リアル・シンデレラ (光文社文庫 ひ 18-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334764296

作品紹介・あらすじ

童話「シンデレラ」について調べていたのを機にライターの〈私〉は、長野県諏訪市に生れ育った倉島泉について、親族や友人に取材をしてゆくことになる。両親に溺愛される妹の陰で理不尽なほどの扱いを受けていた少女時代、地元名家の御曹司との縁談、等々。取材するうち、リッチで幸せとは何かを、〈私〉が問われるようになるドキュメンタリータッチのファンタジー。

感想・レビュー・書評

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  • なんとなく、装丁からしても、おどろおどろしい内容を想像していて最初読むのをためらったんだけど、まーーーーったくそんなことはなく、すがすがしいほどで、ものすごくおもしろく、感動した。
    大好きだ!! わたしのオールタイムベスト10に入る!!
    いつまでもいつまでも読んでいたい感じ。

    「ハルカ・エイティ」にも似ている感じがした。
    ひらたく大きく言っちゃうと、女性の生き方、みたいな感じなんだけど。
    ああ、主人公泉(せん)ちゃんみたいになれるわけはないけどなりたい、こういうふうに生きられたらいいのに、と思った。いや、でも、その信じられないほどの無垢さのせいで人に恐れられるっていうのはちょっと困るかもしれないけど。

    人生、すごく小さな楽しさの積み重ねがあればそれでいい。
    なんだか、人生でさまざまな経験をしなきゃだめ、貪欲に生きなきゃだめ、もったいない、みたいなふうに考えてしまうけど、そうじゃなくてもいいんだ、と思えて。あと、人に必要されることや愛されることを求めなくてもいいんだ、とも思えて、励まされるような。
    んー、でも、泉は結局は、人々に愛されたと思うけれど……。

    最後、なぜ泉は姿を消してしたんだろう。あのままあの場所で一生を送ることはできなかったの? っていう疑問が、読後すぐの今はあるのだけれど。
    でも、なにか悲しい結末になるのをすごくすごく恐れながら読んでいたので、あとがきの泉からのハガキは本当に本当に飾っておきたいくらいうれしかった。

    ああ、諏訪湖に行ってみたくなった。あと、アート・ガーファンクル「ひとりぼっちのメリー」もききたい。

    あとがきに、タイトルや帯で既成概念のようなものを持ってほしくない、みたいなことが書いてあったけど、だからあの装丁なのかなー? 

    姫野カオルコの作品、ほかにも読むべきなんだろーか。濃い恋愛モノは苦手なんだけど……。

    • niwatokoさん
      >nyancomaruさん
      そうですよね、買いづらいし、カバーなしで読みにくいし、その辺においておくのもちょっとためらいます。この装丁のお...
      >nyancomaruさん
      そうですよね、買いづらいし、カバーなしで読みにくいし、その辺においておくのもちょっとためらいます。この装丁のおかげと、シンデレラ、っていうイメージで、読む前は暗くておどろおどろしいイジメみたいな話なのかなーと思ってしまい、なかなか読みはじめられませんでした。中身は、まったく違ってすがすがしいさわやかなお話なのに。表紙で買うか買わないかと決める人もいると思うので、損してると思うんですが。
      2012/07/02
    • niwatokoさん
      あ、有名な絵画なのですね、無知で知りませんでした。それでも……うーん。
      あ、有名な絵画なのですね、無知で知りませんでした。それでも……うーん。
      2012/07/02
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「すがすがしいさわやかなお話なのに」
      そうなんですか、、、装丁を手掛けられた方の真意は何だったんでしょうね?
      「有名な絵画なのですね」
      はい...
      「すがすがしいさわやかなお話なのに」
      そうなんですか、、、装丁を手掛けられた方の真意は何だったんでしょうね?
      「有名な絵画なのですね」
      はい、ベルギーの画家で。夢の中の情景のような不思議な絵を描かれます。
      2012/07/05
  • うーん、不思議な物語でした。
    俗に言うシンデレラストーリーではありません。

    取材と物語がランダムに繋がる構成や、時代背景(主に70年代)のわりに、戦後すぐのあたりを思わせる雰囲気。主人公泉のとる行動。色んなことに違和感ありありだったのですが…

    女性の、人間の幸福って、一般的に考えられるものばかりではなく、その人の心の中にあるんだよね…と改めて感じました。
    最後の頁で、お昼休みに泣きそうになりました。

