- Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751951
感想・レビュー・書評
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『光文社古典新訳文庫』の時間です
先日読んだ『メアリ・ジキルとマッドサイエンティストの娘たち』が面白かったので原典たるこちらも再読
当然、光文社です
ジキル博士の自宅の描写が原典にかなり忠実でした
あ、でも当然ながら奥さんもましてや娘なんて出てきません
ましてやましてハイドの娘なんて影も形もありません
このあたりは戯曲化されたり、さらに後に映画化された二次創作に影響されてるのかな
なので『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』は三次創作といえるのかもね
そうそう、あらためて読んでみてなにやらすごく深そうでしたが
あまり考えずに読みましたよ
考えすぎていろいろ受け取ろうとしすぎると古典離れに通ずるといのうが『光文社古典新訳文庫』の理念ですからね
ワタクシが光文社を選ぶ理由です
よし、次は『フランケンシュタイン』だ!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
知ってるけど読んだことない本。
なんとなくその気になって読んでみたら、面白くってあっという間に読んでしまった。
それにしても有名小説の功罪だと思うけど、どういう話か知った上で読むから、驚きが少ない。
これ、当時何も知らないで読んだ人たちは「なんと!」とそのどんでん返しに驚いただろうな。
まさか、おんなじ人やなんて、想像もつかないだろう。
きっといろんな物語が、この「ジーキル墓博士とハイド氏」にインスピレーションをもらっているはず。
様々な文学作品の中に、かけらとなって、脈々と生き続けてる、そんな原典という感じです。 -
誰もが知っている、ジキルとハイド。
でもだからこそ読まれることは少ないという稀有にして不憫な本作に、時間があるうちに挑んでみました。
映画などで形作られているハイド氏とはかなり異なる容貌に驚き、ひしひしと伝わるジーキル博士の苦悩に考えさせられます。
自分の中にいるもう一人の自分、それを解放したときに待っているものとは?
本来の自分とは一体どちらなのか。
引き込まれる作品です。 -
ずいぶん昔に原書を読んで以来ご無沙汰だったので、和約で読んでみることに。
ハイド氏の狂気やアタスン氏の恐怖や苦悩など、あたかも読み手がハイド氏を目の当たりにしたかのような嫌悪感を抱かせるため、訳者さんが努力されたであろうと感じました。
広く知られる「ジキルとハイド」だからこそ、きちんと読んでおいてよかったと思う作品です。 -
表面では立派な性格を持ったジーキル博士が、一方ではエドワード・ハイドという残虐な殺人鬼としての顔を持つ話は有名だが、改めてこの短編を読んでいてまるで小さな推理小説のようにも思えた。
しかし、私が最もそそられた点は「ジーキル博士の事件の全容」の告白である。
彼の苦悩はまさに宗教的なものであり、自分は二重人格であることを認めてさえいた。まるで「聖闘士星矢」のサガのようである。
薬を飲んで、著名な学者であるジーキル博士の肉体を脱ぎ捨てエドワード・ハイドの肉体を身につける。そしてそれが彼にとっては愉快であった反面、自分を苛んでいたのはもはや絞首台の恐怖ではなく、ハイドであることの恐怖であった。
これはこの小説のジーキル博士だけでなく私たちにもある種言えることだろう。私たちは顔を使い分け、一部では善人を演じ、一方ではとてつもない悪人になり、かつそのことを知り、良心に苛まれている。特に匿名であればあるほどそうだ。 -
あまりにも有名すぎて敢えて読むこともなかった古典です。
新訳が出ていたため手に取り、読了しました。
誰にでもある二面性をこれでもかと顕著に強固に表している一冊。
文学としてだけでなく、人生を楽しむためにも役立つと思います。