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本 ・本 (432ページ) / ISBN・EAN: 9784334751944
感想・レビュー・書評
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カフカがこっちを笑わせようとしてきている小ネタを訳者の丘沢さんが丁寧に拾っていくので重苦しさが薄く、さらにヨーゼフ・Kが芸術的にウザいので逮捕と先の見えない訴訟に同情心が湧かないため軽やかに読める。ただし最後まで軽やかに読んだ時点で、何を読んだのか迷子になる。決定稿ではないからなのか、終わらない訴訟の話なんだから迷子になって当然なのか、ちょっとまた1ステージ目からプレイしますね、という気持ちになる。巻末にまとめられている「断片」の各章をどこに挟むといい感じに納まるかどうか考える余地もあったりして、ゲームブックのような小説といえるかもしれない。
身に覚えのない訴訟以外は、有能なんだか自己肯定感が高いボンクラなんだかわからない30歳の会社小説&妙な女達との邂逅小説だ。仕事ができるのと人間として深みがあるのは別だと言われたらそうなのだが、ヨーゼフ君事故で頭ぶつけたりしなかった?という不安に駆られたし、なんとも魅力がない彼が妙に気持ちの悪い女達にモテモテなのも幸せなのか不幸なのかわからない(余談:ヨーゼフ君は好きな誰子ちゃんに好かれるからうれしいんじゃなくて誰かが自分を好くことで自分の立場が上になることが好きなんだと思う。権力闘争の人だから)。全体的に、わからなくなる。わからなくすることを追求した本だともいえそう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
知り合いに薦められて読みました。「審判」という名前の方が有名かもしれませんが、光文社の「古典新訳」文庫では、あえてより一般的な「訴訟」というタイトルにして、さらに元のテキストになるべく忠実に順番を並べたそうです。確かに読み進めると、最後の方は、おやっ?という箇所が登場しますが、チャプターの順序についてはあまり気にせず読むことをお勧めします。また日本語訳は全体通してとても読みやすかったです。
主人公のヨーゼフ・Kはある朝いきなり逮捕されますが、罪状がわかりません。逮捕した役人も罪状を知らず、「裁判」にかけられても下級の役人は罪状を教えてくれません(というか役人自体もわかっていないらしい)。その中で主人公は親戚や会社の同僚、弁護士や判事などとやりとりしますが、事態は進展せずストレスばかりがたまる・・・というような内容で、ものすごく印象に残るストーリーでした(この本のストーリーは一生忘れない気がします)。
理不尽さを小説にしたという解釈がありますが、私はAI全盛時代には、この小説のようなことが現実に起こるかもしれない、と感じました。フィリップ・K・ディックのマイノリティ・レポートにも通じる面があり、例えばAIが「〇〇氏は悪事を将来働くから逮捕せよ」と警察に指示を出すようなシナリオです。捕まった当人はいったいなぜ自分が逮捕されたのかわからないでしょう。「訴訟」はAI全盛時代にこそ読まれるべき本かもしれません。 -
訳の分からないまま、裁判にかけられてるんだけど、なにか哲学的なにおいをかんじながらよんでます。
わたしたちの日常もわかったつもりなのに何か勘違いをして進んでいるのかもしれないなぁ。 -
例えば、今でも、警察署って古い建物が意外と多いって思わない?