  • 姫野カオルコさんの本はどの本も大好きですが、この本は、ちょっといつもの姫野カオルコさんの作品とはちょっと違う感じがしました。
    主人公・泉さんの個性的なところは姫野さんって感じなのですが、お話自体が、おお、、、こういう終わり方のお話もアリなのか、姫野さん!!っていう感じでした。
    編集者が取材していくというスタイルで、いろんな切り口から泉さんのことが語られていて、、、そして切なかったです。
    確かに、シンデレラの話って、自分のことをコケにしてきた意地悪な継母とその娘達への復讐に満ちていて、本当にそんな嫌な奴がシンデレラ?という考え方もあるのかもしれません。私はそこまで考えたこともなかったので、それも新鮮に思いました。
    逆に、なんだかそういう性格の悪いシンデレラに対してスッキリする、という気分だったように思います。
    この小説が書かれたきっかけっぽく始まっているところもまたよかったです。
    とてもオススメです!

  • 童話「シンデレラ」について調べていた編集プロダクションのライターが、「シンデレラは幸せになったのか」と疑問を持つことに端を発する物語です。

    この疑問に意気投合したプロダクションの社長から、知り合いの女性「倉島泉」を紹介され、取材を始めます。
    「幸せになったシンデレラ」とは、本当はこのような人の事を言うのではないか。
    物語は、倉島泉の半生を描いています。

    諏訪湖のほとりの料理屋兼温泉宿(現代風に言えばオーベルジュ)の<たから>に昭和二十五年に生まれた女の子が倉島泉(くらしません)=本書の主人公です。

    さて、倉島泉は、シンデレラになれたのでしょうか。
    読み終えた直後にぼくは、考えました。
    「倉島泉は幸せだったのか。」「幸せになったシンデレラと言って良いのか。」と考えました。

    先ずは、このように、しみじみと考えるところが、本書の味わいだと思います。

    以下は、徐々に内容に踏み込みます。

    何故、読後にしみじみと考えたか、と言うと、僕が今まで漠然と考えていた幸せ=生活に困らない収入があり、結婚をして、子どもを設け、とりたてて裕福でなくても良いから、子どもが健康に育っている状態など=を基準にすると、倉島泉が幸せを得たとは考えられなかったからです。
    倉島泉が幸せだったとすれば、彼女の幸せは、僕が今まで考えていたタイプの幸せとは、異なるタイプの幸せであるはずです。
    それは、どのような幸せなのか。

    これに結論を出す前に、僕は「彼女は幸せだったはずだ。」と前提を置いています。
    それは、著者の作品を読破しているヘビーな姫野ファンだから、と言うのもあるのですが、著者の作品を好む理由=よく知らない人を、思いこみで哀れんだり、非難したりするのは迷惑だ。と言う僕の性質に馴染む理由からです。

    例えば職場の昼休み、節電のために照明が落とされた事務所で、食後のおじさん二人が世間話をしていたと思ってください。
    「今の若者は、車に興味が無いんだってさ。」
    「俺たちの時には、学生時代にアルバイトをして、食費を削っても車を手に入れたもんだよな。」
    「俺は、割りのいいバイトにありつけなかったから、就職してから、せっせと頭金を貯めて、ローンで4WDのクーペを買ったよ。」
    「今は不景気だから、若者は車を買う夢が見られないのかね。」
    「そうだな。俺たちは、なんだかんだ言っても、バブル景気を経験しているからな。」
    「今の若者はそう言う意味ではかわいそうだよな。」
    昼休みに聞こえてきそうな例を考えました。

    車に興味のない若者は、かわいそうか。
    景気さえ良ければ、今の若者でも車に興味を持つのか。
    あえて、「それは違うよ。」と言うほどの事でも無いと思いますが、僕はこのように、自分と価値観が違う人たちに対して、思いこみで哀れみを持つ人に違和感を覚えます。

    ですから、本書を読み終わった瞬間に、僕が漠然と考えていたタイプの幸せをつかんでいないと言う理由で、倉島泉を不幸だった。かわいそうだった。と結論づけるワケにはいかなかったのです。

