死の家の記録 (光文社古典新訳文庫)

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感想 : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (741ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334752651

作品紹介・あらすじ

恐怖と苦痛、絶望と狂気、そしてユーモア。囚人たちの驚くべき行動と心理、そしてその人間模様を圧倒的な筆力で描いたドストエフスキー文学の特異な傑作が、明晰な新訳で今、鮮烈に蘇る。本書はドストエフスキー自らの体験をもとにした"獄中記"であり、『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』など後期作品の原点でもある。

感想・レビュー・書評

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  • 作家、ドストエフスキーが体験した『シベリア抑留』を基にして描かれた小説で、規格外の囚人たちに囲まれる作者の分身の孤独さと、「地獄の沙汰も金次第」という身も蓋もない『真実』を突きつけられてしまいました。

    本書は作家、ドストエフスキーが『ペトラシェフスキー事件』に連座し、1850年1月から54年1月までの4年間を西南シベリアはオムスク要塞監獄の獄中体験が下敷きとなって著された作品です。

    タイトルにある『記録』というのはノンフィクションというわけではなく、実体験ベースのフィクションとも言うべきで、実際に時間や空間の構造はもちろんのこと、本書の中に出てくる囚人や彼等を取り仕切る側の人間にも、事実とは合致しながらも、ところどころは加工を施して記されており、その重厚さは読んでいて圧倒されてしまうほどのものでありました。主人公であり、また全体の語り部であるアレクサンドル・ペトローヴィチ・ゴリャンチコフは妻殺しの罪で10年の懲役生活を送り、出所後は入植者としてひっそりと余生を送っていたのですが、その彼の死後に、発見されたという手記の中にゴリャンチョフが獄中で体験してきた出来事の数々が綴られているという設定でありました。

    塀の中では貴族と一般の囚人とは埋めがたい溝というものがあるらしく、ゴリャンチョフの最後の最後までことあるごとにこれによって苦しめられるのです。この部分にどうやら時を越えたある種の『普遍性』があるみたいで、堀江貴文氏が出版した獄中体験記の『刑務所なう』にもそういうニュアンスのことがそういえば描かれていたなと、そんなことを考えておりました。

    ここに出てくる囚人たちもこれまた規格外の人物ばかりで、快楽殺人鬼のガージンや、政治犯でイニシャル表記されているポーランド人たち。金貸しのユダヤ人や、チェルケス人。ありとあらゆる人種が雑居房にひしめき合い、餓えや寒さ、シラミやノミと始終格闘しながら互いのことを豊富なレトリックで罵りあい、殴り殴られする様子は本当に殺伐としていて、空恐ろしささえ感じるのでありました。

    さらにびっくりしたのは囚人たちの間で酒が売買されているということで、外部と連絡をとりながら様々な方法で酒が持ち込まれ、法外な価格で取引されている。この現実には度肝を抜かれ、彼等の酒に対する強いこだわりが本当によく理解できました。獄中という閉鎖的な環境で繰り広げられるのは、抑圧的な環境における単純で息苦しいまでの日常から、囚人たちが押し合いへしあいしながら浴場で体を洗う異様な熱気。後の小説群に出てくる登場人物の原型とも言うべき囚人たち…。

    刑務所に入るというのは、出来ることならあまり経験したくないものですが、ドストエフスキーはこの囚人生活と兵役を課せられたことにより、かつて自分が持っていた思想とある種の『訣別』を果たすことが出来た…。そういった意味では彼にとって『通過儀礼』だったのかもしれませんが…。それにしても、なんという過酷な試練を彼に与えたものだなぁと、改めてそう思ってしまいました。

    不条理の極みともいえる獄中での体験。それを綴ったものに自分がなぜこうも惹かれるのか…。それはまだうまく答えるのは僕にとってなんとも難しいものでございました。

  • ■死の家で生きる。99%の苦痛と1%の楽しみ。■

    19世紀ロシアの流刑地シベリアでの監獄生活の実態が生々しく描かれる。21世紀の平和な日本に住む僕らには想像もつかない世界が繰り広げられる。
    登場人物がやたらと多いが、本書を通して継続したストーリーや明確な起承転結のようなものがあるわけではなく、章ごとにある程度独立した小話がオムニバス的に進行するため、あまり問題にはならない。

