- Amazon.co.jp ・本 (454ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334752897
感想・レビュー・書評
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めちゃくちゃ面白い
スピノザを知るには、まずはこの本なのでは
翻訳が古い岩波の知性改善論とか、短論文で挫折するくらいなら(みすずの新訳はどうなのだろう?)、まずはこれを読むべきでは
大事なポイントの多くがここに出てくるし、スピノザ の問題意識もよくわかる
何を正そうとしていたのか
「デカルトの哲学原理」(読んでない。國分さんの「スピノザ の方法」でかなり詳しく検討されてたが、それだけ)と合わせて読むと、当時のキリスト教、ユダヤ教の聖書の読み方などの方法論への疑問と、デカルトの哲学への共感と疑問とが露わになるのでは。
そうすると、エチカは何だったのか
デカルトのコギトからの哲学や、聖書の説く道徳論を超えつつ統合したスピノザの倫理学、幾何学的確かさで皆を神の認識へと至らせるメソッド的な(メソッドではいけないとしても)倫理学、としての、新たな聖書を目指したのでは。
物語で道徳を説く聖書の方法論ではなく、デカルトの心身二元論の矛盾やコギトから始めることの問題点を踏まえて、幾何学的に倫理に到達するという新たな方法を提示した書なのかと思う
下巻が楽しみ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
聖書の記述に色々疑問を持っている人はこれを読むとかなり解消されるかも。
キリストの言葉に、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという言葉がある。
随分過激というか、危ない処世術だと思っていたが、これは当時の時代背景をしっかりと配慮に入れるべき言葉らしい。
正義が踏み躙られ、圧政の時代であったからこそ意味をなしていたという。
正義が尊重される時代の場合は、正しい人でありたければ、法廷できちんと決着をつけるのが良いそうだ。
旧約聖書についての検証も多いが、余り興味が無いのでそこは読み飛ばした。
宗教権力滅多斬りという感じで、鋭過ぎて笑える所もある。当時の聖職者達はスピノザがさぞや煙たかったことだろう。
かといって宗教全てを否定しているわけではなく、結果的に徳性を身に付けることができればそれは良いことと認めている。
キリストに関しては、預言者というより神の口と褒め称えている。
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一言でいうと
「考えることを放棄するな!」
これが当時としては危険思想であった。
考えない人間ほど為政者にとってコントロールしやすい人間はいない、
ということは歴史を振り返っても、火を見るよりも明らか。
自分の頭で、
知性で考えることの需要性をスピノザと共に考える、類稀なる良書。 -
宗教権力に対する抵抗と民衆への不信。
スピノザ、単独者による神聖や世俗への根底的批判である。
本書は光文社新訳古典文庫であり、文章は、ジュブナイル、リライトと思えば、むしろ、それは難解な古典がわかりやすく通読できるという点で優れものである。
私は、岩波文庫の同書を読み、歯が立たなかったのが本書では、あっさり読めた。
読めたからこそ、「宗教権力に対する抵抗と民衆への不信。スピノザ、単独者による神聖や世俗への根底的批判である。」などと書きつけることもできたのである。
そして、本書で私がようやく理解できたことが、「マルクスはスピノザの方法に負う」という言葉である。世界への根底的批判を達成するために、マルクスが古典経済学へ向かうように、スピノザもまた聖書へ向かう。前者は資本主義世界、後者は中世権力である。両者にとって、世界とはテクストである。テクストの検証、批判を通じた「イデオロギー批判」であり、スピノザは、明白な宗教批判だが、マルクスもまた資本主義という宗教性を批判する。
マルクス、スピノザ、それらを「単独者の批判」と呼び、超越論的な視座にある。