- 光文社 (2014年1月9日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (480ページ) / ISBN・EAN: 9784334766825
みんなの感想まとめ
人生の苦悩と希望が交錯する物語が描かれています。物語は、主人公藤太と幼馴染の秋雄、いづみの過去と現在を行き来しながら、彼らが抱える痛ましい思い出や、親の影響を受けた人生の苦しみを浮き彫りにします。特に...
感想・レビュー・書評
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う~ん。ウ~ン。
小説は本当に起こりそうなことを書くフィクションだというけれど、この小説に出てくる、“酒”“暴力”“ギャンブル”に溺れ、子供を子供とも思わない最低な親は世の中に沢山いるかもしれないが、いずみちゃんほどひどい目に合い続ける子は本当にいるのだろうか。そう思う時点で、私は葉山和美弁護士のように世間知らずなのかもしれない。
舞台は大阪の南のほう。暖簾も壁も何年も掃除していない油ギトギトの場末の居酒屋<まつ>。店主は足を引きずり、客は堅気かどうか分からないような最低の客ばっかり。店主であり主人公の藤太は「どうせこんな店」「自分はいつ死んでもいい」と思いながら、生きるために、ずっと店をやり続けている。
そんなある日、店を閉めてからひと目で“負け”を感じてしまうような、小ぎれいな男が小5くらいの女の子を連れて訪ねて来た。「藤太、久し振りやな。」という。よく見るとそれは、かつて親友であったが25年間一度も会わなかった秋雄であった。
25年前に何かがあって一度も会わなくなったということは、彼らは60歳くらいなのかと思った。だけど「中学卒業以来一度も会っていない」という。そして、連れていた女の子は同じく彼らの同級生で25年間会っていない“いずみ”の子供の“ほずみ”だという。今や少年犯罪の件で有名な弁護士となっていた秋雄は何故かほずみの保護者となっており、「今俺は危ないことに巻き込まれているから、ほずみを預かってくれ」と言ってきた。
たった15歳の時に彼らに何があって25年間も会えなくなったのか。そして、それでも仲間の子供を預かるほどの彼らの絆って何だったのか?
そしてもう一つ謎だったのが、このような店でちょっと場違いに思われるような(失礼)、ドヴォルザークの「新世界より」……それもカレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのが彼らの拠り所になっていて、特に「家族全員がナチの収容所のガス室で虐殺された」というアンチェルの人生がキーワードになっていて、ますます訳が分からなくなった。
舞台は彼らが小5の時に飛び、藤太、秋雄、いずみの父親は麻雀仲間で酒とギャンブルに溺れ、子供に暴力をふるう飛んでもない親たちだった。その共通項で寄り添いあった彼ら三人は親友というより恋人というより家族のような絆で結ばれていた。
彼らとドヴォルザーク交響曲「新世界より」の出会いは、小学校の時の音楽のリコーダーのテストだった。一緒に「遠き山に日は落ちて」(「新世界より」第二楽章)を練習していた彼らは
「“遠き山に”って大阪には山なんかあらへんし、分からへんやん。」
「天保山があるやんか。」
「やっぱり本物聞かな分からんのちゃうかと思て、お母さんのレコード持ってきたわ。」
といずみの持ってきたレコードを秋雄の家のステレオで三人で聴いたのが、カレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのドヴォルザーク交響曲 第9番「新世界より」。
聴きながら、いずみは解説に載っているアンチェルの経歴を読んだ。ユダヤ人であったため、家族全員をナチの収容所で殺されたが、戦後チェコ・フィルの音楽監督となり………。
「すごいな。こんなつらい目に合ってもこんな素晴らしい演奏ができるんやね。」
「俺は、決めた。俺は新世界に行く。あんな親父に<まつ>を任せられへん。おれは、もっと料理を勉強して、店をきれいにして、<まつ>を一流の料亭にするんだ。」
「私も、一緒にやる。」といずみ。
アンチェルの「新世界より」は彼らにとって希望の音楽だった。
でも、まさかそれが彼らを一生苦しめる音楽になるとは…。
ちょっと書きすぎました。
貧しさ、苦しさ、悪い大人、純粋な子供、友情、愛、絆、希望、絶望…そんな色んな要素が“アンチェル”と“蝶”に反映されてうまく盛り込まれていたと思います。けれど、“盛り込まれすぎ”感もありました。あと登場する大人たちがどうしてこうも劣悪非道な者たちばかりなのかという点とその子供たちが良い子過ぎることと、小説を盛り上げるために、登場する子供たちを不幸にし過ぎている感に違和感を感じてしまいました。 -
大阪で居酒屋を営んでる主人公藤太(とうた)の元に、幼馴染の秋雄が少女(ほづみ)を預けに来た
少女の母いずみと藤太と秋雄
過去に何があったのかという話
今の生活と、昔の少年時代と交互に話が展開
ある事件をきっかけに忌まわしい方向へとねじれていく
父親は仕事をせず、酒に酔って子どもを殴り、賭け麻雀をして借金をつくり、子どもを借金のカタに売る
そんな親たちのもとで育つしかなかった藤太たち
藤太 秋雄 いずみ