    タイトルから廃人のような暗い無気力な人間ばかり登場するのかと勝手に想像していたが、そんなに悲壮ではない。囚人・看守含め、とにかく癖が強すぎる個性的なキャラが次々に登場する。まるで動物園だ。そんな奴らが一つ屋根の下(塀の中)で繰り広げるドタバタ劇の中に人間らしい喜怒哀楽がぎゅっと詰まっている。

    また、酒、賄賂、たばこ、賭博に女、はては脱獄まで、様々なエピソードからどんな状況下におかれても、精神的な自由を求める人間としての本能が浮き彫りになっていると感じる。

    個人的に印象に残ったのは入浴シーンの描写だろうか。その映像がお風呂大好き日本人としては耐えがたく、鼻をつまみたくなる。
    この浴場にしずかちゃんが入ったら気絶するに違いない。

  • 1861年 40歳  第16作。

    死の家の記録は、ペトラシェフスキー事件に連座して、反逆罪に問われたドストエフスキーが、1850年1月から54年1月までの4年間を囚人として、頭を半分剃られ、足枷をつけられ、強盗殺人犯や詐欺師や窃盗、農民や貴族、イスラムの異民族から異端のキリスト教徒まで、雑多な人々とともにシベリアの流刑地で過ごしたときの様子を描いた作品。

    ときにはチャバネゴキブリが大量に入ったスープが出てくるような境遇の中で、社会の最低辺の人間と文字通り寝食をともにしながら行った人間観察の記録である。

    ここまでのドストエフスキーの作品では、デビュー作「貧しき人々」が代表作だが、あの「貧しき人々」は、正直言って内容よりも、巨匠の第一作ということと、あの有名なデビューのエピソードで、必要以上に持ち上げられてきたきらいがあったのではないかと思う。

    この「死の家の記録」は、それ以前とそれ以降の作品を画し、ドストエフスキーの名を歴史にとどめる素晴らしい作品。

    それまでの、どことなく軽躁なざわめきを背景に感じられる作品群に較べ、重厚で落ち着いていて、陰鬱な中身のはずなのに、どこまでも汲みつくせないという感じを抱かせる。
    そういうのを芸術作品というのだと思う。

    この流刑地の生活でかれが発見したのは、人間がどこまで卑劣になれるか、どこまで得体のしれない怪物になるのか、それが可能性としてはなく生身の人間として現実に存在しているということと、にもかかわらずそれぞれの人間が持つ自由の意味と必然、そしてひとりひとりの人間の尊厳である。
    まなざしの中心はもちろん後者にむけられている。
    でなければ人間の総体を捉えきった報告は書けなかったただろう。

    そういうとなんだか真面目くさってきこえるが、この作品はそういう堅苦しいものではない。
    後期の作品から、かれは観念的な作家と思われがちだが、流刑地の生活を描く筆致はかなりジャーナリスティックで、そういう辺境についてまったく知らない興味津々な読者を飽きさせない。
    ドストエフスキーはルポルタージュ作家としても超一流であることを示す作品でもある。

    人間にとってもっとも恐ろしい罰は、無意味な作業を続けさせることで、それをすると必ず狂ってしまうという有名な文章は、この作品から。

    「もしも一人の人間をすっかり押し潰し、破滅させてやろうとするつもりで、どんな残忍な人殺しでも聞いただけで身震いして腰を抜かすような、最高に恐ろしい罰を科すとしたら、ただ単に一から十までまったく無益で無意味な作業をさせればいいのだ。……囚人に、たとえば一つの桶から別の桶に水を移し、その桶からまたもとの桶に移すとか、ひたすら砂を槌で叩くとか、一つの場所から別の場所に土の山を移して、また元に戻すといった作業をやらせてみれば、きっと囚人は何日かで世をはかなんで首を吊るか、それともそのような屈辱、恥、苦しみから逃れるためならいっそ死んでもいいと、自棄になって犯罪をし散らすことだろう。」(p50-51)

  • 今のところドストエフスキーの中でいちばんのお気に入り。めっちゃくちゃにおもしろすぎる。なによりも面白かった気がする。人を観察することが小説家にはとても大切だと思う

