三つの物語 (光文社古典新訳文庫 Aフ 10-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753856

感想・レビュー・書評

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  • 光文社古典新訳文庫のフランス文学は、衝撃の『目玉の話』以来。
    3作ともキリスト教にまつわる話。
    「聖ジュリアン伝」は、トルストイの民話のような味わい。
    「ヘロディアス」は、半ばくらいで『サロメの話?』と気付いた。だが、洗礼者ヨハネの首を欲っしたのが、サロメではなく、母親のヘロディアスだった、という設定が、実にさりげなく説明されている点、解説を読むまで気が付かなかった。マルタ島にあるカラヴァッジォの大作『洗礼者聖ヨハネの斬首』を思い出した。

  • 新訳にて再読。昔、読んだのは10数年前だったけど、「素朴なひと」は多分、これ以上の完全な小説は無いのじゃないか、と思った。確かに再読してみても、思った以上に結晶的な凄さを感じた。
    馥郁たる香りがギュッと詰め込まれていて、それをほぐして行くことに何とも言えない快が生まれる。読む、というのが能動的な行為となる。読むことが想像力の領域に深く委ねられるとき、それは無限の広がりを持ったものとなる。この深みには限りが無い。
    宇宙に物を投げると、どこまでも飛んでいくように。

    「素朴なひと」を読んでチェーホフ「可愛い女」を思い浮かべて欲しい。そして、さらに遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」を。どれも知性と教養の欠如が時に聖性を表すことをテーマとしている。
    そして無宗教のチェーホフには救いがないという救い(ヒューマニズム)があり、フローベールにはもろにキリスト教的な救いが待っていて、遠藤周作には何やら大乗的なエッセンスを持ったキリスト教の救いがある。その違いの妙味を味わってみよう。

    「聖ジュリアン伝」はちょっと「エル・トポ」を思い出したり。手塚治虫の絵柄を想像したり。「素朴なひと」もそれはそれで過剰に利他に暴走している人で、「聖ジュリアン」とは鏡像の様になっている。ちょうど「白鯨」と「バートルビー」みたいに。

    「ヘロディアス」は劇っぽい。解説で、やたらそのわかりにくさに触れられているが、事件が舞台裏で起き、読者は暗示を読んで行く、という、所謂チェーホフ劇の手法の先駆け。
    臨場感があって、歴史的な事件も、歴史として大層なものになる前は、やっぱり物事は卑小な人間同士がただ我々と同じく蠢いているのだ、というところ。
    チェーホフ劇と同じく、愚かな人間が右往左往するドタバタなんですね。愚かであればあるほど、良い。そして最後にテーマがぐんと、しかも暗示的に現れる。その対比が凄い。

    そのテーマは3作共に、同じもの。
    つまり利他。ひと粒の麦。キリストって人は、利他を体現し、教えた人、そしてそれがなければ、どうやら人間はずっと愚かで、あまり価値の無い生き物だ、ということ。

    小説の神による傑作。とても読み切れるものではない。それが贅沢で、素晴らしい。
    訳も解説も素晴らしい。しっかり読まないと申し訳ないなあ。

    *「素朴なひと」にある利他は腰椎3番の捻れと深く関係している、そして「聖ジュリアン伝」は捻じれる向きが「素朴なひと」と逆である、そして利他も実は欲の発散の表れの一形態である、という事を知りたければ野口晴哉「体癖」を読んでみよう。(そういや、利他と利尿も結構関係している・笑)

  • 19世紀の作家ということで、いくら面白くてもある程度は古めかしいのだろうと想像していたけれど、取り越し苦労だった。新訳のおかげだろうか、鮮やかな映像が頭に浮かぶ、没頭できる短篇集。『ボヴァリー夫人』と『感情教育』が未読なのがうれしくなってしまった。

    「素朴なひと」:なぜ無償の愛はよいものとして描かれるのか、本当は無償じゃないんじゃないの、とモヤモヤしたがそれは21世紀東京人の考えなのかもしれない。または、多くの人が、赤ん坊のように無償の愛を注がれたいし、雑念なく誰かに無償の愛を注ぎたいのかもしれない。
    「聖ジュリアン伝」:フローベールの生地の大聖堂のステンドグラスから生まれた短編。聖人伝なのでストーリーは型どおりなところがあるけれど、若きジュリアンの残酷、狩りのスピード、予言する動物の聖性、とにかく鮮やかで幻想的。絵本で読みたい。
    「ヘロディアス」:大昔のイスラエルの群像劇。みんなキャラが立っている。洗礼者ヨハネは「これは始末したくなるわ」と思わざるを得ない狂犬らしさがあるし、ヘロディアスの亭主は優柔不断だし、サロメは愛らしく男を狂わせる。なかでも、ヘロディアスがずるくて残虐でよい。血筋のことで亭主を罵倒するのはどうかと思うが、それすらも、よくもまあすいすいそういうこと言えるね、と感嘆してしまった。目の前に2000年前の異国の人々が立ち上がってくる、フローベールの筆力が素晴らしい。