迷路のような廊下に一度迷い込めば、前からは制服人間が頻繁に押し寄せ、そして平日の昼間に何の用でいるのかよくわからない人たちが無表情でソファーに座っている… この作品の裁判所の描写を読んでると、ふとそんなことが思い浮かぶ。
一言「不条理」って言われている(らしい)カフカ作品の初体験の感想は、翻訳者による日本の現代言葉を使ったきびきびした文体によるところが大きいのだろうけど、「不条理」って少しも感じなかった。逆に、冒頭に書いた警察署の情景を思い出したように、すごく身近に感じられるものがあった。
私の感覚が麻痺しているのか、悲しいことに現実社会がカフカの世界に追い付いたのか、カフカが生きた時代のプラハよりも、私たちが生きる現代の日本社会のほうが不条理に感じる。現代、私たちはほぼどこででも、こちらを見つめる監視カメラの目や、コンビニのレジや役所の窓口で急に激昂してわめき散らしている、いい歳したジジイババア共や、自宅と学校とマクドナルドとコンビニの往復だけで一日の生活を終える、携帯電話の画面の大きさくらいの世界観しか持たない高校生とかにしか出会わないし。
やっぱりカフカ作品はそれが一見いびつに見えるだけで、非現実の脳内世界っていうんじゃなく、ぴったりと現実全体に貼り付く人生や社会の真実を、コインの裏側を見せるように描いてくれたのかなあ。それに気づいた現在、現実世界と空想世界とどちらが不条理か、分別がつかなくなってるっていうのは本当に皮肉だけど。
でも、私も、冒頭の「誰かがヨーゼフ・Kを中傷したにちがいなかった。悪いこともしていないのに、ある朝、逮捕されたのだ。」という描写で、この作品やカフカに速攻で引き込まれた。
それにしても、日本でカフカの熱烈ファンが多いっていうのは、他のかたの熱いレビューでよくわかった。
それぞれのレビューが独創的で、ある意味カフカ的だというのは、ほめすぎかな。
(2011/1/26) -
「審判」と従来は呼ばれていた未完の作品の新訳。20年くらい前に観たオーソン・ウェルズの映画版がすごく暗くてわけわからなくて面白かったのをよく覚えてる。
原作もやっぱりわけがわからない。監視人、判事、弁護士、事務局員さまざまな人々が入り乱れさまざまな出来事が起こるが、全体としてなにひとつ進まない。それどころか、いったい何の訴訟なのかも一向にわからない。にもかかわらず、主人公はその訴訟に巻き込まれ生活の全てを翻弄される。まさに不条理の極致。
その割りに、想像してたよりもぜんぜん軽い。映画版みたいな暗さはなく、全体として喜劇的な明るさと軽さがある。主人公がやたらと女性にモテることも含めて、何かに似てるなと思ったら、村上春樹だと気づいた。(フランツ・カフカ賞とか「海辺のカフカ」とかあるけど、直接的に村上春樹とカフカを対比した批評ってあったっけ?)元からそうなのか翻訳のせいなのか。カフカも村上春樹もよく読んでるわけじゃないのでよくわからないな。どうなんだろう。 -
にやにやくすくす、笑えて笑えて、ブラックでぞっとする。オフビートで先読み不能、転がるロックンロールな小説でした。
「1984」みたいなんだけど、もっと楽しく皮肉に笑えます。映画「未来世紀ブラジル」っぽいけど、もっと挑戦的。
映画で言うと、「未来世紀ブラジル」をゴダールが好きに撮っちゃいました、喜劇です。なんだけど、これ本当に喜劇ですか?みたいな感じですね。
それはさておき。
フランツ・カフカさんの長編小説。長らく「審判」というタイトルで知られていました。
カフカさんは、生前は「変身」などを発表したくらいで、作家としては無名なまま1924年に40歳で死んでしまっています。
この「訴訟(審判)」は、カフカさんが30歳前後の頃に書かれたものらしいですね。
でも、未発表なまま死んじゃった。残された遺稿は、順番のはっきりしない16の章、16の連絡短編のようなものだったそうです。
で、カフカさんの死後、お友達のブロートさんという人が発表。
その際に、ちょっと書き換えちゃったり、いろいろしちゃったみたいなんですね。
で、タイトルも「審判」。「審判」に限りませんが、死後のブロートさんプロデュースの遺稿発表で、詳しくはなぜか知りませんが、爆発的に売れてしまったそうなんですね。
その後、「どうやらブロートさんが結構変えちゃってるらしいね」ということが研究者の間で判ってきまして。
