平場の月

著者 :
  • 光文社
3.69
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本棚登録 : 1441
レビュー : 215
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334912567

作品紹介・あらすじ

第32回山本周五郎賞受賞作&第161回直木賞候補作!

朝霞、新座、志木。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとり。元女子須藤とは病院で再会した。50歳になった男と女の、心のすき間を、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く大人の恋愛小説。

感想・レビュー・書評

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  • R1.12.26 読了。

     せつない、やるせない、もどかしいと思わずには、いられない。50代の中学の同級生の青砥健将と須藤葉子との恋愛小説。自分も同年代だから、分かる気がする。好きや愛しているだけではその先に進めない気持ちもよく分かった。
    そして実際にこの年齢ならば、こういう終わり方もあるだろうなと思う。

  • 人生50年も生きてくればそりぁ色々ありますよ。いい時もあれば悪い時も。だからこそ色んな事が足かせになり、躊躇したり遠慮してしまうのかな。個人的には50才のカップル、距離感がとても素敵なだと思って読んでいました。若い時にはなかなかこうはいかないでしょうが、お互いを思いやり、寄り掛かりすぎない距離感はとても微笑ましかった。同年代だからか余計に心境が染みて来ました。随分生きてきたんだけど、もう少し夢見たい気持ちも痛いほど分かります。エンディングはとても切ないですが、中高年の方には是非一読して頂きたい作品ですね。

  • この本はずっーーと後を引く。次の日も、そのまた次の日も、心に残って、考えている

    それぞれの過去を背負って出会ったもう若くない二人
    晩年感がふとよぎる歳で再会した「異性」は、15歳の面影を残しているものの、虹色の好意を友情と呼ぶほどには熟れている
    お互いを「青砥」「須藤」と呼び捨てできる仲

    青砥、景気づけ合いっこしない?
    どうってことない話をして、その時、その場しのぎでも『ちょうどよくしあわせ』になって、お互いの屈託をこっそり逃すやつ。毎日会うんじゃなくて、各自の屈託がパンパンになりそうになったら連絡を取って、『やーやーどーもどーも』『イヤ、しかしなんだねえ』みたいな感じで無駄話をする会を結成したいのだけれども 。互助会的な

    いいな、ひととしいってからの異性の友達、共通の思い出を持っているのもいい。女友達にはないあっさり感や裏のない明るさがあるような。きっと話題が嫁姑や孫の話になったりはしないのだろう
    ただし、わたしの場合は恋愛に発展しないことが条件、友達のまま

    各章のタイトルがまたいい
    1 「夢みたいなことをね。ちょっと」
    2 「ちょうどよくしあわせなんだ」
    3 「話しておきたい相手として青砥はもってこいだ」
    4 「青砥はさ、なんでわたしを『おまえ』って言うの?」
    5 「痛恨だなぁ」
    6 「日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ」
    7 「それ言っちゃいかんやつ」
    8 「青砥、意外としつこいな」
    9 「合わせる顔がないんだよ」
    どれも須藤が青砥に言った言葉だ。さりげない愛情や気遣いや遠慮や寂しさが感じられ、胸が締め付けられる

    須藤はもっともっと甘えて、身勝手でもよかったのでは?
    須藤は青砥の胸にしがみついて、泣き叫んでもよかったのでは?
    青砥だって、グイグイ須藤に自分の気持ちをぶつけたらよかったのでは?
    須藤が亡くなった後、菜園に埋められたプレゼントのネックレスと合鍵を入れた封筒を掘り起こした時の青砥の気持ち
    悲しすぎる。淋しすぎる

    大人の分別を持った二人の恋は、こんなに静かで遠慮深いものなのか

    萎れている青砥の背後から
    「胸を張れよ、青砥」
    「簡単だよ。貝殻骨をくっつければいいんだ」
    須藤の声が聞こえてきそうだ

  • 50歳の男・青砥は健康診断の結果が悪く、再検査を受けることになる。検査に行った病院の売店で中学時代に告白した須藤に会う(その時、須藤には振られた)。そこから二人の交流が始まる。しかし、須藤に大腸癌が発覚する。面倒見がいい青砥、心が太くみえる須藤。二人の想いの結末は…。
    主人公たちは50歳、それに恋愛が絡む。それに物語の調子として、最初は、どうかなあ…読むのが苦痛で終わるか不安でした。しかし、読み終える頃には、物語の完成度に素晴らしさを感じました。生まれの土地での昔からの顔なじみの世界、その雰囲気、中年ぽさ、二人の不器用なやりとり、上手く描けているなあと。ありそうなことを物語としてしっかりと書き上げて入りところが素晴らしいと思います。50歳というのが、また良い設定なのかな、自分の近い未来を想像させるような。癌だって、身近にあるような設定だし。何だろね、派手ではないんだけれど、読ませるのは作者の力か。
    須藤の心はわからないでもない。結末も裏切らずによかった。

