるようですが、人類全体の罪(ラザロの死)をキリストが贖罪し、生に立ち返らせること(ラザロの復活)の予兆として解釈されているということが主だったもののようです。つまり、ラスコーリニコフはここで「罪を償い、もう一度人生をやりなおしたい」と考えているのだとも言えます。

    そして本巻のクライマックスである予審判事ポルフィーリィーとの戦い。
    最初の戦いでは、予審判事からラスコーリニコフが以前に書いた犯罪論文について追求されます。ここにかの有名な理論
    『選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ』
    が書かれているのですね。ラスコーリニコフは予審判事から『非凡人』とは誰であるかという問いについて、「ナポレオンのような英雄」であると答えるんですけど、最後に予審判事からこう言われるんですね。
    「あなたは自分のことを非凡人だと思っているのですか」と。
    ラスコーリニコフはここで当然はっきり「そうだ」とは言いません。しかし、そこは「それはおおいにありえますね」と言ってしまいます。
    『この期に及んでラスコーリニコフ、プライド高過ぎ!』と僕は心の中で、壮絶に突っ込みを入れてしまいます。

    自分が凡人であるとは認めたくない。しかし、非凡人であると言えば「殺人を肯定している」、ひいては自分が犯行を犯したことを暗に認めてしまうことになる。このやりとりでポルフィーリィーのラスコーリニコフに対する心証はかなり悪化します。
    そして二度目の戦いでは、ポルフィーリィーの刑事コロンボばりセリフ・ラッシュに思わず、ラスコーリニコフがギブアップするか!と思いきや、そこに「自分が殺りました!」と当時殺人現場の同じ建物でペンキ塗りの作業をしていたミコライが突然乱入!
    この訳分からんミコライの乱入によりポルフィーリィーとラスコーリニコフの対決は最終ラウンドに持ち越されることになるのです。
    ちなみに、刑事コロンボのモデルはこの予審判事ポルフィーリィーなんですね。見た目は冴えないけど、推論や心理テクニックを駆使して犯人を追い詰めていく姿は確かにコロンボと同じです。そんなことを思いながら読むと本書もまた違ったように感じます。

    と言う訳で、ラスコーリニコフは逃げ切れるのか、予審判事ポルフィーリィーが追い詰めるのか、謎の男スヴィドリガイロフの目的は何なのか、ルージンとアヴドーチヤの関係はどうなるのか、そして我らがソーニャは幸せになれるのか!
    いざ、最終巻へ参りましょう!

  • 来ました!すごい衝撃!
    後頭部をガンガン殴られる感覚!
    人間が誰でもなにかしらの罪を負っていること(自覚がある無しに関わらず)を論理的に緻密に描いている。そして、復活のお話。
    カペルナウーモフの部屋、ラスコーリニコフ、聖書、女。どこにでもあって例外では無い。

  • 相変わらず好き。
    何が好きなのかわからないけど好きなんだ。
    ドストエフスキーは、このラスコリーニコフの犯した罪に罰を与えるのか、それとも救いを与えるのか。結末をどう描いているのか、それだけがとても気になる。

  • この粒だった登場人物たち。ひとりひとりの末路はどうなるのか?
    (みんな名前は覚えにくいけど...)
    殺した犯人は、司法的に、そして気持ち的に、許されるのか?逃げ切るのか?
    テーマがセリフで厚塗りされて、その左官作業の果てに、ひとりひとりが人間らしく跋扈しはじめます。
    分厚い。分厚いです、ドストさん。
    つかみは正直、入りにくいですが、車輪が回りだしたらとまらないカッパエビセン。

    もう最終の第3巻を読み始めているので、忘れないうちに、第2巻の備忘メモ。

    第1巻では、極貧のインテリ青年、ラスコーリニコフさんが、いろいろあって、高利貸の強欲老婆を殺す。
    そして、意図していなかったけど、帰宅してきてしまった老婆の妹も殺してしまう。
    もともとは金品強奪のために殺したのだけど、神経衰弱気味、心神喪失気味のラスコリさん、まともに金品も奪えず、目撃されそうな危機をなんとかかいくぐって脱出。
    その後も、逮捕される恐怖と熱にうなされて、盗んだわずかな金品も隠して、結局懐具合はもとのまま。

