道徳の系譜学 (光文社古典新訳文庫 Bニ 1-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (378ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751852

作品紹介・あらすじ

ニーチェが目指したのは、たんに道徳的な善と悪の概念を転倒することではなく、西洋文明の根本的な価値観を転倒すること、近代哲学批判だけではなく、学問もまた「一つの形而上学的な信仰に依拠している」として批判することだった。ニーチェがいま、はじめて理解できる決定訳。

感想・レビュー・書評

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  • 読み物としては、善悪の彼岸のほうが面白かった。テンポも良かったし、語り口にキレがある。とはいえ、ルサンチマンやニヒリズムといったニーチェ用語に生で接することができて嬉しい。どこまでも冷徹な目で世界を眺める様子はさすが。
    論文形式といえど、結局はニーチェ節が満載で、敵対者に対して恐ろしいほどの語彙力であらん限りの悪口雑言を尽くすさまは、つい笑ってしまった。
    結論を小出しにしつつコネコネ、ネチネチと語る語り口で、途中でちょっと飽きた。でも解説が秀逸で、結論を一息で語ってくれる。

  • 西洋文明のキリスト教的な価値観の起源を探り転倒を試みる。現代思想の源流がここにある。ニーチェが暴露する、西洋社会が隠蔽した人間の弱さというものは、つまるところ社会的諸関係のなかにあってあらゆることを覆い尽くし目を背けなければ生きていけない人間の哀しみそのものであり、弱さを抱えながら生きるにはどうしたらいいのか、という根本的な問いかけに他ならない。目を背けるなというニーチェのメッセージは重く、逃れ難いこの社会というものの強固さを思い知らされる。

  • ニーチェは、今の日本人こそ読むべきだと思う。言葉の一つ一つが自分に向けられているかのように刺さってくる。
    中二の頃、岩波文庫で読んでいたときと違って、訳が新しいとニーチェでもものすごく読みやすくなっている。これは論文というよりむしろ詩と言った方がいいかもしれない。

  • 何かに対するアンチとして生まれる行動を批判し、ルサンチマン(怨恨の念)というシステムの起動を捉えていたニーチェ。

    アンチ、つまり何かへの敵対や恨み及びそこからしか創造できないこと。

    アンチから始まる道徳の究極の形態としての発展してきたものがキリスト教であった。

    ニーチェ その名前だけならば知っている。
    実際、ニーチェは特に日本では非常に有名な哲学者だ。

    例えば出版点数で見ると以下のようだ。

    「ニーチェの著作の出版点数は、出版国別では本国ドイツに次いで世界第二位、言語別でも、ドイツ語、英語訳、フランス語訳に次いで世界第四位です。日本は、世界一のニーチェ翻訳大国です。ドイツ語圏以外で、ニーチェを自国語で読むことに対する要求がこれほど強い国はありません」(225~226頁『ニーチェ入門』 ちくま学芸文庫、清水真木著)
    ※ニーチェ入門は非常に丁寧な入門書として最初で最後の本としてとても良い本だった。

    本書は第一論文から第三論文まで、ニーチェの著作の中では珍しい論文形式らしい。
    『道徳の系譜学』は彼がその晩年に自分の思想を分かりやすく書いた本として、『善悪の彼岸』と並ぶものとのことだ(前掲書より)。

    系譜学とは、その物事がどのように成り立ってきたのかを探る事であり、ニーチェは元々古典文献学を専門にしてきた研究者だった。
    彼はその手法を元に思想を形成してきた面がある。

    特に本書では、いかにして今『良い』とされるものと『悪い』とされるものが成り立ってきたかを考察している。
    良い悪い、つまり善悪を考える事は道徳とよばれる。ヨーロッパでは特にキリスト教をその根底に置いている。

    ニーチェは古代に遡り、弱者がルサンチマン(怨恨の念)に基づき、弱者こそ『善』、強者こそ『悪』という価値転換を行ってきたことを指摘する。
    ルサンチマンを原動力とした統治システム、それがキリスト教だった。
    ルサンチンマンは本書で以下のように言い表されている。

