ツァラトゥストラ (下) (光文社古典新訳文庫 Bニ 1-4)

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  • / ISBN・EAN: 9784334752224

感想・レビュー・書評

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  • ※下記感想の中には、本書の中身に触れています。なので、今後本書を読もうと思っている方で、ご自身で読む前に例え哲学書とはいえ、一切内容は知りたくないという方は、これ以降の閲覧をお控えくださいませ。
    なぜ哲学書・思想書ならネタバレしても良いと僕が思っているのかは、「最強!のニーチェ入門(飲茶氏著)」の感想に詳しく書いております。ご理解賜ります様、何卒よろしくお願い申し上げます。

    【上下巻を通しての感想】
    「ツァラトゥストラ」は、緩やかな物語仕立てで書かれている。これだけ書けばストーリー仕立てになっているのであれば、すごく分かりやすいじゃん、と思われたかも知れない。しかしそうは問屋がおろしてくれない。ほぼ全編を通してアフォリズム(日本語に訳せば格言かな?)で書いてある。それもほぼ全編で比喩を多用しまくっているので、ニーチェの解説書を読んでおかないと、何が言いたいのか、最初から最後までよく分からないと思ったまま読了してしまう。それならまだ哲学書らしく論文調で書いてくれてた方が、理解度で言うと、まだ少しマシかもと思ってしまう。

    ニーチェが論文を書かなくなった理由は、ニーチェ処女作「悲劇の誕生」でこっぴどく、アカデミズムに否定されたからであろう(詳しくは、「100分de名著のツァラトゥストラ」に記載してます)。
    「ツァラトゥストラ」のことをニーチェは、《人類へ最大の贈り物》とか、《ドイツ語で書かれた最も深い作品》と自負している。だが、出版された当時は、当時のドイツ人にさえチンプンカンプンだとか、「高級な文体練習」だとか揶揄された。第一部から第三部までは出版社がついたけれど、第四部は自費出版で40部しか出せなかった。思想詩のように比喩的に書いた「ツァラトゥストラ」は、ほとんど理解されなかった。敗者復活戦のつもりでニーチェは、思想詩よりはストレートなアフォリズムで「善悪の彼岸」を書き、(ニーチェにしては珍しい)論文で「道徳の系譜」を書いたとのこと。この2冊は「ツァラトゥストラ」を解説・敷衍(ふえん)した本とみなすことも出来るとのこと。ここで僕が思ったこととしては、自分で解説書を書くほどに、どうしてもこの本は読者に理解して欲しかったし、過去最高の出来であると、ニーチェ自身が確信していたんだろうなぁと。

    本書解説部分にも書いていたが、ニーチェは本書をキリスト教の聖書に変わる書物として書いたらしい。なので解説部分でも聖書のパロディとの解説があったのだろう。
    文体や内容が、あまりに時代に即してなく、前衛的すぎたので、世間に受け入れられるまで時間がかかってしまったのだろう。皮肉なことに、徐々に世間に評価され始めた時には、悲しいかなニーチェは、精神が壊れてしまい、自分で世間に評価されたことを認識できぬまま、亡くなってしまった。こう書くと本当に悲劇の人だなぁとつくづく思う。

    と僕にしては最初珍しく、ネガティブなことから書いてしまったが、いま現在も本書は名著として世界中で読まれている。ということは、今更ながら内容が素晴らしいからなのは、言うまでもない。僕は哲学書についてまだまだ読書量が圧倒的に少ない初心者なので知らなかったが、「ツァラトゥストラ」の様にこんな生きづらい世の中だけど、だからこそ前向きに生きていこう!というポジティブな生き方指南的な哲学書は、意外にも少ないらしい。だからこそニーチェは、今だに世界中から評価されている哲学者なんだろうなと思った。