三人の過ごした時間はかげがえのないものなのに
最低の夏休み それでも最高の日々
蝶の羽化の失敗も
まるで人生の行き詰まりのようで
悲しくてやりきれない
後半の展開はスリリングで
少年時代のトラウマがそれぞれ暴走
主人公は投げやりに生きていたけど
生きると決め
ほづみを守りきった
それだけが救い -
再読。カレル・アンチェルとチェコ・フィルの9番を聴いた後で、改めて読みたくなったのだが、前回読んだときとは、また異なる思いを抱くことになりました。
藤太、秋雄、いづみ、この三人の人生は再読でも、とても痛々しく、思わず目を覆いたくなるような、筆舌に尽くしがたい悲しみに加えて、その要因が、それぞれの親なのだから、余計にやるせない。
しかし、それでも私は、アンチェルのあの出来事と、彼らの悲しみを比較するのは違うと思うし、それは、どちらがより辛いとかの概念ではなく、そもそも比べる事ができるような、そんな単純で軽いものじゃないでしょ、人生って。
ただ、それを生きる為の希望と感じられる事も、本書から読み取れて、おそらく、彼らの青春時代は、アンチェルの音楽(ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》)で表現された、まさに『新世界』を夢見ていて、今はどれだけ悲惨な思いをしていても、いつかきっと、そんな世界に辿り着けると思っていたことでしょう。
前回の感想で、私は、藤太の最後の場面について、「僅かな晴れ間がのぞいたのだろう」と書いたのですが、今回の再読はそうではなく、実は誰よりも、潔く覚悟を決めていたのではないかと感じました。
そこにあるのは、その行為が、どれだけ人生に影響を与えるのかということで、それは、『どこにも行けず、袋小路を虚しくさまようだけの人生になる』と、藤太自身感じているように、そんな思いを、ほづみにだけは絶対にさせてはいけない、ここに、これまで逃げてきた彼の、償いを為さんとする、剥き出しの覚悟が窺えた気がしました。
新世界は、藤太たちにとって、『あの頃の俺たちのすべて』だったのが、次第に苦痛へと変わっていき、終いには『たどりつけない世界』へと感じられたのかもしれない。
しかし、私は、タイトルの「アンチェルの蝶」には、『新世界へと旅立つ蝶』の意味があると感じており、無事そこに辿り着けるのかは分からないけれど、それでも最後の蝶の旅立ちには、藤太、秋雄、いづみ、それぞれの夢がやっと動き出してくれた、そんな風に感じられたことが、本書を読んで、最も嬉しかったことでした。 -
父親が営む居酒屋「まつ」を継ぎ、客とはほとんど口をきかない藤太と、幼なじみで弁護士の秋雄の二人がずっと想いを寄せていた、いづみ。
中学を卒業以来、音信不通だった秋雄が、小学生の少女を連れて現れた。
その少女は、ほづみ。いづみの娘だった。
時代や環境もそうだが、やっぱり子は親を選べない。
いづみは、藤太との淡い思い出だけを大切に辛い環境を生きてきたのかと思うとやりきれなくなる。
ほづみが来てから、まつの常連客も、店の中も何より全てに壁を作ってきた藤太が、少しずつ変わっていくのが良かった。
数年後は、小綺麗になったまつで、忙しく手を動かす藤太と、ハンチングや常連客に、バレエの話を聞かせているほづみが居て欲しい。
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暗い、最初からどことなく暗い。
なんでこうなるか、救いがない。
でも止まらなかった。
先が気になるもんで、なんだかんだで読み続けて、一気に近い感じで終わりました。
面白いか、面白くないかで言えば面白いんだけど、そうはいえない内容の苦しさ。
心がじんわりする場面もあるんだよねぇ。
でも、これは読まんと分からんよねぇ。
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予備知識も無く、何となくタイトルに惹かれて手にした本書であるが、哀しみに満ち溢れた何とも言えない余韻を残す、素晴らしいノワール小説であった。
大阪で鄙びた居酒屋を営む主人公の藤太の元に25年間交流の無かった中学の同級生・秋雄が訪れる。秋雄に同行して来たのは少女・ほづみ…25年間封印してきた少しづつ事実が明らかになり…
かつて北方謙三の初期のハードボイルド小説、馳星周のノワール小説、或いは天童荒太の小説にも雰囲気が似ている。女性作家だと海野碧が同じような作風の小説を書いているが、海野碧の文体がドライなら、遠田潤子の文体はウェットである。行間から滲み出す絶望と哀しみ、僅かな光が少しづつ物語を盛り上げていく。
解説によると、この作品は遠田潤子の長編二作目であり、第一作はファンタジー小説だったようである。 -
ここのところ、本を手にとってみてもあまり盛り上がらず挫折していたが、
久々にヒットだった。
遠田先生は好みの作風だが、これはなかなか良かった(*^-^*)
雪の鉄樹ほどではないが、何も分からない状況から物語が始まり、
次第に全貌が明らかになってくる手法は、そうだと分かっていても期待感が増してくる。
居酒屋「まつ」を経営する藤太の元へ、中学時代の同級生 秋雄 が少女 ほずみ を連れてくるところから物語が始まっていく。
秋雄とは誰なのか?何者なのか?ほずみとはどういう子供なのか?