  • 一応架空の主人公を設定していますが、実際にはドストエフスキーの実体験を描いているルポタージュのような小説。ノンフィクション、ドキュメンタリーの好きな私には読みやすかった。描かれる囚人たちの描写も様々で面白く読めた。
    鞭打ち刑は想像以上に厳しい物のようで、それで死んでしまうこともあった刑罰のよう。小説内で主人公は「犯罪の差異に刑罰の結果の重みが平等に応対しているか」「同じ刑罰でも、受ける人によって非常に軽い結果となる場合と思い結果になる場合があるが、それは平等なのか」、囚人たちが真に欲しているのは「自由」であり「思い通りにふるまう自由」を求めていること、刑罰が囚人の更生にならないことなどについて論じさせている。そして、病人の収容される病棟で、病に苦しむ囚人の外されない足鎖、閉鎖される病室の空気の悪さなども描写される。一方で、収容所内のクリスマスなどの祝祭日、囚人たちが演じた劇の盛り上がり、馬の購入、集団入浴などの賑やかな様子の描写は非常に面白く興味深い。
    「死の家の記録」はこれが初めて読んだので、他の翻訳版と比較することはできないのが、光文社古典新訳文庫の望月哲男訳版は非常に読みやすかったし、巻末の読書ガイドも非常に面白く参考になった。そのガイドの中で、監獄に収容されている状態を「生きながらの死(人間的尊厳の破壊)と定義し」「暴力や恫喝は後悔にも矯正にも結び付かず、そうした効果は理解や許しという生きた魂への働きかけから生じる」と示唆している(p.707)と述べているが、そのような罪に対する罰は、現代でも難しい。正直、私が罪を犯した人に求めているものも「罰としての罰」であるのが本当のところだと思わないでもない。
    「自由」「贖罪」というテーマは、その後のドストエフスキーの「地下室の手記」「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」でも根底に据えられているとのこと、これらの作品も読んでみたい。

  • シベリアと聞くとなんとなく白と灰色の世界を思い浮かべる。静かで寒くて薄暗い(もしくは薄明るい)世界を。『イワン・デニーソヴィチの一日』を読んだ時もそんな印象だった。
    同じシベリアの監獄が舞台だけど、こちらには「色」がある。酔っぱらった囚人の「赤」い顔、春に芽吹く森や草原の「緑」、囚人たちにかわいがられる「栗」毛の馬、などなど。囚人にもいろいろな性格のものがいて、ちょっとした世界の縮図のよう。喧嘩の怒鳴り声やバラライカの音も聞こえてきて決して「静か」ではない。監獄という特殊な環境だからこそ浮き立つ人間味が描かれているなぁ、と感じた。
    驚きだったのが、ロシアの民衆が「たとえ囚人の犯した罪がどれほど恐ろしいものであれ、決してその罪のことで囚人を責めようとはせず、囚人が負わされた罰に免じて、そしてそもそもの不幸に免じて、すべてを許そうとする」ということ。今の日本では犯罪を犯した人間が相応の罰を受けるのは自業自得で当たり前、というとらえ方が一般的なように思うし、本人に反省の様子が見られないとすごく冷たい目で見られる気がする。でも犯した罪を責めることよりも、その罪を犯してしまった不幸の原因に目を向ける方が大事だよな、と思う。だからロシアの素朴な民衆の視点には見習うべきところがあると思う。

  • 去年も読んでいたか。何度読んでも、いつ読んでも新鮮だ。
    ドストエフスキーにとって、教育を受けたことのない人間のあいだで生活するのは、違う国で暮らすようなものだったろう。初めのうちは、違う星に来ちゃった感があったな。

    読んでいるあいだ、人間のあらゆる可能性を夢見たのがダンテの「神曲」で、眼前に現れた人間のあらゆる可能性を描いたのがドストエフスキーの「死の家の記録」だと感じた。

    日本が江戸時代をやっていた頃に、こんなに素晴らしい文学作品が生まれていたなんて、信じられない。

  • 絶望的な監獄生活の中で、食い入るように周囲を凝視していたドストエフスキーの姿が目に浮かぶ。そのしぶとさはさすが。明快な新訳。

  • 大学生協¥1430

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