    ※ここからネタバレというか、本書を読了して僕個人が考えたこと及び思ったことを、赤裸々に書きます。ご注意下さい。

    本書でニーチェが最も重要だと言っている「大いなる正午」とは、いったいなんぞや?ということについて、個人の感想を書きます。実はニーチェ自身は少なくとも本書では、「大いなる正午」については回答は一切書いていない。この後に解説書として書いた「善悪の彼岸」や「道徳の系譜」に書いてあるかも知れないが、まだ未読のため、それは現在の僕には分からない。ただ飲茶氏の「最強!ニーチェ入門」を先に読了していたので、おそらく「大いなる正午」とは、過去でも未来でもなく、今この一瞬が一番大切で、この一瞬を噛み締めて生きるべきということを言いたかったんじゃないかなと思う。
    であるならば、ニーチェの大切な思想って禅というか、仏教の思想と一緒だなと嫌が上にも思ってしまう。仏教的思想でも、過去や未来でもなく、今この瞬間がもっとも大切なんだと説いている。そう考えると、哲学というか思想をトコトンまで突き詰めて考えていくと、行き着く先は洋の東西を問わず、一緒なのかなと感じる。

    僕が読書を行なっている一番の理由は、自分のプロフィールや色々な書籍の感想欄で書いているが、実生活で使える知恵や気づきを得たいからだ。一時期ビジネス書や自己啓発書を乱読していた時期が昔あったが、あるとき気づいた。これって一番重要な部分って、最終的には哲学書や思想書からの引用がほとんどだと。であれば引用元である哲学書や思想書を読んだ方が、自分が求めている答えに行き着くのは早いんじゃないかと。今回「ツァラトゥストラ」を読了して、その思いがより強くなった。

    【雑感】
    本書とは直接関係ないが、ここ一年ほど僕が個人的に取り組んでいることで、最も人生においてプラスになっていることがあるので、書いてみます。ここ一年程、日記ではないがそれに近しいものを書いており、これを書く様になってから、凄くポジティブに生きれる様になった。

    きっかけは、岡田斗司夫氏のYouTubeだ。そこで書籍紹介をしており、書籍名は「ずっとやりたかったことをやりなさい」(ジュリア・キャメロン著)だ。実はこの本、ビジネス書というか自己啓発書だと思うので、上記理由から書籍自体は読んでいない。ただ岡田斗司夫氏いわく、この本で実践しろと言っている、日記というか自分が1日で感じたことを、ただノート3ページ分毎日書け!というものだ。

    あまりに岡田氏が熱烈に勧めるので、試しにやってみた。うーん、自分が感じたことを毎日3ページも書くのは、ほとんど拷問に近い。やって頂いたら分かるが、よっぽど忍耐力がある人でないと毎日は続かない。ただ作者が言わんとしていることに共感はできたので、このまま止めてしまうのは勿体無いなぁと。であれば自分なりにアレンジしてみようと。現在の形になるまでかなり試行錯誤したので、元々のジュリア・キャメロン氏の原型はほぼ何も留めていないが、現在の僕の行なっている形は以下だ。

    普通のノート(A4サイズ)を使い、1日分として見開き2ページを使う。左半分が重要な部分だ。左半分には一行づつ空けて箇条書きでその日、自分で取り組みたいことを書く。(一行空けて開くと大体17個ほど書ける)右半分はキャメロン氏と同じで、その日感じた感情が動いた事を書く。但し、感情部分はキャメロン氏と違い、書きたいことが無ければ無理に書く必要なし、としている。
    ここからが重要なポイントだが、1日が終わって翌日になると、前日書いた目標をできたかどうか、自分でチェックするのだ。ただチェックすると言っても日々仕事をしていて忙しいので、チェックはこの上なく簡略化している。箇条書きしたものを出来ていたら丸(まる)をつけ、出来ていなければバツ、微妙だったら三角のマークをつけるだけ、ただそれだけだ。

    これをすることの最大のメリットは、自分で前日分をチェックすることにより、前日の自分と当日の自分を比べ、成長できているかどうか比較ができることだ。これを毎日することで、比較するのは他人ではなく、あくまで昨日の自分と今日の自分を比較するので、他人と比較することが一切なくなる。