    「道徳における奴隷の反乱はまず、ルサンチマンそのものが創造する力をもつようになり、価値を生み出すことから始まる。このルサンチマンは、あるものに本当の意味で反応すること、すなわち行動によって反応することができないために、想像だけの復讐によって、その埋め合わせをするような人のルサンチマンである…奴隷の道徳は最初から、『外にあるもの』を、『他なるもの』を、『自己ならざる者』を、否定の言葉、否で否定する。この否定の言葉、否が彼らの創造的な行為なのだ」(本書56~57頁)

    怨恨の念が生み出す、価値転換。

    そもそも強者が『善』であり、弱者が『悪』であった。
    古代ギリシアの貴族は強く、誇り高く、強者であり善であった。
    同じく「日本の貴族、ホメロスの英雄、スカンジナヴィアのヴァイキング…」(本書65頁)もそうであった。
    その価値観がルサンチマンにより転倒した、それを探っていく。
    つまりは、ユダヤ教、キリスト教の系譜=歴史を探るということだ。
    特にニーチェの生きる当時の西欧世界にとってのキリスト教的価値観は絶大だった。

    その価値観を系譜学、つまりその起源に遡ってその価値観の転換を発見したことは非常に衝撃的な出来事だったのだろう。

    私はユダヤ教とキリスト教の大きな違いはユダヤ教が特定の『民族』にとっての宗教である事で、一方キリスト教は全人類の『普遍的』な宗教となったことだと思っている。
    ユダヤ教はパレスチナ周辺に住んでいた迫害を受けていた人々の宗教として『選民思想』を基にしてその範囲の中で自己正当化を図る、そうせざるを得ない過酷な対外的状況に応じるために生まれてきたと考えている。
    しかし、ユダヤ教共同体がうまくいくとその中でも弱者が生まれる。
    その弱者を救うのがユダヤ教徒の改革者キリストであり、『隣人愛』という形で救済を唱え全人類にとっての宗教となったと考えている。
    だから、ユダヤ教はその当初の民族以上の広がりを持つことはできなかったが、キリスト教はより広く『普遍性』をもった宗教としてうまくいった。
    例えば、ローマ帝国の国教となるくらいに。

    この発展のメカニズムをルサンチマンに見出し、
    ルサンチマンがいかに機能してきたかを第一論文で指摘し、第二論文においてその宗教の中での代表者(司牧者)がそれを点検し、禁欲という理想が掲げられてきたことを指摘している。

    さらにその禁欲という理想の名のもとに、近代的な学問もまた同様な構造があると言っており、ニーチェの射程は今の私たちにも間違いなくささる。

    ルサンチマンという人間に備わる機能は、歴史的に全人類を覆うくらいに発展し価値観を転倒してきた。
    それは宗教だけでなく学問にも同じように働いており、今も新たなルサンチマンという機能が蠢いているように思われる。

    『トランプ現象』や『ヘイトデモ』や『反日』のような何かに対するアンチから生まれる、外にあるものを否定の言葉、否で否定するという創造的な行為はニーチェが解明したルサンチマンシステムの延長線上にあるように思われる。

    しかし、外から「我々の自由が脅かされている」という恐怖と「無力な自分たちこそが善だと正当化したい」気持ちから発生する様々な現象の中には、個々人のよく生きたいと願う欲望もあると思う。

    ニーチェはシステムとして現れるルサンチマンを基にした宗教を批判し、そのシステムの中で生きている人々にはルサンチマンに陥るなと言っていると思う。

    ルサンチマンに回収されない個々人の欲望(よりよく生きたいというような)としての祈りが何らかの宗教的な形態を取ることや何らかの現象として現れる可能性はあるのではないかと思う。

