- Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334753467
感想・レビュー・書評
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『ナルニア国物語』の第2巻の物語の構成は、ある意味とても素朴かも知れません。
解説でも触れられていますが、物語の基本型である日常から非日常への「行って、帰ってくる物語」であり、悪を乗り越えて、魔女に支配された世界の秩序を取り戻し、子どもたちは人間的に成長する。
おそらくこれ以上無いくらい、物語らしい物語だと思うのです。
そんな素朴な物語に味をつけるのが、登場するキャラクターたちと、作者であるC・S・ルイスの語り口であったりする気がします。
ナルニアの国に最初に迷い込んでしまうルーシーの素直な感じであったり、長男のピーターが勇気を示したりと、子どもたちの活躍もさることながら、ナルニア国ならではのファンタジーの世界の住人たちが、個人的になおのこと好きです。
最初にルーシーと出会い、彼女を助けるフォーンのタムナス。魔女に見つからないよう、子どもたちにしゃべらないように促しつつも、自分の作ったダムが褒められるとうれしがるビーバーの夫。
美味しそうな食事を振る舞うビーバーの夫人は、魔女の追っ手が迫ってきてもマイペースで、魔女に囚われた巨人やライオンは、どこかとぼけている。そして、神秘的であり神々しくもある世界の創造主であるアスラン。
物語は基本的に作者(神)の視点で語られるのですが、その文体が時折、物語を語るのではなく、読者に語りかけてくるようになるのも面白い。
衣装だんすに閉じ込められることを、異様に注意したり、またビーバーが子どもたちにダムを褒められたときの表情については『自分の丹精した庭を案内するときや、自分が書いた物語を読み聞かせるときに人がよく顔にうかべる、あの表情だ』と語りかけ、
子どもたちが哀しみにくれる場面があれば、『この本を読んでくれている諸君がこの夜のスーザンやルーシーほどみじめな気もちを味わった経験がないことを祈っているが――』と語りだし、
『一晩じゅう涙がかれるまで泣きあかした経験があるとしたら――最後にはある種の静謐な時間が訪れることを知っているだろうと思う』と語りかける。
この語りは物語の流れを阻害するものではなく、一種のアクセントになっているように感じます。
後、この『ライオンと魔女と衣装だんす』で驚いたのがサンタクロースが、実際に登場人物として現われ、子どもたちに魔女との戦いのためのプレゼントを渡すところもなかなかのインパクト。
完全なる空想の世界の物語と思いきや、急に子どもの頃から身近だった空想が、突然現われるその意外性が、なんとも印象的です。
物語の型や子どもたちのそれぞれの雰囲気は、児童文学らしく素朴でごまかしがありません。一方で突然作者が語りの中から現われたり、あるいはサンタクロースのような子どもの大好きな空想が、物語の中に現われたりと、どこかごった煮のように感じられるところがあります。それななぜなのか。
自分は、作者のC・S・ルイスが読者として想定していた子どもへ、どうやったら物語と物語の声を届けられるか、考えた結果がこの素朴で、一方でごった煮のような物語と語り口だったのでは無いかと思いました。
物語のところどころでキリスト教を思わせるところがあります。解説によると『ナルニア国物語』は、キリスト教弁証家のルイスが、聖書を子ども向けに書き直したにすぎない、という批判もあるらしいです。そうみると物語がところどころ寓話的なのもうなずけます。
でも、その枠を越えて「固い寓話よりも、サンタも魔女もライオンも巨人も、喋るビーバーも出した方が、おもろいやん」というサービス精神のようなものが、物語に根づき、そして時折顔を出しているように思えてきます。
児童文学らしく真っ直ぐな物語ですが、その分小手先の技術では誤魔化しきれない、作者のC・S・ルイスの読者への思いが確かに乗っかってこその、世界的な名作なのだと思います。 -
ナルニア国物語の2巻目。光文社文庫版では、より原著に忠実に、「衣裳だんす」がタイトルに加えられている。
前作のディゴリーとポリーの冒険から数十年後。ディゴリーは著名な教授になっており、片田舎の広大な屋敷に住んでいた。そこに戦火から疎開して、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーという4人のきょうだいがやってくる。4人で屋敷を探検しているとき、末っ子のルーシーが衣裳だんすを潜り抜けると、その先には冬に閉ざされたナルニアの森が広がっていた…。
ファンタジーには異世界に通じる抜け穴のバリエーションがあるが、衣裳だんすが異世界へつながっていたというアイデアは本当に秀逸。ドラえもんの宇宙開拓史なんかも延長線上にありそうな気がする。私も子どもの頃に、かくれんぼで何度も衣裳だんすに潜り込んだ。子どもは狭いところに潜り込みたいものなのだ。
解説でもキリスト教の影響の色濃さを指摘しているが、それは確かに強く感じる。アスランの復活とキリストの復活の類似性にはなるほどと思う。しかし、それは大人になった今だからの感想なのかもしれない。サンタクロースが登場し、ギリシア神話やケルト神話的なものまで登場するから節操がないともいえる。