今回の光文社古典新訳文庫では、「できるだけカフカの原文に忠実に」というのがコンセプトらしく、タイトルも直訳すると「訴訟」という方がふさわしいそうです。
ところが、16の章の並びが判らない。判らないので、そこは、えいやっ、って並べてみました、と、あとがきに書いてありました。まあ、しょうがないですね。
というのが、前置き的な備忘録なんですが、読後感としては、
「おもしろかった。でも…ちょっと長いかな?」
と、いうのが率直な印象でした。
やっぱり印象に残っているのは、
●冒頭、とにかく訴えられちゃった、困ったな、という、主人公ヨーゼフ・K。
なんだけど、なんで訴えられたのかさっぱり判らない。
刑事事件だそうなんだけど、被害者が居る訳ではなくて。
なんとなく、「お国の法に抵触した」という感じ。
誰も中身が判らないけど、それが置き去りにされて困っちゃうし、憤慨する(笑)。
(そもそも、この、ヨーゼフ・Kっていう名前が、いかしてるなあ、と思います。
Kってなんやねん、って感じですけど。その「肝心なところがわかんないじゃん」というのが、ものすごくこの小説にふさわしいですね。
とってもなんだか、ロックンロールな、お名前ですね)
●ヨーゼフ・Kさんは銀行員。それもそこそこの地位の人。
上役と競いながら、上役を気にしながら、部下にチョットいばりながら、一生懸命仕事する。訴訟が気になるけど仕事する。
これがまた、どんな仕事なのかはサッパリわからない(笑)
●この訴訟に絡んで、なんだか良く判らないけど良くないことをしてしまった銀行の部下が、
ある夜、銀行の物置部屋(?)で、鞭打ち人に、鞭を打たれている。
鞭を打たれて、ひぃひぃ苦しみ悶えながらも抵抗できないという。
それをみて、かわいそうと思いながらも何もできない、恐れおののくヨーゼフ・K。
これまた、何が何だかわからない。わからないけど、権力の恐ろしさ、権力のピラミッド構造の不条理さ、ほとんどマンガで気持ち悪いけど笑えちゃう。
●訴訟にまつわり、公判?に集う、わけのわからない人々。
そして、これまた中身はサッパリわからないけど、なんだかソレッポイだけの弁護士。
いらいらする主人公。
良く判らないけど、ゴルゴ13のマンガみたいにすれ違った女性と情事に及んだりする迷走。
●役場の対応が、これまたたらいまわしというか、なんというか。
訳が分からないけど、これまた権力がピラミッド構造になって、空洞化しているような虚無感の戯画化というか。
●ヨーゼフ・Kの叔父さんなどが、訴訟になったのか!と恐れおののき憤慨。
これまた、「なんでそうなってるの?」という餡子をさておいて疾走する物語。
このあたりも、クスクス笑って読めました。
●ヨーゼフ・Kが、男たちに連れられて、殺されてしまう。
これが、最終章ならそれはそれで判りやすい?終わり方だけど、この本としては「これは最終章じゃないんじゃないか?」という置き方。
なので、夢なのかな?という風にも読み取れる。
ただ、この章自体は、オモシロ怖かった。
と、いうようなところですね。
なにしろ、作者からすると「死後にごみにしてくれ」と言い残した遺稿なんで。
作者の中ではダメだったのか。それとも、もっと手を入れたかったのか。長くしたかったのか。短くしたかったのか。
面白いのは面白かったんですが、「変身」に比べると、冗長であることは確かだった気がします。
この「訴訟」だって、半分くらいとかにぎゅぎゅっとすると、もっと面白かったんじゃないかなあ、という気もします。
ただ、面白かった部分で言うと、普通の小説のような「密度」「テンポ」といったものとは別次元の面白さ。
いちがいに短くした方が良いとは言えないかもしれませんね。
オフビートで、先が読めない。リアリズムも定型も関係ないので、目が離せないジェットコースター状態なんですね。下手すると、平気で空中に飛び出して終わっちゃう、そんなジェットコースター(笑)。
ただ、この「訴訟」で翻訳者が意図しているように、大事なのはユーモアっていうか笑える部分なんじゃないかなあ、とは思います。
「変身」もそうでしたが、よくよく素直にぼーっと読むと、笑えちゃう。
不条理っていうとなんだかムツカシそうですが、
●「お前を逮捕する」
▲「なんでですか」
●「逮捕するから」
▲「困ったな」