    2巻では。
    時を同じく、故郷から母と妹がペテルブルグにやってくる。
    妹は、兄の出世のために、俗物根性嫌な奴、ラージンとの結婚を進めようとしている。
    この俗物根性野郎と、ラスコリ君が全面対決。嫌味と議論の応酬の末に決別。
    同時にラスコリの親友の「情熱家の良いヤツ君」が、妹に一目ぼれ。妹の守り神に立候補。
    この俗物君が、それなりに素敵な嫌味男で、これが「金の力」で迫ってくる。
    第2巻の中で、この男を最終的に妹が、完膚なきまでに袖にして、破談にする場面があって、これがなかなか溜飲が下がります。スカッとします。
    そこまでのストレスのかけかたと、破談の快感が、実に小説らしい魅力でエンターテイメント!

    殺人者になったラスコリ君は、罪悪感と疲弊感と猜疑心でぐちゃぐちゃになって、犯行現場を再訪してしまったり。
    警察に目をつけられて、ポルフィーリーという刑事には、「証拠はないけどお前が犯人だろ?」的な追い詰められ方。どきどきの心理戦。
    このポル刑事vsラスコリ君、手に汗握るありさま。
    読者としては、心神喪失で感情的になりがちなラスコリ君が「俺がやったんだ!」と激情しないか、ハラハラドキドキ。

    そして、「超人たる者は、目的の為には殺人もOKだ」という、ラスコリ君の「思想」も、暴かれて行きます。

    一方で、ラスコリ君とひょんなことから知り合った、極貧アル中の中年失業者のおっさんが、馬車に惹かれて、野垂れ死に。
    その葬儀の場で知り合ったのが、そのおっさんの娘で、娼婦に身を落とした少女、ソーニャ。
    このソーニャが、汚れても清らかで敬虔な少女なんですね。

    思想のバックボーンがあっての、確信的な殺人だったんですが、やはり罪の意識もぬぐえないラスコリ君。
    そして、司法の手におびえるラスコリ君。
    自分が殺人者だと判ったら、親兄弟は?親友は?...
    ラスコリ君は、自分の心の中では、自分はもう、死んでいるような状態。汚れて堕ちてぐちゃぐちゃなんですね。
    そんなラスコリ君は、同じように「娼婦」というところに堕ちて、「死んだ方がましじゃない?」という境遇でも謙虚で清らかなソーニャさんに惹かれます。

    2巻の終盤では、ソーニャさんに、新約聖書の「ラザロの復活」を朗読させるという場面があって、
    これがどうみても、筆者としては相当に「クライマックス」として書いていることが分かるんですが、
    キリスト教的な基盤が無い読者にとっては、悲しいかな、いまひとつピンとは来ません。

    なんだけど、そこでつまずかずに、「よくわかんないな」とスルーして読んでも面白いから、国境と言語を超えた名作なんですね。

    第2巻ではさらに、「スヴィドリガイロフ」さんという、やたらと濁点が名前に多いオッサンが登場します。
    このスヴィドリさんは、「ラスコリ君の妹さんが、故郷で家庭教師として働いていた家庭の主人さん」なんですね。
    そしてこのスヴィドリさんに、ラスコリ妹は言い寄られて、仕事を失って色々苦労しちゃってる。いわば仇敵。
    ところがこのスヴィドリさんが、どうにも「最終兵器」的なダークサイドの魅力をギラギラに輝かさせて登場します。
    もはやモラルも宗教も飛び越えた、「絶対虚無」というか、ニヒルそのもの、というか。
    これにくらべれば、ラスコリ妹に迫る「俗物君」なんてかわいいものです。
    そしてこのスヴィドリさんは、最早、「善玉」だか「悪玉」だか、表層レベルでは分からないくらい、悪魔的なんですね。すごいですねえ、ドストさん。

