ニコマコス倫理学(上) (光文社古典新訳文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (513ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753221

感想・レビュー・書評

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  • ・アリストテレス先生の倫理学の講義を受けている気分になる。
    ・2300年前の人が書いた講義ノートを読み解くってすごい体験だな。
    ・「幸福とは何なのか」ではなくて、「幸福でいるためには何をするべきか」についての本だった。すごく実践的。
    ・ちょうど良いところを維持して、やるべきことをやる暮らしこそが幸福、っていう内容かなー。
    ・第五巻『正義について』が難しかった...。「不正」とかの用語のニュアンスがよく分からない。
    ・下巻もがんばろ。

  • まず驚いたのは、これが紀元前に書かれた?ものであること。そして、倫理観や人生観について、紀元前も現代も大差がないことを実感した。特に第一巻から第三巻については、人格主義の重要性を唱えるコビー博士の7つの習慣の原型を感じた。
    人生におけるアレテー(徳)の重要性と中間性について、その価値観の洞察がすごいと思った。
    第一巻  幸福とは何か
    第二巻  人柄のアレテーの総論
    第三巻  アレテーの観点からみた行為ので構造、および勇気と節制のでアレテー
    第四巻  いくつかの人柄のアレテーの説明
    第五巻  正義について

  • 昨年末に出たばかりの新訳と知り、興味をひかれ手に取った。翻訳は基本的に新しければ新しいほど良いと思っているが、それにしても本書の訳文は平易な言葉で書かれており、驚くほど読みやすい。訳注も、原語の意味や文脈によるニュアンスの違い、本文での訳し分けなどについて丁寧に解説されており、本文の理解にとても役立つものになっている。

  • なかなか読み進められず、P.106で挫折。
    時間があるとき再挑戦したい。

  • 「善」とは、単なる信条ではなく実際の行為であり、善いことを行為する事こそが善いことである。そしてその行為は、「性向」として、本人がそれを望むがゆえに積極的な態度で行われる必要がある。善きことを「適当な程度」に望む性向が「徳」。例えば、過剰な勇気は蛮勇であり、過少な勇気は臆病であるように。言ってみれば、徳は中庸と呼べる行き方、態度に関わる性向と言えるか。テキトーにやる、のでなく、適当を見極める、なので、非常に能動的かつ精神を働かせる形ではあるが。
    個人的に興味深いのは、キリスト教が支配的になる以前は、こうしたバランスを取る事を良しとする生き方が称賛されていたのだ、ということ。アウレリウスの自省録でも感じたが、どこか禅的というか、万物とバランスを取り、流れの中で時々の姿勢を定めて行くような。
    私の宗教への理解が足りないのだろうが、一つの神を唯ひたすらに信仰し身を捧げるのを良しとする行き方は簡素にして美しいと思うのだが、一直線の生き方であるが故、どこか終わりのない直線を思わせ、どこまで行っても終わりがないような、時として行き過ぎてしまうような不安感を覚える。私を含め多くの人は、それに耐えられない面もあるのではないだろうか。
    時々でバランスを取って生きていく、という方が合っている人も居るかもしれない。ただ、これにしても正しさの指標を常に判断し続ける、という別の苦しみが有るわけだが、少なくとも自分で選び取ったバランスであり正しさであるという自覚は得られるだろう。
    芥川龍之介が、たしか侏儒の言葉でgood senceとは中庸のことであり、これ無しでは何事もなし得ない、といった事を書いていたと思う。日本にも、古くには中庸を追い求めそれを良しとするセンスがあったのだろう。特定の人、特定の体制、特定の思想にすがり過ぎて思考を失うよりは、苦しくても中庸を求める方が尊い、ということか。

  • 紀要資料
    南国図書館

  • NHK100分de名著:5月の名著
    摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99817724

  • これは講義録の底本になっている。簡潔な叙述が延々と続く。もはや理解できない。ので、またいつか読み直す。

  • 幸福とは何か、正義とは何か。
    そんなものは人や立場によって違う。と一蹴されがちである。しかし、本書では、学問的に「幸福」や「正義」「正しい人のあるべき姿」が定義されている。私自身が人間的に未成熟なため、読んでいてピンとこない箇所も多々あり、本書の一部分にしか理解が及んでいないように思われる。しかし、読了後の達成感と、僅かながらも掴めたように感じる本書のエッセンスの有用性に満足できたため、評価を4とした。本書の内容を真に理解するために、引き続き人間性の研鑽を積み、定期的に精読していきたいと思える一冊である。この思いが薄まる前に、下巻まで通読したいと思う。



    【解釈】
    幸福とは徳(アレテー)を基に為される“正しい”行為の“習慣”によってのみもたらされるものである。つまり、一時的ではなく、“常に”正しくなければ幸福を得ることはできない。そして、常に正しくあるための拠り所となる徳を得るためには、普段から正しいと思われる行為の実践を通して、徳の感覚を磨いていくしかない。そして、人柄に関わる徳は、それぞれの特性の中間(中庸)、つまり特性の超過と不足のちょうど中間にあるとされる。しかし、この中間の位置は、必ずしも量的に正確な中間(例えば、超過が10、不足が2とした場合の中間は6)ではない。中間の位置は、その特性や状況によって異なる。このような定義は非常に曖昧で、精確な説明から逃れているようにも思われる。“真に”正しい人は、それまでの正しい行為の積み重ねゆえに、この中間の位置を違うことなく感覚的に実践すらことができる。そして、“ほとんどの場合において”誰もが正しいと感じられる絶対的な正しさは存在するという主張は、初回通読した現時点(2021/10/27)では、心から同意できるわけではない。しかし、幸福や正義なんて文脈によって異なるので、考えるに値しない。と切り捨てるよりは幾分マシなようにも思える。

  • 131-A-1
    文庫(文学以外)

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著者プロフィール

なし

「1997年 『天について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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