    また、著者のエッセイで印象深い、良寛(1758~1831:曹洞宗の僧侶)と貞心尼の交流の考察に、類希な説得力を感じたからです。出所:「ほんとに「いい」と思ってる?」(2002/9/25角川文庫 第一章 ブランドの烙印/ハーブティーが好きな人が「いいな」と思うような関係)

    恋愛を含めて、幸福感と言うものは、僕が知り得ているものだけでは無い。
    それでは、倉島泉の幸福とは、どのようなものだったのだろうか。
    それを考えました。

    以下は、本書の核心部分について、僕の答えを述べます。

    本書を読み終えたころに、タイミングよくTV番組の解説で、カント(イマヌエル・カント Immanuel Kant 普1724~1804)の言う道徳的価値を持つ自由な行動を知りました。
    「これだ。」と思いました。

    倉島泉の幸福は、イマヌエル・カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感なのではないでしょうか。

    お金で買える幸福感は、欲望を満たすものであり、満たされた欲望は、自分の自由意志で得たものでは無く、逆に欲望の奴隷として行動した結果です。
    自分の家族を得て、子どもが順調に育つのを見守ることからも幸福感が得られますが、その幸福感は、どんな生物にも共通の本能的な欲望に従っているものだと思います。

    一方、倉島泉が得た幸せは、自分で願った行動規範に従った結果(物語では貂に願った三つの願いから)得られる幸福感であり、これは、つまり、カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感だと思います。
    それは、人間だけが持つ理性による幸福感であり、
    好景気の折りに、金で買ったものから得られる幸福や、
    不景気でも家族と一緒にいられる幸福とは別の次元のものです。

    現在の日本は、残念ながら不景気です。
    そして、周囲の国では、戦争が起こりそうな不安があります。

    でも、それらとは全く無関係に、僕たちは、幸せになる事が出来る。
    リアル・シンデレラ=倉島泉の一生から、僕はその真実を学んだように思いました。

    ところで、僕は、努力しても倉島泉のように生きることは出来そうもありません。
    それほど、彼女は善人を通り越して聖人のように見えるほどですが、
    彼女が得た幸福のように、景気が良くても、悪くても、健康でいても、病んでいても、
    幸せになる事は出来るのだ。

    この小説から学んだ事は、僕にも幸福感をもたらしたように思います。
    幸せは、自分の中にありました。

    • みつきさん
      Daniel Yangさんのレビューを読んで、姫野カオルコさんの著作をもっと読んでみようと思いました。ありがとうございます!
      Daniel Yangさんのレビューを読んで、姫野カオルコさんの著作をもっと読んでみようと思いました。ありがとうございます!
      2015/10/22
    • Daniel Yangさん
      みつきさん、コメントありがとうございます。姫野カオルコのコアなファンとして、面目躍如ですな。
      先日「リアル・シンデレラ」を再読しました。貂...
      みつきさん、コメントありがとうございます。姫野カオルコのコアなファンとして、面目躍如ですな。
      先日「リアル・シンデレラ」を再読しました。貂に似た人が幼い倉島泉に述べた「人の生きる意味」は、姫野カオルコから読者への祝福である、と感激し直したところです。姫野カオルコの読者で良かった、と再認識しました。
      バラエティー豊かな作品が豊富にありますので、ごゆるりとどうぞ。直木賞受賞作「昭和の犬」+候補四作「リアル・シンデレラ」の他「ハルカ・エイティ」「ツ、イ、ラ、ク」「受難」の順にお勧めです。
      2015/11/05
  • この小説の主人公、泉はタイトルの『シンデレラ』のように華やかではなく、笑っても人に気づかれない、自分の幸せよりも他人の幸せを願うような女性である。物語の流れは、泉を中心に、というわけではなく、泉の身の回りにいた人物たちに筆者がレポートして、そのレポート内容を小説にしている。
    ただ、ところどころに散りばめられている泉の描写を繋ぎ合わせると、実は何ともいえぬ色気があったのではと思われる。

  • 表紙がデルヴォーだったので装丁買い。なので、姫野カオルコ自体は初めて読みました。どうも現代女性の生々しい恋愛ものばかり書く人に違いないという先入観があって、今まで手に取ったことすらなかったのですが、偏見でした、ごめんなさい。これはとても面白かったです。

