- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334752569
作品紹介・あらすじ
ソクラテスの裁判とは何だったのか?ソクラテスの生と死は何だったのか?その真実を、プラトンは「哲学」として後世に伝える。シリーズ第3弾。プラトン対話篇の最高傑作。
感想・レビュー・書評
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「人間たちよ、ソクラテスのように、知恵という点では本当はなににも値しないと認識している者が、お前たちのうちでもっとも知恵ある者なのだ。」
というわけで『ソクラテスの弁明』です
ソクラテスですよ!「哲学」ですよ!
なんか思えば遠くに来たもんだなどと思っておりましたが、あれ?これたぶん読んだことあるかも?w
そりゃあそう!
そりゃあそうですよ
私なんかあれです
もう気付いてると思いますけどまんま哲学者ですもん
むしろソクラテスの生まれ変わ( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
大変失礼しました
ソクラテスは言っています「知らないこと」を自覚していない状態こそが、最悪の恥ずべき状態だと(うん、お前だな)
ソクラテスのように自分がはっきりと「知らない」という自覚をもつ場合にだけ、その知らない対象を「知ろう」とする動きが始まるからである
すごいのはこれ2400年前ですからね
2400年前にこんなことを言ってた人がいるすごいなって意味じゃありませんよ
2400年たっても人間は同じところをぐるぐる回ってるってことがすごいなってことです
2400年前の人の言葉になるほどそうだよな〜って思ってる場合じゃないだろってことです
もうとっくにそんなことは当たり前になってて然るべきでしょ2400年も経ってるんだから
2400年もの間なにしてたんだよ!っていうね
だめじゃん人類 -
【読もうと思った理由】
元々哲学には興味があったが、本格的に読もうと思ったのは、飲茶氏の「史上最強の哲学入門 (河出文庫)」を読んだことがきっかけ。西洋哲学は基本的に繋がっており、時系列に読まないと、とても理解が出来ないと飲茶氏の書籍から教えてもらう。であれば、西洋哲学の原点と言われたギリシア時代のプラトンから読もうと思った。
【あらすじ】
タイトルにあるソクラテスは、生涯にわたって一冊も書籍を残さなかったため、弟子のプラトンがソクラテスが語った言葉を書き記したもの。ソクラテスが70歳のときに突然「不敬神」の罪で告発され、死刑の判決を受ける。告訴状には「ソクラテスは、ポリスの信じる神々を信じず、別の新奇な神霊のようなものを導入することゆえに不正を犯している。また、若者を堕落させることゆえに、不正を犯している」と記載されていた。その際の裁判のときに、ソクラテスの弁明をプラトンが書き記したものが本書。
【この本から得た気づき】
日常ではあまり重要とは思われない、「知る/思う」の明確な区別こそ、「哲学」出発点となる。それは、ソクラテスのように自分がはっきりと「知らない」という自覚を持つ場合にだけ、その知らない対象を「知ろう」とする動きが始まるからである。なんとなく「分かっているよ」と片付ける人は、本当は分かっておらず、自己認識がないままに、曖昧なまま進歩もなく、思い込みの中で人生を送っていく。
ソクラテスは人々に共通の誤解があることを発見する。人々は本当は大切なことを知らないにも関わらず、地位や評判や技量によって自分こそ知恵あるものだと思い込んでいる。この「無知」つまり「知らないこと」を自覚していない状態こそが、最悪の恥ずべきあり方であった。(P.131)
という部分が本書では一番腑に落ちた。
普段仕事でもプライベートでも、殆どのことを「分かったつもり」になって、日々の生活を過ごしていることを今回で認識できた。
ただ現実的に全ての事象を本当に解ろうとすると、とても仕事や日々の生活を送って行けないので、休みの日などに普段当たり前と思っていることを、深く考える癖づけをすることから始めていこうと思った。
【光文社古典新訳文庫について】
今回人生初の光文社古典新訳文庫を読んだ。
「ソクラテスの弁明」の本文自体は100ページほどだが、その後に続く解説・あとがき・他のプラトン書籍を読むためにという本文以外の項目が、ほぼ本文と同じ分量あり、古典に慣れていない自分には非常にありがたかった。
古典といえば「岩波文庫」が有名だが、何度か書店で気になる本を立ち読みするも、文字が小さかったり、本によっては注釈が多すぎたり、訳が古すぎて現代語訳でないため難解であったりで、どうしても古典を読むにはハードルが高かった。