  • ニーチェの生涯における究極のプロジェクトは「善と悪の価値を逆転させ、ひいては西洋全体の価値観を転倒させること」だった。本書はこのニーチェの計画の核となる考えを著したものである。

    ニーチェはこの転倒を成すために、まず「善とされているもの」「悪とされているもの」がどのように成立してきたかを明らかにした。

    人間が社会生活を始めたのと同じくして、人間は「責任を引き受ける」という社会性を身につけた。そしてこの知はやがて社会に生きる人間にとっての支配的な本能となり、「良心」と呼ばれるようになった。

    社会はこれを成員に守らせるためにさまざまな方法をとり、これが徹底されることで人間は安全性を手に入れた。
    しかし文明は人間に無償で幸福を齎したわけではなかった。社会の中で生きる代価として、人間が自らの欲望を棄てて生きることをきょうようしたのだ。
    これが、個人にとっての善が社会にとっての悪となり、社会にとっての善が個人にとっての悪となるという善悪の逆転であった。そしてこれはルサンチマンの感情がもたらした転倒だったとニーチェは指摘する。

    上記が本著におけるニーチェのコア・メッセージだと理解した。とはいえこれですべてが網羅できているわけではないと思う。
    西洋古典独特の抽象的な題材かつ、婉曲的な表現が山盛りなので、決して読みやすい本ではないが、人類の本質的テーマである「道徳」の理解には欠かすことができない本だと思う。

  • 入門読んでからこれに入ったので、幾分か分かりやすかった

  • 第一論文は語源的に、良いと悪い、善と悪の系譜をたどっていく。これまでのニーチェの直感的、詩的な記述に比べ、論理的な記述が明晰である。

    第3論文まで読んで、人間の底無しの深淵を覗き込んだような気がした。すごい筆力だった。

    ヨーロッパとキリスト教、そして学問体系に挑み、瓦解させ、それでも、さらに生きよと言う。恐ろしい本だ。

  • 人は欲望を満たすために社会を形成したが、その社会によって人は欲望を抑制されることとなった。社会における善は、自己肯定から辛抱強さへとその価値観を奴隷により逆転された。良心は自分の自由な本能を外ではなく内に向けざるを得なくなり、疚しい良心、として成長した。その良心は、禁欲的な生に高い価値があると解釈し体現する司牧者によって点検される。学問もまた価値を生み出す権力を必要とし、自らは価値を創造することが出来ないため、禁欲的な理想を求めるものである。禁欲的な理想の果実たる、真理の価値を問い直そう、というのがニーチェの主張だ。
    神に罪を被せたギリシアと神に罰を背負わせたキリスト教との対比が興味深かった。また、純粋な理性、への批判。見るとは能動的な力が無ければ出来ないという指摘。統計など科学的なデータの裏にも意図があることを忘れてはならない。

  • これまでの文化、哲学、さらには学問全体を、徹底的に分析し批判することで、ヨーロッパを支えてきた従来の価値観を転倒し、新たな価値観を探る。

    「どう生きるべきか?」という問いに、徹底的に、本気で向き合った、不朽の名著。

    以前、岩波文庫版『善悪の彼岸』で挫折してしまったが、今回、『ニーチェ入門』を読んでから本書に挑戦。
    内容は難解だが、訳文は読みやすい。

  • さまざまな事柄に関して思いの丈を打ち明けているような印象を受けました。

    論文を読んでいるというよりは戯曲などの文学作品を読んでいるように思えてくるほど、言い回しがドラマチックで、滾るような情熱を感じます。

    ニーチェ自身が自分の到達した境地を公の場に示すためには、文学の力を利用することが不可欠だったのかもしれないなと思いました。

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著者プロフィール

1844-1900年。ドイツの哲学者。近代という時代の問題を一身に受け止め、西洋思想の伝統と対決し、現代思想に衝撃を与えた。代表作は、本書のほか、『愉しい学問』(1882年)、『善悪の彼岸』(1886年)ほか。

「2023年 『ツァラトゥストラはこう言った』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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