●「有罪だ。処刑」
▲「なんで!助けて!俺はやってない!なにを?」
という感じですから、ほとんど、ドリフのコントなんですね。
別段、カフカさんはもったいつけたりしてません。カッコつけたり、ブンガクぶったり、高尚にごまかしたりしてないんですよね。
判りにくいこと、判らないこと、「???」となること自体が、書きたかったことなんでしょうね。
じめじめせずに、からっと乾いた笑い。
笑えて止まらないかとおもったら、ふっと怖くなる。気持ち悪い。
実際に僕らの生活でも、会社の中でも、なんだかいつのまにか「なんで?」という中学生レベルの疑問に、答えられない状態で進んでいることって、ありますよね。
…国家の政治の話でも、そうだったりするんですよね。
笑えませんね。
さすが、カフカさん。面白かったです。愉しみました。 -
カフカの文章は、特定の精神状態の時に読むと鎮静作用がある。少なくとも僕の場合はそうだ。
けっこう切羽詰ってる。文章が頭に入ってこない。それだからいっそう(活字中毒の僕は)小説を求める。……そんな時、カフカの文章はめきめき効力を発揮する…ような気がする。
まったく身におぼえのない訴訟を起されたK。誰が訴えたのか、そしていつまでつづくのかもわからない。『城』でも散々だったKと、同一人物に思えて仕方なく、僕はかえってくすくすと面白がってしまう。
「掟の門」の話は、なんだかとっても惹きつけられる…でも意味わかんない! カフカは「意味わかんない!」から心地良くある。
光文社古典新訳でよかった。あとがきにもあるように、ユーモアが随所にちりばめられていて、今までのしかめっつらしいカフカよりこちらのほうが断然好きだ。
丘沢静谷の訳でケストナーの『飛ぶ教室』も前に読んだけど、あれもよかったしね。
追記。「未完成」とはいうものの、そもそも終わりのない訴訟を描いたのがこの小説なわけで、どこで区切るかの問題はあるにしろ(個々の読者が決定するほかないと思うが)、「未完成」がこの小説の欠点にはなりえない。 -
法学を学んだカフカゆえの視点なのかなとも思っているが、実際のところはよくわからない。
『城』の時と同様、わかるようでわからない。迷路に迷い込んだかのような読書体験。 -
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やっぱりカフカは面白い。不気味で異様な設定で終始よくわからないのだけど、その中にも真実が隠されているかのような。サラリーマン生活で溜め込んだ組織に対する鬱憤をこっそりしたためていたのかな、と想像して思わず笑ってしまう。未完の物語であることが惜しい。
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ディストピア小説を思わせる。半分ほど読んで、関心が途切れてしまった。その訴訟について、本人だけが何も知らされていない。 丘沢静也による新訳。16/03/20
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(Mixiより, 2010年)
なんかもう、設定にまず惹かれます。はじめのシーンから、「あ、この小説は面白いぞ」っていう予感に溢れてる。淀みない文章で語られる無機質なエピソード。ユーモラスなんだけど、どこまでも無機質。リアルなんだけど、深みはない。きっとどこかに繋がって行くんだろうな、と思っていた一つ一つのキャラクターの配置も虚しく、物語はラストに向かって 読者を裏切るように破綻・・・
決して完成された物語じゃないのに、それぞれの場面が放つ魅力に病み付きです。画家も商人も教誨師も良いんだけど、一番のお気に入りは弁護士。この会話、たまんない!ですよね。 -
滑稽な悪夢というのだろうか。見に覚えのない訴訟にまきこまれた主人公Kの物語。デヴィッド・リンチ的なイメージが続いて楽しい。
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何もわからないまま裁判に巻き込まれていくK。裁判所の威圧感と周囲の理不尽。
その割に悲壮感はない。
かなり協力的なものもいたりするが、Kからはあまり覇気が感じられない。なぜだろう。無実の罪を負ってなるものか、うまく立ちまわって勝ってやるという心情描写は多々あるのに。肝心なところで女に流されてしまうからか?(それも味方につけるためというより、K自身が誘惑されているように感じる)
