オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753122

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  • 男は死んだと思われ埋葬された。生きる理由をなくし、死神に見放され…切なすぎる。ゾラショートセレクション 猫の楽園にも「オリビエ・ベカイユの死」があります。

  • 19世紀フランスの作家ゾラ(1840-1902)の短篇集。第二帝政期以降に本格的に立ち現れたブルジョア社会における、人々の生活や欲望を描いている。



    「オリヴィエ・べカイユの死」(1879年)

    意識はありながらも、肉体的には自らの意志で動くことができず、周囲からも死んだものとして扱われ埋葬されていく男の視点を通して、「死とは何か=生とは何か」を考えさせられる。読みながらすぐにポー『早すぎた埋葬』を想起したが、解説によるとバルザックやゴーチエにも同主題の作品があるという。本作の主人公やゾラ自身が取り憑かれていた死への強迫観念というものは程度の差はあれ多くの人間がもっているのだろうが、「仮死状態のまま誤って埋葬されてしまうかもしれない」という恐怖はそんなに普遍的なものなのだろうか。やや不思議な感じがする。

    物語を通して、主人公の「死に対する意識=生に対する意識」が変容していく過程が、興味深い。子どもの頃は、自分の存在を虚無に帰する死を恐れていた(生は有意味であり、それゆえに死は無意味である。生の肯定→死の否定)。しかし、生きたまま埋葬されるという状況に置かれて、生の苦しみを永遠に消し去ってくれる死を切望するようになる(生は無意味であり、それゆえに死は有意味である。生の否定→死の肯定)。そして物語最後の皮肉によって、死は生が無意味であるのと同等に無意味である、という境地に到る(生は無意味であり、それと同時に死も無意味である。生への無関心=死への無関心)。

    「僕が子どもの頃からひたすら恐れていたのは、虚無だった。僕は、自分の存在が消えてしまうということが、さっきまで自分だったものが完全に消えてなくなるということが想像できなかったのだ。しかもそれが永遠に続くのだ。・・・。そして、僕が見ることもない、生きることもない、未来のその年が、僕を不安でいっぱいにするのだ。この僕こそが世界なのではないか。僕が逝ってしまったら、この世界は崩れ落ちるのではないか、と。死んでしまっても生きている夢を見続けること。僕がずっと望んでいたのはそれだった」

    「ああ! この瞬間、僕がどれほど死を望んでいたか! ・・・。もうどんな虚無だって怖くはない。死は一瞬で、そして永遠に、存在を消してくれるからこそすばらしいのだ」

    「死は、もう怖くない。けれども、死神のほうが僕を望んではいないようだ。今の僕には、もう生きる理由がまったくないというのに、死神は、ひょっとして僕を忘れているんじゃないだろうか」

    ポー「天邪鬼」や乱歩「目羅博士」にも通じるような、反語的とも呼ぶべき或る種の嗜癖について記されているので書き出しておく。「僕には恐ろしいことをあえて妄想する性質があって、目を開けたままでも、ぞっとするような出来事を想像して、被虐的な歓びを味わうことがあったのだ」。



    「ナンタス」(1878年)

    産業革命が進行し急速に近代化した第二帝政期以降のフランスで、青年は「利益」と「力」を唯一の価値基準として自らの「意志」と「能力」のみを頼りに社会階層を上昇していこうとする。なぜなら、青年の自我は、自分が本来いるべき場所は、いまの自分の社会的位置とは別のところにあると思っているから。

    「それは決して低俗な欲望でもなければ、快楽を求める卑しい願望でもなかった。むしろ、知性と意志の力から湧き出る、とてもはっきりした感覚とでもいうべきものだった。その知性も意志も、本来あるべき場所に置かれていないがために、ごく自然な論理的欲求として、その場所まで上りつめることを当たり前のように望んでいたのだった」

    しかし、その上昇運動には終着となる頂点は無く、無際限に上り続けるしかない。そして、ついに人生の終着のほうが先に訪れてしまいそうになったときに気づいたことといえば、上昇の先には生の支えになるような如何なる意味も無いということ。

    「あらゆるものが次々と足元で崩れ落ちていった。ただ死のみが、確かなものとして残ったのだ」

    終盤、「利益」「力」という即物的な(無)価値観では充足されずにいた生の虚無を埋めるものとしてゾラが提示するのが、「女」からの愛であるという凡庸さ。ニヒリズムからの救済という役割を勝手に要求される「女」。ありふれた物語。



    「シャーブル氏の貝」(1876年)

    フランス西部の海岸街ピリアックが、空と海の青色と太陽光の白色とで、実に眩く描写されている。不妊に悩む夫とともにパリからやってきた美しい若妻エステルと生命力溢れる地元の青年エクトール、二人の気持ちの交わりが、ピリアックの海水浴や洞窟散策の場面で、性的な暗示を多分に込められながら官能的かつ詩的に美しく表現されており、本短篇集中の白眉。