    思うのだが、人間のネガティブ思考の始まりは、他人との比較をしてしまうことから始まることがほとんどなのではないかなと。これを日々行うようになってから、ネガティブに陥ることは、ほぼなくなった。なので職場の知人、友人に勧めてみた。すると、目標って具体的に何を書くの?例を教えてよ!と結構な割合で言われる。最初のうちは、「いや、何でもいいやん、例えば、誰にでも優しくするとか、甘いものは食べないとか、睡眠を十分に取るとか、極力運動をするとかなどなど」と言うのだが、実際に書いてるのを見せてと、あまりにしつこく聞かれたので、あくまでも参考として、最近僕が日々の目標に書いている事を以下に書きます。

    (例)
    ・一度自分で決めたことは最後までやり遂げる。
    ・誰に対しても真心で接する。
    ・日々、目一杯楽しく過ごす。
    ・相手に期待するのではなく、心から応援する。
    ・ピンチは自分を変える最大のチャンスである。
    ・良いと思ったことは、すぐ試す。
    ・今日人生最後の日だとしても、今からやろうとすることは必要かを考える。
    ・5分時間があれば、読書するのではなく、思考する習慣を身につける。
    ・一つ一つの動作を行うときに、感覚に集中する。
    ・世の中のすべてのことに執着しない。
    ・過去でも未来でもなく、いまこの一瞬に集中する。
    ・出会う人に対して、尊重した態度で接する。
    ・どんな些細なことでも、相手が自分のためにしてくれたことには、心からの感謝を伝える。
    ・極力誰に対しても笑顔で対応する。
    ・会話をするときには、相手が本心で何を望んでいるかに、意識を集中する。
    ・愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ。
    (→他人の失敗から学び取れる様、日々観察眼を鍛える)
    ・難しい内容ほど、子供でも理解できる言葉で伝えるよう意識する。

    その目標が無意識でもできる様になれば、新たな目標に差し替えてもらって、日々新たな目標にチャレンジするのが、もちろん望ましいです。

    現在ネガティブな気持ちに陥ってしまうことが多い方がもしいらっしゃれば、この方法を試してみるのも一つの手かなぁと、僭越ながらご提案させていただきます。

    次は、村上春樹氏の新作「街とその不確かな壁」を読みます。

  • 上巻もそうだったのだけど、下巻もほぼ何を言っているのかわからないまま読了。いや、読んだというより頁をめくり終わったというほうが近いから、正確には「めく了」かもしれない。

    でも、書いてあることがわからないから、ニーチェの魅力が感じられないかというと、そんなことはなくて。

    「またひとりになったぞ。ひとりでいよう。澄んだ空と自由な海があれば、いい。」

    「俺は、祝福する者になったのだ。肯定する者になったのだ。 俺が長いあいだ苦労し、努力してきたのは、いつか自由に祝福できるようになりたかったからだ。」

    全編に散在する、こうしたさりげない言葉から、眉間をしかめて本とにらめっこしてないで、いまここにある光を、時間を、命を感じたらどうなんだ? と言われている気がする(気のせいかもしれない)。華やかさと朗らかさのなかに、繊細な心が見え隠れしている(と思う)。

    「俺の悩みや俺の同情なんかーーそれがどうした! 俺は、幸せを手に入れようと努力しているのか? 俺の仕事を手に入れようと努力しているのだ!」

    牧師の家系に生まれながら、キリスト教を否定しアカデミズムからも追放されたニーチェ。人生に苦しまなかったはずがないけれど、それでも悩みや同情に、「それがどうした!」と言い放つ姿勢が好きだなと思いました。

  • 下巻も引き続き難解でした。もっともっと大人になって読み直したりするかな〜しないだろうな。
    とにかく2021年初頭に立てた目標のひとつ「ニーチェの『ツァラトゥストラ』を読む!」は達成できたのでよかった。
    永劫回帰、【これが生きるってことだったのか? じゃ、もう一度!】ってすごい言葉だよなぁ。

    〈 地上では、よいものがたくさんつくられてきた。役に立つものもあれば、気持ちがいいものもある。そのためにこの地上は愛すべきものなのだ。
     非常によくできたものもある。たとえば女の乳房。役に立つし、気持ちもいい。〉

