ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内 (知恵の森文庫 t ま 1-1)

制作 : 丸谷 才一 
  • 光文社
3.24
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本棚登録 : 95
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334784751

感想・レビュー・書評

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  • 本の本
    文学
    書評

  • [ 内容 ]
    藝談や随筆にならず、しっかりした批評性を備え、勘どころはきちんと押さえている…。
    ジャーナリスト、学者、小説家。
    どのジャンルの評者のものでもイギリスの書評はこれだけ粋で程度が高い。
    「オブザーバー」「サンデイ・タイムズ」「スペクテイター」などに収録された中から厳選した珠玉の21編。

    [ 目次 ]
    ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』―クンデラと俗悪なもの
    ジョン・クレランド『ファニー・ヒル』―一七五〇年のマージー・サウンド
    コナン・ドイル『オクスフォード版シャーロック・ホームズ全集』―戸棚に隠されたケルト人の謎
    スティーブン・W・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る』―頭でバン!
    カズオ・イシグロ『日の名残り』―執事が見なかったもの
    アンドリュー・モートン『ダイアナ妃の真実』―フレッド・アンド・グラディス・ショー
    コンパクト・ディスク版『オクスフォード英語大辞典』(第二版)―マウスとメタル・ウェーファーの奇跡
    マルセル・プルースト『失われた時を求めて』―過ぎ去りし日の思い出
    マルグリット・デュラス『愛人』―パッション・フルーツ
    ワルター・ベンヤミン『ワルター・ベンヤミン著作選集』第一巻(一九一三~一九二六)―エヴァがアダムを誘惑したとき、いったいどんな言語で誘ったのか?〔ほか〕

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 編者のいうところのロンドン書評のおもしろさが今ひとつピンとこない。

  • 文庫版買っちゃったけど、単行本の方が掲載されてる書評数も多いみたいだし、そっち買えばよかったかなぁ。

  • 喜んで買ってみたのは良いけれども、これ単行本の41編のうち約半分の21編を再構成したものなのね・・・仕方ないので、単行本を購入することにする。
    文庫本だからといって、安易に飛びつくものではないネ。

  • 読みたい

  • 読んでない本がたくさんあって、まだまだ私の読書も足りないな、と痛感。
    ムンバイからのフライトで読む。

  • 「俗悪(キッチュ)なものという言葉と意味が登場したのは十九世紀のことで、衰退しつつあった、宗教的・千年王国的な幻想に取って代わる別種の幻想としてであった。?左翼の人間を左翼の人間たらしめているのは、あれやこれやの理論ではなく、どのような理論をも大行進といわれる俗悪なものの一部分にしてしまうその人間の能力である?そのとおりなのだが、しかし生活を耐えられるものにしているのは、人生そのものという俗悪なものなのだ。ここでクンデラがみごとな二分法を立てていることを、言っておかねばならない。?俗悪なものは続けざまに二つの感涙を呼びおこす。第一の涙は言う。芝生を駆けていく子供は何と美しいんだ!  第二の涙はいう。芝生を駆けていく子供に全人類と感激を共有できるのは何とすばらしいんだろう!  この第二の涙こそ、俗悪を俗悪たらしめるのである?――しかし?俗悪なものは嘘と見破られる瞬間に、俗悪でないもののコンテキストの中へ入りこむ。そうして自己の権力を失い、他の人間の弱さがどれもそうであるように感動的なものとなるのである?――こうしたことは、新しい文体で飾り立てただけの古い陳腐な事柄にすぎないのであろうか? ある程度までは当然そうなのだし、すべてのニーチェ的な論証者と同じく、クンデラは事態の相対的な局面を認めるだけのゆとりがない。俗悪なものは絶対的な概念を明確にはしない。それが持ち出すのはただ特定の意図と文体だけなのだ。クンデラは事態を明確なものにしたいという大陸的な情熱の持ち主である」 (ジョン・ベイリー ?クンデラと俗悪なもの?) 単行本の方が多く収録されているらしい。プルーストの書評も素晴らしかった。

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