- Amazon.co.jp ・本 (152ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334753863
感想・レビュー・書評
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【読もうと思った理由】
個人的に好きでよく見ている養老孟司氏が、自身のYouTubeチャンネルで語っていた。「僕が日本の古典で一番好きなのは、方丈記である。なぜなら方丈記の中には、人生で直面する災厄が全て語られている。また現代人が忘れかけている、花鳥風月の大切さにも気づかせてくれる」と仰っていた。
日本三大随筆にの一つにも数えられている「方丈記」を恥ずかしながら最後まで読んだことが無かったため、この機会に読もうと思った。
【鴨長明とは?】
下鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継の子として生まれる。歌人として活躍し、後鳥羽院による和歌所設置に伴い、寄人(よりうど)に選ばれる。琵琶の名手でもあった。1204年(50歳)、和歌所から出奔し出家遁世する(法名は蓮胤)。『新古今和歌集』に10首入集。歌論書に『無名抄』、説話集に『発心集』がある。方丈記の成立は58歳ごろと考えられる。
・禰宜とは…神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
・寄人とは…「和歌所(わかどころ)」の職員。和歌の選定に当たる。
【あらすじ、概略】
鎌倉時代前期の1212年に鴨長明によって書かれた随筆。『枕草子』『徒然草』と並んで三台随筆のひとつと言われている。前半は鴨長明が体験したさまざまな天変地異を記している。冒頭で「人の世は水の泡のようにはかなく変化してやまない」としてあるが、当時は安元の大火、治承の辻風(竜巻)、治承の遷都、養和の飢饉、元暦の地震が連続して起こっており、これらを具体例としてあげている。後半は、世の無常を痛感した鴨長明は、出家し、日野山に「方丈の庵(約3メートル四方)」を建て、そこで残された生涯を送ることを決意する。心をわずらわすこともない静かな生活。しかし、それに徹しきれない自己を発見することになる。
【感想及び気づき】
本書の前半部分で語られている五大災厄とは、1177年(安元三年)の大火、
1180年(治承四年)の竜巻、
同年の福原(現在の神戸市)遷都、
1181年(養和元年)から
1182年(寿永元年)へと続いた飢饉と疫病、
1185年(元暦二年)の大地震である。
こうして西暦年で見ると、10年以内の間に5大災厄全てが起こっている。
現代のここ20〜30年ぐらいとよく似ている。
1995年…阪神・淡路大震災。
2001年…アメリカで同時多発テロ。
2011年…東日本大震災。
2020年…コロナショック。
2022年…ロシアのウクライナ侵攻。
現在も、方丈記が書かれた800年前も、自分一人の力などでは、到底敵わない事ばかりが身の回りに起こっているのがよく分かる。
鴨長明が若い時に体験した災厄、つまり大火、竜巻、遷都、飢饉、地震、それぞれについての記述には、人の住居がいかに脆く、儚いものであるかがさまざまな描写を通して語られている。特にひどかったのが養和元年から2年に渡って続いた飢饉→疫病まで流行したときには、2ヶ月の餓死者を調べたところ43,200名程だったという。
いつ無くなってしまうか分からない住居に、長明はお金や時間は掛けなくなっていく。最終的に行き着いた住居(方丈の庵)について、一辺が一丈(約3m)の四角形の空間しかない。現在で言うところの、段ボールハウスということも言えると思う。そう、究極のミニマリストだ。タイトルにもなっている方丈記とは、自身の住居のことを指している。
また養老孟司氏が大切にするべきと言っていた、花鳥風月についての記述はこう書いてある。
「もし夜静かなら、窓の月を眺めてすでに亡くなった昔の友を思い出し、あたりに響く猿の声を聞いて涙する。そして、草むらの蛍を、遠くの槇の島の篝火と見間違えたり、明け方の雨の音が、木の葉に吹く風だと思ったりもする。山鳥がほろほろと鳴くのを聞いて、あれは父が母かと思ったり、峰の鹿が慣れて近寄ってくることなどもあって、いかに世間から離れた暮らしかを知る。梟の声がすればしみじみと聞き入り、山中の風光をそのときどきで味わう。」とある。
養老氏が度々自然や花鳥風月を、普段の生活の中で感じるようにと言われてから、公園で鳥の囀りを聴くと、かなり心が落ち着いていることに気づけたのは、今回の読書から得た、良い気づきだった。
「世間から遠ざかって山林に分け入る暮らしを選んだのは、仏教修行のためだった」と書かれている。なのに「都に出かけることがあって、そんな時は自分が落ちぶれたと恥じたりしてしまうこともある」と。