    〈こんなことを言ってくれた女性がいる。「たしかに私、結婚を破綻させたけれど、でもね、まず最初に結婚が私を——破綻させたの!」〉

    〈——老いた深い真夜中は、夢のなかで、自分の嘆きを呼び戻して噛んでいる。嘆きが深いとしても、喜びのほうが、喜びのほうが、深い悩みよりも深いのだから。〉

  • 辛うじて読了
    狂人の頭の中を覗いたような気分

    没落しようが、高く跳ぼうが、人から逃れ山に入ろうが、結局は人が好き。そんなツァラトゥストラは誰の中にもいるんじゃないかなと思いました。

    超人にはなれずとも、確固たる自身を持ち、変化を恐れず、よく笑い、ダンスをするように軽やかにありたいものです。

  • 一応最後まで読んだものの読み終えたと言えるのか微妙。
    解説なんかを見るとキリスト教へのアンチテーゼとか聖書のパロディといった記述があったのでそもそもその辺の理解がないと分からないのかも。
    それならば聖書を読んで「じゃ、もう1度」とはならないかな。

  •  ようやく読み了える。三島由紀夫『花ざかりの森』を読んだ後は「もうどんな本でも読める」と思い上がったものだが、世の中には三島と違う難しさがあったのか。
     ツァラトゥストラの従者みたいな鷲と蛇が人語を操るのに驚く。
     福音書のイエスは滅多に笑わぬ印象だが、ツァラトゥストラはよく笑う。ダンスを好み、とりわけサイドジャンプが得意らしい。
     自費出版でわずか40部しか印刷されなかったという第4部は、奇人変人が続々と現れいでてくるので、いくらか面白い。
     大島弓子がマンガ化するとよい、と萩尾望都が主張していたけれど、ヴィジュアルが想像できない。
     これより解説書をひもとく。

  • 自らの生きにくさの中で、心の中に湧き上がってくる様々な自分(思考)と格闘する様を、物語仕立てで象徴的に、しかしまた結構赤裸々に語っているように思う。全体的な印象は、なんだか痛々しい。というか、イタい。けれど、だからこそ生きるのに不器用な人々を力づけ続けてきたのだろう。

  • 上巻に引き続き、さっぱり分からず。
    ただ、「自分は評価されていない!」と思った夜に読んだときは、どこか共感する文面があった気がして、探してみたが分からなくなっていた。

    「お前の隣人を大事にするな!」(新しい石版と古い石版について 4)→「バカとは付き合うな!」に似てる??

    「夢遊病者の歌」の節が大事。

    次は『善悪の彼岸』、『道徳の系譜』、まんが版『ツァラトゥストラ』を読もうか。

    訳者あとがきから引用
    「偉大なものは単純である」フルトヴェングラー
    「人生を重く考えることは、かんたんだ。人生を軽く考えることは、むずかしい」ケストナー

  • やっと上下巻読み終わり。上巻は本当に何を言っているのか
    難解すぎて意味不明でしたが。
    下巻も意味不明なのは変わりないのですが。読んでいて
    面白いと感じてしまう内容(というか文体)でした。
    読んでいて気持ちがよくなってくるという感じでも
    あります。非常に不思議な内容でした。

  • 下巻は上巻に増してわけわからんかった…。というか、そもそも理解できるという類のものではないのかもしれない。とりあえず、「自分の頭で考えろ」と言われているのは感じた。それが難しいんだけどね…、やっぱり何かを判断するには指標がほしいもの。他人と比べてしまうのも人情だと思うし。私は末人として私なりに生きよう。ニーチェ先生には申し訳ないが、超人にはなれないし、なる必要も感じられないのだ。

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著者プロフィール

1844-1900年。ドイツの哲学者。近代という時代の問題を一身に受け止め、西洋思想の伝統と対決し、現代思想に衝撃を与えた。代表作は、本書のほか、『愉しい学問』(1882年)、『善悪の彼岸』(1886年)ほか。

「2023年 『ツァラトゥストラはこう言った』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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