その点、光文社古典新訳文庫は本の巻末に載っている「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」のキャチフレーズが表している通り、そのままポリシーとして生かされている。「気取らず、自由に、心の赴くままに、気軽に手に取って楽しめる古典作品を、新訳という光のもとに読者に届けていくこと。」巻末にあるこのコンセプトがとても好きだ。
今後古典は、基本的に光文社古典新訳文庫で読んでいこうと思う。 -
・かつて岩波文庫の久保勉訳で読んだことがあるが、それよりも格段に読みやすい。もちろん格調高い久保氏の翻訳が果たした功績は尊重されるべきと思うが、教養主義の時代が終わった今、難解な哲学書を平易な日本語に訳しなおす時期にきているのだと思う。この新訳の誕生を素直に喜びたい。
・ただ、スラスラ読めてしまうだけに、ソクラテスの主張を「判ったつもり」になってしまうのが唯一の難点だ(「無知の自覚」を促したソクラテス先生に申し訳が立たない)。しかし、誤読・誤解しやすい箇所は訳者解説で丁寧に注意喚起されていて、訳文といい解説といい、本当に心が行き届いていると思う。
・原告からの死刑求刑に対して、被告人ソクラテスが「自分は何も悪いことはしていない。むしろ善いことをしたのだからメシを食わせろ」と放言するくだりなどは、とんでもなく滑稽な場面であり、喜劇的ですらある。思えば、ソクラテス裁判自体が、全体を通じて、ソクラテスが弁明すれば弁明するほど裁判員の反感を買って死刑に近づいていくという一種の喜劇的な構造を持っていることに、今さらながら気がついた。
・ソクラテスの死を単なる一面的な悲劇として取り上げるのではなく、多面的な悲喜劇として描き切ったプラトンの文学的力量は流石だ、とも思う。 -
クセノフォンの方も読んでみたい。
この文庫は解説でプラトンの作品が紹介されている。カルデミスとかリュシスとか読む手段ないものか。
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知を求めるものの姿勢について考えさせられる。
多くの哲学の源泉を見た気がする。
他のものも読んでいきたい。
読まないと哲学史も入りづらいですし。
神の御使いという立場で民衆の善を思いながら処刑判決を受けるあたり、新約聖書との繋がりが気になる。
何も知らないから、「絶対聖書は影響受けてるでしょ」とちょっと盛り上がりました。 -
自分の死(死刑判決)をもって自らの哲学を体現するという哲学者としての生き方がまさに「徳」と感じた。この作品から感じること、考えることを発信することは野暮な気はするが、言葉一つでここまで心を動かせることに感銘を受けた。 同世代の友達はこれを読んで何を思うだろうか。
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睡眠導入のために読んだら案外面白くて寝れなくなった。現代にも通じる教訓が得られる。
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『世にも優れた人よ。あなたは、知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら、恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは』
本編は対話形式で読みやすく、続く本編についての詳細な解説、プラトンについての解説も興味深かった。だけど、この本に書いてある文字を一通り読めたからと言って哲学的概念を理解できたとはとても言えない。
それでも、この社会の大多数に受け入れられている、年収や評判を重視する価値観にどうしても疑問を持ってしまう自分には、救われる部分があった。たとえそれによって社会にうまく馴染めなくても、とりあえず疑問を持ち続けて、考え続けていいのだと思っている。
「徳について、また私が対話しながら私自身と他の人々を吟味しているのを皆さんが聞いているような他の事柄について、毎日議論をすること、これはまさに人間にとって最大の善きことなのです。そして、吟味のない生は人間にとって生きるに値しないものです」 -
プラトン著作の、ソクラテスに対する裁判を描いた作品。ソクラテスの弁明は大分当時の風刺と、高慢な感じが読む前のイメージとかけ離れており、これほどまでに自分を殺す事の勿体なさと、裁き手の罪深さを謳った作品はなかなかお目にかける事はないだろう。
ダイモーンという霊的なものがあり、ポリスが信仰しているダイモーン以外を若者に勧めたという罪を問われたが、一部がそれを信仰するだけで、ポリス全体に罪があり、罰を被るという考えはなかなか面白くもある。 -
ソクラテスは、「徳」について、様々な人と対話する生活を送っていた。しかし、70歳頃、「不敬神」で告発され、裁判にかけられる。神への不信で訴えられたが、実際は、対話によって生まれた中傷や妬みが原因だとソクラテスは主張する。私たちは物事を知っていると思う市営に強い批判をぶつけている。