迷いがあるところや、葛藤しているところを隠さず、人間臭さを出しているところが、この本が800年も読み続けられている一番の理由だと感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
方丈記の
ゆく河の流れは絶えずして〜
の文章が好きで、手帳にも書いている。
有名なところのみ。
全部読んでみると方丈記って長いんだなという事を知った。
鴨長明は自然を愛して、自分の気の向くままに、一人だけの小さな草庵で暮していたようだ。
今からずっと昔の鎌倉時代の人でさえ、現代人と何ら変わりなく、お金持ちを見ると惨めな気持ちになったり、ボロを着ていると恥ずかしいと思う。
そんな気持ちになるくらいなら、町から離れて一人きりで暮らす。そうすれば天気や四季の移ろいや自分の食べるものなど、それだけに気を配っていれば良いと言う事になる。
自分はそんな生活は現実的にはできないけれど、心の中では鴨長明イズムを持って伸びやかにいきたいなと思った。
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昔、教科書で読んだような記憶がある程度
もっと読み返して、自分のものにしようと思います -
三大随筆の一つ『方丈記』。読むまで知らなかったのだが、全体の分量がとても少なく、400字の原稿用紙20枚程度の文章しかないのはあまり知られていないのではないだろうか。
前半は五大災厄について、後半は方丈の庵について記されている。どちらも精緻な描写で読む者の前に現れてくる。
人生の節目に読むと見えてくるものが変わるのが古典なので、また、時間を空けて読み直したい。 -
「運のない人生だった」と振り返りながら、「でも!今満ち足りてるから!都であくせくするのいやだから!」と書かずにはいられない鴨長明にしみじみ共感してしまった。解説によると、衝動的でここぞというときに踏ん張れないところがあるひとだったらしい。でも、わかるよ、嫌なものは嫌だし、生理的に無理なんだよね。
多くの人が、不完全な人生と折り合いをつけられるポイントを探しながら後半戦を戦うのだろう。だから『方丈記』は古典として生き残ったのだと思う。鴨長明の「世間に未練はあるけど独りでそれなりに過ごしてます」のさじ加減はチャーミングだし、そんなに枯れなくてもこれくらいでいいんだ、と思える安心感をくれる。なんだかいろいろ嫌になっちゃったな、という夜に読むといいと思う。 -
ゆく河の流れは絶えずして、で有名な方丈記。
目まぐるしく移り変わる社会で生きる現代人にこそ、共感しやすい内容だと思う。 -
ピアノと本と聖書だけで、他のものを一切持たず、山の中に籠る生活、すごく精神的にいいというのはわからなくもないけど、今の自分にとっては、あまり現実的じゃない。
設計図を描くちょっと変わった男の話も面白かった。鴨さんからすれば、つまらない妄想なんてせずに、天国の宮殿を望むような生き方をした方がよっぽどいいらしい。 -
この世の儚さと、そんな状況での幸せな生き方についての思いを親しみを込めて綴られる、800年前に書かれた歌人のエッセイ。短すぎる本編に驚く。
物に拘った生活に対し、最低限の衣食住環境で自然との触れ合いを喜びとして楽しく生きることの満足を語っていて、断捨離やミニマリスト、ノマド生活者の共感を得るのではないだろうか。
どんなに大きな屋敷を作っても自分が起住する場所はせいぜい5畳程度だし、災害で儚く消失することを思えば、簡単に移動できるよう身辺のものを厳選し、月や自然に親しむ、無料で得ることのできる趣味を持つ、といった物との決別。
不必要な労働で得た財産を守るために心身をすり減らすことをやめ、心穏やかで且つ豊かな人生に憧れを覚える。 -
今年開催する、読書会のテーマ本として選出しました。
何に一番驚いたかと言えば、その短さ。
私が関心を寄せている光文社古典新訳文庫で読むと、本文は50ページしかありません。
この読みやすさをもっとアピールすれば、読書家の入り口に立つ若者にもっと刺さりそうなものなのに。
今だったら、SNSを駆使したミニマリストアカウントからの発信に形を変えるに違いありません。
『京都でのごちゃごちゃしたエリートコースをやめて、田舎でミニマリストになったKAMOの生き様!』
といった風です。そのくらいカジュアルに読める作品でした。
あと、知らなかったことがあります。
事前知識では彼のミニマルなライフスタイルの描写に焦点が当てられていましたが、本文の半分ほどは、当時の災害について語られていたこと。
大火事や地震、竜巻といった当時のたくさんの命を奪った出来事に詳しく触れています。
なぜ彼が住まいや仕事を捨て、移動住居に独り住むことになったのか。彼が人生を通じて気付いた価値観、その一因を垣間見る事ができました。
追記
時代も場所も全く変わりますが、次のような本との繋がりを感じます。また読み返してみようかな。
セネカ 人生の短さについて
ソロー 森の生活
佐々木典士 ぼくたちに、もうモノは必要ない