以下余談ながら、衣裳だんすのくだりを読むうちに、はるか昔の特撮ヒーローものである「兄弟拳バイクロッサー」を思い出してしまった。小学生の頃の記憶なので曖昧ながら、ナルニアよろしく、衣裳だんすが異世界につながっていて、弟が乗ったバイクを兄が担ぐという斜め上な必殺技を繰り出すヒーローだったような…。図らずも、読書が回想法になってしまった。年だなあ。 -
今読み返すと「復活」の瞬間があまりにも近い気がする。それゆえ「喪失」の後の深い哀しみが薄れてしまう気もする。しかも「喪失」の瞬間に立ち会ったのがスーザンとルーシーのみなのもどうしてだろう。作者は敢えてその瞬間を少年達に見せないようにしたのか?謎は深まる。
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最も有名なライオンと魔女と四人の兄弟姉妹のお話。
映画もよかったけど、やっぱり原作の世界観と情景はすばらしい。
エド奪還やアスラン復活の展開は魅せられるし、何度目を閉じ回想することか。 -
『魔術師のおい』の衣装ダンスから続くお話。
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フランク王の裔は絶えたらしく英国から新たな人材を求めて…展開が早い。が、ビーバー家の昼食は細かく描写。他にも食事はわりとていねいに描写。人間以外の夫婦の描写も全篇でここだけではないか?(リアルでは家族を作るのは人間だけ)性欲のマイナス評価以外の描写は少ない。/「ファンタジー」というのはかっちりと世界を造形してなくてはならないが、子供にこびてサンタクロース出したりしては破綻していないか??タムナスさんの蔵書のタイトルを見てトールキンは「こりゃダメだ」と見放した。もちろん英語だったんだろう(サンタは英米文化)
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老教授のお屋敷に疎開した4人の兄妹姉妹、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーが、大きな古い衣裳だんすを抜けてナルニアの国に迷い込む冒険ファンタジー。この新訳シリーズでは作品をナルニア国の時代順に並べていて、本巻は「魔術師のおい」に続く2巻目となる。C・S・ルイス自身もこの順番で読まれることを希望したそうだが、個人的には、たんすをくぐり抜けて異世界を初めて見る際の驚きや、まだ見ぬアスランの名を聞いた時の畏怖と希望が入り混じる劇的な体験が捨てがたいので、この巻を最初に読むのが好み。善良なフォーンのタムナスさんのコージーな部屋のしつらえや、ビーバー夫妻のごはんの場面のディテールがすごく好き。あと、アスランのもふもふとネコしぐさは物語の筋が頭に入らなくなるので反則。(1950)
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4兄妹たちの意地悪エドマンドが女王に餌付けされてしまう菓子『ターキッシュデライト』。ふむふむ、激甘のゆべし・ボンタンアメ・スアマみたいな食感なのかぁ。岩波の旧訳ではプリンだそうだが、やはりここは原文のが様になると思う。野外移動しながらのこの状況でパクパク摘まむにはプリンじゃないでしょ。余計な気遣いだと感じるのは、現在ではすぐにターキッシュデライトなるものを検索できるからだろうか。
何だかとても懐かしい思いで読みました。
そうそう、サンタさんが出てくるところがすごく嬉しかったのを覚えていますよ。
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何だかとても懐かしい思いで読みました。
そうそう、サンタさんが出てくるところがすごく嬉しかったのを覚えていますよ。
子どもにとってはおもちゃ箱のようなお話ですものね。
私は読んだ本の話を親やきょうだいたちにすぐ話したくなる子どもでした。
母は家事の手を止めて、兄たちは勉強をいったん止めて聞いてくれました。
自分が大人になってみて、なんて辛抱強い家族だったんだと今更にして感謝しています。
今は姪たちが、読んだ本の話を毎月手紙でいっぱい書いて送ってきます。
たぶん兄たちが、「nejidonおばさんなら聞いてくれるよ」と教えたのかもしれません。
先月はこのお話だったのですよ!
まさに世代を超えて愛される名作なんですね。
素敵なご家族に姪御さんですね! コメント読ませていただいただけで、物語好きの自分と...
素敵なご家族に姪御さんですね! コメント読ませていただいただけで、物語好きの自分としては冗談抜きで胸いっぱいになりそうでした。
自分の場合は、高校時代までは本の世界は完全に一人で完結していました。
それはそれで楽しかったとは思いますが、nejidonさんみたいな身内が身近にいたら、またきっと本の楽しみ方は変わっていたと思います。
nejidonさんは『サンタさんが出てくるところがすごく嬉しかったのを覚えています』と書かれていらっしゃいますが、
それを読んで、自分はもう『サンタさん出てきた! すげー!』という素直な感想は持てないんだなあ、とふと思ってしまいました。
それでも、ナルニア国の物語は今さら読み始めた自分も、しっかり迎えてくれているような気がします。
それこそが世代も、そして年齢も超えてしまう名作のゆえんなのかもしれないですね。