  • タイトル通り三つの物語がおさめられた短編集。共通点は「宗教」かしら。

    まず「素朴なひと」は、純朴な召使いフェリシテの一生。初恋相手に裏切られ郷里を去り、オーバン夫人というあまり感じのよくない未亡人に半世紀仕え、その家の二人の子供を我が子のように愛し、甥っ子のことも溺愛、結果でいうと彼女の愛情はほぼ一方通行で報われことは滅多にない。でも彼女は「愛する」ことが幸福なのであり、見返りは求めていないのだろう。最後には鸚鵡を溺愛し、その鸚鵡の羽が精霊の翼になぞらえられる。読むとフェリシテを大好きになるけれど、しかし素朴で愚直な彼女のありかたを一つの理想と称えるのはそれはそれで現代人の高慢のような気もする。

    「聖ジュリアン伝」は一転してキリスト教の聖人ジュリアンの伝説となり、おとぎばなし的な世界観。予言により将来を約束されていたかに思われたジュリアンは、裕福な家に生まれ両親に大切に育てられるも、狩りで動物を殺すことにこの上ない歓びを見出す残忍な子に育つ。ある日仔鹿と母鹿を殺したあと、父鹿を射たところその大鹿に不吉な予言をされる。以来、自分の狩りへの欲望を戒め真っ当に生きる努力をし成功、美しい妻も得るが、またしても狩りへの欲望が抑えられず・・・。

    死にかけて痙攣している鳩の首を絞めて恍惚となるなど、ジュリアンは明らかに「狩り」ではなく「殺し」が目的のサイコパスなのだけど、それは間違っているという自覚はありその狭間で苦悶する。大鹿の呪いが実現し、今度こそ何も殺めず無償の献身を行って最終的に聖人となるわけだが、なんとも壮絶。フローベールは、淡々とジュリアンのしたことだけを述べていく感じで過剰な感情は込められていないので、ゆえにとても「伝記」っぽい。そしてなぜか耽美だ。

    最後の「ヘロディアス」は、時代背景や設定がとても複雑なのだけど、とりあえず名前だけで「サロメのママね」とわかっていたので、大よその筋は理解できた。解説を読むと、逆に一般的な「サロメ」の物語では書かれていない背景が補足されていて勉強になりました。サロメは、ちらちら出てくるのだけど、名前が明かされるのは終盤で一度だけ。

    フローベールは一番有名なのは『ボヴァリー夫人』だけれど、個人的には『聖アントワヌの誘惑』が好きで、最近読んだ『サランボー』といい、意外と歴史大作、歴史モチーフの物語のほうが得意だったのかもと思いました。

  • 粋な心(素朴な人)、フラナリーオコナーの話にありそうだなと思った。主人公が言ってしまえば愚かな人間なのだけれど、それを見守る作者の視点が優しい、彼女の人生に起こることは辛いことばかりだけど、彼女がまっすぐになにかを信じて生きている姿がキリスト教的に美しかった。
    聖ジュリヤン伝、めちゃくちゃおもしろい。神話やおとぎ話のような運命的な話。いろんな動物が出てくる。

  • 「素朴なひと」が美しい。

  • 「素朴なひと」「聖ジュリアン伝」フローベールはこれらを書いている時つらくなかったんだろうか。

    キリスト教に基づく思想は、自分には感覚的な理解が難しいので、その生の孤独と残酷さが読んでいてひたすらつらかった。けれどフェリシテの鸚鵡は、私のそんな気持ちをも救い上げてくれた気がします。

    「ヘロディアス」はサスペンスフルで劇的な感じ。サロメの激しく妖艶な舞いに目を奪われる。蛇のごとき周到なヘロディアス恐るべし。力持ちのバビロニア人とか物語的におもしろい人物が多い。

  • いずれも端麗で細緻な文体でありながら、3つそれぞれが違う雰囲気:
    「素朴なひと」は淡い色合いの水彩で描いた風景画、青く広い空と小さな家の周りの木立…。
    「聖ジュリアン伝」は重厚で暗く濃い色のタペストリー、緑の色合いが鬱蒼とした感じの。もとはステンドグラスに発想を得たみたいだけど。
    「ヘロディアス」はギュスターヴモローの絵のような細密画(サロメの題材に引きずられて…)だけど、もっと金色やパキッとした色合いの。

  • 素朴なひと これは一生物の小説。星10個付けたい位好きな作品。

  • 「素朴なひと」ジョルジュサンドに「冷徹」と思われていて「あたしだってやるのよ」ということを見せつけるために書いた作品。ある女性の一生。カナダの映画監督アトムエゴヤンの作品を思い出した。「聖ジュリアン伝」フローベールの生地ルーアン大聖堂の34枚のステンドグラスに描かれた彼の一生。「ヘロディアス」エルサレムの地にてキリストがいた頃の話。どれも良かった。久々に本と仲良く解り合えた感覚だった。訳がいいんだと思う。この訳者は読む人の気持ちがよくわかっている人なんだと思うが、作者の言葉選びの素晴らしさに惚れた。

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