  • お互いを「青砥」「須藤」と苗字で呼び合う2人の、静かながらも強い愛の物語。

    そこそこカッコよく、人生にも不自由なく生きてきたバツイチの青砥。略奪婚の末、旦那を亡くし、歳下の男に散々貢いで人生のどん底を経験し、それでも平凡ながら逞しく生きてきた須藤。
    2人は中学校の同級生だった。一度青砥が当時から「太かった」須藤に告白するが、振られ、50を迎えた2人は病院で再開する。

    そこから2人の友だち以上の緩やかな関係が続いていく。物語の冒頭で須藤が亡くなるのはわかっていたが、それでも終局で須藤がいなくなるシーンは心が引き裂かれるように辛かった。

    お互いさっぱりしたもので、普通の恋愛小説の感覚で読むと物足りなさすら感じるかもしれないが、それでも2人はしっかりと愛し合っていた。長い時間友だちでいた2人が初めてキスをするシーンにはシビれた。女性の作家さんが描くからなのか、とてもドキドキしてしまった。

    ずっとこのままでいられたらいいのにと思うが、病気が2人を引き裂いてしまう。須藤の頑固な強さ、青砥の不器用さのせいで最後までモヤモヤさせられてしまった。でも、最後の一行が全てを溶かし、ゆっくりとしっかりと感動を広げていった。

  • 初読みの作家さんですけど、とても良かった♪
    齢50にして偶然に出逢った中学生時代の昔男子と昔女子の少し切ない悲しい、友達以上 恋人未満な物語。きわめて庶民な大人の、互いに互いを苗字呼び捨てで呼び合う仲なのだけど本音のところは惹かれ合っていく過程がなかなか面白くて焦れったくて大人甘酸っぱい。各章タイトルが女性からの「会話」仕立てで構成されていて、書体が大きいのは読者層寄り?
    主人公たちと同世代以上の読者には あるある 又は ありたい 物語かも知れない(笑)
    直木賞候補作品だったことに納得です。

  • 「胸を張れよ、青砥」
    須藤が青砥にかけた激励の言葉がいつまでも耳から離れない。
    青砥と須藤、共に50歳。
    同窓生の男女の静かな恋愛は、若い頃のような燃え上がるものには遠く及ばないけれど、よりリアルにゆっくりと迫ってくる。
    イタい経験も多々積んだ二人は、ただ寄り添いとりとめのない会話で日常の煩わしさをやり過ごす。
    この年齢になると寄り添う相手も、誰でもいい訳にいかず選んでしまうもの。
    この二人の距離感がとても心地好く、そんな相手に出逢えた二人が羨ましい。

    「ちょうどよくしわあせなんだ」
    現状に不満がある訳でもなく多くを求めないごく平凡な平場で、ずっと二人一緒にいたいだけだったのに。

    この本に出逢ったのが、もっと若い頃や年齢を重ねた後ならピンと来なかったかもしれない。
    今、同じ年頃のタイミングでこの本が読めて共感できて良かった。

    「おれ、おまえと一生いくと決めたんだわ。おれはおまえがだいぶ好きなんだよ。どんなおまえでも、おまえだったら、それでいいんだよ」
    「須藤はこの世にひとりしかいない。須藤以外の須藤など、いるはずがない」
    好きな人からこんな風に思ってもらえる須藤がほんと羨ましい。
    そして最後まで学生時代のまま、互いを名字で呼び合う二人。こういう不器用さも好き。

  • なんて切ない恋なのだろう。
    洒落たデートも甘い言葉も出てこない、
    ポロシャツにジーパン姿の50歳を過ぎた男女の恋が
    読み終わった今も心を掴んで離さない。

