- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334783563
作品紹介・あらすじ
「法隆寺は焼けてけっこう」「古典はその時代のモダンアート」「モーレツに素人たれ」-伝統とは創造であり、生きるための原動力であると主張する著者が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。『今日の芸術』の伝統論を具体的に展開した名著、初版本の構成に則って文庫化。著者撮影写真、多数収録。
感想・レビュー・書評
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縄文土器から始まり、尾形光琳、庭まで幅広く岡本太郎の考察が入ってる
借景という芸術としてユニークな庭の在り方が作られてきたのもも、日本という狭い空間の中でどう表現するか、箱庭、重箱での表現と言ったことが根底あり、それが全てのクリエイティブの根幹であるのではない。
それは庭だけではなく、音楽においてもjーpopの由来に通づるところがある、ロックという枠組みの中で逸脱したものではなく、その枠内でうまく創造して生み出す力、それが日本の美の美しさでもあると思ってきた!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
僕の世代で岡本太郎と言えば、イッた目をして「芸術は、爆発だ!」と叫んでいるヤバいオヤジという印象しかないのだが、その実は凄い芸術家であり、思想家であったというのが判る一冊。今でこそ縄文文化はその芸術的価値が評価され、美しい画集なども多数編纂されているが、日本で初めて縄文式土器の芸術性に注目したのがこのヤバいオヤジだったというのだから驚きだ。光琳の評価、庭園の鑑賞と併せて、伝統とは何かを真正面から問う快著。
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岡本太郎のえらいところは日本の美術の伝統について決して「知的」に語らないこと。自分の感性を信じ、素直に感じたことを原点として美の考察を展開する。裸の王様のお話の「子供」の役目を十分に果たしている。常識とされてきたものの見方を外れているからと言っても、全然奇をてらったりひねこびたりしない。
ことさらに日本の伝統美を賞賛しようとする昨今、岡本太郎的なあくまで自分の目でものを見ようとする姿勢が今一度思い起こされなければならないのだろう。 -
好きな音楽の話をするとき、ともすると衒学趣味になりがち。
>わが国の考古学の考証は、世界にくらべものがないほど綿密です。しかし形態や技術の角度からの分類、編年にばかり重点を置いて、広く文化的、社会学的な目で、内容に食いさがってゆくという気構えにかけているうらみがあります。この気配をうけて、一般のアマチュアまでが妙に「物知り」ぶりを発揮するのは困ったことです。考証や分類にとらわれず、純粋に土器そのものにぶつかり、その内容をつかみとらなければ意味がないと思います。 -
美術が好きな人には面白いと思う!岡本太郎好きだけど、この内容には興味持てなくて後半ほぼ頭に入ってないー
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伝統とは、過去のものではなく、今のエネルギーの結晶。
だから、古臭くかび臭くなったような伝統は、乗り越えて新しくブラッシュアップしていくべきもの。
日本を代表する芸術家、岡本太郎の芸術論。 -
「伝統とは創造であり、生きるための原動力である」と主張する太郎が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。太郎自身が撮影した写真が多数収録される。
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非常に良かった。所感を綴るには消化しきれてないが、伝統とはなにか。創造活動とはなにか。過去における現在の立ち位置は。大切な考え方を得た。
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今も残っている古典はそれ自体で無条件で価値あるものだ。
だが、真に価値あるものにするには、その過去のものである古典を今に活かすことで、初めて古典は古典であることの存在理由を全うでき、今の時代に生きる人間は今を生きることができる。