全く分からないところから物語は少しずつ進んでいく。
過去の回想、現代、次第に解き明かされていく事実。
絶望の中でも、希望を見出していく少年。
痛い描写が苦手な私には、かなり厳しいところもあったが、全体通して飽きることなく読み進められたので★★★★(*^-^*)
暫く読書スランプだったが、また読みだしてみようかという気にさせてくれた。 -
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藤太とほづみで居酒屋を営んでいく暮らし部分が危なっかしくも微笑ましい。ガラの悪い居酒屋の客たちも ほんとはみんな人生の切なさも哀しさも知っているココロ温かい人たち。
藤太たちのそれぞれの親や 麻雀仲間の坊主。
卑劣な消防士とその息子のストーカー。
ほんとにうんざり。吐きそうになる。
衝撃の連続だったけど 一番の衝撃は 秋雄の告白かも。愛してた分 深く傷ついて 怒りが衝動的な結果に結びついたのかなぁ。
いづみはたくさんのひどい目にあったけど 藤太にも秋雄にも深く長く愛され続けた。読むまで気がつかなかったけど 弁護士が言うようにある意味シアワセなのかも。
藤太を無くしたほづみのこれからを思うと明るい気持ちでは終われない。せめて ほづみを心から大切に思ってくれる人と出会ってほしい。
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遠田さんの書く主人公て、こうも救われない人ばかりかと言いたくなるくらい破滅型の人が多く。
自暴自棄になって、救われての繰り返しで、読んでて辛くなるが、最後まで読ませちゃうのは、小説としては、素晴らしいのでしょう。
ほずみちゃんがいて、何とか少しは未来が切り拓かれたのが救いですね。
どなたかも書かれてましたが、最後のアクション?みたいなドタバタは余計な気が。 -
内容紹介
「母に捨てられ、父に殴られ、勉強もできず、リコーダーも吹けない。そんな俺でも、いつかなにかができるのだろうか」
劣悪の環境から抜け出すため、罪無き少年は恐るべき凶行に及んだ。
25年後の夜。大人になった彼に訪問者が。
それは、救いか? 悪夢の再来か?
河口近く、殺風景な街の掃き溜めの居酒屋「まつ」の主人、藤太。客との会話すら拒み、何の希望もなく生きてきた。
ある夏の夜、幼馴染みの小学生の娘が突然現れた。二人のぎこちない同居生活は彼の心をほぐしてゆく。
しかしそれは、凄惨な半生を送った藤太すら知らなかった、哀しくもおぞましい過去が甦る序章だった。
今、藤太に何ができるのか?
希望は、取り戻せるか?