    「自分たちのまわりに、ゆらゆらと広がっては消えていく水の輪を作り出しながら、二人はすべるようにゆっくりと進んだ。こうして同じ波の中に包まれていると、まるで二人だけの官能的な秘密を共有しているようだった。エクトールは、エステルの後を追って進み、彼女が残した水の軌跡の中に身を置いて、その同じ流れの中で、彼女の体の温かさを感じようとした」

    「少しずつ水が洞窟の中に入ってきて、透き通った小石がやわらかい音を立てていた。沖からの水が、外海の官能を運び込み、愛撫するような波の音と、欲望を含んだ刺激的な潮の匂いを連れてきていた」

    「真っ暗な夜だった。暗い空に白い海が輝いていた。洞窟の入り口で、水がむせび泣くような声をあげていた。丸い天井の下では、夕日の最後の名残が消えたところだった。生き生きとした生命力に満ちた波から、命を生み出す豊穣の匂いが立ち上ってきた」

    この後に続く喜劇的な終幕との対照が見事。



    「スルディス夫人」(1880年)

    芸術家小説。市民的な労働を通してではなく芸術的な才能を通して社会に対して自己の存在証明を突きつけようと目論む者にとって、生活とは苦闘そのものであると思う。芸術上の破格な独創性を備えながら放蕩に溺れ堕落した生活を送ってしまう夫フェルディナンと、創作上は凡庸ではあるが手堅い技術をもち規律ある生活を送ろうとする妻アデル。そんな芸術家夫婦が、それぞれが抱えている野心・自尊心・劣等感を取引し合って危うい均衡を取ろうとする、その異様な緊張関係が凄絶だ。

  • ゾラは初めて読んだ。上手いし面白い。「居酒屋」「ナナ」もいつか読みたい。

  • 「オリヴィエ・ベカイユの死」がポーの「早すぎた埋葬」と似ているのは偶然なのだろうが、同時期に西洋では「生きたまま埋葬されるかもしれない」という恐怖が共通認識として広まっていたというのは興味深いことだ。

  • 吉行淳之介の『暗室』にゾラの名が出てきたため読んでみた。

    最後の一編は読んでいない。

  • 一番読み応えのあったのは、「スルディス夫人」次が、「ナンタス」、そして「オリヴィエ・ベカイユの死」「呪われた家ーアンジェリーヌ」「シャーブル氏の貝」

    物語にグイグイひきこんでかれる感じがする。時代性を感じさせないものの不自然さや読みにくさがない、まるで19世紀のフランスにこちらがタイムスリップした感覚にさせられる。違う作品も読んでみたい。

    「オリヴィエ・ベカイユの死」

    普通なら嫉妬にたぎり元の妻。追いかけ回すか、悲観に苛まれもう一度死のうとするかやけど、彼女の愛する人ではなかったと達観し、優しくもなり、名もなきひととしていろんなところへ旅するという、なんと爽やかな終わり方やねん!

  • くっきりとした濃い味のする5短篇。“ある土曜日の朝六時、僕は死んだ。”で始まる「オリヴィエ・ベカイユの死」(1879)。意識はあっても男にはそれを伝える術がないまま葬儀の準備が進められてゆく。耐え難い恐怖を味わった末に、しみじみと達観した心境に至るのがかえって意外。最後の「スルディス夫人」(1880)は心理ホラー風。才能はあるが放蕩がやめられない画家を愛し結婚した妻。妻もまた絵画への情熱を秘めていて、ふたりの立場はじわじわと逆転してゆく。その異様な状況に平然としている妻を想像するとゾッとする。

  • 傑作。どれも面白いが最後の「スルディス夫人」がいい。売れてないが才能ある画家がいて、絵の具屋の娘が目を付ける。彼の美貌と才能に惹かれて遺産を援助し結婚して生活する。話の筋としてはよくある事なんだが、これでもかこれでもかと作者が描写する表現が、惹き付け惹き付け。
    1ヶ月前に同じ作者の文庫を読んで、それを忘れている位に前回は印象に残らなかった。同じタイトル名がありそのことに気付いた。訳者出版社によってここまで印象が変わるとは、言語とは、このように扱いによって大きく変化する繊細な物なんだな。

  • 奇妙だけど、ユーモラスな雰囲気があって取っつきやすい。 這い上がろうとする人間の持つ、恐ろしいような生命力。それに、そこはかとなく漂う物悲しさ。 「スルディス夫人」が良かった。すごかったです。圧倒されました。 「シャブール氏の貝」も好きです。 性的な匂いがムンムンしてて、あまり優雅ではないけど、流れにまかせるように楽しんで読みました。

  • 古典

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