    刑事のポルさんは、頭脳明晰経験豊富に、ラスコリを自白に追い詰めつつある。

    ラスコリ妹に迫る俗物おっさんは、破談にされたけど、貧しい一家にまだまだ意地悪をしそう。

    娼婦ソーニャは、希望ゼロの最低負け組人生を清らかに生きて、罪悪感で潰れそうなラスコリ君の心の支えとなりつつあり、超ディープながら、恋、愛の予感。

    ラスコリ親友の「情熱的で良い人君」は、ラスコリ妹に惚れて惚れてしまって、うーん、この恋、応援したくてたまらない。

    自分の犯罪捜査と、妹の将来と、ソーニャを支えたい気分とで、大変に大忙しなラスコリ君の前に、スヴィドリ君が目的不明に表れた。

    たったの2冊で、これだけの人生模様と、格差の悪夢が濃霧のように立ち込める非情の町・ペテルブルグを描き切っている、ドストさん。
    たしかに、語り口は、くどいです(笑)。演劇的も言えます。
    強引な力技も目立ちますが、とにかく怒涛のように畳み掛けてくる、ジェットコースターのようなエンターテイメントでもあります。
    殺人。犯人を応援したくなるスリル。そもそも、「許されて良い殺人」とは?
    不公平で理不尽な格差と貧困の中で、どのように救いを見いだせるのか?
    たちはだかるコロンボのような味わいの名刑事。

    さあ、全てが決まる第3巻へ。

  • 少し難しくなったけど面白かった。後書きの読書ガイドが親切で理解が進んだ。

    全体
    犯人や悪役が、"自分が選ばれた人間であり、世界を変えるため多少の凡人の犠牲は止む無し"という信念の元に犯罪を犯していく話はちらほらあるので、ラスコーリニコフの思想が明らかになった場面では少し失望した。
    でも、他の話と何かが違っていて、それが何かを考えていたけど、後書きを読んで分かった。

    「この動機、いや哲学にしたがっているかぎり、ほんとうの意味での後悔や罪の意識が青年を訪れることはない。しかし、現実に彼は、すでに体全体で罪の恐ろしさを感じている」

    この言葉の通り、どんな場面においても裏に主人公の怖れや疑いや緊張が張りついていて、身体性が伝わってくるのがすごいと思う。犯行と、それを言えないという秘密が、全く痛快でもなくて質感を持ってずっと重苦しくのしかかってくるし、考えてることは強気な割に主人公は全く賢くも強そうにも見えなくて、怯えきって理性を失うまいとしていて、等身大に感じられた。

    あと、犯行自体は社会正義のためというマクロかつ純粋なものでも、愛情と金銭と社会階層が絡むミクロで私的な問題が小説の中で熱気を持って結構な割合を占めていて、それに振り回されているから、犯人の一個の人間としての立場というか様々な面を感じた。
    彼はこんなに各問題に心を遣っていて、自分の信じた思想を貫けるのか?逆にここまで曲がりなりにも貫いた(社会正義のためだから罪ではない=自白しない)のがすごいと思う。純粋だから思想に基づいて犯行まで起こしてしまったし、純粋だから素直に苦しんでるなあという揺れ方がすごい。


    ポルフィーリー
    ラスコーリニコフは頭が良くても純粋で理想主義でコミュ障だから、ポルフィーリーみたいな実務的な正義感を持つ老獪なタイプは苦手そう。フレンドリーに接せられると動揺するのが面白かった。

    ソーニャ
    追い詰められた状況の中、守りたいものを自覚して現実的な選択肢を取り続けている面で主人公と違うと思った。でもある意味、神の奇跡を信じるが故に現状に囚われているとも言えるかもしれないと感じた。ラスコーリニコフは自らの行動によって世界を変えようとしたのでこの面でも反対なのかな?と思った(神についての表現と考え方は後書きを読んだけどよく分かっていない)。これ以上彼女の心を乱さないであげてほしい。

    スヴィドリガイロフ
    終始飄々としていてよく分からない。これだけしゃべるということは、自分の来し方を後悔しているとも思えるし、無意識に虚しくなっているのかもしれないし、あるいは別の目的があるのかもしれない。


  • 前半は個人的に心理描写系の場面が多くてちょっとつまらなかったけど、後半からはストーリーが大きく動いて面白かった。特に最後の方のポルフィーリによるラスコリーニコフの尋問はハラハラして面白かった。

    ルージンさん、確かに嫌な奴だしウザい場面もあるけど、そこまで結婚反対するもんなのかな?一応は金持ちだし仕事出来るし。ラスコリーニコフが突っかからなければ形式上はそこそこ良い関係は続けられそうだけど、、、
    それだけラスコリーニコフの妹に対する愛情が強かったの?それなら母は自分の娘をそこまで大切に思ってなかったって事にならない?それとも母は人の本性が分からないお人好しかバカって事?

