ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか (光文社古典新訳文庫 Bウ 2-1)
- 光文社 (2015年3月12日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334753078
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渡米した内村鑑三は、
自身が崇拝してきたキリスト教を根幹としたキリスト教国で絶望する。
これが、キリストの教えを実践する国なのか?と。
「山にとどまる者は、山を知らない」
外へ出ることで始めて自分自身が何者かをよく知ることができると内村鑑三は言う。
がっかりした内村鑑三は、
欧米の宗教であることを根拠にキリスト教を擁護することを止めることを決意。
まさに自身の頭で考え、自身の心で感じることこそが、根拠となりうるのであって、
欧米であるという外的証拠などでは、足元はグラグラだということを痛感したからである。
内村鑑三は、正しい道徳と正しい行為のためには、身体が正しい状態でなければならないということを、つまり胃袋が大事だということを痛感する。
また、どんなに崇高な志がある活動であっても、その活動を通して人々に貢献するには、明瞭な頭脳と鉄の意志が必要だと知る。
内村鑑三は、
信仰を重んじながら、リアルな現実を直視することも忘れなかった。
日本の本質的な敗戦要因の一つとして、
現実を無視した過度な精神主義が見られる。
アメリカとの戦いは物質的な戦いではなく、精神力の戦いだとみなしていた。
それが、例えば兵士の睡眠や胃袋を軽視し、精神力過多の思想によって、無理が募り敗戦につながった。大きな要因の一つだろう。
ひるがえって、
内村鑑三は敗戦前の人間としては、
かなり現実的な視点をもっていた宗教家でなかっただろうか。 -
強制的に改宗させられたものの、一神教の素晴らしさに心打たれた鑑三。
彼の宗教的ストイックさと、アメリカに渡って無数の宗派のどこにコミットしていいかわからずノイローゼになりながら、自らの信仰を見出していく日記に非常に共感。
どちらかというと橋爪先生の解説の辛辣さに笑ってしまったが、
明治期の新しい真理に触れた鑑三がいかに、西洋の真理と日本の真理を接木しようと格闘しようとしていたかがわかる。
ただ、神道や仏教の真の価値をー江戸、明治を経て形骸化していたとはいえー見いだそうとしない鑑三の態度にはぼくは批判的である。
まだ、日本のキリスト教は始まってすらいないのが現状であると思う。 -
もうちょっと深く鑑三がキリスト教にのめいっていった経緯がわかればなと思った。
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内村鑑三の札幌農学校〜アメリカ留学時代の内的記録です。特に前半は明治初期の若者の西洋知の受容の様子がユーモアを交じえて綴られています。キリスト教もその一部であり、一時的な熱狂が過ぎ去ると、離れていく者もあり、真実、信仰の道に入る者もあり、という流れがみてとれます。後半は生真面目で誠実な若き内村の、キリスト教を通じたアイデンティティの模索と葛藤が語られます。個人の記録としてだけでなく、当時の時代感、空気感を感じとることができます。
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哲学書?
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たまに弄られるタイトルの本が現代語訳された。
・読んである本なので、「翻訳がどんな具合か知りたい」目的。
・タイトルについて:「ぼく」と「いかに」のアンバランスさは如何に。
・『余は如何にして四間飛車党となりし乎(高美濃編)』
・『余は如何にして利富禮主義者となりし乎』←懐かしい。