「不知」と「非知」の区別を主著氏、多くの人が分かったつもりになっているという発言は、個人的に耳が痛くなる忠告だった。アテナイの人も現代の私たちも何事も分かったつもりで日々を過ごしていることが多いのではないだろうか。現代でいえば、ソクラテスは曖昧に日々を過ごしている人からは嫌われる人物だったのであろう。しかし、本書が語り継がれている事実がある限り、「知ること」の重要性は変わらない。 -
ギリシアで誕生した人類初の哲学者と言われるソクラテスに関する本。知を愛し求めるという哲学について学び始めるきっかけとして良い本だと思う。
無知の知という言葉だけは知っていたが、その日本語表現自体が適切ではないということが驚きであった。
自分は知らないことを知らないと思っている、自覚している、ということが、少なくとも知ったかぶりをしている人よりは知恵がある、という解釈から、知らないことを認知する、メタ認知は大事だと感じる。そういう認知があるからこそ、知ろうとする行動につながる。知っているということはそれを明確に証明できてこそである。知っている、と、思っている、では違う。無知の知、ではなく、不知の自覚、という表現が相応しい。
死を知らないからこそ、死を恐れない、また正しいことをして死を恐れない、むしろ間違ったことをして生き続けるよりは死を貫くというところにソクラテスがデルフォイで受けた神託を契機とした哲学の探求があるのだと思った。 -
・ソクラテスの生と死は、今でも強烈な個性をもって私たちに迫ってくる。しかし、彼は特別な人間ではない。ただ、真に人間であった。彼が示したのは、「知を愛し求める」あり方、つまり哲学者であることが、人間として生きることだ、ということであった。私たち一人ひとりも、そんなソクラテスの言葉を聞きながら──プラトンが書き記した言葉を読みながら──人間として生きることを、学んでいくのであろう。
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子どもの頃から言われてきた偏見や思い込みを、一つ一つ吟味して、正しく知る事が重要と、認識しました。また知ったか振りではなく、きちんと理解することも必要、と。
…とはいうものの、実際一つ一つ物事を吟味してくのは時間的にも厳しいので、なんとなーく分かった体で進めてくのが多いのが現実かと(え、私だけ?)。
本の内容自体は、ソクラテスが裁判中に民衆に語りかける口調なので、非常に読みやすかった(理解したかは置いといて)。 -
死を恐れるのは、それを知っていると思い込んでいるからだ。神に由来する声が生じ、為せと命じる。自分自身に関わる事柄、ポリスに関わる事柄ではなく、自分自身の思慮やポリス、その他のものに配慮するように。
→ハイデガーの死の先駆、良心の呼び声、物・世人への気遣いによる頽落のモチーフがある。自身への配慮はフーコー『性の歴史』
正義のために戦う人は、私人として活動する必要がある。
→プラトンのアカデメイア
"毎日議論をすること、これはまさに人間にとって最大の善きことなのです。そして、吟味のない生は人間にとって生きるに値しないものです"
死よりも、劣悪さを免れることは難しい。
"この出来事はおそらく、私にとって善いことだったのです。私たちは、死を悪いことだと見なす限り、けっして正しく考えてはいないことになります。"
"私たちがしがみついているのは、結局「肉体」(ソーマ)であり「物」(ソーマ)ではないか。それに対して、真に配慮すべきなのは、思慮が働き真理が求められる場、つまり「魂」(プシュケー)"
→全ての哲学の根源があり、キリスト教におけるイエスの構造と同じ。
解説により『弁明』についての深い知見が得られ、さらにプラトンの著作についても経緯や各あらすじがまとめられており、年譜と重要人物・事項一覧もついていて、ギリシア哲学を読む最初の本に適している。 -
『ソクラテスの弁明』
他者よりも多くのことを知っていると考え、"ねむり続けて"しまう人々を目覚めさせる"虻"としてソクラテスが存在する重要性
「知らない」と自覚することで知らない対象について「知ろう」とする
煩わしい"虻"をキッカケに自分の頭で考えるようになる
#読了 #君羅文庫 -
解説がえらい。
プラトンの生まれ変わ( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
そしたら、ひまわり師匠をソクラテスの生まれ変わりと...
プラトンの生まれ変わ( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
そしたら、ひまわり師匠をソクラテスの生まれ変わりと認めてしまう!w