社会の理不尽さに不満が爆発しそうにも関わらず、それなりに恩恵もあるがゆえに、仕方なく流されていく多くの現代人の描写なのか。
余談だが、10時に約束をしていたKが時間ぴったりに教会についたはずなのに、11時を告げる鐘がなる、という誤植にはちょっと笑った。そりゃ、一時間も遅刻したら待ち合わせ相手がすでにいなくても不思議はない(笑)その後またなぜか11時の鐘がなるし。(本書ではカフカの間違いとみなして、最初の鐘を10時と訂正していた) -
まだ世の中というものをよく知らない若い頃に読んでいたら、単なる荒唐無稽なフィクションとしてしか理解していなかったと思うが、きれいごとだけでない、本音の現実がある程度わかってきた私くらいの年齢から見ると、社会も会社組織も現実にこれに近いものがあり、逆に妙なリアリスティックを感じて薄ら寒い。
共同体のルーチンが固定されてしまって、一度そのレールに乗せられると根本的に真実がどうということとは関係なく、たとえそのルールが形骸化され、本来の意味を成さなくなっていても、それに対する是正機構が存在せず、枠からはみ出ない範囲の中でもがくしかないが、結局予め決められた結末が誰の責任ということもなく遂行されていく。それに巻き込まれた主人公もいつのまにか、それを受け入れてしまっている。恐い。恐すぎる。
物語の登場人物や舞台の描写がときどき異次元空間に落ちたような悪夢を見ている感じに襲われる。映画でいうと、ちょっと古いけど「未来世紀ブラジル」を思い出させる本作品の表現はかなり斬新で私の琴線を妙に刺激してくれた。
ただ、生前カフカが断片的に書いた半端な小説を寄せ集めたというだけあって、ちょっと統一感に掛けて読みにくいので、好きなのだが4点。 -
以前『城』を読んだときに、「なんか怖いしイライラする…意味わからん無理…」と思い、しばらくカフカは避けていたんだけど、また手に取ってしまった。やっぱり今回も読んでいてイライラしたし、この間安部公房を読んだ時にも似たような感覚だったから、私は「不条理」に対してイライラしているのか?
役所勤めの人とか、サラリーマンが読んだら「うんうん」とうなづくところがあるんだろうか。所謂「お役所仕事」を皮肉っているのかな、と思われる部分もあった。なにもかもがまわりくどくて、もっとシンプルになりませんか?と言いたくなる。
私にとっては、一人で読んでも楽しくない本の部類に入る。周りの人にも読んでもらって感想を聞きたい…。会話文が多いので何人かで朗読したら面白そう。 -
従来は『審判』として紹介されてきたものと同じカフカの作品ですが、底本としている編集が異なるようです。
本書のあとがきでも示されるとおり、原語のタイトルも「審判」というよりは「訴訟」あるいは「プロセス」というのが作者の意思に忠実な訳――訳者曰く「負ける翻訳」――なのでそうです。
『城』と同じく未完の作品ですが、『城』がまだ続きそうなところで途絶えているように感じるのに対し、『訴訟』は一応の結末がきちんとありました。ただし、いくつかの章が様々な紙の束――たとえば別の作品の裏紙など――にわかれて見つかっていて、もしかすると訳と編集によって、まったく異なる印象が与えられるのかもしれません。
訳が現代的なためか、ストーリーそのものによるものかは分かりませんが、先に読んだ『城』(前田訳)よりもスッと読めました。
登場人物らの不可解な言動は抑制されていて、というよりほとんど常識的な様子であるため、その点で面食らうことはありませんでした。クローズアップしてみると、自分の身の回りでも日々起こっているような日常的なエピソードで構成されていますので、単純におもしろく読めます。
全体としては、裁判制度や組織・職業に磔になっている人間の在り方に対する批判のように感じます。もちろん、他の作品同様に著者自身の境遇に照らして云々することもできるでしょう。
けれど、作品を解読してやろうとか、批判してやろうとかいうのではなく、単に楽しむために読むのが健全な読者の態度だとしたら、この作品ではとくにその姿勢が推奨されると思います。 -
やばい。全然ついていけない。
再読必要。
著者プロフィール
丘沢静也の作品