    月の光のような静かな恋は、
    燃え上がりも燃え尽きることもしない分
    いつまでもそっと心の中を照らし続けるのだろう。

    ドキドキしたお祭りのような日々が恋だと思っていた私は
    まだまだ修行が足りないようだ。

  • 青砥と須藤。中学の時の同級生。中学の時、青砥が須藤に告ったけど、きっぱりと振られた。そして今は五十代。結婚もし、離婚もした。検査のために行った病院の売店で須藤を見かけて声をかけた。検査に来たと言ったら、二人で元気づけ会をしないかと須藤が言った。それで、二人で互助会をすることになった。中年になった男女のお互いを思う気持ち。そして年齢による病気への怖さ。後半ではしんみりしてしまった。青砥の気持ちと、素直に青砥を頼れない須藤の気持ちが。

  •  一千万人の人生と、一人の人生の価値は同じだ。そう考えられる人がどれだけいるだろうか? 生きる平等性は、数の論理では絶対に割り切れない。多くの小説もまた、そうした価値観に立脚して書かれる。読者はその安心を文字を通して獲得する。

     『平場の月』で言う平場とは、平らな場所、メリハリのない場所、特に目立った人生ではなくても、社会を形成する最も多くの人たちが暮らす場所のことを言うのかもしれない。北海道出身の作家なのに、この小説の舞台は、埼玉南西部の何本かの私鉄沿線、新座・朝霞・志木であるらしい。あまり目立った名前でもなく全国的な知名度は埼玉県民でもなければ、相応に低いように思う。ぼくは人生の一番多い時間を埼玉県民として過ごしたから、なんだか隣近所のように思えるのだけれど。

     市井のそれも若さからは少し遠ざかってしまった五十代の男女の恋愛と、一方の発病という苦難を、これ以上ないほど誠実に、一人一人の命をなぞるように描いて、山本周五郎賞を獲得した作品である。

     不思議なのは、最初の数ページで、青砥(男)と須藤(女)の物語のダイジェストが一気に語られてしまう。須藤の死までもが。青砥の目線で物語は始まる。須藤との再会。須藤は同窓生でかつて告白してふられたことのある相手である。二人は五十歳。これからの人生がたっぷり残されているわけでもなく、過去のできごとは彼らの背後に、まるで疲労のように蓄積している。

     どのページを開いても切なさでいっぱいになる。自分のことではないけれど、自分のごく近しい家族とか友人みたいに、あまり距離を感じさせない、自分事みたいに錯覚を起こさせる物語なのである。そして人生の後半を生きる時間の重さ、というものもページの重さとしてそのままに感じられる。庶民、と一まとめに言いたくはないけれど、多くの平場に生きる人間たちの、その数だけある現実のひとつと向き合っているような。そういう二人の今を、応援したくなるような。拳を握りしめて。

     そう。人生は、他人事ではない。ぼく自身、がんの発病とと向かい合った一年であったからこそ(無論その構図は今も未だ完全には終わっていない、須藤のように)、この作品の、意外にさらりと書かれている闘病風景と、そこに進行する五十代の男女だからこその誠実な恋愛風景とを、ぼくは彼らに寄り添うように読ませて頂いた。

     本作が多くの人に読まれているのも、どこか自分に似たこと、自分がそうなっていたかもしれない運命、自分にこれから起こり得るかもしれない未来、そして何よりも重たい現在、を描いて、作品自体が市井の読者に優しく寄り添っているからなのだろう。そして定番としての女性の死という運命。

     ネットなどで、作者のインタビューを読むと、作者は定番で勝負したかった、五十歳の『世界の中心で愛を叫ぶ』を書きたかった、のだそうである。三ヶ月ですらっと書き上げた。そしたらやはり作者らしい小説になっていた。納得。

     厳しくも優しい小説である。二人でいる方がより強く感じられる孤独。厳しい心象風景の連続するなかに、確実に人が与えてくれる手のひらの温もり。繊細な小説時間の中で世界とのつながりを感じさせてくれる不思議な本であった。

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著者プロフィール

朝倉かすみ(あさくら かすみ)
1960年、北海道小樽市生まれ。小さい頃から読書に親しむ。短大卒業後はパートから契約社員になり、余暇で夏目漱石や森鴎外などを愛読。30歳で小説を書こうと思い立ち、文学の道に至る。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を、2004年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞し、40歳を過ぎてデビュー。2009年『田村はまだか』で第30回吉川英治文学新人賞を、2019年『平場の月』で第32回山本周五郎賞を受賞し、第161回直木賞にノミネートされる。

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