    罪と罰というタイトルは何を表しているのだろうか。ラスコリーニコフの犯した罪と、それに対しての罰のあり方を考えるという事?それならラスコリーニコフは最終的に捕まらず、罰として自殺するとか?

    とりあえず続きが気になる。早く3巻を読みたい。

  • 母と妹の登場、予審判事や妹の婚約者との対決、そして明らかになっていく犯罪の理由。福音書が彼に寄り添う。

    加速感のある第3部と第4部を収録。追い詰められていくラスコーリニコフ。愛する母と妹に再会しても喜ぶ余裕もない彼の横で展開する家族ドラマ。超絶美人な妹の、傲慢な婚約者やストーカーとのすったもんだ、親友ラズミーヒンの人物像など、人間描写が魅力的で引き込まれる。

    いっぽうで事件の方も進行しており、予審判事ポルフィーリーとのやり取りでラスコーリニコフの選民思想が明かされる。『非凡人』には犯罪の権利がある――良心にしたがった殺人を許容する、という結論は極端だとしても、命の価値を判断する=軽い命がある、という考えには現代においても答えが出ない人が多いのではないか。

    ソーニャと聖書のエピソードが胸にくるものの、難解でもあり今ひとつ理解がおぼつかない。彼女の境遇が絶望的すぎてひいた。これを冷静に見きっているラスコーリニコフすげえ。「きみにひざまずいたんじゃない、人間のすべての苦しみにひざまずいたんだ」という言葉が心に残る。

  • 3回目なのにすっかり忘れているから、やっぱりおもしろいなあと読み進む。

    忘れるからと、第1部と第2部はあらすじを追って書き出したが、何のことはない『罪と罰 2』巻末の「読書ガイド」に、翻訳者の亀山先生が第1部と第2部のあらすじを完璧にまとめてくださっていたのだ。第3部と第4部は最後の『罪と罰 3』の巻末にあった(それも忘れていて)。
    この文庫本がある限り、そこを見ればよい、ということで、ここからはラクをしよう。

    第3部の感想

    もうろうとして母と妹に再開し、妹ドゥーニャの犠牲的婚約の話が面白くないラスコーリニコフなんだけど、自分の罪にもおびえて複雑。そりゃそうだ。でも、妹アヴドーチャ(ドゥーニャ)がすごい美人で、だから家庭教師先でも追いかけられ、お金目当てで婚約したルージンにも執着されるのだが、嫌気がさして彼を振りそうな時に、ラスコーリニコフを献身的に看護してくれた人のいい友人ラズミーヒンとも速攻、恋に落ちるとは…、都合よすぎ。しかしそこがまた面白くさせ、うまいのかもね。

    ラスコーリニコフはちょっと変人。殺人を疑われていると知りながら、予審判事ポルフィリーや警察官にちょっかいを出すのだもの。幽霊や悪夢を見てしまうのも当然。過去雑誌に「犯罪の研究」の文章を発表していたのをバレるなぞ、SNS時代じゃないのに、わかってしまうのは昔の斬新なリアルかな。

    第4部の感想

    スヴィドリガイロフがラスコーリニコフの前に登場。妹ドゥーニャを子供の家庭教師なのに追いかけて困らせた張本人。この人もおかしな人、不思議なことを言う人で物語を複雑にしている。

    登場人物多数なのに皆がみな、個性的で饒舌で、長い長いセリフ。策士策に溺れる、じゃなくて小説家小説に溺れて、読者読みに溺れるというところ。

    妹ドゥーニャのしみったれ婚約者ルージンをみんなでやっつけるところは痛快。しかし予審判事ポルフィリーとの息詰まるやり取りは真に迫ってすごい。ソーニャとの邂逅は唐突感を抱くのだけど。

  •  1を読んだときもそうだったが、物語の流れはわかっても、登場人物の心境や意図はガイドがないと自分にはまだ難易度高いなと思う。だけど色んな人が出てきてたくさん展開があっておもしろいとは感じるし、当時の農奴解放や貧困、"生きる"だけの日々はひしひしと伝わってくる。
     
     頭が冴えている朝読書におすすめの本。

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