    編集プロダクションで働くライターの女性が、無名の一般女性について取材してゆくというドキュメンタリータッチの構成になっているのですが、この取材の対象であるところの泉(せん)さんという女性が非常に魅力的。可愛い賢いとチヤホヤされるばかりの妹と較べられ、傍目にはあまり幸福とは言いがたい少女期を送ったにも関わらず、卑屈なところがなく、謙虚で奥ゆかしい。

    しかし無論そんな彼女の魅力を万人が理解してくれるわけはなく、作中の「筆者」が取材してゆく過程では、彼女について否定的な意見もあれば、好意的な意見もある。面白かったのは外見に関してでさえ、人によって意見が分かれるところで、地元では美少女としてチヤホヤされていた妹が、都会なれした人から見ればさほどでもなく、個性的な姉の泉さんのほうが魅力的で美人だといわれたりする。彼女が果たして幸福であったか否かもふくめ、証言者たちの主観によって薮の中みたいになっちゃうところは面白かったです。個人的には、彼女のような、足るを知る生き方ができればさぞや幸福だろうなと思いましたが。

    残念だったのは、こうなってくるとむしろ表紙の装丁かなあ(苦笑)。私自身は表紙に引かれて手に取ったわけですが、デルヴォーを知らない人にとっては、たんなる過激な全裸女性(※ヘア部分はギリギリ帯で隠れてる・笑)ですよね。加えて、このいかにも現代女性のリアル恋愛がテーマですみたいなタイトルと、キャリアを知らなければギャルのカリスマっぽい作者名(悪意はないですごめんなさい)。もしかしてこの作品は、タイトルで損をしているんじゃないかと思います。作者がタイトルに込めた意味はわからなくはないんだけど、序盤で「筆者」に、なぜシンデレラが幸福な女性の象徴みたいに語られるのかわからない、みたいな否定的なことを言わせておきながら、タイトルにシンデレラを持ってくるのは矛盾してる気がするし。どちらかというと内容的には『赤朽葉家の伝説』とか好きな人に受けそうな物語だったので、タイトルがそこからかけ離れているのは勿体無い気がしました。

  • この表紙はどうよと思うけど、皆さんのレビューも良かったし、何より久し振りの姫野カオルコなんで購入。
    背表紙にある短い紹介文を見て、普通に読めば、主人公・倉島泉の不遇の中にも満ち足りて生きる様に目が行って、『さびしさに対する鈍感さは、斬っても殴っても倒れない強靭さに映る』という表現に唸り、終章、彼女がある人にしたお願いの3つ目を知ると、それはもう何と言ったら良いのか、その清らかさの極みに深く感じ入る。
    それだけでも十分なのだけど、このお話が単なる聖女の物語に終わらないのは、泉について語る人々の生き様の対照的な生臭さがお話に膨らみを持たせるから。
    そこに描かれる様々な男と女の所業、深芳と潤一の結ばれ方、登代と戸谷の関係の持ち方、奈美と亨の堕ちていき方、滝沢や小口の泉に対する仄かなたじろぎ方など、昭和後期の日本の地方都市における田舎社会と人間関係の中にあった人の生き様を描いて生々しく、「ツ、イ、ラ、ク」をも思い起こさせる痛さやホロ苦さがしみじみ沁みる。

  • 一読後、胸の中に美しく青い星空が広がるような気がしました。そして、その星々を映すこれまた美しい湖。湖に浮かぶ一艘の小舟。小舟の中には………

    倉島泉(せん)というリアル・シンデレラのお話です。泉ちゃんは、ちゃんと両親揃っていて、可愛い妹もいて、傍目には何不自由なく暮らしています。けど、母親は今でいう毒親で、その暮らしは童話のシンデレラ同様、辛いものでした。傍目にわかりにくいだけ、シンデレラより悲惨だったのかも、です。

    毒親の心ない言葉に、もう死んでしまいたい、自分なんていない方がいいんだ、と思いつめていた泉ちゃん。十二の冬、そんな泉ちゃんに魔法使いがやってきます。
       「死はすぐそこにあるゆえ、あわて死にするべからず」
       「生きてるあいだは生きてるあいだをたのしく過ごすざんす」
       「あなた、あなたの靴で生きてるあいだ歩きなさい」
        さらば、あさにけにかたときさらず。

    魔法使いは3つのお願いを叶えてくれると言いました。泉ちゃんの願ったねがいは
        1、妹が丈夫になりますように
        2、大きくなったら、お父さんとお母さんと離れて暮らせますように
    3つめのお願いは、物語の最後まで明かされません。