慟哭のミステリーという名にふさわしい陰鬱な展開。どぶの中で咲いたような一瞬の暖かな光のような思い出。その思い出に絡みつくような、薄汚れて心に食い込んでくる蔦のような記憶。今現在進行形で輝くたった一つの希望である少女。
こんなに陰鬱で有りながらほんのりと感じる美しさに手を引かれて、読むごとに胸に突き刺さる痛みを我慢して読み進めたことだろうと思います。どうしてこんな親から生まれたんだと心の奥底から叫ぶ子供たち。大人になってもその呪縛から逃れることが出来ず闇へ闇へと引きずり込まれていく姿が胸に刺さります。
この話に出てくる彼らの親のくずっぷりが物凄くとにかく比類なき屑。マーダーライセンスを持っていたら全員皆殺しにしてやりたいところです。これを女性が書いたというのだからびっくりです(女性蔑視ではありません)
悲しみのマドンナであるいずみと、彼女の忘れ形見であるほずみ。彼女たちの人生が悲しい符合をしないように祈るばかりです。
僕は男が女を力ずくでどうにかする描写が大嫌いで読むたびに怒髪天を衝くという状態になります。なので、この本読んでいる時にも主人公の藤太と一緒に怒っておりました。藤太が酒におぼれて人生踏み外し始めた時にほずみが彼に与えた光。それによって変わっていく姿を見たいがために読んだようなものでした。
所で最近読んだ柚月裕子さんといい、女性とは思えないぶっとい背骨を持った作家さんが出てきましたね。読む本がどんどん増えてうれしい限りです。暗そうだけど。 -
新作『冬雷』のインタビューで遠田潤子はこう答えている
-成功した人間よりも、間違って失敗した人間を描いていきたいです。たとえ惨めで愚かな人生だとしても、否定せずに丁寧にすくい上げて描きたい。安易な救済は失礼だと思えるくらいに真摯に向かい合って、なおかつ面白い物語を書きたいと思います。
著者の書く作品には『正しい人』はでてこない。
負け続け、地べたを這いつくばって下を向いている人しか出てこない。
その人に前向けよ、顔あげろよというのは容易ではないし、
果たしてそれは彼らのためになるのだろうか、お節介ではないのだろうか。
蝶になることは簡単だ。
ただ羽ばたき方は誰も教えてくれない。
(抽象的な推薦文になってしまったが、彼女の作品はストーリーを追うことにあまり意味がない気がしてしまって、このような形がいいのではないかと) -
雪の鉄樹に続き、遠田作品2作目。
前作に負けず劣らず衝撃的な作品。
主人公の不幸な生い立ちは前作同様、読んでいて本当に胸が痛くなる。
作中に出てくる新世界よりの『家路』がひたすら頭の中で流れて、より切なさが増す。
小説の中の世界だと言えど、藤太とほづみの幸せを願わずにはいられなかった。
他の方のレビューにも書かれていましたが、東野圭吾の白夜行、天童荒太の永遠の仔を彷彿とさせられました。
ちょっと時間を置いてから、他の作品も読んでみようと思う。
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
遠田潤子の作品

『やっと羽を広げて飛べた蝶』の、絵が浮かぶような素晴らしい表現に、そうだったと詳細に思い出すものもあり、込み上げてくる...
『やっと羽を広げて飛べた蝶』の、絵が浮かぶような素晴らしい表現に、そうだったと詳細に思い出すものもあり、込み上げてくるものを感じました。
アンチェルの人生を知っている、Macomi55さんだからこそ、できる表現だと思いました。
本当に、色々な人間がいますよね・・
『恵まれて育ったかもしれません』とは、また違った根拠からのような気もしますが、私の場合、戦争に関する本の感想を書くとき、いつも躊躇いを感じます。私のような、戦争を体験もしていない人間が、さも分かったような事を書いて、投稿していいのだろうか? みたいなことですが・・意味不明に感じられたら、ごめんなさい。
分かりますよ。
私は両親が小学生のころ戦争を体験し、よくその頃の話をしていました。家族が戦死したり、空襲に合ったりというような体験...
分かりますよ。
私は両親が小学生のころ戦争を体験し、よくその頃の話をしていました。家族が戦死したり、空襲に合ったりというような体験ではなかったらしいですが、疎開に行ったり、夜中に空襲警報が鳴ったり、食べ物がなかったりして大変だったという話。「また、その話か」と思うこともありましたが、もう、その頃を実際に知っている人が80代以上の人ばかりになってきた今、本当に体験を話せる人がいなくなったら、日本はまた戦争をしてしまうのではないかと恐れています。
戦争は体験しないに限りますが、戦争に関する本を読んだりして、分からなくても、その場にいた人のことを一生懸命想像することはとても大事なことだと思います。
確かにそう思います。人は完璧な存在でないだけに、何をきっかけにそうした行為に走るのか、恐いですね。
私も、実際に戦争...
確かにそう思います。人は完璧な存在でないだけに、何をきっかけにそうした行為に走るのか、恐いですね。
私も、実際に戦争を体験された方が少なくなっている事は、他の本で知りまして、そのお話を聞くことが、如何に貴重で大切なことなのか、痛感しております。
そして、人は一生懸命に想像したり、相手のことを慮ったりすることができるのですものね。
様々な本が世の中に存在することの意味を考えて、これからも戦争に関する本を読んでいきたいと思います。
ありがとうございます(^_^)