    傍目には、毒親に虐げられ、可愛い妹の引き立て役で、実家の旅館を再建した功労者なのに掃除婦、雑役婦のように見られ、何もいいことのない、不幸な女にしか見えない泉ちゃん。でも、彼女は実に賢く美しい、本物の姫で、自らの王国をきっちり繁栄させました。自分の靴で自分の人生を歩いた。誰も必要とせずに。   

    泉ちゃんの願った3つ目のお願いは
        3、自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、
         自分もうれしくなれるようにしてください

    うん、羨んだり妬んだりをパワーにするのもアリだけど。他人の幸せも自分の幸せ、幸せが2倍。すごく豊かだよね。

    泉ちゃんは途方もなく幸せなのでした。そして、馬車に乗って消えてしまう。
    けれど永遠に、人々の記憶に存在し続けるのです。

  • 作者がTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』をよく聴いていて、番組アシスタントの中澤有美子さんをモデルにして書いた小説とのこと。私も中澤さんが大好きなので読んでみました。
    『リアル・シンデレラ』というタイトルから受ける印象とはかなり違っていましたが、文庫版あとがきで作者もそのことについて書いていました。「リアル」や「シンデレラ」に持たせた意味の認識の違いが大きかったみたいだと。明治大正昭和をまたぐ女性の一代記などでは全くないと。気になる方は、まずはあとがきから読んでみてください。
    その上で、幸せな人生とはどんなものか、自分はどんなふうに生きて、どんなふうに幸せになりたいかを考えさせられる小説でした。

    幸せとは何かと問われたら、自分が心地よくいられることだと答える人は多いと思います。私もそうです。
    そうではない幸せの形が、この小説の中にあります。

    こんな人生を歩んだ人のモデルになった中澤有美子さん、ラジオで声を聞いたことしかありませんが、とても素敵な女性です。ラジオもぜひ聴いてみてほしいです。

  • 人って、誰でも『煩悩』というものがあるんですよね。

    大晦日に除夜の鐘を鳴らし、その年の罪を悔い改め、心清らかに新しい年を迎える。ってやつですね。煩悩。

    憎しみとか怒りとか、愚かさとか疑いとか。欺まん傲慢、嫉妬妬み。って、もう言い出したらきりがないほど、人間の心って、欲望に満ちてるんですって。

    って人事みたいに言ってるけど、私も実際、煩悩だらけです。もう、欲望のかたまり。みたいな。

    だけど、この物語の主人公・泉(せん)は、すごく綺麗な心を持ってるんです。

    人を憎んだりしないし、羨んだりしないし、自分自身に驕ることもないし。
    『煩悩』というものを、ほんとに持ってないような人。なのです。

    だけど、でも、それが泉ちゃんの本当の本当の気持ち。かと言えば、きっとそうではないんだろうな。

    子供の頃、一つ違いの妹と比較されたり、いろんなことを我慢させられたりしていたこと。
    妹ばかりを露骨に可愛がる親の態度や言動など。

    人知れず、泉ちゃんは心を痛めていたんです。

    だけど、泉ちゃんって、そういうそぶりを全然見せなくて、だから両親は、そんな一見逞しく生きているような泉ちゃんの、本当の気持ちに気付かなかったんですよね。

    いや、気付いたとしても、気づかないフリをしていたような気もするな。特にあの母親は。うんうん。

    そういう環境で育てられてしまった泉ちゃんは、幼いながらも、嫌なことを自分の中で浄化して、心の痛みを封印して生きてきたんだと思います。

    せめて、妹があと2,3年後に産まれていたなら、両親の愛情を受ける時期が泉ちゃんにもあったのかもしれません。

    そうしたら、人に愛されることを、ちゃんと理解できる女の子に育っていたのかもしれないな。なんて、ちょっと切なくなったりしました。

    タイトルを見て、てっきり泉ちゃんのシンデレラストーリーなのかと思ってたけど、そうではなくて、『倉島泉』という一人の女性の、リアル人生を描いた物語でした。

    「シンデレラ」=「幸せの象徴」というのを、ある意味覆すような独特な作品だったんですけど、でも、それでも泉ちゃんは幸せに生きてきたんだよな。なんて思ったりしました。

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著者プロフィール

作家

「2016年 『純喫茶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

姫野カオルコの作品

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